2/3木津川マラソンにおける『つつきはっけん』展示・資料の準備を進めている。幟旗と横断幕だけでは、『神君伊賀越えの道』と木津川マラソンの関係が不明確である。マラソン会場の草内の渡し場が、実は、437年前に、伊賀越えで家康一行が逃走した道だということである。もしかしたら、選手の皆さんが走っているところが、家康の足跡があり、本多忠勝、服部半蔵が通っていった道かもしれないですぞと盛り上げたく思っている。実行委員会からも、詳細な会場地図、応援の仕方、写真のとり方、13日のリハーサル実施要領が届いた。当方のテントブースの展示物や配布資料なども今一度、目立つ内容にしたく検討し、手書き制作している。勿論、武将隊の登場も新たな試みで面白いものだ。
リフォーム工事、78日目、延べ254人の方にお世話になっている。現在まで、無事故でまずまず順調に進んでいる。当初の床や天井を開けてみないとわからない、ブロック解体の手作業、基礎工事の想定外の困難さ、段差解消、等々、数多くの問題が発生し、あらためて、古い家屋のリフォームの難しさを味わっている。更に、バス・トイレ・キッチン商品の選択にも時間を要した。現在は、壁クロスの選定に頭を悩ましている。若い大工さんからは、遊びこころでとアドバイスをいただくが、中々冒険心は生まれてこない。リフォームしながらその家で生活するのも大変で食事・トイレ・入浴に不自由を痛感しながら、埃・空調・騒音・寒さにあと1ケ月耐え抜かねばならない。そういう中、大工さん、左官屋さん、瓦屋さん、ペンキ屋さん、仮設工事担当、風呂・バス組み立て業者、電気工事屋さん、クロス屋さん、請負の営業さんと、必ず、話しかけて、専門的なことや色々なアドバイスをいただいています。結構、日頃街中で一般市民と接しておられる職人さんたちから、率直な良い話が聞くことができます。みなさん、大変な苦労をしながらここまで来たとの話には、グッとくるものがあります。人間の成長は、失敗から学ぶものですな。
第36回京都木津川マラソンでつつきはっけんブースを設営し、会場の京田辺「草内の渡し場」を徳川家康が通った『神君伊賀越えの道』として、横断幕・幟旗や展示資料で前面に出し、知り合いの武将隊や忍者など多数もやって来て伝統の大会を盛り上げる。その準備や調整が進み、お手伝いいただくスタッフや関係者にお知らせ内容を発信した。横断幕・幟旗、つつきはっけんや伊賀越えの資料写真、武将隊の太鼓・法螺貝、演技、写真撮影など、この大会に新風を吹き込みたく思っている。
今年も実施したいことが、次から次へとアイディアとして、生まれてくる。まずは、2月のつつきはっけん講座で参加者とゆっくりと思う存分語り合いたいものです。昨年のイベントを映像で振返り、また今年度の企画内容をテーマに、本来の狙いどころを思い起こし、目的・目標を頭に描きながら、この町や人々により役立つことを考えていきたく思います。その根底は、知る、交流、他に学ぶ、そして自己改革にあるのではないかと思っています。そこまでいかないけれど、ほんの少しでも良いですから、自己の生き方をより充実したものに高めていきませんかと言いたい。既に、3月の「鹿背山城跡第2弾」の参加申込みをいただいている。期待度が高まっていると思うと、夜もなかなか寝付けなくなってくる。つつきはっけんのイベントキーワードは、フレッシュ、チャレンジ、自由、楽しい会話、お友達ができる、ためになる、満足感である。
日野原先生には、全然及ばないが、向こう10年間の計画を立てようと思っている。年齢を忘れ、目的や目標を立て、実行することが長生きとなっていると講演会で聞いた。今までの人生で中途半端に終わっていることが随分ある。少年時代、学生時代、社会人時代、定年を迎えてと思い起こせば、いい加減な人生を歩んできたと思う。時間がたっぷりある今日、後悔のないように、思い切りやってみることを考えてみたい。
用事を済ませ、イベント情報入手のために、社会福祉センターを覗くと、以前所属していた団体の役員の方々がおられ、ご挨拶。その後とめどなく新春談義を。今年のイベント、行政、春の市長&市議選、議会運営。いつも感じるのは、市民活動をしている連中の問題意識は感じられるが、一般の市民は、便利でええやんの言葉でまあいいかって、自ら何もしない派。ぼーっとしてんじゃないよ、とチコちゃんに叱られそうである。このまちをより良くしたいといった議員・団体・市民・大学も言葉だけに終わっている。最後のところは、自分は手を出さずに、仕方ないじゃないのと、おさめる。それでは、何も変わらない。四年前に涙ながらに語ったあの人こそ、自己改革し、勉強嫌いを少しでも直しもっと勉強して、品格を高め、自らの考え発想で、日々発信してほしいものだ。この四年間、マスコミに自己の考えを主張せずに、過ごしてきたことを見逃してはならない。この田舎町の失われた12年間を有能なる別の人がやっていたら、将来のことを考え、戦略的な企業誘致、産学共同、観光資源開拓、文化教育発展に、新風を吹き込んだのにと思うばかりである。まだ、一般市民は、そのことに気づかずに、これでいいやんと、笑顔で過ごすだろうな。これでは、いけませんよ。他の市町村、南山城村、和束、宇治田原の変身ぶりをもっと知ってほしいです。町全体でよくする活動に必死です。つつきはっけんでこの実態を確認してきました。彼らの視点は、未来の子供・孫たちのためにですよ。
近所の竹林所有者のK氏から、竹を切りに行くが来ないかと誘われて、行ってきました。真竹、孟宗竹、破竹が辺り一面に生え、手入れをしても、追っつかなくてと言いながらも、今年も東大寺二月堂のお水取りに使用する真竹を奉納したという。今では、少なくなった真竹を切っていただき、健康のための足踏み、物入れ、酒器、あとは、何に使おうかなと思案中です。それにしても、のこぎりで竹を輪切り、縦に切断するのもコツが必要で、ベテランにすべてをお任せしました。竹にまつわるこの山城地域のお話も大変勉強になりました。また、京田辺の魅力の一つとして、竹をもっとアピールすることを考えなければと思います。
好天に恵まれ、氏神様にお参り。お酒を捧げ、お賽銭を投げる。年末と同じだが、感謝から今年のお願いを少しばかり口走り、住所と氏名、年齢を伝える。それにしても、氏神様の新宮社の祭神は、6C、欽明天皇時代に百済から鉄を伝えた、豪族ニリクムの先祖の余障王と言われており、欽明天皇から多々良公の名前を賜ったとのこと。どうも怪しい。この時には、文字がなく漢字を渡来人が使っていたが、日本人は、ちんぷんかんぷん。だから、伝承モノである。我が地名である多々羅も鉄産業が栄えたということで名付けられたということであるが、たたら製法である、砂鉄と木炭がなく、鉄屑も鉄製品も1500年出てきていない。市政20周年事業で、市史編さんを行政機関が進めているが、こう言った古代の出来事の見解を明確にしてほしいものである。
新年を迎えて各界トップのメッセージを見ると毎年同じだなと思うと同時に、手書きの場合に下手な漢字かなに出くわすと、新年早々嫌な気持になる。昨今は、書や手書きがメッキリ減り、漢字が間違い、間違った使い方でも、世間であまり問わなくなっているが、漢字かなを書くときには、丁寧にきっちりと相手にその心が伝わるように書きたいものである。これも、クール・ジャパンの一つである。
初夢は、つつきはっけん参加の常連さんと今年のイベントについて、にぎやかに語り合う場面であった。夢は、いつも薄暗くもう少し照度を高めてほしいものだ。正月のTV番組は相変わらず、観たくなるようなものがない。ひどかったのは、年末の紅白。もうついていけない。歌うのではなく、大多数がまとまりがないダンスというより騒ぎたてているだけであり、公共放送の益々のレベル低下と品位のない低俗化を感じた。五年かかって、年賀状をやめたのだが、今年も、沢山の方から、年賀状をいただき、ありがたいとともに、申し訳なく思っている。その中で、木版画先生『のごみ土人形』の眼が生きているようで印象的です。