仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

オール仙台古希チーム戦  2007.10.14

2007-10-15 | 2007年 オール仙台古希チーム戦
ドクタークラブ便り  オール仙台古希チーム戦 
 
 とき  平成19年10月14日(日) 
 ところ  ウェルサンピアみやぎ泉
 天候  快晴  気温22℃

8月の猛暑が嘘のようである。空はどこまでも蒼く、大気は澄み、絶好の野球日和となった。

異業種チームとの対戦は、平成9年の仙台フィル以来、実に10年ぶりである。ドクタークラブの菊地哲丸監事とオール仙台古希チーム(以下、古希と略)の毛利清敏監督が幼なじみという縁から対戦の話が進んだ。オール仙台は新聞でも時々紹介される還暦軟式野球大会の常連であり、還暦チームと古希チームに分かれている。60歳で還暦チームに入団し、70歳になると自動的に古希チームに昇格(降格?)するという流れである。結成は昭和59年というから、今年で24年目を迎える古豪である。選手は高校野球経験者が多く、試合前の練習は組織的で一糸の乱れもない。ユニフォームの着こなしも見事で、遠目にはとても70歳代には見えない。

両チームの先発メンバー9人の年齢を足してみると、古希は650歳(平均72.2歳)、一方ド・クは462歳(平均51.3歳)である。いつもと違ってド・クがずいぶん若いではないか。20歳以上年上の相手に負けるわけには行かない。

年齢へのハンデとして、古希の投手は正規の投手板の1m手前から投げ、また古希の守備のときだけB球を使用するという特別ルールが採用された。B球はA球よりやや小さくて軽いのである。

ちなみに公認野球規則書によれば、軟式球素材はゴム製、直径・重量・反発の違いでA号・B号・C号・D号・H号の5種類に区別するとある。A号とH号が一般用、B号・C号・D号は少年用。A号・B号・C号・D号は芯の無い中空。H号は中に充填物を詰めたもので、所謂準硬式球である。反発は150cmの高さから大理石板に落として、跳ね返った高さを測定したものである。(A球は正式には軟式A号ボールという。)

    直径        重量         反発
A号  71.5-72.5mm  134.2-137.8g  80.0-105.0cm
B号  69.5-70.5mm  133.2-136.8g  80.0-100.0cm
C号  67.5-68.5mm  126.2-129.8g  65.0-85.0cm
D号  64.0-65.0mm  105.0-110.0g  65.0-85.0cm
H号  71.5-72.5mm  141.2-144.8g  50.0-70.0cm


午前10時試合開始。初回ド・クの先発安藤は2三振を奪って快調な滑り出しである。古希の先発高橋(70歳)はフォームが美しく威圧感がある。しかし球速は100km前後で打ち頃である。1回裏、ド・クは綿谷がセンター前テキサスヒットで出て2盗。すかさず安藤がレフト前に運んで先取点を上げた。安藤は2盗後、高橋の右回りの牽制に引っかかり2,3塁間で狭殺された。この牽制は見事であった。

3回裏、ド・クは1番から7番までが6安打を集中して5点を上げ、早くも勝負は決まった。古希は4回に死球による押し出しで1点を上げたが、ド・クは6回にも2点を追加し大差をつけた。

最終回、余裕の出た監督阿部精太郎は伊藤(幸)をマウンドに送る。伊藤は6月3日以来の試合である。しかも病み上がりで、しかも3日前に79歳になった。ド・クの平均年齢を1人で3.4歳引き上げている。どれほどの回復度か、来期も使えるか、査定されるマウンドでもあった。伊藤は内野の失策もあって2点を献上したものの、最後の打者を併殺に取り、危なげなく(やや危なかったか?)試合を締めくくった。来期の登板も確約された。打つ方でも3打数1安打1死球と活躍した。前にも書いたが、死球が多いのは逃げられないのではなく、逃げずに向かって行くせいである。来年の10月11日には80歳を迎える。「80歳での先発投手、盗塁王、死球王」というギネスへのカウントダウンがいよいよ始まった。

5回裏、代走の伊藤(清)が鮮やかに2盗を決めた。まではよかったが、調子に乗ってさらに3盗を試みた際、3塁ベースの2m手前で突然うずくまってしまった。古傷の左大腿二頭筋の肉離れであった。「痛で~」と絶叫しながら審判に背負われてベンチに運ばれた。ド・ク医師団に「かすり傷だ、そこに寝とれ」とトリアージされた伊藤は、「んでも痛で~」と必死で訴える。しかし「気のせいだ」と最終宣告され、治療を受けたのはようやく試合終了後であった。治療開始まで時間はかかったが、同情無き医師団の適当な、いや適切な治療により、自力歩行で帰れるまでに回復した。

今日の勝敗を分けたのは走力であった。古希の打撃と捕球、送球はまだまだ衰えていないが、打球に追いつくのに、また次の塁まで辿り着くのに時間がかかり過ぎた。圧倒的な走力を有するド・クは、投手の牽制をかいくぐり、縦横に走り回った。盗塁は古希0に対しド・クは11を数えた。教訓「野球選手は足から衰える。」

これでド・クは今季6勝3敗となり、最終戦を待たずに勝ち越しを決めた。

        1 2 3 4 5 6 7  計
古希チーム 0 0 0 1 0 0 2  3
ド・ク     1 0 5 0 0 2 ×  8
                     
この時期になると個人記録争いも熾烈である。ベンチでは1打席毎に電卓を叩く音が響く。前の試合まで首位打者を争っていた3名は揃ってマルチヒットを放ち、それぞれ打率を上げた。宮地4打数3安打、打率0.400→0.500、安藤3打数3安打、同0.316→0.409、綿谷4打数2安打、同0.368→0.391。打率の決着は最終戦に持ち越された。
    
試合後、昼食会が行われ、両チームの紹介、選手の球歴、病歴などが披露された。古希チームには高血圧、痛風、腰痛の患者が目立った。古希の最年長は長谷川平八投手92歳である。これに比べたら伊藤(幸)などはまだまだひよっ子である。扇谷雄一郎投手(79歳)は平成3年から16年間も毛利監督とバッテリーを組んできた。彼は12月18、19日にハワイで行われる日米シニア野球に、日本代表16名の1人として出場する。評論家の扇谷正造は叔父にあたるという。

古希の選手達をみていると、自分達もあと20年も30年も野球をやれるような錯覚に陥る。還暦賞の赤いグラウンドコートをもらって引退するという人生設計が揺さぶられるのである。

金木犀の芳醇な香りに包まれての野球は至福であった。今季は11月に中巨摩医師会戦を残すだけである。南アルプスの錦繍を背景に有終を飾りたいものである。

    秋深し 電卓持って 野球かな

 
      文責 宮地辰雄