~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

つつきはっけんの狙いを参加者自らが実践〜喜びに堪えない〜

2016-10-31 16:13:13 | つつきはっけん
先日のつつきはっけん講座&ウォークで、いくつかの嬉しい出来事やその連絡があった。
1.参加者同士4~5人でウォーク終了後、食事をしたとのこと。当日のウォークにおける情報交換や世間話で花が咲き、また、次回のイベントにも参加しようとの約束をしたとのこと。主催者として、これ以上の喜びはない。
2.講座で聴いた伊賀越えの話を欠席された友人に伝えている姿をまじかで観たが、話す口調がそのことを知った喜びに満ち溢れ、頼もしさを感じた。
3.鳥取から参加された人には、鳥取地震で被害が出てないことを望むと話をすると、後程、そのことを心配された方々からみんなで祈りましょうとの声をいただいた。あったかい心の持ち主に感謝です。
4.今後のイベントスケジュールを早く明示してほしいとの声をいただき、早速、企画・調整に入った。
5.他の市町村の観光ボランティアで参加された方も何人かおり、逆にその地域のイベント計画を教えていただいた。
総じて、新たに出会った人々との接触、地域社会の交流がこのようなイベントから高まっていくことは大きな喜びに堪えないし、生きるやりがいに繋がっていく。昨日ブログで発信した、長寿の秘訣の一つでもある。

長生きとアンチエージングの秘訣

2016-10-30 12:08:57 | 暮らし
高齢化、長寿、健康寿命などの言葉が気になり、体調がすぐれないと気持ちが憂鬱になるのは、ごく自然のこと。幸い、今まで健康を害したことがないけれども、体の部分の品質が劣化していくのは致し方がないと思う年代になってきた。長寿の日野原重明先生が長生きの秘訣でよく言われることだが、「ビジョンや目標を持つこと、冒険や創造的なことをする、実現すること」を考えると、『自らが好きなことについて、新たな創意工夫を重ねて実施し成果を得る』ことだと思っている。ここ数年、自由人となってからは、この気持ちが年々高まっているように思える。もう一つ、欲を言えば、アンチエージングに挑みたく思っているが、これは日頃の運動不足が致命傷である。しかし、なんとかしたいものである。

新たな挑戦、自由奔放に活動をしていきたい。

2016-10-29 15:53:02 | 希望
来年の三月に新たなことをやろうと思い、関係者と連絡、調整をし始めた。郷土史を中心とした歴史講座を持ちウォーキングを行うことの発展拡大形ではあるが、もう少しエンターテイメント力を高めた世界に足を伸ばしていきたいと思ってきた。そういう時に、グットタイミングで、とある演出や演技を得意とする若者と知り合いになることができた。人生一回限り、自由人となった今、思い切り自由奔放にチャレンジしようと思っている。狙いは、地域活性化であることには変わりはない。具体的なことは、今しばらくご勘弁を。でもご期待ください。

神君伊賀越えシリーズ第2弾~皆の熱意で雨が去り、最高の盛り上がったウォークでした~

2016-10-28 15:58:20 | 家康伊賀越え
本日の天気予報は、雨模様で、しかも雨の降る時間帯が午後から、11時、そして、出かけようとする、9時となる。7時半ごろには、パラつくが小雨決行で、問い合わせにかかる電話やメール、ホームページで決行を伝える。多くて、10名位かなと甘い気持ちで、集合場所で待つと、やって来るわ来るわで、びっくり仰天でした。結局52名の参加。しかも、心配された雨は、ほとんど降らずに、伊賀越え京田辺西ウォークを無事終了することができました。ご参加やお世話係の皆さんにあらためて感謝申し上げます。
JR三山木駅、二又の朱智神社の石碑、外国蚕飼育旧跡(日本最初の形容詞ははずします)、近衛基通の墓、田宮の館、真実の口、伊藤若冲の屋敷跡、家康逃走路(宇頭城、普賢寺谷、多々羅)、古民家、JR同志社前を巡ってきました。伊賀越えは、シリーズで、2回目のウォーク、1回の講演で皆さん、大変、興味を持たれ、次から次へと歩きながらの質問が出て、お答えしました。梅雪が遅れた理由、宇頭城をなぜ逃げたのか、家康を道案内した百姓のもらった書状、本当に三日間で岡崎まで帰還したのか、馬を使ったのか、女性はいたのか、逃げていった道の根拠は、影武者の数は・・・と徐々に、伊賀越えの疑問は高まり、今までで最も盛り上がったウォーキングになりました。JR同志社前駅までお見送りをしたのですが、最後まで、伊賀越え逃走についての話題がつきませんでした。

郷土の歴史や偉人に学ぼう~フロントランナー松阪~

2016-10-28 06:29:43 | 学ぶこと
郷土の歴史・偉人に学ぶことを今一度考えなければならない。教え伝える側ももっと工夫し、楽しく、郷土を愛する気持ちが高まるようにしたいものです。それは、学校だけでなく、地域社会や家庭でも可能なのです。うまく実行されているフロントランナーに学ぶチャンスは多数あります。それをやるかやらないかで、30年後、50年後、百年後の人々や社会にもたらす幸福度に大きな格差が生まれます。

facebook友達のメッセージより
松阪市の子供達は、四年生で本居宣長、五年生で松浦武四郎、六年生で蒲生氏郷を学びます。その副読本の郷土の偉人を知るシリーズが、今年教育委員会から販売されましたので、9月に購入しました。各200円、3冊で600円で、結構いろんな内容があり、ためになります。ご紹介いたします。

10/28 神君伊賀越えウォーク②~天候:昼までは何とか持ちそう。大雨でない限り実施します~

2016-10-27 07:25:19 | 家康伊賀越え
28日の神君伊賀越えウォーク②の最大の敵である天候は、雨模様ですが、大雨でない限り歩くつもりです。70名を超える申込者、初めての参加者が22名。市外の方が38名と、伊賀越え人気はすごいものがある。2~3日前から、都合が悪くなったと9名の方が欠席連絡があった。当日の天候で、遠方の方の欠席が考えられる。折角の楽しみにされていた伊賀越えファンの方々には、別の機会にお越しいただければと思う。
27日、7時の天気予報では、昼前までは、雨は降らないとのことです。幸運を祈りたく思っています。

大谷翔平は、日本人最高のプレーヤー

2016-10-26 10:32:01 | プロ野球
日本シリーズの第三戦を観た。ナイスゲームであった。引退を表明した黒田が好投、パワーの外人選手が逆転ホームラン、八回裏チャンスに、四番バッターの中田翔が幸運の同点打。観ていて、面白かった。そして最後は、大谷翔平がひざ元のストライクゾーンからかなり外れたボール球をスイングすると、一二塁間を鋭いライナーのクリーンヒットで日ハムのサヨナラ勝ち。あのボールを打った大谷の体全体の筋肉、しなやかさ、腕の使い方、バットコントロールを今まで野球を見てきた人間にとって、ありえない場面光景を見たのである。打者、投手、走塁、肩の強さ、ゲームの読み、全てに最高のプレーヤーである。特筆すべきは、ヒーローインタビューにおける受け答えで、試合に対する野球人としての考え方、精神的に自身をコントロールする、こころの持ち方に、そして、人間としての謙虚に冷静に生きる姿を垣間見、超スーパープレーヤー以上の称号を与えたいものである。

松阪を歩く~宣長、角屋、古田重勝、先祖の墓、昔のままの通り

2016-10-26 07:39:02 | 松阪市
松坂城の堀(右側・・・武士の町(殿町)、左側・・・町人の町(魚町))
本居宣長・春庭の墓(樹敬寺、国学者父子、春庭は失明しながら、現在の動詞活用形を生み出した)
角屋七郎兵衛の墓(来迎寺、伊賀越えで白子から船を出し、家康一行を救った)
古田重勝の墓(伊勢松坂藩初代藩主)
私の先祖の墓(常教寺、養泉寺、父母の墓近くにあべ静江さんの阿部家の墓があった)
牛の銅像は、小さい頃殆どの子供がまたがって遊んだ(愛宕天神)
明治時代からある実家周辺の通り(挽木町)


松阪を歩く~旧長谷川邸(江戸店を持つ伊勢豪商)の屋敷文化財を観て~

2016-10-25 07:33:13 | 松阪市
郷里松阪を離れて住んでいると、まちづくりや観光イベントに意欲的なふるさとに、より興味関心を待ち、帰松した時には、できるだけ多くのところを訪れています。23日の10時には、旧長谷川邸(江戸店を持つ伊勢豪商)に行きました。今回で、三回目ですが、本日は、そこでガイドをされている高校の後輩に会うこととガイドさんの案内ぶりの勉強でした。いや~、非常に丁寧な説明と気配りが大変勉強になりました。1時間半の説明は中味が濃く、江戸時代の豪商から今日まで事業を続けるマルサン長谷川(株)の屋敷文化遺産の理解を深めました。現在の当方のガイド方法にも少し刺激をいただき大変有意義な時を過ごしました。



長谷川邸の前は、本居宣長の生家跡

慶長大判が発見された土蔵


リオオリンピックレスリングで優勝した土性沙羅さんは、松阪高町の出身、帰松されていました

第8回いとこ会~憧れの初対面の方は、素晴らしかったです~

2016-10-24 18:02:43 | いとこ会
いとこ会出席のために郷里松阪に行ってきました。今回のメインは、祖父の実家近くに半世紀前に建てられた先祖之址の碑に手を合わせることでした。そして、最大のサプライズは、泉南からこのために駆けつけて頂いた本家のご高齢の方との出会いでした。出席者のほとんどが、初めて出会うのですが、私は電話で何回か情報交換し、今回のことも連絡をもらっていましたので、その方と出会うなり、固く握手。一番会いたかった方とも親しくご挨拶をされました。それにしても、びっくりしたのは、81歳の方ですから、遠くこちらまできていただくことを心配していましたが、なんと180cm近い長身で、いかにもスポーツマン。昭和32年の走り高跳び三重県代表で国立競技場に出られたことが物語ります。今でも、毎日ランニングされるということでした。どう見ても、60代後半で、話しぶりや行動がきびきびされており、いかに日々の鍛え方が大事だと思いました。その碑の前で、それぞれが持ち寄った昔の写真・肉声テープ・地図をもとに話し合いました。その後、いつもの料亭で懇親会、2次会は、久しぶりにカラオケで盛り上がりました。ああ楽しかった。

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