Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

小説集 明智光秀

2024年09月10日 16時37分10秒 | 読書

「小説集 明智光秀」(末國善己解説 作品社 2019年9月30日初版第1刷発行)を読みました。

 

 

 ところで、この本の構成はちょっと変わっていて、次のようになっていました。

 

*明智光秀・・・・・・・・・・菊池寛著

               底本:『日本武将譚』(黎明社、1936年)

*明智光秀・・・・・・・・・・八切止夫著

               底本:『新説・信長十二人衆』(作品社、2002年)

*明智光秀の母・・・・・・・・新田次郎著

               底本:『赤毛の司天台』(中央公論社、1971年)

*明智光秀・・・・・・・・・・岡本綺堂著

               底本:『綺堂戯曲集 第九巻』(春陽堂、1925年)

*ときは今・・・・・・・・・・滝口康彦著

               底本:『権謀の裏』(新人物往来社、1988年)

*明智光秀の眼鏡・・・・・・・篠田達明著

               底本:『時代小説最前線 Ⅰ』(新潮社、1994年)

*光秀と二人の友・・・・・・・南條範夫著

               底本:『幻の百万石』(青樹社、1996年)

*本能寺 明智光秀について・・柴田錬三郎著

               底本:「本能寺」『風雲稲葉城』(富士見書房、1987年)、「明智光秀について(一)、(二)」『柴田錬三郎選集 第十八巻』(集英社、1990年)

*光秀謀叛・・・・・・・・・・小林恭二著

               底本:『異色時代短編傑作大全』(講談社、1992年)

*光秀と紹巴・・・・・・・・・正宗白鳥著

               底本:『日本の文学 第十一巻』(中央公論社、1968年)

*明智太閤・・・・・・・・・・山田風太郎著

               底本:『明智太閤』(東京文芸社、1967年)

*生きていた光秀・・・・・・・山岡荘八著

               底本:『生きていた光秀』(講談社、1963年)

*解説・・・・・・・・・・・・末國善己著

 

 各小説家の明智光秀に関する小説の一部又は全部を切り取ってきて編集し、最後に、末國善己氏の「解説」を載せるという構成になっているわけですね。しかも、その「解説」も、「解説」以前の各小説家の明智光秀に関する小説の一部又は全部について解説をしたものではなく、末國善己氏が、「解説」以前の各小説家の明智光秀に関する小説の一部又は全部とは関係無く、独自に、明智光秀に関して書かれた各種書物を解説しているんです。

 内容的には、各小説家が、明智光秀についていろんな角度から書いていますので、「へえ~~、こんなこともあったんだ。こんな見方も出来るんだ」と感心させられ、読み物としては面白く感じました。

 この本の中で、私の頭の中に残ったものの中の一つを次に紹介し、この本の紹介とさせていただきます。

 それは、上の、「*生きていた光秀・・・・・・・山岡荘八著」の最後の部分です。

 

「光秀はその後新左衛門の助力で、泉州助松村の蓮正寺内に助松庵というのを建ててそれに住み、後に貝塚市鳥羽の大日庵(今は岸和田の本覚寺と合併)に移った。

 そして、秀吉の死んだあと一年、慶長四年の春、ふたたびここへ位牌を残して、飄然と何れかへ立ち去ったことになっている。

 本覚寺に残っている位牌には「鳳岳院殿雲道大禅定門」とあり、輝雲の、道琇のに光秀の二字がかくされている。裏には慶長四年 月 日とあるだけで月日の記入はない。生きていた人の位牌というしるしであろう。この時光秀を連れ去ったのは家康の政治顧問であった天海僧正だと伝えられている。それが事実ならば、光秀の持病は徳川氏の天下にまで及んだことになるのだが、堺関係の資料にも、そこまでのものは見当たらない。

 天海が光秀だったなどという伝説も、このあたりから出たものであろう。玄琳は、後の妙心寺大嶺院の南国梵珪和尚のつもりである。  」


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
padaさんへ (Dr.K)
2024-09-13 09:40:21
戦国時代の小説には、よく、坂本城というのが登場してきますが、今は無いんですか。
現在、発掘中なんですね。
是非、その様子を見に行ってきてください(^_^)
ただ、私も、20年程前に、中世の城跡の発掘をしたことがありますが(アルバイトで)、見に行っても、肝心なところは見せて貰えないかもしれませんね、、、。
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Unknown (pada)
2024-09-13 04:46:39
明智光秀~戦国時代の物語を書く上ではどうしても必要なキャラですよね。
比叡山の焼き討ちで貢献した光秀が麓に城を築きましたが、それが坂本城とかで、ここを信長からもらって初めて大名になったらしいですね。幻の城なんて言われて、今盛んに発掘されているみたいです。すぐ近くですので涼しくなったら行ってみようかと思っています。
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クリンさんへ (Dr.K)
2024-09-11 10:01:23
私は信長好きではありますが、まだまだ、信長物の読みが足りないです(~_~;)
好きで、少しばかり読んでいるだけで、とてもとても、信長バージョンの解説など書けません(><)

クリンさんは、「今回の光秀ものでは、、、岡本綺堂の作品を読みたいと思いました」か。
私も、岡本綺堂が、光秀について書いているとは思いませんでした。
この本に載っている「*明智光秀・・岡本綺堂著」の部分は、「明治42年2月作。大正8年9月。明治座初演」のもののようです。

チットさんは、山田風太郎好きですか(^_^) そのこともあって、今は、多摩市に住んでいるのですね(^-^*)

>柴田錬三郎の光秀ものはカッコよさそうですね
私は、新しい作家の時代小説しか読んでいないんです(~_~;)
こうした、古い作家のものも面白いかもしれませんね。
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ぽぽさんへ (Dr.K)
2024-09-11 09:05:53
↑ で、遅生さんがコメントしていますように、「明智光秀は、未知の部分が多いだけに、いろんな人がいろんな角度から取り上げていますね」。
かなり、史実に近いと思われるものもありますが、完全なフィクションではないかと思われるものもあるようです。
それだけに、読んでいて、いろいろと思い巡らすことが出来、面白いですね(^_^)

古伊万里も、昔は謎が多く、怪しいものも多く存在していましたが、最近では研究も進み、かなり解明されてきましたね。
ぽぽさん所持の古伊万里も、かなり正確に分類されてきているのではないでしょうか、、、(^_^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2024-09-11 08:36:17
おっしゃるとおり、「*光秀と紹巴」の紹巴は、連歌師の里村紹巴のことです。
光秀は、本能寺の変の直前に、愛宕山で百韻の連歌の会を開いているわけですが、その時の光秀の発句の「ときは今 あめが下しる 五月かな」から、光秀の謀叛を最初に嗅ぎ取った人物ということで書いています。

>「明智光秀は、未知の部分が多いだけに、いろんな人がいろんな角度から取り上げていますね。」
それだけに、いろんな切り口から、いろんなことが書けそうですね(^-^*)
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Unknown (クリン)
2024-09-11 03:27:50
信長好きのDr.Kさまとしては、ある意味さらに楽しめる光秀ものかと存じますが🐻✨※Dr.Kさまも同じように信長バージョンが書けますよね🎶今までお読みになった信長本の解説まとめ・・※たくさんリストアップされそうです⤴✨
今回の光秀ものでは、クリンは岡本綺堂の作品を読みたいと思いました🎶
うちのチットは山田風太郎好きでして、(山田風太郎の家があるので多摩市に住んでいるくらいです✨)
柴田錬三郎の光秀ものはカッコよさそうですね💎⤴
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Unknown (ぽぽ)
2024-09-10 20:21:13
Kさんへ
光秀だけでもこんなに物語があるんですね。
いかにも本当っぽいものもあるから面白いです。
こういうものを目にするとなんとか本当のことを知ることができないものかと考えてしまいますが、それだとロマンがなくなってしまいますね(^^)
本当か嘘か。。まるで私の持っている伊万里みたいです笑笑
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Dr.Kさんへ (遅生)
2024-09-10 17:29:13
明智光秀は、未知の部分が多いだけに、いろんな人がいろんな角度から取り上げていますね。
わたしとしては、*光秀と紹巴に興味をもちました。連歌師の里村紹巴のことだと思うのですが、光秀が紹巴から歌の指導を受けたという事でしょうか。
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