仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

ドクタークラブ便り  対ペガサス(東北大学医学部教授団)戦 

2006-08-29 | 2006年 対ペガサス戦
 とき  平成18年8月27日(日) 
ところ  ウェルサンピアみやぎ泉
 天候  晴れ   気温 28℃
       
白亜の塔のアカデミズムと市井のヒューマニズムとが年に一日だけ邂逅する七夕のようなこのイベント。ここ数年は星空に牽牛織女を探しながら、ナイターで行われてきた。しかし寄せる年波のせいかボールが見にくいという参加者が増え、今年は白昼堂々行われることになった。カクテル光線では気付かなかったが、太陽の下に整列してみるとペガサスの選手達は総じて色が白い。忙しく研究にいそしむ日々では日焼けする暇もないのであろう。対して炎天で連戦を重ねるド・クの選手達は真っ黒である。ホワイトカラー、ブルーカラーという言葉が浮かぶ。

ド・ク対ペガサスの対戦の歴史を繙くと、昭和25年に第1回戦が行われたあと長期中断、昭和63年に吉永馨名誉教授の肝煎りで復活。以後は毎年開催されている。今年が20回目となり、通算成績はド・クの10勝5敗である(引き分け2回、雨天中止2回)。第1回は錦町公園(!)で開催され、ペガサスが10対1で大勝したという記録がある。

毎年この試合になると顔面蒼白血圧低下生前硬直の状態になる板垣が今日は生き生きとしている。それもそのはず。天敵であったペガサスのエース野田哲生が癌研究所室長として転出し、今年から出場しないのである。野田の前では蒲柳の質となり、数年の対戦で放った安打は3塁前にころがったボテボテの内野安打ただ1本という有様であった。そして残り試合も調子を崩したままシーズンを終えるというのがお定まりのパターンであった。それは遡ること20余年、艮陵野球部時代のしごきに起因するという。恐ろしきは艮陵野球部である。

今年のペガサスのメンバー表を見ると、野田の他、佐々木(毅)の名前も消え、昭和63年から出場していた選手がついにいなくなった。メンバーの異動が激しいため9人揃えるのも大変だという。投手不在に窮したペガサスは、「臨床教授」制度を悪用、いや活用し、仙台医療センターから目黒、県南中核病院から内藤という大物投手の補強を行った。顔ぶれは華やかになったが、こなす試合は所詮年1回、練習なしのぶっつけ本番である。悪くすると色の白い烏合の集団となる。

試合開始は午後1時。ド・クは“蒲柳のオール・ラウンド・プレーヤー”板垣が先発。天敵がいなくなったことで抜擢された面もあるが、実は1週間後に三師会親善野球大会を控えており、エース安藤を温存したいという内部事情もあった。板垣で行けるところまで行って、どうしようもなくなったらエース投入という駒大苫小牧方式である。全イニングをエースに託す早実の潔さに比べて、この方式は極めて見苦しいと一部で評された。しかし板垣は2回に腰痛・肩痛持ちの吉田にライト前にヒットを許し、これを自らのワイルドピッチで生還させた以外は3イニングを完璧に抑えた。

一方ド・クは初回からペガサス先発目黒を攻める。1安打1四球ながら、ペガサス内野陣の送球エラーが4つ絡み、打者一巡で5点を奪った。“漂泊の還暦ライダー”猪股紘行が1死2,3塁の場面で放った凡ゴロ、これをサードが暴投したのがターニングポイントとなった。黄金の三遊間と称された丸山―下瀬川コンビにも静かに落日が迫っている。さらに2回裏、ド・クは4安打2四球を集中、打者10人を送り5点を追加した。

3回裏を終わって10対1。思いがけない大差に阿部監督は、突然「板垣も温存しよう」と考え、4回からは“時空を超えるファイター”伊藤(幸)・78歳をマウンドに送った。いきなりのマウンドである。阿部は4,5点は我慢しようと思った。試合も面白くなる。しかし嬉しい誤算であった。伊藤は2イニングを1点に抑えてしまったのである。その1点は四球で出した吉田をパスボールで生還させたものであった。

そして6回は松井がわずか4球で、7回はエース安藤が9球で抑え、勝利の方程式IMAの調整も万全となった。1週間先を見据えた阿部の名采配であった。抜ければランニングホームラン、という大飛球をレフト松井が4度にわたって好捕し、ペガサスの反撃意欲を摘んだのも大きかった。結局試合はド・クが10対2で圧勝した。

ペガサス  0 1 0 1 0 0 0   2
ド・ク    5 5 0 0 0 0 ×   10

ペガサスの先発目黒は去年の病院対抗戦で死球を連発したため、今日はまず当てないことを第一にしたという。健全な考え方であったが、それが仇となり9安打を浴びた。4回から登板した内藤は体躯も顔もいかつく、肌も浅黒い。ペガサスでは唯一ブルーカラー的存在である。趣味はワンデルングと蝶の収集だという。変則サイドスローからの剛球はド・クを悩ませ、3イニングを散発2安打、無得点に抑えこまれた。今日は登山に出かけていた北海道から11時半の飛行機で帰仙、球場に直行しての快投だという。原始的な体力は来年以降脅威である。

懇親会は仙台ホテルで行われた。山田明之仙台市医師会長が開会を宣言、菊地(哲)が乾杯の音頭をとった。阿部監督が試合の講評を担当し、「点差ほど実力差はないと思います。勝敗は紙一重でした」と述べた。本心かどうかは不明だが、大勝した日は舌も滑らかである。

一方ペガサスの下瀬川は、「3回以降だけを見れば、1対0でペガサスが勝っていた」と分析した。「3回以降だけ」とは片腹痛いが、1年前にも同じ事を野田から聞いた。去年も2回を終わったところでド・クが10対0とリードしていたが尻すぼみとなり、3回以降だけを見れば【ペガサス3―2ド・ク】というスコアであった。一条の希望を見出そうという分析手法ではあるが、要するにペガサスは練習不足のためエンジンのかかりが遅いのである。その実力を認めるに吝かではないが、2度あることは3度ある。来年もド・クが1,2回に10点を挙げてそのまま逃げ切る、という展開の蓋然性は高い。また「3回以降だけをみれば・・・」を聞くのだろうか。

会には仙台市医師会の青沼清一理事も出席して参加者、事務局に慰労の言葉を述べた。定刻を過ぎてもあちこちで談笑が続き、まだまだ宴はたけなわであったが、松井の閉会の辞をもって会はお開きとなった。

翌28日には大学病院の新病棟の落成式典が予定されていた。新病棟は地上18階、地下2階建て。延べ床面積8万平米、ベッド数は1308床と国内最大級となる。さらに1階には高度救命救急センター、屋上にはヘリポートが設置される。市民にとっては心強いことだが、教授陣にとっては多忙の日々の始まりである。本日の試合が少しでも息抜きになったとすれば嬉しい限りである。

【ペガサス参加メンバー】
吉田克己(保健学科教授)
佐々木巌(胃腸外科教授)
丸山芳夫(細胞生理学教授)
下瀬川徹(消化器内科教授)
小野栄夫(病理学教授)
八重樫伸生(産婦人科学教授)
近藤丘(呼吸器外科教授)
下川宏明(循環器内科教授)
押谷仁(微生物学分野教授)
高林俊文(産婦人科学・保健学科教授)
内藤広郎(みやぎ県南中核病院院長・臨床教授)
目黒邦昭(仙台医療センター・臨床教授)
順不同、敬称略。

私事になるが、今回初出場の近藤丘教授と呼吸器外科の先生方には、以前、大動脈造影、気管支造影などをご指導いただいた。加齢研が抗研と呼ばれていた時代のことである。永らくお会いすることもなかったが、今日の試合で思いがけず恩返しが出来た。こうした機会に恵まれるのもこのイベントならではのことである。近藤教授にとっては、野球は肺移植より難しかったようである。
 
(文責 宮地辰雄)