仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

ドクタークラブ便り  対山形市医師会戦 

2006-08-03 | 2006年 対山形市医師会戦
 

 とき  平成18年7月30日(日) 
 ところ 山形県山辺町町民野球場 
 天候 晴れ  気温 30℃

今年2度目の遠征試合である。一昨年の第50回記念大会は雨でボウリング大会となり、去年もまた雨天中止となったのであった。7月の末というのに梅雨明け宣言はなく、今回も空を気にしながらの出発となった。途中笹谷峠付近では雨が激しくバスの窓をたたいたが、山形市内に入ると雨は上がり、試合会場山辺(やまのべ)の空には夏の太陽が待っていた。温度計は30℃を指し、バスを降りた瞬間に蒸し暑さが襲う。山形盆地の空気はそよとも動かない。山の稜線が揺れて見えたのは陽炎のためで、車内で配られたビールのせいではあるまい。

山形チームは平成8年を最後に勝利の女神に見放されている。平成9年以降は仙台の4勝、雨天中止5回となっている。なんと10年間も勝ち星のない山形は今回必勝の構えである。シアトル・マリナーズ風のユニフォームを新調した上、巨漢の好投手を3枚揃えた。さらに仙台から済生館に赴任中の菊地(達)を遊撃に入れて内野も固めた。

午後1時試合開始。山形の先発は左腕結城。初回ド・クは先頭の佐藤(韶)がいきなり2塁打で出塁し、次打者の一塁ゴロの間に3進。絶好の先制機を迎えたが3,4番が連続三振を喫した。その裏山形も2死から3番松尾がド・クの先発安藤の2球目をジャストミート、センターオーバーの3塁打となった。続く4番小松もセンター頭上を越えようかという大飛球を放ったが、一直線に落下点に走り込んだ綿谷がスーパーキャッチ。山形も先制機を逸したのであった。1回表裏の息詰まる攻防は接戦を予感させた。

2回表、ド・クは安藤の3塁打を足がかりに、山形のショート菊池(達)のエラー、松永のタイムリーで2点を先取した。一方山形はその裏、4安打を集中。3点を取って逆転すると、3回表から満を持してエース松尾を投入してきた。結城より一回り大きい松尾は、120キロ超の剛球を投げ込む右の本格派である。産婦人科の二代目で、芭蕉とは無関係である。「リードした時点でエース投入」は既定の戦略で、山形の根本監督は10年ぶりの勝利を意識した。しかし、3回表、2番綿谷から始まったド・ク打線は巨漢の剛球を軽々と打ち返して行った。この回2塁打5本、単打5本の計10安打を松尾に浴びせ、打者14人で大量9点を挙げたのである。右に左に打撃練習のように飛んだ10本の安打は、全て音も涼やかなクリーンヒットであった。松尾も「これほど圧倒的に打たれたことは記憶になく、むしろ清々しい」と後に述懐したほどである。「哀しさや 耳にしみいる 球の音」と一句ひねったかどうかは聞き忘れた。

試合は11対3となり、勝負の帰趨は見えた。阿部新監督は3塁コーチボックスで、相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、実はふつふつと湧き上がってくる喜びを封じ込めることに腐心していたのであった。勝ち試合では沈痛な顔を、負け試合では余裕の表情を見せることが名指揮官の条件とされる。古葉竹識然り、森祗晶然り、であった。山形はついに松尾を諦め、3番手磯田を登板させるが、燃え盛るド・クの打線を止めることは出来ない。5回表、ド・クは2塁打3本、単打2本を浴びせ、さらに5四死球、2失策がからみ、打者15人で9点を追加、とどめを刺した。山形はこの9点を取られて楽になったとも言える。試合は結局20対7、仙台が横綱野球で圧勝した。

懇親会はホテルキャッスルで4時からの予定であったが、ド・クの攻撃があまりに長かったため開会が30分遅れてしまった。次からは加減して打たなければならない。徳永山形市医師会会長の開会の挨拶に続き、松井仙台市医師会副会長、有海山形県医師会会長が即妙の祝辞を述べた。菊地哲丸の乾杯の音頭で参加者達はようやくビールにありついた。次いで阿部新監督が登壇、「点差は開いたが実力差はそれほどではないと思います」と述べた。これはどの監督もが大勝ちした日に言ってみたいコメントである。普段はサインを見ようともしないナインが、今日に限ってはサイン通り、一糸乱れずにプレーした。何より無失策であり、安藤は与四死球ゼロであった。近年のベストゲームであったとさえ言える。・・・このチームの監督を引き受けて良かった・・・壇上で阿部は心からそう思っていた。

MVPは仙台の安藤が受賞。さらに安藤は勝利投手賞、最多安打賞(5打数5安打)もさらった。猛打賞は松井に、ファインプレー賞は大センターフライをスーパーキャッチした綿谷に贈られた。1塁コーチボックスに仁王立ちして睨みを利かせた伊藤(幸)にはナイスコーチャー賞が贈られた。伊藤は味方チームにのみならず、相手チームにも「負げでも全力疾走だ」、「よっく球ば見で打で~」と指示を出し続けた点が評価された。

大量点の試合はスコアラー泣かせである。こういう場面を想定していただきたい。満塁で3塁線にヒット性のゴロが飛ぶ。3塁手がようやく叩き落し、間に合わない2塁に暴投。走者は続々ホームインした。さてこれはヒットなのか野選なのかエラーなのか、はたして打点は付くのか。スコアラーには瞬時の躊躇も許されない。記録している最中、走者がボーンヘッドで挟まれたりすると何人ホームインしたかも怪しくなり、後にスコアから文章を起こす広報は果てしない受難となる。しかし驚くなかれ、今日のスコアはまさに完璧、一点の誤記もなかったのである。伊藤(清)が傍らで必死にサポートしたとはいえ、スコアラー菊地哲丸、七十路にあっていまだ頭脳明晰であることを天の下に知らしめた。次回からはベストスコアラー賞も用意してもらいたい。

本日ド・クで最も注目を集めたのは、入部2試合目でキャッチャーに抜擢された松永である。スローイングに難があるものの、一球も後ろにそらさぬキャッチングはさすが元高校球児である。相撲部屋出身のような体型も、投手からすれば安心感があり投げやすそうであった。山形の先発結城は、来年はクローザーとして出直すと宣言した。リードした試合で最終回にマウンドに登れば、その出腹と左投げを見た打者は江夏豊を連想して反撃意欲も萎えるだろう、という一方的な考えである。山形の出身の板垣、宮地は今日の大勝で故郷に恩返しした事になる。一方ド・クに本籍がありながら山形のショートとして出場した菊地(達)はタイムリーエラーで仙台の先取点をアシストし、別の意味で仙台に恩返しをした。

 昭和29年に始まった仙台・山形の対戦は今回で53年の歴史を刻んだ。戦績は仙台の27勝11敗1分、雨天中止17回となった。(昭和41、42、44年はダブルヘッダーを行なっている。)梅雨時に試合が組まれるので3年に1度は中止になった計算である。本日2回裏が終わったところで届きそうになった勝利の女神は、またしても山形チームの手からするりと逃げた。山形市医師会副会長大内は、「今年は本気で勝ちに行ったが、恋と同じで、勝利の女神は追えば追うほど逃げて行く」と嘆息した。叶わぬ恋はどんな花よりも美しく、どんな星よりも輝いて見えるものである。

先月の中巨摩医師会戦も22-11のダブルスコアで勝利を収め、高坂知節東北大名誉教授には「セミプロ集団」と煽てられた。妄想の膨らまないはずがあろうか。「ド・クは急に強くなった。次の試合も、その次の試合も20点取って勝つのだ。」意気上がる酔っ払い達を満載してバスはホテルを後にした。

七日町から十日町にかけての目抜き通りには、1週間後に迫った花笠祭の飾りつけが整い、山形の短い夏が始まろうとしていた。(文責 宮地辰雄)