「ついに見たああ!!」って感じだった。
西安の町から車でたったの40分ほどでその地域に入る。途中の街はやっぱり兵馬傭一色。レストランも金物屋もどこもかしこも兵馬傭の像が門に突っ立っているのだ。
首がとれてるものがあったりして結構夜に見るとびびると思うのだが、一体幾らするのだろうか。「もしやほんものでは?」という疑問も沸くのは何でもありの中国だからだろうか。
何か荘厳な作りの国会議事堂のようなところに着く。入るとものすごい広大な敷地にごつい、角張った巨大な建物がそこかしこに建っていた。聞くとそれぞれの建物の中に兵馬傭の遺跡があるという。
門から建物がある場所まで遠いので有料の電気自動車のバスに載る。結構カーブがあるのだが、箱根ターンパイクをすごいスピードで走り抜けるような感覚でものすごい荒っぽい運転。
何かスケールがよくわからなくなりながら宝物殿に入る。2500年前の黄金、青銅で作られた精巧な飾り物、小さい馬や人の像が陳列されている。いきなり兵馬傭を見せないのが作戦なのか、それが1号館である。
引き続き2号館へ。「あっ」と息を呑む。
出た。これだ。教科書とかでよく見た光景が目の前にある。何と形容したらいいのか。長さが100Mぐらいあるでかい体育館に何千もの兵士の像が、2500年変わらない姿勢で静かに、動かず、前を見つめて立っている。その静けさの中の迫力にはこちらが飲み込まれていきそうである。ただ、ただじっと何かを待っているように色々な表情で、色々な思いで主人を守っているようだ。
身長は約175cmで、表情や手の形がそれぞれ違うらしい。始皇帝が一重まぶただったからという理由で全て一重まぶたということだ。
ずっと奥に行くとブルーシートがかけられている場所がいくつもあり、未だに調査中だという。土と同質化してしまい、掘ると土と一緒に崩れてしまうらしく難航しているらしい。
3号館、4号館と更に大規模な地下に作られた城壁の中に人や馬の像が設置されている。こちらは折り重なるようにして倒れているのが多く、その多くは壊れている。首が無かったり、腕が無かったり、顔だけが転がってたり。土が盛り上がっている部分がそこかしこにあるのだが、もろくなっている為に発掘を断念した部分らしい。
迫力に圧倒されて外に出るとガラスの屋根に覆われた場所がいくつかあり、中を見ると雑草が生い茂っている。調査予定の場所だという。そんな場所がいくつもあるのだろう。始皇帝の計り知れない権力の大きさを感じる。
破壊され尽くした部分もあり、説明を聞くと三国時代の蜀の豪傑で名高い「張飛」が発見して破壊していったのだという。
1977年(?)に農民が井戸を掘っていて「人がたくさん埋まってるうう!」とびっくりしてお役所に届けたらしいのだその礼金として10元(現在は130円)をもらったらしい。それにしてもいきなりあの像が出てきたらさぞびっくりしただろう。その発見した農民達は今も名誉館長として土産物屋に席をあてがわれ、「写真撮影お断り」と書いた札の横でぶすっとしながらうちわを仰ぎ、200元という高価な写真集を購入した客にサインをし、不機嫌そうにどさっと投げ返すという日々を送っている。
何ともいえない感覚の中、途中始皇帝の墓にも立ち寄る。こちらは小高い山で本当に皇帝の墓なのかというようなものであった。万里の長城を築き、不老不死の薬を追い求め、そして兵馬傭を残していった始皇帝。当時の活気有る様子がまざまざと頭をよぎっていった。
西安の町から車でたったの40分ほどでその地域に入る。途中の街はやっぱり兵馬傭一色。レストランも金物屋もどこもかしこも兵馬傭の像が門に突っ立っているのだ。
首がとれてるものがあったりして結構夜に見るとびびると思うのだが、一体幾らするのだろうか。「もしやほんものでは?」という疑問も沸くのは何でもありの中国だからだろうか。
何か荘厳な作りの国会議事堂のようなところに着く。入るとものすごい広大な敷地にごつい、角張った巨大な建物がそこかしこに建っていた。聞くとそれぞれの建物の中に兵馬傭の遺跡があるという。
門から建物がある場所まで遠いので有料の電気自動車のバスに載る。結構カーブがあるのだが、箱根ターンパイクをすごいスピードで走り抜けるような感覚でものすごい荒っぽい運転。
何かスケールがよくわからなくなりながら宝物殿に入る。2500年前の黄金、青銅で作られた精巧な飾り物、小さい馬や人の像が陳列されている。いきなり兵馬傭を見せないのが作戦なのか、それが1号館である。
引き続き2号館へ。「あっ」と息を呑む。
出た。これだ。教科書とかでよく見た光景が目の前にある。何と形容したらいいのか。長さが100Mぐらいあるでかい体育館に何千もの兵士の像が、2500年変わらない姿勢で静かに、動かず、前を見つめて立っている。その静けさの中の迫力にはこちらが飲み込まれていきそうである。ただ、ただじっと何かを待っているように色々な表情で、色々な思いで主人を守っているようだ。
身長は約175cmで、表情や手の形がそれぞれ違うらしい。始皇帝が一重まぶただったからという理由で全て一重まぶたということだ。
ずっと奥に行くとブルーシートがかけられている場所がいくつもあり、未だに調査中だという。土と同質化してしまい、掘ると土と一緒に崩れてしまうらしく難航しているらしい。
3号館、4号館と更に大規模な地下に作られた城壁の中に人や馬の像が設置されている。こちらは折り重なるようにして倒れているのが多く、その多くは壊れている。首が無かったり、腕が無かったり、顔だけが転がってたり。土が盛り上がっている部分がそこかしこにあるのだが、もろくなっている為に発掘を断念した部分らしい。
迫力に圧倒されて外に出るとガラスの屋根に覆われた場所がいくつかあり、中を見ると雑草が生い茂っている。調査予定の場所だという。そんな場所がいくつもあるのだろう。始皇帝の計り知れない権力の大きさを感じる。
破壊され尽くした部分もあり、説明を聞くと三国時代の蜀の豪傑で名高い「張飛」が発見して破壊していったのだという。
1977年(?)に農民が井戸を掘っていて「人がたくさん埋まってるうう!」とびっくりしてお役所に届けたらしいのだその礼金として10元(現在は130円)をもらったらしい。それにしてもいきなりあの像が出てきたらさぞびっくりしただろう。その発見した農民達は今も名誉館長として土産物屋に席をあてがわれ、「写真撮影お断り」と書いた札の横でぶすっとしながらうちわを仰ぎ、200元という高価な写真集を購入した客にサインをし、不機嫌そうにどさっと投げ返すという日々を送っている。
何ともいえない感覚の中、途中始皇帝の墓にも立ち寄る。こちらは小高い山で本当に皇帝の墓なのかというようなものであった。万里の長城を築き、不老不死の薬を追い求め、そして兵馬傭を残していった始皇帝。当時の活気有る様子がまざまざと頭をよぎっていった。