仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

第13回ブロック対抗野球大会 2008.6.15

2008-06-15 | Weblog


これ以上ない好天の下、ウェルサンピアで5試合が行われました。


   

若林   3-2  太白
泉   22-7  青葉
宮城野 13-10 若林

決勝
泉   24-3  宮城野



4位決定戦
青葉   7-2  太白

順位は、泉、宮城野、若林、青葉、太白の順。

泉の2連覇。
万年最下位の若林の躍進が目立ちました。


センターで大活躍の太白I先生



   優勝の泉F監督のスピーチ

2008年 第9回三市医師会親善野球大会

2008-06-04 | 2008年 三市医師会親善野球大会

ドクタークラブ便り  第9回三市医師会親善野球大会 

 とき  平成20年5月31日(土)~6月1日(日) 
 前夜祭会場  ベストウェスタンホテルニューシティ弘前
 試合会場  つがる克雪ドーム(五所川原市)
 天候  雨    気温  14.0℃                  

・・・「竜飛だ。」とN君が、変つた調子で言つた。「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛のなのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。このを過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。・・・(「津軽」太宰治)

この文章がいったい何人の旅人を本州北端の地に誘なったことだろう。3年ぶりの弘前へ、過ぎ行く春と始まろうとする夏のあわいをバスはひた走る。4時間の旅程は「津軽」を読了するのに十分である。明日の降水確率は90%だが、試合はドーム球場で行なわれる。いっそ雨の方が有難みが増す。

つゆのあとさきの青森は新緑から深緑へのグラデーションが美しい。大会の産みの親、前田慶子先生が逝ったのは2年前のこの季節であった。今年の忌日もまた過ぎた。駒光なんぞ駛するが如きや。

バスは快調に東北道を走りぬけ、弘前市街に入った。その途端に雨が上がり、夕陽が顔を出した。仙台ナインは「弘前の太陽」がウィンクしたのだと思った。

三市医師会が持ち回りで開催するこの大会は今回が9回目、丁度三周したことになる。第1回は仙台で開催された。当時の総監督は仙台が益田勝児、弘前が梅村芳宏、八戸が土井三乙であった。過去の優勝回数は八戸4回、仙台3回、弘前1回である。最近は八戸が黄金期を迎え、2年連続で優勝を遂げている。

前夜祭は定刻に始まった。弘前市医師会新任理事・山内正三の短めの開会宣言、弘前市医師会長・田村瑞穂の歓迎の挨拶に続いて、八戸市医師会長・村上壽治、仙台市医師会副会長・松井邦昭が祝辞を述べた。

村上会長は3チームを「体力の八戸」、「知力の仙台」、「気力の弘前」と評した。弘前市医師会副会長・今村憲市の乾杯の音頭で宴会に移る。各氏の挨拶はそれぞれに格調高く(時に低く)、ウィットと真情に富むものだったが、すべてを紹介していると紙数が尽きる。弘前のケーシー高峰こと鳴海康安のスピーチを紹介するに留めたい。

・・・一昨年「弘前の太陽」が沈んだと思ったら、今年は「弘前の星の王子様」金上幸夫・元県医師会長が亡くなった。いい人から順番に亡くなるなら、次はK先生か自分ではないか。ここまでの挨拶を聞いていると、明日の優勝は「八戸か?仙台か?」ばかりで、「ひ」の字も出てこない。「気力」しかない弘前は黙って弁当運びをやっていろというのか。3年前、弘前が涙の優勝を遂げたのをみんな忘れたようで悔しい。自分は齢76歳である。これまで夫婦仲良く医師国保に加入していたのに、この4月から自分だけ末期(ママ)高齢者医療保険に拉致されて、家内と別れ別れになってしまって悲しい。悔しいやら、悲しいやらで胸が痛み、最近心カテを受けて来た。・・・

この漫談、いやスピーチで万座は抱腹絶倒となった。氏には、この先もぜひ芸道を極めてもらいたい。アトラクションの津軽三味線も長かったが良かった(良かったが長かった)。

その夜、2次会で能天気に盛り上がる選手を他所に、監督阿部精太郎は殆ど眠れなかったという。全員を試合に出場させて、浅沼(達)に投げさせて、しかも確実に優勝を狙う選手起用法を模索していたのである。

翌朝ホテルから試合会場に向かう際、八戸のバスが先に出発した。仙台のバスは後を追うが、途中信号に引っ掛かって離されるばかりである。阿部はこれに不吉なものを感じていた。

■第1試合 弘前対仙台

仙台は弘前の先発佐藤淳の制球難につけ込み、初回から打者一巡の猛攻を見せ、5点を奪った。さらに2回にも2点を追加、7―0と主導権を握った。

仙台の先発は浅沼(達)。ドームは無風である。いつものように「ナックルボールを風に」とは行かない。超スローボールでカウントを稼ぎ、超々スローカーブを打たせるプッチーニ投法で、2回を見事無得点に抑えた。限度を超えて遅いボールは打ってもなかなか飛ばないものである。

3回からは満を持して左腕後藤が登板。完封リレーのはずだったが、4回1死1、3塁からカウントを取りに行ったボールを松本に2塁打されて2点を奪われた。しかしその裏仙台も2点を追加して、9―2となった。これで一件落着と思われた最終回、先頭の小原理がクリーンヒットで出塁。その後仙台に失策、野選が続いたところで投手・佐藤淳が意地の3塁打を放ち、3点差にまで追い縋った。

              計
弘前 0 0 0 2 4  6
仙台 5 2 0 2 ×  9

■第2試合 八戸対弘前

弘前は佐藤淳の連投である(他に投手はいないのか?)。圧倒的な弘前への声援にもかかわらず、八戸は着々と加点。4回には原田に柵越えの本塁打が飛び出した。5回表を終わって8―2と八戸リード。弘前は最後にようやくじょっぱり魂を見せ3点を返した。思い起こせば3年前、弘前はこのような状況から逆転して初優勝を決めた。その時はベンチ中央に陣取った弘前の太陽が強烈な妖気を発散させていたのだった。

              計
八戸 2 3 0 1 2  8
弘前 1 0 0 1 3  5

■第3試合 八戸対仙台

優勝決定戦である。阿部監督は、仙台が勝つには1―0しかないだろうと考えていた。しかし大会規定に、「5回を終わって同点の場合は最終イニングの守備についたナインの年齢の総和の多いチームの勝ちとする」とある。選手の平均年齢は八戸44歳に対して仙台54歳と仙台が圧倒している(ちなみに弘前は51歳)。従って引き分けでも仙台の優勝となる。

はたしてこの試合は1点をめぐる死闘となった。1回裏仙台の攻撃、2死から四球で出た佐藤(韶)が2盗して先制の好機を作る。メタボに浸潤されているとはいえ、トライアスロンで培った走りは還暦を過ぎてなお美しい。

ここで八戸は第2試合では封印していたピックオフ・プレーを見せる。投手原田はボールをグラブに持ち、何気なくホームを見ている。セカンドもショートも定位置にいる。それが怪しかった。生来人を疑わない佐藤は、無警戒に3mほどベースを離れた。その時である。突如振り向いた原田が2塁ベース上めがけて送球。同時に2塁に駆け込んだショートがこれをナイスキャッチし、慌てて帰塁した佐藤にタッチしてアウト。これで仙台は絶好の先制機を逸した。思えば原田が右手で帽子に触ったのがサインだったのであろう。その3秒後に(1)原田が振り向きざま2塁ベース上に牽制球を投げる、(2)同時にショートが2塁に走る、(3)捕球できないことを予測してセンターがカバーに入る、というセットプレーなのであった。

仙台の先発安藤は変化球でカウントを取り、内側への速球で凡打の山を築いた。たまに大きな飛球が上がるが、鉄壁の外野陣が好捕して安藤を盛り立てる。

2回裏、仙台はまたもチャンスを迎えた。先頭の安藤がライトオーバーの3塁打。次打者の2球目を捕手奥寺が後逸。これを見て安藤は本塁に突入。仙台先取点!と思われたが、バックネットに当たったボールは運良く(運悪く)追いかける奥寺の目の前に跳ね返って来た。これをベースカバーに入った原田に送り、安藤は本塁上で憤死。

チャンスの後にピンチあり。3回表、八戸は安打と失策で無死2、3塁とした。ここでどうしたことか、2塁走者高橋が3盗を敢行、華麗にスライディング。3塁に走者がいるのに、である。結果、3塁ベース上に2人の走者が林立する異様な事態となった。ベースの占有権は先の走者にある。事の重大さに気づいた高橋は慌てて2塁に戻るが、ボールは捕手から2塁に送られ高橋はタッチアウト。しかしここでバッテリーが挟殺プレーのため出払い、一瞬ホームが空いてしまった。これを見た3塁走者がホームに突進。意外な形で八戸に先取点が入った。

3回裏、仙台にビッグウェーブが来る。松井が四球、浅沼(孝)がライト前ヒットで無死1、2塁。続く後藤はショート後方へのテキサスリーガーズヒット。無死満塁と思われたが、気の逸った3塁コーチ浅沼(達)は大きく腕を回し、2塁走者松井に本塁突入を命じた。しかしこの時ボールは既に向き直ったショートの手にあり、松井はホーム5m手前で楽々アウトになった。阿部と松井のまあ嘆くまいことか。

4回表、八戸は原田のレフト前タイムリーで2点目を追加。しかし諦めない仙台は最終回、先頭の安藤が左中間2塁打。八戸は再度ピックオフ・プレーを試みるも、あまりの球速にショートが間に合わず。さらにカバーに入ったセンターも捕球できず、ボールは外野フェンスに達する。安藤は3塁を回ってホームに生還、と見えたが、ボールはセンター→ショート→キャッチャーと一直線に転送され、安藤は再び本塁上で憤死した。已矣乎、勝利の女神は仙台に微笑まなかった。

              計 
八戸 0 0 1 1 0  2
仙台 0 0 0 0 0  0

表彰式はホテルサンルート五所川原で行われた。
最優秀選手賞は原田(八戸)、優秀選手賞は安藤(仙台)、坂井(八戸)、佐藤淳(弘前)に贈呈された。注目の前田慶子賞は土井(八戸)と猪股(仙台)に贈られた。猪股は出番は決して多くないにもかかわらず、20年間の長きに渡って宴会部長、2次会の帝王として君臨、いや貢献してきた。勝負のかかった重要な場面で指名されると、「俺はいいから」と固辞する謙虚さを隠し持つ。同級生浅沼(孝)との友情はハート・ウォーミングである。前田女史の生前を偲ぶとき、この賞は猪股のような「一隅を照らす人」への餞であってほしい。特別賞の村上(八戸)は、「仙台には勝負に負けて試合に勝った」と述べた。

優勝回数は八戸5回、仙台3回、弘前1回と、八戸が抜け出した。気がつけば、仙台は4大会連続で優勝から見放されている。しかし高速投手・原田も38歳になった。130kmといわれた球速も年に2kmずつ落ちている。原田と仙台の対戦は3回目になるが、安打数は3→4→4、三振数は10→9→4個となった。若返りを進める仙台はその投球に慣れつつある。坂を下る者と登る者。来年は坂の途中で両者が出会い、仙台は5年ぶりの美酒に酔うであろう。

暦は6月に変わった。バスは昨日北上した道を南に走っている。すっかり陽は落ちた。景色が見えなくなると、この2日間に出会った人達の顔が次々と浮かんでくる。前田先生の産んだ大会はまた確かな一頁を刻んだ。女史の愛は今も胸に温かい。

・・・「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ。」「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」「それは、何の事なの?」「あいつらの死んだとしさ。」・・・

「津軽」本編はこのような書き出しで始まる。これを書き上げた4年後(1948年)の6月13日、太宰は玉川上水に入水。遺体が発見された6月19日は、奇しくも彼の39歳の誕生日であった。それから60年になる。三鷹禅林寺の桜桃忌は、今年も多くのファンで賑わうことだろう。

                 あやし小児科医院  宮地辰雄

                  

2004年以降のドクタークラブの試合・懇親会の記録が下記サイトでご覧になれます。                   
   「仙台ドクタークラブ」 http://blog.goo.ne.jp/doctorclub/




三市医師会親善野球大会 2008.6.1

2008-06-04 | Weblog
弘前のケーシー高峰、ことN先生
ますます芸道に磨きがかかった。

・・・一昨年「弘前の太陽」が沈んだと思ったら、今年は「弘前の星の王子様」金上幸夫・元県医師会長が亡くなった。いい人から順番に亡くなるなら次は自分ではないか。ここまでの挨拶を聞いていると、明日の優勝は「八戸か? 仙台か?」ばかりで、弘前の「ひ」の字も出てこない。「気力」しかない弘前はただの弁当運びか。3年前、弘前が涙の優勝を遂げたのをみんな忘れたようで悔しい。自分は齢76歳である。これまで医師国保に夫婦仲良く加入していたのに、この4月から自分だけ末期(ママ)高齢者医療保険に拉致されて、家内と別れ別れになってしまって悲しい。悔しいやら、悲しいやらで胸が痛み、最近心カテを受けて来た。・・・

場内大爆笑。