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文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ミステリアスなムードと幻想性が漂う『湖上の閃光』

2017-11-15 13:05:00 | 第1章

第二次新漫画党(寺田、藤子、つのだ、園山)に、石ノ森とともに入党を果たしたこの年の8月、赤塚は、『嵐をこえて』に続く二冊目の単行本『湖上の閃光』(曙出版、56年8月25日発行)を脱稿する。

前作同様、少女向けの貸本漫画で、版元も同じく曙出版だ。

『嵐をこえて』同様、女学生を主人公とした少女漫画だが、そこにアクションもののテイストを加味した意欲的な一本で、全編にミステリアスなムードと幻想性が漂った、当時の貸本向け少女漫画とは一線を画する不思議な味わいを纏った長編作品である。

森へと繰り出した少女が連続して失踪するという奇妙な事件を知ったみどりは、強い好奇心に駆られ、友達とともに事件解決に乗り出すが、事 件現場となった深林では、林立する木の木の葉が全て散ったほか、火の玉のような物体が霧の中を覆うなど、不気味な現象が相次いで目撃されていた。

少女の連続失踪事件とこれらの不気味な目撃情報との関連性を見出だしたみどり達は、更に独自の調査を進めてゆくが、その失踪事件には、彼女達が予想だにしない、恐るべき真相が隠されていた。

そして、その想像を絶するクライシスは、今まさにみどり達の行く手にも迫ろうとしていた……。

静寂に包まれた森と湖、舞台となる霧に閉ざされた謎の西洋風の古城等の風景描写には、ゾクゾクさせられるほどの妖しさと美しさがあり、景色の中でキャラクターを丸ごと捉えようとする斬新な演出がキラリと光っている。

また、構図のキメが前作以上に尖鋭となり、コマの移動とともに揺らぎ立つ耽美なイマージュが、作品世界に神秘的光彩を纏った広がりある空間を宿している点も特筆すべきだろう。

物語のクライマックスでは、湖畔にそびえ立つ古城が、実はロケットで、朝靄の中、轟音とともに宇宙に飛び立つというSF的な表現様式を垂直軸に捉えた壮大なスペクタルシーンが堪能出来るが、版元の社長(土屋弘)には全く歓迎されなかったという。


漫画梁山泊「トキワ荘」への入居

2017-11-15 09:24:00 | 第1章

デビュー作『嵐をこえて』が刊行される一ヶ月ほど前の5月4日、石ノ森章太郎がトキワ荘に入居したことが切っ掛けとなり、赤塚も石ノ森の部屋に転がり込むかたちで、トキワ荘へと移り住む。

トキワ荘は、当時豊島区椎名町五丁目にあった木造建築の二階建てアパートで、手塚治虫が入居していたことから、寺田ヒロオを筆頭に、手塚を慕う藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、石ノ森、赤塚のほか、後に、日本有数のアニメーション作家としてその地位を不動のものとする鈴木伸一(藤子不二雄の『オバケのQ太郎』に登場する人気キャラクター、小池さんのモデルとしても有名)、『のらくろ』で知られる田河水泡の元内弟子で、『らんたん祭り』、『赤い自転車』等、この時、貸本向け単行本に田園漫画を執筆していた森安なおや、東日本漫画研究会の同人仲間であり、石ノ森、赤塚の後を追ってやって来たよこたとくお、その後『星のたてごと』、『ファイヤー!』等、壮大な世界観ときらびやかなタッチで、多くの少女読者を魅了し、少女漫画の中興の祖と呼ばれる水野英子といった新人漫画家が続々と入居し、寝食を共にした伝説の漫画梁山泊だ。

当時、トキワ荘には、彼ら定住組以外にも、新漫画党(寺田ヒロオを総裁とし、「漫画少年」を中心に活動していた新人漫画家達が既成の枠に捕らわれない、良質且つ新鮮な児童漫画を執筆すべく結成されたグループ。第一次と第二次に区分けされ、第二次では大幅にメンバーチェンジが行われた。)の党員で、森安同様、田河水泡に師事し、その後代表作『ピックルくん』で、第一回講談社児童まんが賞を受賞する永田竹丸、漫画家引退後、アニメーターに転身し、『伝説巨神イデオン』、『戦闘メカザブングル』、『聖戦士ダンバイン』といった数々の名作ロボットアニメの作画監督として辣腕を振るう坂本三郎、戦前『冒険ダン吉』で人気を博した島田啓三に師として仕え、後に『うしろの百太郎』、『恐怖新聞』等で、オカルト漫画の第一人者となるつのだじろう、早稲田大学漫画研究会を立ち上げ、卒業後『がんばれゴンベ』、『ギャートルズ』等で、ナンセンス漫画界に独自の地平を切り開き、人気漫画家として長きに渡って活躍する園山俊二といった面々が足繁く通い、漫画家として切磋琢磨し合ったことでも知られ、今やその存在は、戦後漫画史におけるサンクチュアリとして、広く認知されている。

トキワ荘に入居するにあたっては、寺田ヒロオにより、仲間との協調性や児童漫画に対する高邁な理念を持ち合わせいることを第一前提としたほかに、プロのアシスタントが務まる最低限の技量や、穴埋め原稿の突発的なオファーに対応し得る才能を持ち合わせていることを条件とした厳しい審査が行われたという。

つまり、トキワ荘に入居出来たのは、単なる漫画家志望の若者ではなく、新人でありながらも、既に相当の実力を備えていた生え抜きの若手漫画家達であり、後に多数の大物漫画家が世に輩出されたのも、巧まずして起こり得た偶然ではなく、既にその時点で、不可避的な宿命を孕んでいたと言えるのだ。

だが、このトキワ荘に入居したばかりの頃は、赤塚のその破壊的なギャグの天分は、まだ眠っていたままであり、その才能を開花させるには、まだ暫くの時間が必要であった。


初単行本作品『嵐をこえて』 悲しい少女漫画でのデビュー

2017-11-12 20:49:00 | 第1章

1956年6月7日、『嵐をこえて』は、後に『おそ松くん全集』全31巻+別巻2巻(68年~75年)、『赤塚不二夫全集』全30巻(68年~72年)、『もーれつア太郎』全12巻(69年~71年)、『天才バカボン』全31巻+別巻3巻(71年~77年)、『レッツラゴン』全12巻(73年~75年)、『ひみつのアッコちゃん』全5巻(74年)といった赤塚作品の新書版コミックスを多数出版することになる曙出版より発行された。

昭和40年代、「アケボノコミックス」というレーベルで、これらの赤塚作品の単行本の発行部数が、漫画界初のテンミリオンを突破するなど、単行本出版社として大きな業績を上げ、文京区白山にデラックスな自社ビルを建設するまでに到った曙出版だが、この頃はまだ、貸本屋向けのスリラー物や少女漫画などの単行本を刊行することにより、細々と食い繋いでいる零細出版社であり、国電水道橋駅から徒歩数分のガード下にある二階建てのビルを拠点としていた。

手塚作品に感銘を受けて、漫画家を志し、その後、杉浦茂のナンセンスにショック受けた赤塚は、既に笑いをテーマにした漫画を描きたい衝動に駆られていた。

しかし、当時のコミックシーンでは、ユーモア漫画というジャンルは、雑誌でこそ僅かなスペースを割き、掲載されていたが、貸本屋向けの単行本では、時代劇やハードボイルド等の劇画、プロレスや少女漫画が主たるジャンルであり、赤塚が目指していた笑いを標榜とする作品は、見向きもされない時代であった。

いつか、笑いの漫画を描きたい。そんな想いを心の支えにしつつ、とりあえず、漫画家として世に出る手段の一つに選んだのが、悲しい少女メロドラマというジャンルでのデビューだったのだ。

『嵐をこえて』は、一人の少女が文字通り嵐のような苦難を乗り越えてゆくという少女文学の世界観を漂わせた作品である。

主人公である少女にとって、悲痛な体験の中で生じる人間同士の感情の行き違いや複雑な愛憎の交錯は、大人に向けて成長を重ねてゆくイニシエーションの過程を直截的に意味したものであり、複層的なドラマそのものに、更に劇的な起伏を付与するなど、ストーリーラインに煽情的、情緒的風合いを色濃く持たせている点も、この作品の特色と言えるだろう。

何本かの既出の少女漫画を参考に、見よう見真似、手探りで作ったストーリーであるため、ドラマ構成における整合性の希薄さは些か否めない点もあるが、読む者に並々ならぬ感慨を与えるストーリーテリングは堂に入っており、手塚、石ノ森ラインで描かれた可愛らしく、品位のあるタッチも含め、デビュー作としては、まずまずの出来となった。

お転婆でありながらも、清く明るいミドリとスミレの姉妹は、不治の病により、病床に伏すお金持ちの令嬢、ユキ子とふとしたことで出会い、友情を育むが、その死によって、ミドリ達姉妹とユキ子は別れることになる。

悲しみも束の間、更なる不幸がミドリを襲い、今度は彼女自身が病気に掛かり、床に伏す。

病から心を閉ざし、情緒不安定となったミドリは、静養のため、家族と離れ、見知らぬ北海道の寄宿女学館にたった一人転校させられる。

転校先では、新しい友達も出来、楽しい学園生活を送る筈だったのだが、ある日突然、母親が亡くなったという知らせが、ミドリのもとに入ってきた。

次々とシビアな現実が一人の少女に襲い掛かるという深い悲しみに包まれた物語だが、最後の最後に、希望に満ちたラストシーンが用意されている。

若干、粗削りな箇所が散見されつつも、このように複数のプロットを用いながら、消化不良を起こすことなく、一本の長編ストーリーに押し込めてしまうその劇構成力には、後に幾多のギャグアイデアを一つに凝縮し、テンポの良いギャグストーリーに仕上げてしまう、ギャグ漫画の王様としての作家的腕力の発露となって余りある才覚を感じさせる。

また、悲しい少女メロドラマにも拘わらず、主人公のミドリと妹のスミレのドタバタ感溢れるお転婆な遣り取りやキャラクター性豊かな感情表現には、その後描くことになる『まつげちゃん』や『ハッピィちゃん』など、生活ユーモア漫画の萌芽が見て取れ、この時代、既にノスタルジアさえ感じさせるリリシズムに満ちた風景描写の数々においても、後の赤塚作品で頻出する豊穣な絵画的モンタージュを表に出す一つの原点となったと言っても過言ではないだろう。