先日の伊賀越えウォークにおける質問事項のこともあり、昔の地図を引っ張り出し、現在と照らしあわせながら、観光MAPに「京田辺の逃走コース」(赤字の太字線)を記入してみた。陸軍が測量した最も古い明治25年の地図には、一般の里道以外に、間道や抜け道があり、いにしえの時代と趣を感じる。それは、村人が知恵を出し生き抜いてきた道であり、暮らしである。こういうことに触れることができるのも歴史の一つの楽しみである。新たにわかったことは、現在の飯岡・草内のサイクリングロードの道が明治25年にも、間道として存在したことである。
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