前に入館している。河井継之助、「米百俵」の小林
虎次郎などの史料他興味深いものが多く再度観たかった
が、次の機会にする。この館と長岡市に2006年末に
オープンした河井継之助記念館をゆっくり訪ねたいと思う
虎次郎などの史料他興味深いものが多く再度観たかった
が、次の機会にする。この館と長岡市に2006年末に
オープンした河井継之助記念館をゆっくり訪ねたいと思う
幕末の長岡藩士、河井継之助(かわいつぐのすけ
1827-1868)は長岡以外では無名に近かったが、
司馬遼太郎の小説「峠」で一躍有名になった。
2度目の江戸遊学から備中松山藩に向かう際に旅日記
「塵壺(ちりつぼ)」を書いている。長崎も訪れ、
西洋事情も知った。帰藩後、藩政改革で財力、近代
兵力を養った。「戊辰の戦い」には中立を唱えたが
結局抗戦し奇襲で長岡城を奪還したが、増大する
新政府軍の兵力には勝てず再度落城する。傷を負って
会津へ向かうが途中塩沢村(現福島県只見町)で悲運
の最期を遂げる
1827-1868)は長岡以外では無名に近かったが、
司馬遼太郎の小説「峠」で一躍有名になった。
2度目の江戸遊学から備中松山藩に向かう際に旅日記
「塵壺(ちりつぼ)」を書いている。長崎も訪れ、
西洋事情も知った。帰藩後、藩政改革で財力、近代
兵力を養った。「戊辰の戦い」には中立を唱えたが
結局抗戦し奇襲で長岡城を奪還したが、増大する
新政府軍の兵力には勝てず再度落城する。傷を負って
会津へ向かうが途中塩沢村(現福島県只見町)で悲運
の最期を遂げる
城跡はこの階段を上った先にある。人のけはいがない
のでためらっていると、これとは別の右手の道のほう
から「おーい、おーい」と聞こえるので私を呼んでいる
のかと待っていた。大分年配の女性で、山菜取りにきて
はぐれたご主人を呼んでいるとのこと、のどが渇いて
いるとのことで持ち合わせの茶のボトル1本を差し上げ
た。もとの道を上って探しにいかれたが、あの後
すぐにご主人と会えただろうか。
城跡まで行く勇気がなく引き返した。林道や遊歩道が
整備され、本丸からの眺望は絶景という。夏の人の多い
時にまた来られたら..
のでためらっていると、これとは別の右手の道のほう
から「おーい、おーい」と聞こえるので私を呼んでいる
のかと待っていた。大分年配の女性で、山菜取りにきて
はぐれたご主人を呼んでいるとのこと、のどが渇いて
いるとのことで持ち合わせの茶のボトル1本を差し上げ
た。もとの道を上って探しにいかれたが、あの後
すぐにご主人と会えただろうか。
城跡まで行く勇気がなく引き返した。林道や遊歩道が
整備され、本丸からの眺望は絶景という。夏の人の多い
時にまた来られたら..