仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

第28回仙台市三師会親善野球大会 2007.8.26

2007-08-27 | 2007年 三師会親善野球大会 
ドクタークラブ便り  
第28回仙台市三師会親善野球大会

  とき  平成19年8月26日(日) 
  ところ  ウェルサンピアみやぎ泉 
  天候  晴れ   気温 32℃

 昭和48年から始まったこの大会は今年で28回目となる。(雨天中止は回数に入っていない。)過去の優勝回数は仙台市医師会(仙医)10回、歯科医師会(仙歯)9回、薬剤師会(仙薬)6回である。仙歯は平成11年を最後に8年も優勝から遠ざかっている。

 今回の主催者である仙薬新会長・佐藤晴壽の開会の挨拶に続き、昨年優勝の仙医監督・阿部精太郎から優勝杯が返還された。佐藤晴壽の投げた始球式のボールは山なりながらも、ど真ん中のストライクとなり、やんやの喝采を浴びた。
 時あたかも晩夏。どのチームも夏の有終を飾るべく優勝を狙っている。特に仙歯はユニフォームをオールジャパン風に新調、この大会にかける意気込み顕わである。

<試合経過>

 ■第1試合 仙薬対仙医

 初戦を落として優勝の目はない。両軍エース同士の対決となった。仙医は安藤、仙薬は昨年から現れた若手の矢田(若手といっても30歳)。今日の矢田はスピード、コントロールとも申し分なかったが、仙医は初回から巧打を連ね、小刻みに得点した。

2-0とした3回裏は、2死1、3塁で4番板垣。板垣はここでライトオーバーの大3塁打を放ち、2者を迎え入れた。この1打で大勢は決した。この4番は長らく、「チャンスで回ってくるのを嫌がる」、「駄目押し打と焼け石に水打は得意」、という評判を打ち立てていたが、あの年間無安打から苦節3年。今季ようやく成長らしきものが見えてきた。髭を生やしてチョイ悪風になり、苦手の内角を攻められなくなったのも大きい。

安藤は散発の4安打を許したものの、4三振を奪う快投で仙薬をシャットアウトした。センター綿谷は、抜ければ長打と思われた大飛球を3つ、スタート良くキャッチして安藤を助けた。

       1  2  3  4  5    計
仙薬    0  0  0  0  0    0
仙医    1  1  3  2  ×   7

 ■第2試合  仙薬対仙歯

 仙歯は1回裏、1死球と3失策に乗じて走者をためたところで2安打が出て、効率良く4点を先取した。2回裏、仙薬の外野は全く機能せず、飛球をことごとく見失い、追いついては落球し、さらなる4点を献上した。この回の仙薬は内野の6人で野球をしている状態であった。8点差をつけて余裕綽々となった仙歯は、2回と3回にそれぞれスクイズを試みた。投球と同時に3塁走者は猛然とスタートしたが、2度とも打者は平然とボールを見送った。バントの素振りもなかったのでサインの見落としであろう。走者は蒼然と3本間で立ち往生、観衆の失笑を買った。

練習を積んだつもりでも、サインプレーは斯様に難しい。何でも試みることは良いが、身の丈に合ったプレーをすることも大事である。仙薬は2-10と大差をつけられた最終回に3長短打を集めて4点を返したが、エンジンのかかるのが何とも遅すぎた。

      1  2  3  4  5    計
仙薬   0  0  2  0  4    6
仙歯   4  4  0  2  ×   10
 
■第3試合  仙歯対仙医

 両チームとも緒戦に勝ち、この試合の勝者が優勝である。エース安藤は連投となる。仙歯の先発は及川。変化球のコントロールが持ち味である。初回、仙医は2死3塁で4番板垣に回ったが、板垣はフルカウントから見逃しの三振に倒れた。4番にしては弱気であった。第1試合で誉めたのが悪かったか。2回まで両チームとも無得点。試合は1点で決まりそうな異様な緊迫感に包まれる。

3回表、仙歯は2死2、3塁から千葉晃がセンター前にはじき返して、ついに1点を先取した。ボールは8-6-2と転送され、3塁走者に続いて本塁を狙った2塁走者は本塁寸前で憤死した。その裏、仙医も1死3塁とし、菊地(達)がセンターへ大飛球を打ち上げた。これで同点と誰しも思ったところ、なんとセンターが本塁にダイレクトで返球し、タッチアップした3塁走者菊地(徹)は狐に摘まれたような顔でアウトになった。

 なんとしても追いつきたい仙医。4回裏は綿谷、板垣がともに死球で出て、果敢に2盗を試みるも、宮内捕手の強肩にいずれも2塁寸前で刺殺された。これほど2塁が遠い試合があったろうか。

 次の1点を取った方が勝つと思われた5回、仙歯は1死後、郷家が3塁打を放ち、続く及川が大きなレフトフライを打ち上げ、これが犠牲フライとなって貴重な1点を追加した。

 5回裏、仙医は内野安打と四球で1死1、2塁のラストチャンスを作る。ここで阿部監督は取って置きの代打、松井を指名した。場内はいやでも盛り上がる。得失点差を考えれば、同点引き分けでも仙医の優勝である。松井も昨日の酒がどうのと言っている場合ではない。投手もここに来てコントロールが定まらず、ボールが2つ続いた。スリーボールにはしたくないと、置きに来た3球目を松井はジャストミート。痛烈な打球は投手の左を抜け、センターに達するかに見えた。しかしあろうことか、ボールはショートが前のめりで差し出したグラブの先にようやく引っかかり、そのまま2塁ベースを踏んで2アウト、さらに1塁へ転送されてスリーアウトとなった。この瞬間仙歯は見事2連勝で8年ぶりの優勝を飾ったのであった。


      1  2  3  4  5    計
仙歯   0  0  1  0  1    2
仙医   0  0  0  0  0    0

 表彰式、懇親会は仙台国際ホテルで行われた。優勝杯を手渡された仙歯の宮内主将は歓喜の涙を隠すことで精一杯であった。今回で優勝回数は仙医10回、仙歯10回、仙薬6回となった。最優秀選手には仙歯の千葉晃が選ばれた。千葉は仙医戦で先制打を放ち、守ってはショートで再三の美技を見せた。

選手の自主性を尊重する仙医と対照的に、仙歯は組織的な戦術にこだわり、スクイズ、バントを多用する。しかしここ数年実戦には弱く、阿部精太郎に「実力の仙歯」、「万年優勝候補」と誉め殺されていた。平成11年を最後に8年間優勝から遠ざかり、いつのまにか優勝を知らない選手が半数を超えたというから、今回の優勝の喜びは如何ばかりであろう。

ド・クはこれで今季4勝3敗となった。勝ったり負けたりである。今日の安藤の投球数は、仙薬戦51球、仙歯戦50球の計101球であった。
表彰式はいつのまにかカラオケ大会となったが、宴は正にたけなわで、誰も歌など聴いてはいなかった。定刻となったところで仙台医師会長山田明之が閉会の辞を述べ、楽しい一日は幕となった。

 医師会、歯科医師会、薬剤師会の連携・協力が円滑に進むためには、お互いの顔が見えていることが肝要である。全力で野球を戦い、試合後は胸襟を開いて互いの健闘を称え、下手な歌にも拍手を贈る。この野球大会と懇親会が三師会連携に一役かっているのは間違いないであろう。今回の大会の準備を担当され、大成功に導いて下さった仙台市薬剤師会の先生方、事務局の皆様に改めて感謝の意を表すものである。

 今年の梅雨明け宣言は8月1日に出された。「梅雨明けが8月にずれ込むと冷夏になる」というジンクスを裏切り、今年の8月は連日炎暑が続いた。8月16日には、多治見市、熊谷市でついに40.9℃を観測。昭和8年に山形市で記録した40.8℃を抜き去った。74年間タイトルを死守してきた山形市民の落胆は大きいという。
この暑さでは高校野球も気の毒であった。仙台育英は「みちのくのプリンスK」と称されたMax155kmの佐藤由規を擁しながら、2回戦で智弁学園に敗れた。仙台の暑さと関西の暑さはまた違ったのであろう。

大会第4日目の試合では、第3試合、第4試合はいずれも9回2死までリードしていたチームが逆転負けを喫した。桜井(富山)は9回裏まで3-1と東福岡(福岡)をリードしていた。東福岡は2死から2点タイムリーで追いつき、さらに延長11回無死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ちした。また4大会連続決勝進出を狙う駒大苫小牧(南北海道)は9回表2死まで3-1と広陵(広島)をリードしていて、緒戦突破は確実と思われた。しかし広陵は2死1、3塁から左前安打で同点。さらに走者1、2塁から、次打者の2塁内野安打で2塁走者はホームを狙う。これを刺そうと転送されたボールを捕手が3塁に悪送球して2点が入った。駒苫にとってはあっという間の悪夢だった(その広陵も決勝戦で、佐賀北高に逆転満塁本塁打を浴びて敗れた)。

この2試合を見ていて、いずれも最終回2死から逆転された今年の八戸戦、米沢戦を思い出した。野球のグランドには、最終回2死からのドラマが大口を開けて待ち構えているのである。

 大会の翌日から仙台は急に涼しくなった。空を仰げばいわし雲がたなびき、広瀬川の遊歩道にはコスモスが咲き出した。平成19年の夏は暑さの記憶だけを残し、足早に去って行こうとしている。
 
     県立の 球児輝く 夏の果て

                             文責 宮地辰雄