仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

納会  2006.11.21

2006-11-22 | 2006年 納会
  ドクタークラブ便り  納会

とき  平成18年11月21日(火)
ところ  国分町「奥の細道」

平成18年度の納会は、20名の出席をもって開催された。シーズンの好成績のせいか選手達の表情は明るい。初めに山田明之新会長から、今年度の好成績と諸団体との親善の成果にお褒めの言葉を頂戴した。続いて佐竹央行名誉会員の乾杯の音頭で宴会となった。
宴たけなわとなった頃、遅れて到着した板垣から今年度の会計報告が行われ、問題なく了承された。会計報告は座のメートルが十分上がってから始めるとスムーズに行くものである。同人の高い倫理観と優れた戦略は会計係として適任であり、生涯一会計を望む声しきりであった。

■今年の戦績

<対戦チーム>   <スコア>   <ド・クの勝敗>

国保連       17-7         ●
全国土木      1―4         ○
弘前市医師会    8―9         ○
八戸市医師会    7―1         ●
中巨摩メッツ    10―22        ○
山形市医師会    7―20         ○
ペガサス      2―10         ○
歯科医師会     1-9          ○
薬剤師会      2-7          ○
米沢市医師会    3-19         ○
健康センター    3―6           ○ 
  
今シーズンは天候に恵まれた。予定された11試合が全て行われ、9勝2敗という堂々たる球績を残した。4月、5月は2勝2敗ともたついたが、5月以降打線に火が点き、6月以降は怒涛の7連勝を遂げた。うち4試合は2桁得点であり、全11試合の総得点は114。1試合平均10.4点と打ちまくった1年であった。一昨年3勝5敗、昨年5勝4敗から一気に飛躍したのはいいが、来年の目標は11試合全勝しかなくなった。

■個人成績
 
<安打数> 安藤19  綿谷12  板垣12  松井12  佐藤(韶)10
<打率> 安藤0.655  綿谷0.429  伊藤(幸)0.400  浅沼(孝)0.357  板垣0.353
<打点> 安藤17  松井16  板垣12  矢野8  菊地(達)7  
<勝利打点> 松井3  矢野2  綿谷1  板垣1  佐藤(韶)1  高橋1
<盗塁> 安藤11  松井11  佐藤(韶)9  綿谷8  板垣6  宮地6
<四球> 佐藤(韶)11  綿谷6  安藤5  松井5  板垣5 
<死球> 伊藤(幸)3  板垣3
<得点> 佐藤(韶)19  安藤17  綿谷17  板垣15  松井8

<投手成績> 安藤 9試合6勝0敗1セーブ 防御率4.36   松井 4試合2勝0敗 防御率9.00   伊藤(幸) 3試合1勝2敗 防御率19.29   板垣 3試合0勝0敗 防御率7.71   浅沼(達) 1試合0勝0敗 防御率0.00

■選手表彰

 優秀選手は安藤、松井、佐藤(韶)、綿谷、板垣の5名が選ばれた。新監督阿部に40年選手賞、益田、白根に30年選手賞、板垣、菊地(達)に10年選手賞が贈られた。新人賞は矢野。長年の貢献を讃え、菊地(哲)、佐藤(勤)に功労賞が贈られた。栄えある皆勤賞は、佐藤(徳)、阿部、松井、板垣、宮地の5名に、山田明之新会長には特別賞が贈呈された。

最優秀選手(MVP)は納会出席者による無記名投票で選ばれる。今季は有効投票18票中13票を集めた安藤が選出された。2年連続となる。安藤は10試合に出場し、打っては打率・打点1位、投げては9試合に登板し6勝をあげる活躍を見せたので順当である。

例年打率3割を打つ高橋は、今季はどうしたわけか14打数で1安打にとどまった。しかしその1本こそが弘前戦での三遊間サヨナラ安打だったのはさすがである。

今季は好成績に加え、負傷者が少なかったことを特筆したい。八戸戦における安藤の肉離れが唯一であった。もっとも危惧された板垣・綿谷の耳鼻科虚弱コンビが無傷で乗り切ったことが大きい。佐藤(韶)も足が縺れることなく美しい走りを見せた。

球界の至宝・伊藤(幸)は死球を3個もらったが大事には至らなかった。8打席で3個は死球率0.375となり驚異的である。危険球を避けられなかったのではなく、武闘派はあえて避けなかったのだと考えたい。伊藤は平成8年にノーヒットノーランを記録、平成9年には全試合に登板し、9勝1敗、防御率2.68の成績でMVPに輝いた過去を持つ。星移り出場機会こそ減ったが、今季は死球3個の他に、5打数2安打で打率0.400、盗塁2(失敗1)、得点4。また3試合7イニングを投げて1勝2敗の活躍は準MVPにも値しよう。

チームの好成績と負傷者の少なさは阿部が開幕戦に先立ってグランドに捧げた祈りが通じたのである。連戦連勝で阿部はスピーチもすっかり滑らかになり、大敗した相手に惻隠の情を見せる余裕も出た。1年目の重責を見事に果たした安堵と満足感であろうか。阿部はシーズンを総括した後、莞爾として微笑んだ。

仙台開催となった三医師会親善野球大会は、「弘前の太陽」前田慶子先生の訃報で始まった。逝去は5月13日。大会のわずか1週間前のことであった。抱腹絶倒の毒演会はもう聞くことが出来ない。背番号100の凛々しいユニフォーム姿も写真の中だけになった。昨年の弘前の初優勝がせめてもの餞になっただろうか。82年間輝いた太陽は岩木山に帰り、この大会の守護神となったのである。前田慶子賞は今後も継続され、弘前主催の年に帷子(かたびら)康雄先生から贈呈される運びになった。弘前にとって今大会は弔い合戦であったが敢無く2連敗を喫した。勝負はときに非情である。

2006年はスポーツ・イヤーであった。トリノ五輪で幕を開け、World Baseball Classic(WBC)、サッカー・ワールドカップと続いた。さらにウィンブルドン・テニス、夏の甲子園とスポーツファンはテレビに釘付けになった。

日本はWBCで見事世界一となったが、ワールドカップでは1勝も出来ず惨敗した。これを嘆く声もあるが、視点を変えてみよう。WBCのベスト8は日本、キューバ、韓国、ドミニカ、アメリカ、メキシコ、ベネズエラ、プエルトリコであった。一方ワールドカップのベスト8はイタリア、フランス、ドイツ、イングランド、アルゼンチン、ウクライナ、ポルトガル、ブラジルであった。一国も重複していないことに驚く。すなわち野球、サッカーには国によって向き不向きがあり、両方で世界一になることは不可能と見るべきである。日本人には野球。野球こそ日本が総力を傾注すべき競技である。サッカーで圧倒的な強さを見せた欧州勢が野球に興味を示さぬように、日本も「サッカーでも世界一」などと欲張ってはならない。

野球は間(ま)が長いスポーツである。3時間の試合なら実質ボールが動いているのは30分くらいで、2時間半は間である。その特性は休みながら働く農耕民族に適している。反対に90分間動き続けるボールを集団で追うサッカーは狩猟民族の生活そのものである。次回のワールドカップのアジア枠は1つ減り、そこにオーストラリアが乱入してくるという。少子化でますます減っていく人的資源を野球に集中し、サッカーはJ1とJ2を行ったり来たりするのを楽しむ、というのが共倒れにならないための智慧ではなかろうか。

さてプロ野球は日本ハムファイターズが北海道移転3年目で日本一になった。駒大苫小牧の活躍もあって日本の野球の聖地はもはや北海道になった感がある。わが楽天イーグルスは今年も最下位を独走した。47勝85敗4分、勝率0.356。首位と33ゲーム差では応援のしがいもない。特に日ハムに対して3勝17敗とアシストしたのが痛かった。

昨年より白星を9つ上積みしたとは言え、3位ソフトバンクは75勝。楽天とは28.5ゲーム差である。プレーオフを目指すにはさらに30勝が必要ということになる。来年は岩隈の復活と田中将大の加入でまず10勝、打率0.124、盗塁阻止率0.089の捕手の引退でさらに5勝の上積みとみる。

1チームの支配下選手は70人である。毎年10人ほどの新人が加入し、順調に育つとすれば7年後には全く新しいチームになる計算である。ロッテが1998年に18連敗してから日本一になるまでやはり7年かかった。楽天イーグルスの7年目は2011年である。あと5年、辛抱しようではないか。

「勝っても負けても野球は面白い。来年も楽しくやりましょう。」松井助監督の閉会の辞で納会が終わった。窓が夜露に濡れる刻(とき)、一人の男が配布された打撃成績を破り捨て、愛車BMW 1100RTを駆って北へ向かった。花咲く日に北海道を、星降る夜に四国を走破したオートバイである。男はいつも単独行だ。(恋女房は勝手に山に出かけた。最近は10日も顔を見ないことがある。)

名もない港でマシンを止める。南の空にシリウスが凍るように美しい。2箱目の煙草に火を点けた。ドクター・クラブの主力と期待されて早や数年。試合後の酒飲みは楽しいが、己が打率を思えば悲しみはつのる。今日は敢闘賞をもらったがお情けである。首位打者の夢はいつ叶うだろう。MVPは幻か。来年は戯れに自分に一票入れてみようか。

「試合を決めた凡ゴロもあった。危なっかしい美技もあった。どれもスコアには残らないが、俺たちは覚えている。」球友たちは口々に言う。「二次会の総監督」と煽てる事も忘れない。いい連中だ。何も言わずに来た。言葉を探せば涙になるから。暗い海で霧笛が鳴った。冬の浜辺に傷跡を埋ずめると、男はまた走り出した。

どこまで行けば心は安らぐのか、自分にも分からない。どこでもいい、次の町に泊まろう。友たちの優しさを酒に浮かべ、独り裏納会をするのだ。春にまたグランドで笑顔を見せるために。口ずさんだ怨歌は潮風にちぎれ、夜の底に消えて行った。

男の名は猪股紘行。ドクタークラブでは「漂泊の還暦ライダー」と呼ばれている。


シーズンを終えるにあたり、今年ドクタークラブと対戦して下さった各チームの選手達、ご支援を戴いた県・市医師会の諸先生方、事務局の皆様に心から御礼申し上げます。各地医師会、東北大学医学部教授会、仙台歯科医師会、仙台市薬剤師会、その他関係諸団体の皆様とは野球を通じて友情・信頼の絆が強まりました。今後の諸業務がさらに円滑に運営されて行くものと自負しております。

来年は三医師会親善野球大会で八戸遠征が予定されています。銀の龍の背に乗り、ドクタークラブはさらなる高みを目指します。来年もまた温かいご支援をお願いいたします。

今年のドクタークラブの試合・懇親会の写真が下記サイトでご覧になれます。                   
   「2004~2006年のドクタークラブ活動の記録」 http://blog.goo.ne.jp/doctorclub/
                    
      (文責 宮地辰雄)

納会 2006.11.21

2006-11-22 | Weblog
「時空を超えるファイター」I選手(78歳)に敢闘賞。

今年は8打席で3死球、5打数2安打、4得点、2盗塁(1失敗)。投げては1勝2敗、防御率19.29という立派な成績でした。

80歳台での盗塁と投球を是非見たいものです。