仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

ドクタークラブ便り   2007年 開幕戦

2007-05-21 | 2007年 開幕戦

 とき  平成19年5月20日(日) 
 ところ  ウエルサンピアみやぎ泉
 天候  快晴  気温20℃

春の風が花の匂いを運んで来る。風上に目をやれば白い藤が満開であった。季節になれば花は同じように咲くが、年々歳々人は同じではない。昨日と今日は変わらなくても、去年と今年は違う。去年出来たことが今年はできないかもしれない。去年フィットしたユニフォームが今年は着られないかもしれない。開幕戦はそれらを恐る恐る確かめる場でもある。

例年開幕試合は4月の中旬に組まれて来たが、その時期の仙台はまだ寒い。雪がちらついたこともあった。事実、今年4月17日にフルスタで行われた楽天―ソフトバンクの試合の気温は6℃であった。あまりの寒さに、ソフトバンク先発の新垣渚は4暴投7四球と乱れ、去年3戦3勝とカモにした楽天に敗れたのである。沖縄出身の新垣は寒さで指がかじかみ、野球をする環境ではなかったと述べた。(1試合4暴投は06年10月12日にヤクルト高井雄平が横浜戦で記録して以来、史上4人目という。)そのためド・クの試合も今年から5月開幕となり、気候的には申し分なくなったものの、6月以降の日程が極めてタイトになった。

勝利追求型野球と全員参加型野球・・・非情采配と温情采配といってもよい。この二律背反の命題の間でド・クの歴代監督は揺れ続けてきた。理論派にして人情家の阿部精太郎は、監督就任1年目の昨季を9勝2敗の好成績で終え、その実力を如何なく球界に知らしめた。「阿部はいつでも勝てる」が定説となった今年、更なる自由度を持って辣腕を振えるはずである。

今年から野口光徳(幸町で開業)が新戦力として加わった。ポジションは捕手。送球にやや難があるが、キャッチングは完璧である。一方、静かにグランドを去った者もある。野球に対して奥方の理解を得られなかったのである。妻は愛する夫と全ての休日を一緒に過ごしたいのだという。何年も活動を続けて来られたド・クの古参達は、奥方の海のように深い理解に恵まれたのであろう。家庭内別居状態にあったのでは、と案ずるのは杞憂に違いない。

■第1試合 対国保連合会

ここ3年、国保連には3連敗している。国保連は職員採用に野球特待枠を設け(←嘘です)、毎年若い血を導入し続けているので、チーム力の差はなかなか縮まらない。しかしド・クのチーム力は近年驚異的に充実してきている。昨季の2敗のうちの1敗がこの国保連相手のものだったので、今日2連勝すれば年間全勝への夢がいやでも膨らむのである。

さて今年の栄えある開幕投手は誰だろう。安藤か、松井か、伊藤(幸)か。阿部は前夜から激しく悩んでいた(と思われる)。しかし悩む必要はなかった。試合開始時、ベンチにいたのは伊藤(幸)だけだったのだ。安藤は別のモーニング野球に出場のため遅れると連絡が入った。松井に至っては朝方まで飲み続けたため、起きられない(起き上がれない)という。

結局、第一試合は伊藤のスクランブル登板となった。長身痩躯の長い指から繰り出される七色の変化球は、78歳と7ヶ月になる今年も健在であった。バックも好守で伊藤を盛り立て、1,2回の国保連の攻撃を無得点に抑えた。センター綿谷は、抜ければ3塁打と思われた大飛球を2つ好捕して伊藤を助けた。

1回裏、ド・クは電光石火の攻撃を見せる。1安打、1四球ながら、相手の4失策に付け込み、早々と3点を先取したのである。「打点0」にド・クの老獪さが滲む。この先取点で伊藤の投球は冴え渡り、3回も2死無走者。あと一人打取れば勝利投手の権利が生まれる。ところが伊藤も人の子であった。次の打者に力んで四球を与える。ワイルドピッチで2進させた後、3番、4番には投げ急いで連打を許し3対2となった。なおも2死1,3塁。伊藤になんとか開幕勝利を、という温情もここまで、阿部は泣いて交代を告げたのであった。

リリーフは遅れて到着し、ブルペンで肩を作っていたエース安藤。安藤は三振でこの回を締めくくると、4,5回も危なげなく無得点に押さえた。勝利投手はリリーフした安藤に付き、伊藤は78歳7ヶ月での開幕勝利をあと1アウトのところで逃した。

       1 2 3 4 5   計
国保連  0 0 2 0 0   2
ド・ク    3 0 0 0 ×   3

■第2試合 対全国土木国保

全国土木とは一昨年から対戦が始まり、ド・クが2連勝している。ド・クの先発は安藤。モーニング野球と第一試合でのリリーフの疲れが出たか、初回ヒットと四球で1死1,2塁とされた。ここで右中間へのライナーをセンターが追いつきながら落球し(記録はヒット)、先取点を許した。

しかしその裏、ド・クはダブルヘッダーの疲れも見せず、土木の先発巣山に襲いかかる。この回、実に打者15人を送り11点をあげたのである。6四死球、4失策、安打わずか1本が胸に沁みる。この11点で試合の大勢は決したが、ド・クは3,4回にもそれぞれ3,4安打を集中、(今度はちゃんと打って)5点を追加した。4回表にはド・ク内野陣が、無死1,2塁から6→4→3の併殺を完成させ、土木の反撃意欲を摘んだ。

11時を過ぎてようやく立ち上がれるようになった酒仙松井は、キャッチボールをしてボールが2つに見えると言い、周囲を不安にさせた。昨夜のというか、今朝方のというか、酒がまだ抜けていないのである。とてもマウンドに上げる状況でないと見た阿部は、最も人目から遠いレフトの守備につかせた。しかし打球は行ってほしくないところに飛ぶものである。

3回表、先頭打者のレフトへの飛球は両手を上げて構えた(ように見えた)松井の10m後方にポトリと落ちた。松井は完全にボールを見失ったのである(記録は2塁打)。さらに次打者のレフト前のゴロを後逸し、これも2塁打とした(ワンヒット・ワンエラーかと見えたが、記録は2塁打。今日のスコアラー吉田は大甘であった)。

松井は打つ方でも2凡ゴロ、2三振と精彩を欠き、このまま帰っては今夜も深酒になるところだった。しかし5回表、ついに見せ場は来た。土木の攻撃は無死1、3塁。迎えるは4番。レフトへ30度の仰角で上がった打球は、おりからの風に乗ってあわや柵越えかと思われた。しかし背走した松井はフェンス手前でジャンプ一番、半身になってこれをファインキャッチしたのである。ボールはグラブの先から半分はみ出していた。3回の守りで大汗をかいたためにアルコールの血中濃度が下がり、このときはボールが1つに見えていたという。

松井はベンチに戻りながら、昨年の開幕試合では5打数4安打、4打点、5盗塁と鬼神の活躍を見せたことを思い出していた。・・・もう酒はやめよう・・・と悔い改めたかどうかは定かでない。

第2試合は午後1時に終了した。おりしも今日はフルスタで楽天―ロッテ戦が、ユアスタで仙台―徳島戦が、市内中心部では青葉祭りが開催されていた。2連勝と上々のスタートを切ったナインたちは、足取りも軽く思い思いの方面へ散って行ったのであった。
      
        1 2 3 4 5   計
全国土木  2 0 2 0 1   5
ド・ク     11 0 2 3 ×  16

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開幕戦前夜、夢を見た。 

エース安藤が十字砲火を浴びている。グランドでは負け戦が展開されていた。敵は3連敗している仇敵国保連のようである。そこへ砂塵を分けて登場したのは渡辺謙扮する栗林忠道中将であった。おお、ここは硫黄島であったか。

中将は徐(おもむろ)に懐中より取り出したる「敢闘ノ誓」を読み上げ始めた。
我等ハ全力ヲ奮ッテ本塁ヲ守リ抜カン
我等ハ一球ヲ堅ク擁(イダ)キテ敵ノ走者ニ体当タリシ之ヲ粉砕セン
我等ハ挺身本塁ニ辷(スベリ)込ミ敵捕手ヲ鏖殺(オウサツ)セン
我等は一撃必中ノ打撃ニ依ッテ敵投手ヲ撃チ斃サン
我等ハ各自敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
我等ハ最後ノ打者トナルトモ「ゲリラ」戦法ニテ敵ヲ悩マサン

グランドは絶海に浮かぶ扇形の孤島である。如何な激戦とあっても転進は許されない。ド・クは全員誓を新たにすると、若さと体力で圧倒してくる敵に一丸となって総攻撃を開始して行った。

・・・斯様な夢となったのは、開幕前夜の年甲斐もない興奮のせいかもしれなかった。
野球の道は千里の道である。「敢闘ノ誓」を胸に、今年も一戦一戦、不退転の決意で進もうではないか。             
                     文責 宮地辰雄