仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

対オール仙台古希・還暦連合チーム戦 2008.10.26

2008-10-27 | Weblog
ドクタークラブ便り 
オール仙台古希・還暦連合チーム戦 

とき  平成20年10月26日(日) 
ところ  ウェルサンピアみやぎ泉
天候  晴れ~曇り   気温 18℃

秋は日一日と深まり、街はバルビゾン派の絵と見紛うほどに色づいた。いよいよ今日は最終戦である。風はユニフォームを吹いて寒い。野球の季節も終わろうとしている。コバルトブルーの空が悲しく見えるのはそのせいだろうか。今季は既に7勝2敗と勝ち越した。バットマンレースもほぼ決着している。今日は電卓を手放し、無心に野球を楽しみたい。

この対戦は今回が2回目。ドクタークラブの菊地哲丸監事とオール仙台古希チームの毛利清敏監督が幼なじみという縁から話が進んだのである。結成25年目を迎えたオール仙台は毎年還暦軟式野球大会で活躍する伝統チームで、堅守で聞こえている。60歳で還暦チームに入団し、70歳になると古希チームに昇格する。高校野球経験者が多く、週2回の練習をこなすという。ユニフォームの着こなしが見事である。

昨年還暦チームは、東北・北海道の32チームが参加した北日本大会(松島)で2連覇を達成。全日本選手権大会(敦賀市)で2回戦に進むも、同点で抽選の結果惜敗した。今年度は春の県大会でAブロック準優勝を遂げた。8月に函館で行われた北日本大会と、9月に倉敷市で行われた全日本選手権大会に出場したが、いずれも初戦敗退に終わった。また10月18、19日には第14回県還暦軟式野球大会の決勝戦が行われ、2年ぶり9回目の優勝を飾った。一方古希チームは9月の東日本大会(大崎市)に出場した(予選敗退)。

昨年はド・クが古希相手に大勝したので、今回は古希、還暦から精鋭を選りすぐってチームを編成した。古希だの還暦だのと何回も書くと爺むさいので、以下清々しく「オール仙台」とする。本日の参加人数はド・ク13名に対し、オール仙台は27名と大部隊で、ベンチに入りきれない選手が外に溢れている。

定刻に試合開始。先攻はオール仙台。ド・クの先発は浅沼(達)。今季5試合目の先発だが、監督の全幅の信頼を勝ち得たわけではなく、「2イニング限定、しかも危なくなったらすぐ交代」の条件付きである。米沢戦では5点、山形戦では4点取られたが、投げた試合は4連勝している。打たれても打たれても負けない強運を有し、「達つぁん神の子、不思議な子」と囁かれている。一試合でも負ければ、「達つぁん親の子、普通の子」と言われるので、今日も気合は十分に入っている。オール仙台は初めて見る消える魔球に戸惑い、1回、2回と内野ゴロの山を築いた。監督の期待以上の仕事をした浅沼は、戌歳でもないのにマウンド上で「う~わんわん」と吠えた。

オール仙台の先発は畑山70歳。年齢へのハンディとしてB球を用い、しかも26.5cmのスパイクで6.5足分(26.5×6.5=172.25cm)本来の投球板より前から投げる。B球はA球より小さくて軽く、打っても飛ばないのである。しかし初回ド・ク打線はいきなり3連打を浴びせる。さらに巧妙な牽制をかいくぐって5盗塁を決め、早くも3点を奪った。今回も楽勝かと思われたが、2回以降、代わった左腕阿部の巧投に打線は沈黙した。

一方オール仙台も、3回から登板した松井の懸河のごときドロップにタイミングが合わない。バットは虚しく空を切るばかりである。松井は4回に1点を失ったものの8回までほぼ完璧な投球を見せた。本来なら7回でゲームセットのはずだが、オール仙台のたっての要望で(=人数が多く全員出場したいので)、9回まで延長されることとなった。何としても追加点の欲しいド・クは7回裏、1死3塁から菊地(達)の犠飛で佐藤(韶)が生還、4―1として愁眉を開いた。

最終回、7イニング目に入って疲れの見えた松井にオール仙台が襲いかかる。先頭打者の打球はライト線ギリギリに落ちる3塁打となった。次打者が左中間に2塁打を放つとオール仙台は騎虎の勢。さらに単打を2本連ね、あっという間に4-3とした。しかもなお無死2、3塁の大ピンチである。松井は余力を振り絞り、後続をセンターライナー(これは危なかった)と3塁ゴロに取り、2死2、3塁までこぎつけた。あと1人。だが一打出れば逆転である。

頃や良し、ここでついに阿部精太郎が動いた。阿部はブルペンを見やり、伊藤(幸)をリリーフに指名した。伊藤は10月11日に80回目の誕生日を迎えた。(本当は9月30日生まれだが、親の届けが遅れてこの日になったのだという。昔は役所も鷹揚だった。)傘寿となって最初の舞台がこの重大局面とは、つくづく千両役者に生まれついたものである。「骨は拾ってやる」、阿部はポンと背中を叩いて送り出した。伊藤は笑みを湛え、踊るようにマウンドに向かう。気持は高校球児だが、主審はA球を172.25cm前から投げることを指示。伊藤は呟く、「こっだい前から投げでいいのが!?」

対してオール仙台の毛利監督は大内四郎83歳を代打に送る。大内はチーム創設以来の古参兵である。合計163歳の対決に場内は最高の盛り上がりとなった。伊藤の長身長腕白髪痩躯の偉容は、打者に近づいた分凄みを増した。初球はストレート。空振り。大内のバットはかすりもしない。2球目のスライダーには手が出ずに見送って、判定ボール。観衆が固唾を飲んで見守る3球目。本年掉尾の全力投球はど真ん中への剛球であった。大内はこれをフルスイングした。が、哀れ、打球はセカンドへのボテボテのゴロとなった。これをトンネルしてはすべてがぶち壊しとなる。2塁手佐藤(韶)は大仰に腰を折り、犬の仔を抱くように大事に大事にキャッチ。しかも8mも離れた1塁に慎重にアンダーハンドトスし、ド・クが辛くも1点を守り切った。

オール仙台   0 0 0 1 0 0 0 0 2   3
ドクタークラブ  3 0 0 0 0 0 1 0 ×   4

伊藤は今季初セーブ。松井は伊藤の救援を仰いだものの2勝目を挙げた。浅沼の投げた試合は5連勝となった。ただし彼の記録は、0勝0敗0セーブ、防御率8.10としか残らない。失策はド・クが1、オール仙台が2と締まった試合となった。ド・クはこれで今季8勝2敗とした。最後の場面で80歳伊藤をリリーフに送った阿部も粋なら、応えて83歳大内を代打に起用した毛利もまた粋であった。

試合後、40名が一堂に会し昼食会が開かれた。ここで互いの球歴と病歴を披露し合った。「73歳です。長年腰痛を患い、整形にかかっているが良くならない。何か良い方法はないですか?」と尋ねたオール仙台の選手は、「70も過ぎだらあっつこっつ痛(いだ)くて当りまえだ。泣ぎごど言うんだら野球なのやめでしまえ」と伊藤に一喝された。古参兵大内はかつて仙台逓信病院の職員であり、鉄道病院に奉職していた伊藤と病院対抗試合で対戦したことがあると話して一同を驚かせた。40年も昔の対戦が本日再現されたのである。会は和やかな雰囲気のうちに再戦を約して終了した。たまには異業種チームとの対戦も良いものである。

「どうも」
勝利投手が頭を下げると
クローザーは汗を拭きながら答えた
「なーに」
短いやり取りに万感の想いが交錯する
いくつもの季節、いくつもの勝負が通り過ぎた
彼は失意の時にも泰然として揺るがない
いつも前だけを見ている
人は問う
いったい野球道をどこまで行くのか
本人にも多分答えはわからない
わかっているのは
マウンドで倒れるだろう
そのことだけ
シーズン最後の試合を終え
彼は帽子を取ってグランドに一礼した
伊藤幸孝(よしたか) 80歳と11日目の秋
風が金色に輝いた

                 あやし小児科医院 宮地辰雄