仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

三役会  2007.11.26

2007-11-26 | Weblog
本日19時から、一番町○△□(まるさんかくしかく)で三役会が行われました。
ここは昔の民謡会館があった場所です。
マッチには「人生でしかく(□)くなった人も、仕事でとんがって(△)いる人も、みんなま~る(○)くなれる店」とあります。

この席で、今年の納会次第、退部希望部員の承認、平成20年度の試合日程案、表彰選手、役員改選等の案件について協議が行われました。
出席は阿部、佐藤(徳)、松井、菊地(哲)、佐藤(韶)、浅沼(孝)、猪股、宮地、板垣、伊藤(清)の10名です。






納会は12月15日(土)19時から、仙台ホテルで。会費は8000円です。

平成20年度の試合日程

4月7日 初顔合わせ
5月11日 国保連、全国土木国保戦
5月18日 オール仙台古希戦
5月31日~6月1日 三市医師会野球大会(弘前遠征)・・・決定
6月7日 病院親善野球大会
6月15日 ブロック対抗親善野球大会
7月6日 米沢市医師会戦(遠征)
7月27日 山形市医師会戦(遠征)
8月31日 三師会野球大会・・・決定
9月21日 医師会健康センター戦
9月27か28日 ペガサス戦
10月4~5日 山梨MEDS戦
10月26日 オール仙台還暦チーム

決定と書いてあるもの以外は、今後変更の可能性があります。
遠征は3回。仙台での試合会場は全てウェルサンピアみやぎ泉です。


○△□の隣にこんな店ができていました。プロレスファンは是非押さえておきたいスポットです。猪木の試合のビデオが流れていました。       (文責 宮地)






第4回山梨MEDS戦 

2007-11-13 | 2007年 山梨MEDS戦
ドクタークラブ便り 

第4回山梨県医師会野球部(MEDS)戦 

 とき  平成19年11月10日(土)~11月11日(日) 
 ところ  山梨県営飯田球場
 天候  晴れ   気温  19℃

週末の新幹線は混んでいる。明るいうちから楽しげに缶ビールを開けているのは不倫のカップルであろうか。ド・クは色気とは無縁である。甲府までは、はやて16号、スーパーあずさ25号を乗り継いで4時間の行程である。4万円の遠征費を払い、風林火山の史跡を見るでもなく、野球を1試合して帰って来るのである。しかも天気予報は「降水確率80%、ときどき雷」。晩秋の雨は雪に変わることもある。ワールドシリーズも日本シリーズも終わったこの時期、雪を心配しながらの旅は粋というしかない。

順番からいうと今年は仙台での対戦予定だったが、来年ド・クは遠征が立て混むため、甲府遠征を今年に前倒しした。そのやりくりのため当初9月の予定がこの時期にずれ込んだのである。

スーパーあずさは18時27分甲府着の予定だったが、途中西国分寺であった人身事故の影響で中央線のダイヤが乱れ、ようやく20時を過ぎての到着となった。前夜祭はド・ク抜きで定刻の午後7時に始まっており、MEDSのメンバーは完全に出来上がっていた。テーブルには甲州名物馬刺しとワイン豚のしゃぶしゃぶが湯気を立てて待っており、空腹のド・クナインはたちまち涎の失禁状態となった。

ド・ク到着後、MEDSの総監督・西野義久が遅ればせの開会の辞を述べ、ド・ク監事・菊地(哲)が乾杯の音頭を取った。会は9時までの予定だったが深更まで延長され、会場の銀座八丁は夜を欺く不夜城と化した。その後河岸を変えて二次会となり、ド・クの宴会部長・猪股紘行は十八番、武田節を朗々と唱い上げ大喝采を浴びた。猪股の遠征目的はこれでほぼ達成された。MEDSの副主務・横山巌は、今年自院の駐車場に停めた車を夜間に(おそらくレッカー車で)盗まれた。それも2回続けて。警察に届けた際、自車のナンバーがうろ覚えだったため逆に不審尋問を受けたという。この車にはチームのバットが積んであったのでチームにとっても大損害だった。そのためMEDSのバットは今回新品である。MEDSのちょいメタおやじ達の酒呑話は滅法面白かった。
いつも未明まで連れまわされる酒仙松井は(本人の申告によると)珍しく二次会のみで生還し、翌日の登板に備えたという。

「降水確率80%、ときどき雷」の天気予報にもかかわらず、翌朝は窓から差し込む朝日で目が覚めた。気温は19度。理想的な野球日和となった。わざわざ甲府くんだりまで、もとい、はるばる戦国絵巻の舞台まで野球をしに来た甲斐があったというものである。

過去3戦は、第1回戦こそド・クが主力を欠いたため7対6と接戦になったが、第2回戦は16対1、第3回戦は22対10と、ラグビーと見紛うスコアでド・クが3連勝している。ド・クのナインにとってMEDS戦は記録を稼ぐのに恰好である。この試合を欠場した者はタイトルを逃すとさえ囁かれている。しかし今年MEDSは、5年連続で負けていた山梨県歯科医師会チームに11-10と競り勝ち、大いに息上がって、ではなく、意気上がっているとのことである。くわえて今年はNHKの大河ドラマ「風林火山」が放映されており、山梨県民のファイティング・スピリットは異様に高まっている。ド・ク戦初勝利への執念も尋常でない。監督の吉川(きっかわ)英雄は昨年ド・クに3連敗してからド・クに勝つまで禁煙を誓ったという。

午前9時試合開始。阿部精太郎監督は結婚式のため欠場である。代わって指揮を取るのは久しぶりの佐藤(徳)総監督である。かつて鬼瓦のようだった表情も最近は柔和になり、天を衝く怒髪も見なくなった。

ド・クの先発はMEDSの要望により松井。MEDSの先発は吉川である。先攻はド・ク。初勝利を上げて至福の一服を吸いたい吉川はいかにも投げ急いでいた。菊地(徹)、綿谷にど真ん中を投げ痛打を浴びると一転及び腰になって2四球。さらに宮川、浅沼(孝)にも連打が出て、ド・クは風の如く4点を先取した。2回にも4四死球を足がかりに3点を奪い、7-0と早くも試合は決まった。ド・クは1、2回とも打者一巡したのに対し、MEDSは1、2回とも3者凡退に終わった。ド・クは3回にも2点を追加して9-0と大量リード。MEDSベンチは林の如く静まり返る。吉川はマウンド上で燃えていた。燃えていたといっても奮投していたのではなく、火だるまとなって炎上していたのである。

MEDSはようやく3回裏に奮起。手塚が四球で出ると続く吉田は3塁内野安打。ここでド・クのサード宮川菊雄に連続暴投が出て4点を返した。得点は9-4。試合は少し面白くなったかに見えたが、続く4回、ド・クが2死無走者から3点を取ってダメを押すとMEDSの反撃意欲は急激に萎んだ。

松井は4回を投げ、内野の失策がらみで5点を失ったが、自責点は1であった。5回からはエース安藤が登板。5三振を奪う危なげない投球で試合を締めくくった。一方5回から吉川をリリーフしたMEDSの河住久は球質が重く、ド・クが打ち疲れていたこともあったが、3イニングを2点に抑えた。ド・クの宮川は甲府一高出身の縁での特別参加である。ホットコーナーを守ったが練習不足を露呈、4暴投を犯して故郷に塩を送る結果となった。吉川監督の禁煙は自動的に1年間延長される。健康には良いことである。

試合経過
      1 2 3 4 5 6 7    計
ド・ク   4 3 2 3 0 0 2   14
MEDS  0 0 4 1 0 0 1    6

表彰式は信玄公の隠し湯、湯村温泉で行われた。優秀選手にはド・クから松井、安藤、綿谷、菊地(徹)が選出された。敢闘賞はMEDSの吉田捕手に与えられた。吉田は今日3打数3安打の活躍であった。

7年前、山梨県中巨摩郡医師会の有志で発足した「中巨摩MEDS」はこのほど政治力で県医師会野球部に昇格し、その名も「山梨MEDS」と一回り雄々しくなった。しかし選手の陣容が変わったわけではない。野球経験者は河住主将ただ一人である。根っからの野球好きの集団であることは間違いないが、「山梨MEDSは強いのか?」と問われれば、「う~む」と腕を組まざるをえない。吉川と河住以外の選手は勝ち負けに拘泥していない。打つことと試合後の酒呑みは大好きだが、走るのと守るのは大嫌いなようなのである。

一昨年、ド・クが大勝した際、「中巨摩守備陣の動かざること山の如し」と書いたことがMEDSの不興をかった。仙台市医師会報は甲府で回し読みされているらしい。そのときは10失策だったが、今回は5失策となった。武田節は詠う、「人は石垣、人は城」。今回は失策が半分になったことを評価し、「動かざること石垣の如し」と書こう。山よりは石垣の方がいくらか身軽な印象を与えるだろう(そうでもないか?)。

さて、腐ってもNHKである。甲府市内には至る所に「風林火山」の旗が翻っている。「古戦場」という看板さえ立てれば辺鄙な河川敷に観光客が山と押寄せる。河住主将は大河ドラマを録画して繰返し視聴、この山峡に生まれた幸福と信玄公の無念とを日々噛締めているという。余談になるが、この夏の甲子園、8月15日の第4試合は甲府商業と新潟明訓高校との対戦となった。「川中島」の再現とばかり、両校のアルプス席は信玄と謙信にちなんだ幟や旗を掲げて盛り上がった。山梨勢と新潟勢との甲子園対決は春夏通じて史上2度目であるという。甲府商の応援団は軍配の形をした「風林火山」のうちわを2千枚用意し、幟をアルプス最上段に立てた。一方新潟名訓の応援席には「毘沙門天」の旗がはためいていた。試合は延長12回の末、2-1で新潟明訓に軍配が上がったのであった。甲府勢は昔からあと一歩のところで王座に辿り着けないことになっている。

甲軍の4連敗に臍を曲げたのだろうか。甲府盆地は南の空にだけ雲がかかり、霊峰富士はその姿を一度も現わさなかった。

            (文責 宮地辰雄)

山梨MEDS戦 2007.11.11

2007-11-13 | Weblog
新宿駅にようやく入って来たスーパーあずさ27号。
西国分寺駅での人身事故で1時間半の遅れ。

スーパーあずさはカーブの多い中央本線用に開発された特急電車である。カーブでもスピードを落とさずに走れる制御付き自然振り子式構造を採用している。車体は軽量かつ低重心に設計されている。1994年12月に運転開始。最高速度130km。