alacarte

旅・花..雑多に
*ゲール語の「ファダ」文字は
 A^a^O^o^U^u^E^e^I^i^,で代用
     

幸運の数

2007-12-01 17:22:40 | ゲール語あれこれ
アイルランドには独特のアイリシュ・トゥライァドゥ 
Irish Triadと呼ばれる、簡潔に3行で表現する詩の
形式がある。格言のような深い意味が込められている
もので古代ゲール語時代にさかのぼるという。
例えば、グレゴリー夫人の戯曲「Grania」に、
「恋には三つの強風が襲うという、幸せの白い風の
ひと吹き、次に不幸せの黒い風、そして三つ目は嫉妬
の赤い風」とそれが引き継がれて表現されている。
また、アイルランドでは古来から同じ内容の語句が
三つ繰り返して使われることが多い
「リアの子供たち」では、リア王の嘆きを表して、
Lir, bro^nach, buartha, buailte
リアブローナハブァルハブァルチャ
リアは悲しく、悲嘆にくれ、打ちひしがれる
と似ている語を三つ並べているsad,sorrowful,beaten
Ta^ Lir bro^nach.リア王は悲しい→Ta^の省略

ケルトの時代から、日本と同じように数字の3,5,7は
幸運の数としてきた。アイルランドではそれだけではなく
多くのことがらに好んで使われる。
Cu^ig che^ad fa^ilte
クーィグヘァドフォールチャ
500の歓迎を(ようこそ)
その他、500の悲しみが、700の祝福を、等々使われる。
photo:ダブリンのクライスト・チャーチ大聖堂内
→グレゴリー夫人、リアの子供たち、ゲール語5ようこそ

小教会

2007-12-01 17:22:30 | ゲール語あれこれ
ケリー郡ディングル半島、初期キリスト教時代の
小教会(礼拝堂)「ガララス・オラトリ」 
Se^ipe^ili^n Ghallaraisシェーペーリーンガララス
英 Gallarus Oratory
8世紀頃に建てられた(12世紀ともいわれる)が
ヴァイキング、ノルマン、アングロサクソンにも破壊
されず大西洋の強風にも耐えて殆ど原形を保っている。
石を積んだだけのものだが、驚くことに防水も保たれ
完全に保存されている。聖ブレンダンが航海した舟を
ひっくり返した形によく似ているともいわれている。
数年前にはビジターセンターもできて(この写真を
撮った時にはなかった)観光客も多くなったようです
→聖ブレンダン

アイルランド国名起源

2007-12-01 17:22:20 | ゲール語あれこれ
アイルランド憲法では国家の名称は E^ireエーラ、
英語ではIreland と規定している。
E^ire の語源説は様々あったが、紀元前5世紀頃の
アイルランド島へのケルト人渡来以来信仰されていた
女神エーリュE^riuエーリュを語源としている(と現在
は考えられている)。
トゥアハデダナン神族をスペイン方面からやってきた
「ミルの息子たちThe sons of Mil(Milesians/
The Gaels)」が破った、彼らはタラに向かう時、
アイルランドの3人の女神 Banbhaバンヴァ、
Fo^dlaフォーラ、E^iriuエーリュに会い、それぞれの名を
この地に残すことを約束した。ドルイド神官であり
フィラのアマギンAmhairghinは、エーリュの名を本土
に残すことを保証し、この地は永遠に「ミルの息子たち」
のものになるであろうと予言したといわれる。
古代ゲール語のE^riu(E^ire)にゲルマン語のland
を付けてI^raland、I^rland、Irlandeとなり
現代英語Ireland になった
→トゥアハデダナン、侵略の書、詩人フィラ

キャスリーン・ニ・フーリハン

2007-12-01 17:22:10 | ゲール語あれこれ
キャスリーン・ニー・フーリハン 
Cathleen Ni^ Houlihan  英Kathleen Ni Hoolihan 
Caitli^n Ni^ Uallacha^inカトリーンニーウァラハーン
Ni^:の娘(O^ hUallacha^in)
キャスリーン・ニー・フーリハンはアイルランド国を女性に
擬人化するひとりです。1902年「アイルランド国民劇場」
にて初演、イェイツがモード・ゴンのために書き大成功を
おさめた戯曲「キャスリーン・ニー・フーリハン」の
あらすじは、
時は1798年アイルランドの港に近いある村。明日は結婚式が
あると村中が喜びの気分でいるところへ、ひとりの老女が
訪ねてくる、名前を聞くと「哀れな老女sean bhean bhocht
シャンヴァンヴォフト (アイルランドを象徴するひとり))
sean:老いた、bhean:beanバン女、
bhocht:bochtボフト哀れな」
と呼ばれるが「フーリハンの娘キャスリーン」とも呼ばれるよ
若い男たちがわたしのために身を犠牲にしたものよ、などと
話す。そのとき若者たちがフランス軍に加わるために丘を駆け
下りていく。老女も立ち去る。フランス軍がアイルランド独立
運動を救援するために港に上陸するというニュースが流れて
いる時であったのだ。老女のあとを追う村人が「ばあさんを
見かけなかったかい」と尋ねると「見かけなかったよ、だが
若い女を見たよ、まるで女王様のような歩き方だったよ」
と答えるところで幕となる
photo:1923年ベルファスト生まれのレイヴァリ卿がアイル
ランド国のイメージであるキャスリーンニーフーリハンとして
アイルランド系アメリカ人の自分の妻をモデルに描いた絵。
アイルランドの伝統と大西洋を越えたアイルランド新世代の
両方を象徴した姿だそうです。
独立後の新紙幣の透かしに採用された
 -政府発行「Literature in Irish」より
→W.B.イェイツ、モード・ゴン、アベィ劇場

モード・ゴン

2007-12-01 17:22:00 | ゲール語あれこれ
モード・ゴンMaud Gonne(1865-1953) は
アイルランドが生んだノーベル賞詩人W.B.イェイツが
数回求婚した美しく強い女性である。その面影を持つ
彼女の娘にも求婚するが断られている。彼の愛の詩の
大半は彼女への想いであった。1889年イェイツ23歳の
時に初めて彼女に会う。彼女はすでにアイルランド
独立運動に情熱を燃やしていた頃である。イェイツ
自身が言っている「私の生涯の悩みは始まったのだ
All the trouble of my life began」と。
モードはイギリス上流階級に生まれ、その際立つ美貌
で社交界の花形になるが、やがてアイルランドの窮状
を知りイギリス政府の圧政に憤り、その激しい気性で
敢然と立ち向かい闘い「アイルランドのジャンヌ・
ダルク」と讃えられた。ダブリン、パリ、ロンドンを
往復し、アメリカへ渡り、運動の資金集め、言論活動、
デモ行進に参加し、と献身的に尽くした。イギリスで
投獄もされた。彼女は祖先はアイルランド人であると
好んで言っていたというがそれは定かでない。
1897年パリで月刊誌「自由アイルランド」を発行、
1900年アイルランド初の女性による組織「アイルランド
の娘たちInghinidhe na hE^ireannイニーナヘーラン」
(Inghinidhe:現代ゲール語ではIni^nachaイニーナハ
ini^onイニーン娘(複)、na:~の、
hE^ireann:(E^ireエーラアイルランド)の、
を結成した。女性の権利を守ること、独立のために女性
も運動するということを目標としたが、先ずゲール語、
自国の歴史、文学、伝統音楽などの講座を開いた。
イェイツはじめ多くの詩人、作家、学者たちは協力を
惜しまなかった。
イェイツの詩劇「キャスリーンニーフーリハン」で主役
を演じ女優としても大絶賛された。正式に結婚したジョン
・マクブライドは1916年のイースター蜂起で処刑された。
イェイツに多大な影響を与えた女性、グレゴリー夫人は
生涯敬慕の対象であったが、モード・ゴンは生涯恋した
女性であった。モードは自叙伝にイェイツとの「友情」
は心の支えであったと記している
→W.B.イェイツ、グレゴリー夫人、P.ピアスの家、
 キャスリーン・ニ・フーリハン

スペイン無敵艦隊碑

2007-12-01 17:21:50 | ゲール語あれこれ
現在、イングランド女王が主人公の映画「エリザベス・
ゴールデンエイジ」が上映されている。クライマックス
はイングランドとスペインの壮絶な海戦シーンだという。
1588年カトリックのスペイン(フェリペⅡ)はプロテス
タントのイングランド(エリザベス)に向けて100以上の
戦艦を向けるが劣勢になりスコットランド、アイル
ランド沖を迂回して引き返す、が大西洋は嵐の海だった。
強風に流されて、アイルランドのディングル湾では4隻
が座礁、難破し、多くの人が病死、溺死した。そのうち
の「Santa Maria De La Rosa」号の記念碑を、400年後
の1988年に建てた
Arma^id na Spa^inneアルマードナスパーニャ
艦隊 の スペイン
photo:ディングル半島にて

ゲール語10友だち

2007-12-01 17:21:40 | ゲール語あれこれ
ゲール語の「友だち」はcaraカラ(複 cairdeカルジャ) 

「こちらは私の友だちです」
Seo   mo  charaショモハラ
これは 私の (moが前にくるとcharaになる)

手紙の冒頭によく使われる。例えば
A She^amais, a chara,アヘーマスァハラ
で始まり、本文に入る。  
呼びかけのa(呼格)がくると
Se^amasシェーマスがShe^maisヘーマスに変化
caraがcharaハラに変化する。
手紙でのa charaは日本語の~様(さん)に当たる。
あまり親しくない人にはA chara,(拝啓)で始まり、
本文、結びはdo chara di^lisドハラジーラシュ (敬具)。
大統領Uachtara^n na hE^ireann
ウァフタラーンナヘーラン
からの外国元首への信任状などは、
A Chara Mho^r Mhaith,アハラウォールワヒで始まる。
mho^r:mo^rモール偉大な、mhaith:maithマヒ良い

グリーン

2007-12-01 17:21:30 | ゲール語あれこれ
アイルランドといえばグリーン、グリーンはアイルランド
を象徴する色です。緑の美しい風景から「エメラルドの
島」とも呼ばれますが、シャムロックの緑に由来すると
いわれています。
アイリシュカトリック初の米大統領J.F.ケネディは
1963年アイルランドを訪問、アイルランドを 「green
and misty isle」 と表現し、熱狂的歓迎を受けた。
ゲール語で 緑はuaineウァニャ、glasグラス
photo:サッカーサポーターたち、グラフトン通りにて
→E^ireの国旗、シャムロック

ダブリン城

2007-12-01 17:21:20 | ゲール語あれこれ
ダブリン城は1204年イングランドのジョン王により
建設された。イギリス支配の象徴であり、内部は
豪華で贅(ゼイ)の限りを尽くしている。
城門の上に立つ、右手に邪悪を退ける剣を、左手に
公平を表す天秤を持つ正義の女神像は城内を向き
ダブリン市民には背を向けている。正義はイギリス
にありアイルランドにはないことを如実に語っている。
ガイドツアーで内部が観られる。
photo:現在は国際会議などに使用されている
  聖パトリックホール

ゲール語9天気

2007-12-01 17:21:10 | ゲール語あれこれ
「寒いですね、今日(キョウ)は」
Ta^  se^ fuar inniu.
トーシェーフアル イニュ
にある それは 寒い 今日

「本当に」
Ta^, cinnte.
トー キンチャ
にある 本当に

ゲール語には、はいYes、いいえNoに当たる単語はない
問いかけられた動詞で答える。
動詞には否定形がある。(ta^ の否定形はni^ニール)
天気 aimsirアムシャルに関する表現
Ta^ se^ te.トーシェーチェ   
te:暑い
gaofarギーファル風が強い
Ta^ se^ go brea^.トーシェーゴブラ(ロ)ー
go brea^:良い
go donaゴドナわるい
Ta^ se^ ag cur ba^isti^.トーシェーエグルバースチー
ag cur ba^isti^:雨が降っている
ag cur sneachtaエグルスニャフタ雪が降っている

季節 se^asu^rシェースール 
春 earrachアラハ    夏 samhradhサウラ 
秋 fo^mharフォーヴァル  冬 geimhreadhゲヴラ
photo:ダブリン(冬)

聖ブレンダン

2007-12-01 17:21:00 | ゲール語あれこれ
聖ブレンダンNaomh Breanda^nニーヴブランダーン
St Brendan(484-577)
ケリー郡トロリー生まれ。キリスト教伝道のため北西
ヨーロッパを航海する。ゴールウェイ郡クロンファート
Clonfertの大修道院他いくつかの修道院を設立した。
「航海者LoingseoirロンソールThe Navigator」 と呼ば
れる聖ブレンダンは、伝説によると、僧たちと大洋を
航海しアイスランド、グリーンランド、さらにアメリカ
にまで到達したのではないかといわれている。
「約束の地(地上の楽園)」を目指して、漂流しながら
も不思議な島々を訪れ無事に帰ってくる。
9世紀に、冒険叙事詩「大修道院長聖ブレンダンの
航海 Navigatio Sanctis Brendanis Abbatis」が
アイルランド僧によりラテン語で書かれ、中世英語、
フランス語、ドイツ語、イタリア語他多くの言語に
翻訳された。クリストファー・コロンブスはこれに
影響を受けたともされる。
ブレンダンの名を記念して名付けられた故郷ケリー郡
のブランドン山Cnoc Bhre^anainnクノクブレーナン 
Mt Brandonは、530年頃、航海の前に「アメリカ」を
見るために登ったといわれる。
1976年英国の学者ティム・セヴェリンTim Severinは、
アイルランドの僧がコロンブスより1000年も前に大西
洋を渡り、アメリカを発見できるかを証明するために
聖ブレンダンの航海を再現した。彼のチームは、牛皮
をオークの樹皮でなめし木枠に皮糸で縫い、防水に
動物の脂を塗り舟を作り、ディングル半島から大西洋
に漕ぎ出した。記されていた島々(と思われる)に渡り、
アイスランドにも到達した。結果は、証明できなかった
が、不可能であるとの証明もできなかった。
また北米のウェストヴァージニアWest Virginiaに
「確かな証拠」があるという説がある。オガムアルファ
ベットを用い古代ゲール語が刻まれた石碑がある。
確かにその時代のものとする語学学者、考古学者ら
がいるという。真実は未だ定かではないが夢のある
伝説ではある。5月16日は船乗り、旅人、そして鯨
(クジラを島と思い上陸したエピソードもある)の守護
聖人・聖ブレンダン祝祭日です。
photo:1476年アウクスブルク(ドイツ)のアントン・ソルク
Anton Sorgにより制作された「聖ブレンダンの航海」
版画集から
→オガム(文字)、カラ(小舟)

アイリシュ・コーヒー

2007-12-01 17:20:50 | ゲール語あれこれ
アイリシュ・コーヒーCaife Gaelachカフェゲーラハ
は寒い冬に温まる飲み物です。
温めたグラスにアイリシュ・ウィスキーを入れる。
濃いコーヒーと砂糖を加えかき混ぜる。クリームを
静かに浮かせる。クリームの下から飲み始めます。
ホットウィスキー Hot Whiskey、ホットアイリシュ
Hot Irish、パンチPunchとも呼ばれます
→ゲール語・乾杯

クリスマス

2007-12-01 17:20:40 | ゲール語あれこれ
ゲール語のクリスマスはNollaigノラグ 、
12月もNollaig です

メリー(ハッピー)クリスマス!
Nollaig shona!ノラグホナ
  (shona:sonaソナ 幸福な)
Nollaig shona duit!ノラグホナドゥィチ
 (duit:あなたに(1人))
Nollaig shona daoibh!ノラグホナディーヴ
 (daoibh:あなたたちに(2人以上))
photo:クリスマス前のダブリン、グラフトン通り