仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

総集編 2005年 中巨摩医師会戦

2009-04-15 | Weblog
 とき  平成17年6月25日(土)~6月26日(日) 
 ところ  東北福祉大第1球場
 天候  曇り   気温 30℃

中巨摩地区は山梨県の中西部に位置し、富士川の支流である釜無川を挟む西部地区と東部地区からなる。西部は果樹・田園地帯で、平成15年4月に6町村が合併し南アルプス市になった。東部は甲斐市を中心として甲府のベッドタウン・住宅商業地区として発展している。人口は175,000人で、仙台では宮城野区の人口と同じくらいである。今では「日本で最も住みやすい場所」の5指に入るというが、40年前までは日本住血吸虫が猛威を奮っていた。この地方の医師たちは顕微鏡を田圃に持ち込み、文字通り泥にまみれてこの風土病を撲滅したのである。このたび来仙したメンバーはその気概溢れる医師たちの末裔である。医師会員数は仙台市1,579名に対し、中巨摩136名である。

この大会は仙台の浅沼孝和と中巨摩の嶋崎嘉人が大学の同級という縁で始まった。昨年は富士山麓の野球場で第1回戦が行われたが、雨でぬかるんだ球場整備に時間がかかり、4回表、仙台が7対6とリードしたところで時間切れとなった。仙台は「劇的勝利」、中巨摩は「ノー・ゲーム」とそれぞれ公式記録簿に記載した因縁の試合である。今回は是非とも決着をつけなければならない。

中巨摩メッツ(以下MEDS)一行12名は25日14時に甲府を発ち、4時間かけて仙台に到着した。楯無の鎧こそ着込んでいないが、甲府駅では風林火山の旗に見送られたという。海のない県の人をもてなすため、前夜祭のテーブルには海の幸が並べられた。会の始めに佐藤(勤)総監督が歓迎の挨拶を述べた。総監督は、昨年の試合でノーヒット試合を免れる唯一の(ボテボテの遊撃強襲)安打を放った嬉しさがいまだに忘れられないという。続いて中巨摩の最年長、西野義久が、仙台戦が始まったおかげで野球部への県予算が5万円増えたと喜びを述べた。仙台市医師会理事の宮川菊雄(仙台逓信病院院長)と青沼清一も山梨県出身の縁で特別参加した。MEDSから甲州名産印伝と、特別限定醸造ルバイヤートワインをお土産にいただいた。新幹線車内で既に出来上がっていたせいもあるが、中巨摩の選手達は陽気で磊落であった。体型も立派で声も大きく、何人もの信玄公が大挙来襲したような迫力であった。一行は仙台駅から国分町まで歩く間、通りすがる仙台女性の美しさに感動しっ放しだったという。高尾太夫の祟りもそろそろ時効なのであろうか、あるいは単に他県の女性の流入が進んだだけのことなのであろうか。この辺のことには深入りしないでおく。

宴たけなわとなった頃、千田会長が到着、歓迎の言葉を述べた。その中で信玄公と政宗公の話題に触れたため、フロアーではこの両者もし戦えば、という議論が始まった。議場は紛糾したが、明日野球をすればわかる!という会長の一声で一次会はお開きになった。今回の試合は、武田勢と伊達勢のヴァーチャル対戦の性格も帯びることとなったのである。一次会終了後、両軍の精鋭達は佐藤(勤)総大将を先頭に、二次会、三次会、四次会へと繰り出していった。

翌日、試合は10時開始の予定だったが、両チームとも足はふらつくもののやる気満々。15分繰り上げての開始となった。仙台は久々にベストメンバーを組む。スタメンの平均年齢は仙台53.1歳、MEDS54.8歳。相手にとって不足はない。

MEDSは初回、先頭吉田が松井の初球を3塁線に絶妙のセーフティバント。虚を突かれたサード板垣は、投げても間に合わないと判断して見送った。まさにラインの上を転がったボールはベース手前で惜しくも左に切れファウルとなった。結局吉田は三振に終わり、松井は初回を3人で抑えた。

その裏仙台は、菊地(達)がショートのエラーで出塁。続いて3本のタイムリーが出て、あっという間に4点を奪った。仙台は2、3回にも板垣のランニングホームランなどで小刻みに加点し7対1。ベンチの応援団は早くも左うちわとなった。MEDSは2回に内野のエラーで出た走者が内野ゴロの間に生還して1点を取るのがようやくであった。初回のバント以外、MEDSの見せ場は最後までなかったのである。

3回までに大勢は決したが、「去年3勝5敗、今年1勝4敗、チーム力の陰りが顕著である」と弘前の太陽に喝破された仙台は攻撃の手を緩めず、4回に4点、5回に5点を追加した。ベンチは左うちわ、右うちわとなった。終わってみればド・クは11安打、5四球、12盗塁。さらに相手の7失策に乗じて縦横にダイヤモンドを駆け回り、大量16点をあげた。松井は被安打3、奪三振6、与四球2と今年一番の快投を見せた。前日は4次会まで付き合い、最後はテキーラで仕上げたという。朝は顔色不良にして言語を発せず、周囲は不安を覚えたが、一球投げるごとにアルコールが抜け、尻上がりに調子が戻った。リリーフを準備していた安藤も、前日の様子に不安を覚えた佐藤(韶)が持ち込んだAEDも出番がなかったのは幸いであった。宿酔いには野球が一番である。これは今後の患者指導に生かしたい。今日の松井はまさに主戦、ならぬ酒仙投手であった。

 中巨摩 0100000  1
 ド・ク 421450× 16

1塁ベンチには仙台選手の小学生になる息子さんが応援に来ており、無邪気な質問をしていた。「どうしてずっと仙台ばっかり打ってるの?」(山梨の人は守るのが好きなんだよ)、「あっちのピッチャーは疲れないの?」(こういう試合に慣れてるんだよ)・・・MEDSの1塁手吉田は質疑応答が逐一耳に入り、ますます平常心を失っていったという。戦いには心理戦も重要なのである。かくて武田と伊達のヴァーチャル対戦は、伊達の火縄銃隊が武田騎馬隊を散々に撃破した結果となった。公式記録簿に仙台は「2年連続劇的勝利」、MEDSは「去年のノーゲームに続いて今年は惜敗」と書き込んだ。

表彰式は仙台駅前のホテル・モントレ仙台で行われた。駅を眼下に見る13階の展望天然温泉はMEDSナインに好評であった。山梨の河住監督から、来年はホームで軍勢を立て直し、雪辱を果たさずおくべきや、との捲土重来宣言がなされた。伊達軍も心して甲斐入りしなければならない。甲州軍退散のあとに、破れかけた旗が残された。

旗の文字は、

甲軍の攻撃の終わること「風」の如く速く
大敗にベンチの静かなること「林」の如し
投手は連打失策で「火」だるまとなり
守備陣の動かざること「山」の如し

と読めた。
                                        (文責 宮地辰雄)



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