ドクタークラブ便り 納会
とき 平成20年11月28日(金)
ところ ホテル仙台プラザ 2階「花梨の間」
いくたびか氷雨が通り過ぎ、定禅寺通りの欅の葉も散り尽くした。広瀬川の水は凍えるほどに冷たく、仙台の街は雪を待つばかりである。県民会館では劇団四季の「美女と野獣」のロングラン公演が行われ、周辺では「定禅寺通りをブロードウェーに」を合言葉に在仙アーティストがイベントを繰り広げている。裸の枝には既に電球が準備され、ページェントの開始を今や遅しと待つ。初冬といえども人の心はまだ熱い。
平成20年度ドクタークラブ納会は、部員17名、事務局員1名の出席をもって開催された。山田明之会長の短い開会の挨拶に続き、9月に急逝された故佐藤徳郎総監督に全員で黙祷を捧げた。生涯一庶務・浅沼孝和から、来年度菊地哲丸が新総監督に、猪股紘行が新監事に就任する旨が発表された。
■今季の球績
○ド・ク 17-1 健康センター
○ド・ク 4-3 国保連
○ド・ク 7-6 全国土木国保
○ド・ク 9-6 弘前市医師会
●ド・ク 0-2 八戸市医師会
○ド・ク 19-6 米沢市医師会
○ド・ク 6-4 山形市医師会
●ド・ク 1-8 仙台歯科医師会
○ド・ク 6-5 山梨MEDS
○ド・ク 4-3 オール仙台古希・還暦連合
10試合8勝2敗 チーム打率0.307(254打数78安打) 総得点73 総失点44
今シーズンは12試合が予定されたが、三師会親善野球大会とペガサス戦が雨天中止となった。歯科医師会戦は親睦試合として行われた。雨中の開幕戦となった健康センター戦で大勝。国保連、全国土木国保とのダブルヘッダーで史上初の連続サヨナラ勝ちを収めた。3連勝の勢いで三市医師会親善野球大会に臨んだが、またしても八戸の壁に阻まれ、準優勝に泣いた。勝機があっただけに余計残念である。歯科医師会との親睦戦はエースを立てながら、征馬前(すす)まず人語らず、寒々しい完敗となった。昨年敗れた八戸と歯科医師会に連敗したのはいただけない。相手をさらに研究して雪辱を期したい。米沢戦、山形戦は暑さとの戦いであった。米沢チームのバッテリーが熱中症で倒れたが、平素から鍛え方の違うド・クナインは一人のリタイヤ者も出さなかった。1イニングに4点以上献上したビッグイニングが4試合(全国土木、米沢、山形、山梨戦)でみられた。いずれも四死球が端緒となって守りのリズムが崩れる悪いパターンだった。守備長ければ恥多し。
球界の至宝・伊藤幸孝は10月11日に80回目の誕生日を迎えた。傘寿となって最初の登板は最終戦の大ピンチの場面であったが、ここを見事に抑えてセーブ1を挙げた。後に続く者の灯火となる快投である。伊藤は平成8年に67歳でなんとノーヒットノーランを達成。平成9年には全試合に登板し、9勝1敗、防御率2.68という驚異的な成績でMVPに輝いた。スピードガンのなかった時代であるが、当時を知る者の証言によると全盛期の速球は優に130kmを越えていたという。幾星霜は彼からスピードを奪い、今ではMax100kmにも届かなくなった。しかし長身に加えて長い腕、長い指。しかも球持ちが良いので、打席に立つとすぐ目の前からボールが放たれるように見える。次の目標は卒寿での完投か。
監督3年目を迎えた阿部精太郎は1、2年目の好成績で采配に余裕が出て、勝つだけでなく試合を盛り上げる外連味も見せた。山形戦、山梨戦、オール仙台戦では浅沼達二、伊藤幸孝、両投手の起用法が絶妙であり、最終回まで観衆を飽きさせなかった。1塁コーチボックスでの立ち姿には苔むした野仏の風合いが出てきた。監督就任後の3シーズンは、24勝7敗(勝率0.774)となった。
■個人成績
<安打数> 菊地(徹)12 安藤11 綿谷9 佐藤(韶)8 板垣6 後藤6
<打率> 菊地(徹)0.387 安藤0.367 佐藤(韶)0.320 宮地0.300 綿谷0.290
<打点> 安藤10 菊地(徹)9 佐藤(韶)9 綿谷5 板垣5 松井5
<盗塁> 菊地(達)15 板垣12 菊地(徹)8 綿谷6 佐藤(韶)5 松井5
<四死球> 板垣8 菊地(達)8 綿谷5 松井5 佐藤(韶)4 浅沼(孝)4
<得点> 菊地(達)13 板垣10 安藤9 綿谷9 菊地(徹)7
<出塁率> 宮地0.462 浅沼(孝)0.438 板垣0.438 菊地(達)0.429 菊地(徹)0.424
<投手成績>
安藤 7試合3勝2敗2セーブ 投球回数26回2/3 自責点13 防御率4.388
浅沼(達) 5試合0勝0敗 投球回数10回 自責点9 防御率8.100
後藤 3試合3勝0敗 投球回数11回 自責点9 防御率7.364
伊藤(幸) 3試合0勝0敗1セーブ 投球回数1回2/3 自責点4 防御率21.60
松井 2試合2勝0敗 投球回数10回2/3 自責点3 防御率2.531
(注)防御率は9イニングあたりで計算してある。
記録には残らないが浅沼達二の活躍は特筆したい。5試合に登板し、その5試合はすべてチームに勝利をもたらした。「達つぁん神の子、不思議な子」というコピーが定着した。
■選手表彰
<皆勤賞> 菊地(徹)、安藤、綿谷、佐藤(韶)、浅沼(孝)、阿部
<優秀選手賞> 板垣、綿谷
<特別賞> 菊地(哲)、阿部
<功労賞> 山田
<努力賞> 野口
<奨励(もっと試合に出てきなさい)賞> 伊藤(幸)、大泉
<敢闘賞> 浅沼(達)、猪股、宮地
<還暦賞> 浅沼(孝)
<20年選手賞> 大泉
<益田賞> 綿谷、伊藤(清)
最も価値がある皆勤賞は6名が受賞した。今回から新たに益田賞が設けられた。これは「皆勤で、且つ縁の下の力持ち的貢献をした選手」が対象となる。最優秀選手(MVP)は出席者による無記名投票で選ばれる。今季は有効投票17票中、菊地徹が7票、安藤健二郎が6票と1票差で菊地が初のMVPに輝いた。菊地は皆勤に加え、最高打率、最多安打、さらに安定した遊撃の守備が評価された。
壮士ひとたび去って復た還らず。9月7日に急逝された佐藤徳郎総監督と最後にお会いしたのは去年の納会であった。その後半生はまさにドクタークラブに捧げられたと言える。松井邦昭助監督が総監督の偉業と闘病経過に触れると、一同その温顔を想い、寂として音を絶ったのである。今頃彼岸にて前田慶子先生とキャッチボールでもしておられるだろうか。総監督御令室より阿部監督と小生宛てに、追悼記事への真情溢れる御礼状を頂戴した。最後に選手各人より今季の反省と来季への抱負が語られ、閉会となった。
会を終えて外に出ると、夕刻の雨はすっかり上がり、定禅寺通りは渋滞する車のテールランプでオレンジ色の大河となっていた。漆黒の空には冬の星座が満開である。オリオン座の右上に「天空の果実」と称される牡牛座のプレアデス星団が輝く。この星団は400光年の距離にある。今見ている光は江戸幕府成立の頃に発信されたことになる。20歳の頃は裸眼で6個の星が数えられたが、今ではぼんやりした星雲に見えるだけである。野球は眼から衰える。近年、ボールの芯を捉えきれなくなったのはそのせいだろうか。冬の星座はさり気なく退き時を教えているようである。
打撃はつくづく難しい。チャンスに凡退した夜は、その打席が夢寐(むび)にも浮かぶ。「今度こそ掴んだ」と思っても蜃気楼のように消えてしまう感覚を、先人は言葉にして残そうとした。「ボールを睨んで、止まって見えたところを打つ」と言ったのは川上哲治である。王貞治は「ボールを飛ばすにはボールの上から3分の2の位置を叩く」と言った。篠塚利夫は「打ちたい方向へ投げ出すようにバットを出す」と言った。投げ出してはバットは振れない。ぎりぎりまで手首を返さない、と解してよいのだろう。イチローは現役ゆえ詳しくは語らないが、1999年4月11日、西武戦でのセカンドゴロである明確な感覚を掴んだという。
筆者がもっとも心惹かれるのは、166.7cmの小さな大打者、若松勉の表現である。彼は「自分の身体が吸い込まれるまでじっとボールに向かって行く」と言った。直径7cmのボールに自分が吸い込まれた瞬間にバットを振ると、バットはボールの芯を捉えているのだという。哲学的な言葉だが、打席という小宇宙で秒以下の旅を繰り返していたことになる。彼は2回首位打者となり、規定打席に到達した14シーズン中、実に12シーズンで3割以上を打った。自分もボールに吸い込まれようと試みたが、よしと思った瞬間には、既にボールがミットに吸い込まれているのであった。
楽天イーグルスにも触れておこう。今季は岩隈久志の活躍に尽きる。チームは5位に終わるも、最多勝利、最優秀防御率、沢村賞など投手部門6冠を独占した。佐藤義則以来23年ぶりの21勝は、楽天のシーズン65勝のうち、1/3近くに迫る。リーグ最多投球イニング(201回2/3)も記録し、パリーグMVPにも輝いた。BクラスチームからのMVP選出は、1988年の門田博光以来20年ぶりのことである。さらに200イニング以上を投げて被本塁打がわずか3本というのも特筆ものである。彼は右投げ右打ちだが、元々は左利きで食事やペン等は左手を使う。「自分が野球を始めた頃、周りの人は皆右投げ右打ちだったから真似した」と事もなげに語っている。左で投げていたらどんな投球になっていただろう。楽天は今季65勝76敗3分の借金11。岩隈の21勝4敗がなければ44勝72敗、借金28となっていたところである。去年は67勝75敗、借金8の4位だった。はたしてチーム力は上がっていると言えるのだろうか。
シーズンを終えるにあたり、今年お世話になった諸方面の方々に御礼申し上げます。来年は創部60周年にあたり、各種記念行事が予定されております。引き続きドクタークラブに温かい御支援をお願いいたします。
私事になりますが、「ドクタークラブ便り」執筆の任をこのほど解いていただくことになりました。広報の仕事はスコアブックを蟻の如く(勤勉に)読み、キリギリスの(歌うが)如く綴ることです。当初は書くたびに部員の視線が気になりましたが、前広報・阿部先生の「好きなように書け」の一言を支えに5年間楽しく続けることができました。業務とは言え素材になった部員の方々にお詫び申し上げるとともに、読者のご宥恕に心より感謝いたします。字数制限がなかったため、原稿は37本、約14万字(原稿用紙にすると350枚)に及びました。撮りためた画像は1万枚を越え、「遺徳を偲んで」に利用できるアーカイブとなっております。
山から小僧が降りて来そうな夜。この原稿をPDFファイルに変換して医師会の進藤智子さん宛に送信すれば仕事は終わりです。昭和の唄など聴きながら、しばし冬の楽しみに浸ることにします。それでは皆様、ご機嫌よう。
木枯らしや 妻子の留守の 残り酒 (一穂)
あやし小児科医院 宮地辰雄
とき 平成20年11月28日(金)
ところ ホテル仙台プラザ 2階「花梨の間」
いくたびか氷雨が通り過ぎ、定禅寺通りの欅の葉も散り尽くした。広瀬川の水は凍えるほどに冷たく、仙台の街は雪を待つばかりである。県民会館では劇団四季の「美女と野獣」のロングラン公演が行われ、周辺では「定禅寺通りをブロードウェーに」を合言葉に在仙アーティストがイベントを繰り広げている。裸の枝には既に電球が準備され、ページェントの開始を今や遅しと待つ。初冬といえども人の心はまだ熱い。
平成20年度ドクタークラブ納会は、部員17名、事務局員1名の出席をもって開催された。山田明之会長の短い開会の挨拶に続き、9月に急逝された故佐藤徳郎総監督に全員で黙祷を捧げた。生涯一庶務・浅沼孝和から、来年度菊地哲丸が新総監督に、猪股紘行が新監事に就任する旨が発表された。
■今季の球績
○ド・ク 17-1 健康センター
○ド・ク 4-3 国保連
○ド・ク 7-6 全国土木国保
○ド・ク 9-6 弘前市医師会
●ド・ク 0-2 八戸市医師会
○ド・ク 19-6 米沢市医師会
○ド・ク 6-4 山形市医師会
●ド・ク 1-8 仙台歯科医師会
○ド・ク 6-5 山梨MEDS
○ド・ク 4-3 オール仙台古希・還暦連合
10試合8勝2敗 チーム打率0.307(254打数78安打) 総得点73 総失点44
今シーズンは12試合が予定されたが、三師会親善野球大会とペガサス戦が雨天中止となった。歯科医師会戦は親睦試合として行われた。雨中の開幕戦となった健康センター戦で大勝。国保連、全国土木国保とのダブルヘッダーで史上初の連続サヨナラ勝ちを収めた。3連勝の勢いで三市医師会親善野球大会に臨んだが、またしても八戸の壁に阻まれ、準優勝に泣いた。勝機があっただけに余計残念である。歯科医師会との親睦戦はエースを立てながら、征馬前(すす)まず人語らず、寒々しい完敗となった。昨年敗れた八戸と歯科医師会に連敗したのはいただけない。相手をさらに研究して雪辱を期したい。米沢戦、山形戦は暑さとの戦いであった。米沢チームのバッテリーが熱中症で倒れたが、平素から鍛え方の違うド・クナインは一人のリタイヤ者も出さなかった。1イニングに4点以上献上したビッグイニングが4試合(全国土木、米沢、山形、山梨戦)でみられた。いずれも四死球が端緒となって守りのリズムが崩れる悪いパターンだった。守備長ければ恥多し。
球界の至宝・伊藤幸孝は10月11日に80回目の誕生日を迎えた。傘寿となって最初の登板は最終戦の大ピンチの場面であったが、ここを見事に抑えてセーブ1を挙げた。後に続く者の灯火となる快投である。伊藤は平成8年に67歳でなんとノーヒットノーランを達成。平成9年には全試合に登板し、9勝1敗、防御率2.68という驚異的な成績でMVPに輝いた。スピードガンのなかった時代であるが、当時を知る者の証言によると全盛期の速球は優に130kmを越えていたという。幾星霜は彼からスピードを奪い、今ではMax100kmにも届かなくなった。しかし長身に加えて長い腕、長い指。しかも球持ちが良いので、打席に立つとすぐ目の前からボールが放たれるように見える。次の目標は卒寿での完投か。
監督3年目を迎えた阿部精太郎は1、2年目の好成績で采配に余裕が出て、勝つだけでなく試合を盛り上げる外連味も見せた。山形戦、山梨戦、オール仙台戦では浅沼達二、伊藤幸孝、両投手の起用法が絶妙であり、最終回まで観衆を飽きさせなかった。1塁コーチボックスでの立ち姿には苔むした野仏の風合いが出てきた。監督就任後の3シーズンは、24勝7敗(勝率0.774)となった。
■個人成績
<安打数> 菊地(徹)12 安藤11 綿谷9 佐藤(韶)8 板垣6 後藤6
<打率> 菊地(徹)0.387 安藤0.367 佐藤(韶)0.320 宮地0.300 綿谷0.290
<打点> 安藤10 菊地(徹)9 佐藤(韶)9 綿谷5 板垣5 松井5
<盗塁> 菊地(達)15 板垣12 菊地(徹)8 綿谷6 佐藤(韶)5 松井5
<四死球> 板垣8 菊地(達)8 綿谷5 松井5 佐藤(韶)4 浅沼(孝)4
<得点> 菊地(達)13 板垣10 安藤9 綿谷9 菊地(徹)7
<出塁率> 宮地0.462 浅沼(孝)0.438 板垣0.438 菊地(達)0.429 菊地(徹)0.424
<投手成績>
安藤 7試合3勝2敗2セーブ 投球回数26回2/3 自責点13 防御率4.388
浅沼(達) 5試合0勝0敗 投球回数10回 自責点9 防御率8.100
後藤 3試合3勝0敗 投球回数11回 自責点9 防御率7.364
伊藤(幸) 3試合0勝0敗1セーブ 投球回数1回2/3 自責点4 防御率21.60
松井 2試合2勝0敗 投球回数10回2/3 自責点3 防御率2.531
(注)防御率は9イニングあたりで計算してある。
記録には残らないが浅沼達二の活躍は特筆したい。5試合に登板し、その5試合はすべてチームに勝利をもたらした。「達つぁん神の子、不思議な子」というコピーが定着した。
■選手表彰
<皆勤賞> 菊地(徹)、安藤、綿谷、佐藤(韶)、浅沼(孝)、阿部
<優秀選手賞> 板垣、綿谷
<特別賞> 菊地(哲)、阿部
<功労賞> 山田
<努力賞> 野口
<奨励(もっと試合に出てきなさい)賞> 伊藤(幸)、大泉
<敢闘賞> 浅沼(達)、猪股、宮地
<還暦賞> 浅沼(孝)
<20年選手賞> 大泉
<益田賞> 綿谷、伊藤(清)
最も価値がある皆勤賞は6名が受賞した。今回から新たに益田賞が設けられた。これは「皆勤で、且つ縁の下の力持ち的貢献をした選手」が対象となる。最優秀選手(MVP)は出席者による無記名投票で選ばれる。今季は有効投票17票中、菊地徹が7票、安藤健二郎が6票と1票差で菊地が初のMVPに輝いた。菊地は皆勤に加え、最高打率、最多安打、さらに安定した遊撃の守備が評価された。
壮士ひとたび去って復た還らず。9月7日に急逝された佐藤徳郎総監督と最後にお会いしたのは去年の納会であった。その後半生はまさにドクタークラブに捧げられたと言える。松井邦昭助監督が総監督の偉業と闘病経過に触れると、一同その温顔を想い、寂として音を絶ったのである。今頃彼岸にて前田慶子先生とキャッチボールでもしておられるだろうか。総監督御令室より阿部監督と小生宛てに、追悼記事への真情溢れる御礼状を頂戴した。最後に選手各人より今季の反省と来季への抱負が語られ、閉会となった。
会を終えて外に出ると、夕刻の雨はすっかり上がり、定禅寺通りは渋滞する車のテールランプでオレンジ色の大河となっていた。漆黒の空には冬の星座が満開である。オリオン座の右上に「天空の果実」と称される牡牛座のプレアデス星団が輝く。この星団は400光年の距離にある。今見ている光は江戸幕府成立の頃に発信されたことになる。20歳の頃は裸眼で6個の星が数えられたが、今ではぼんやりした星雲に見えるだけである。野球は眼から衰える。近年、ボールの芯を捉えきれなくなったのはそのせいだろうか。冬の星座はさり気なく退き時を教えているようである。
打撃はつくづく難しい。チャンスに凡退した夜は、その打席が夢寐(むび)にも浮かぶ。「今度こそ掴んだ」と思っても蜃気楼のように消えてしまう感覚を、先人は言葉にして残そうとした。「ボールを睨んで、止まって見えたところを打つ」と言ったのは川上哲治である。王貞治は「ボールを飛ばすにはボールの上から3分の2の位置を叩く」と言った。篠塚利夫は「打ちたい方向へ投げ出すようにバットを出す」と言った。投げ出してはバットは振れない。ぎりぎりまで手首を返さない、と解してよいのだろう。イチローは現役ゆえ詳しくは語らないが、1999年4月11日、西武戦でのセカンドゴロである明確な感覚を掴んだという。
筆者がもっとも心惹かれるのは、166.7cmの小さな大打者、若松勉の表現である。彼は「自分の身体が吸い込まれるまでじっとボールに向かって行く」と言った。直径7cmのボールに自分が吸い込まれた瞬間にバットを振ると、バットはボールの芯を捉えているのだという。哲学的な言葉だが、打席という小宇宙で秒以下の旅を繰り返していたことになる。彼は2回首位打者となり、規定打席に到達した14シーズン中、実に12シーズンで3割以上を打った。自分もボールに吸い込まれようと試みたが、よしと思った瞬間には、既にボールがミットに吸い込まれているのであった。
楽天イーグルスにも触れておこう。今季は岩隈久志の活躍に尽きる。チームは5位に終わるも、最多勝利、最優秀防御率、沢村賞など投手部門6冠を独占した。佐藤義則以来23年ぶりの21勝は、楽天のシーズン65勝のうち、1/3近くに迫る。リーグ最多投球イニング(201回2/3)も記録し、パリーグMVPにも輝いた。BクラスチームからのMVP選出は、1988年の門田博光以来20年ぶりのことである。さらに200イニング以上を投げて被本塁打がわずか3本というのも特筆ものである。彼は右投げ右打ちだが、元々は左利きで食事やペン等は左手を使う。「自分が野球を始めた頃、周りの人は皆右投げ右打ちだったから真似した」と事もなげに語っている。左で投げていたらどんな投球になっていただろう。楽天は今季65勝76敗3分の借金11。岩隈の21勝4敗がなければ44勝72敗、借金28となっていたところである。去年は67勝75敗、借金8の4位だった。はたしてチーム力は上がっていると言えるのだろうか。
シーズンを終えるにあたり、今年お世話になった諸方面の方々に御礼申し上げます。来年は創部60周年にあたり、各種記念行事が予定されております。引き続きドクタークラブに温かい御支援をお願いいたします。
私事になりますが、「ドクタークラブ便り」執筆の任をこのほど解いていただくことになりました。広報の仕事はスコアブックを蟻の如く(勤勉に)読み、キリギリスの(歌うが)如く綴ることです。当初は書くたびに部員の視線が気になりましたが、前広報・阿部先生の「好きなように書け」の一言を支えに5年間楽しく続けることができました。業務とは言え素材になった部員の方々にお詫び申し上げるとともに、読者のご宥恕に心より感謝いたします。字数制限がなかったため、原稿は37本、約14万字(原稿用紙にすると350枚)に及びました。撮りためた画像は1万枚を越え、「遺徳を偲んで」に利用できるアーカイブとなっております。
山から小僧が降りて来そうな夜。この原稿をPDFファイルに変換して医師会の進藤智子さん宛に送信すれば仕事は終わりです。昭和の唄など聴きながら、しばし冬の楽しみに浸ることにします。それでは皆様、ご機嫌よう。
木枯らしや 妻子の留守の 残り酒 (一穂)
あやし小児科医院 宮地辰雄