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旅・花..雑多に
*ゲール語の「ファダ」文字は
 A^a^O^o^U^u^E^e^I^i^,で代用
     

ぼたん園

2006-04-30 18:23:22 | ボタン・シャクヤク
去年に続き今年も「ぼたん園」に行く。月末から5月初めの
開花時期の3週間だけは有料(¥500)になる。普段は
「民権の森公園」の一部として無料開園。
198種1,200株あるという大輪のぼたんが咲き誇っていた。
これまで育てるには大変な手間ひまがかかるだろう、
それだけに花開いた時の喜びは大きいだろう。
山小屋にまで強盗、中高生の殺人事件が相次いでどう
なるのか日本はと思っている矢先。誰かさんのいう
「愛国心」より「隣人愛」では?

足湯

2006-04-29 18:06:26 | Weblog
温泉街の真ん中に「足湯」ができた。母娘らしき二人が
浸かっていた。「熱い!」と足を真っ赤にしながら、でも
気持ちよさそうだった。手だけ浸けてみた、足の疲れが
とれそうないい熱さだ、掛け流し温泉だという。
断って写真を撮らせてもらった。
スキ-シ-ズンが終り春のシ-ズン準備期間で人通りはない。
雪解け水が勢いよく、温泉街に接するスキ-場の上から、
音をたて排水溝を溢れるばかりに、魚野川に下りていく。
足湯の名称が「かんなっくり」となっている。
説明がないか観光案内書など色々探してみたが、
判らなかった。ようやく判明。某ホテルのHPに方言で
「つらら」の意味と。足湯が何でつららか分からないと
あったが確かにそう思う。公募で決まったとか。音の響き
がよいのも一つの理由?


イチゴハウス

2006-04-28 17:33:02 | Weblog
雪国に今年冬真っ盛りの1月、オ-プンしたばかりのイチゴ狩り
ハウス。4月というのにまだ銀世界が広がる中にハウスが2棟。
白雪の中に大粒の赤いイチゴ、夏の緑に赤より似合っている
ようだ。摘み取りはしないで、1ケース買ってきた。
久し振りくつろぎの時甘いと食べたひと腕はもう癒えたかな


チェリスト

2006-04-27 12:12:54 | Weblog
菊地知也さん無断で写真撮りました。偶然、人を訪ねた
先で「実力NO.1チェリスト春に奏でる」というミニコン
サ-トを聴くことに。バッハ、ドビュッシ-、シュ-ベルト
など8曲、エルガ-の「愛の挨拶」はよく耳にする(CMで)
曲でした。ピアノの田中麻紀さんとは長年のアンサン
ブルとかで息もぴったりでした。黛敏郎作曲のBUNRAKU
では三味線、太鼓に似た音を力強く弾き、熱演のあまり
絃が切れてしまうほどでした

武尊山

2006-04-26 22:18:23 | 道の駅PA
赤城高原SAから武尊山(ホタカヤマ)を中心とする雪の連山。
谷川連峰はこの左手に見える。武尊山は日本武尊
(ヤマトタケルノミコト)の霊山。頂上にその銅像があり
2,158mの群馬県の山。麓にはスキ-場がある。
「ほたか」と音だけ聞くと大抵は長野の穂高連峰を思う。
以前同乗していた友人にあれが「ほたか」というと、この人
おかしいんではないかと思われた。説明してようやく
分かってもらえた。かく言う私も知ったばかりだったが。
穂高といえば井上靖の「氷壁」が浮かぶ。ところで
井上靖記念館が数年前に旭川に開館したはずだ・・

赤城SA

2006-04-25 18:08:14 | 道の駅PA
桜満開の赤城高原SA(上り)から谷川連峰を望む。
遊歩道公園があり、鳥の訪問客説明板もある。春を喜ぶ鳥
たちのさえずりがあちこちから聞こえ、時折その姿も見え
るが知識がないので鳥の名前は分からない。
谷川の右手には武尊山(ホタカヤマ)が連なって見える。
こんなに見渡せるのは珍しい。(4.22)
空にわかに黒くなり大粒の雹(ヒョウ)が降った
当たった人は痛かっただろうな畑の野菜も穴があいたとか



フキノトウ

2006-04-23 18:52:11 | history
「北越雪譜」の鈴木牧之の墓があるという「長恩寺」へ行く。
記念館から500m足らずのところにある。まだ雪に埋も
れていた。本堂の屋根は雪から保護するためか青いシ-ト
に覆われている。幹の真ん中から無残に折れている木が
ある、今年の雪は重かった。それでも境内に春の訪れが。
フキノトウが雪と石のわずかな隙間に黄色を目立たせて
けな気にしっかりと春を告げていた。

鈴木牧之記念館

2006-04-23 14:06:54 | museum
鈴木牧之(スズキボクシ1770-1842)は「北越雪譜
(ホクエツセップ)」の著者。江戸後期の雪国の暮らし、
伝承、方言、雪の結晶のスケッチなど詳細な絵もまじえて
記した雪の百科事典とも言える全7巻。江戸での発刊まで
40年かかり、出版されるとベストセラ-になった。
記念館は塩沢町にあり、著書はじめ貴重な品々が展示され
ている

高半旅館

2006-04-22 19:09:29 | Weblog
越後湯沢の温泉街をはずれ急坂を登ったところに高半旅館は
ある。川端康成は1934‐1936年に3回訪れて、「雪国」を
切れ切れに書いていた。何の変哲もなく改築された今は、
康成が泊まった「かすみの間」は当時そのままに残され
展示室として公開されている。その部屋は島村が泊まった
「つばきの間」の窓からの景色、室内描写など、この部屋
そのままであるという。
現在の眺めは山々は変わらないが高速道路と新幹線駅など
が広がりひなびた温泉ではなくなっている。
晴れている雪国との別れを惜しみ春真っ盛りの地へ帰る


雪国の碑

2006-04-19 17:44:14 | 句・歌碑
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった夜の底が白く
なった」雪国の冒頭、川端康成の直筆が刻まれている。
主水(もんど)公園の一画にある。主水とは、山や高台から
水が流れ込む谷地の中心のこと。
島村が散歩した道、駒子が忍んで彼に会いに通った獣道の
ような笹の道など、「雪国」文学散歩道として整備された。
まだ雪に覆われている。雪が解けたらぜひ歩いてみたい

散る桜

2006-04-17 09:15:21 | 
桜散る、というと失敗、不合格などマイナスイメ-ジが
強いので、散る桜といってみたが、同じことか。
散るから咲くのだと思うと落ち込むこともないか。
散ることにも風情を感じ、桜吹雪のあとも葉桜と名付け
て日本はあくまでも桜にやさしい


与謝野晶子&大仏

2006-04-16 18:27:11 | 鎌倉
高徳院大仏の裏手に与謝野晶子(1878-1942)の歌碑がある。
「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼(シャカムニ)は
美男におはす夏木立かな」
正式には釈迦如来ではなく阿弥陀如来だという。その誤解
もあるが、この歌が有名になったのは当時は大仏を観光
気分でお参りする人はいなくて御仏をハンサムという
ことなど不遜なことだという時代だったからである。
彼女自身はそんな細かいことは気にしない!とあの世で
笑っているのでは。現代では普通のことを非常識、奔放、
情熱家などと言われながら、残した歌は5万首。歌集
「みだれ髪」、日露戦争時の「君死にたまふことなかれ」、
「源氏物語」の現代語訳などの他、女性解放思想家として
も大きな足跡を残している。
「青空文庫」で作品を読むことができる

岡本かの子&桜

2006-04-15 18:39:09 | 鎌倉
鎌倉文学館には休憩室があり自動販売機がある。
熱いコ-ヒ-を飲みながら壁に目をやると大きなパネル
写真が。大仏には与謝野晶子の歌、桜には岡本かの子の
歌が。「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)
をかけてわが眺めたり」。桜のこの時期だからこそかも
知れないが、小気味よい力強さが心に響いた。
岡本かの子(1889-1939)は「さくら」を数多く詠っている。
天才的芸術家といわれる彼女が桜を観て思いを歌に込め
ること138首も。
かの子は与謝野晶子に師事し、和歌を発表する。岡本一平
と結婚、太郎誕生。芸術家同士の個性のぶつかり合いなど
で宗教に救いを求め、仏教に関するエッセイ多数発表、
仏教研究家としても名を成す。鎌倉駅近くの宿に逗留し、
同宿の芥川龍之介と知り合う。1936年彼をモデルにした
「鶴は病みき」で念願の小説家としてデビュ-、小説に専念
したあと49歳で死去。当時は女性が強烈な個性、才能を
精力的に発揮するだけでバッシングも多々受けたのでは
ないかと想像する。驚くほど多くの短歌、エッセイ、
小説を発表している。「青空文庫」で作品公開中