今、夫婦が互いをどう呼び合っているのかをアンケートすると、ダントツに「お父さん」「お母さん」だそうだ。
これって、日本語として間違っているだけでなく、家族制度にまで及ぶ見過ごせない危険な状態だと思う。
つまり、人に呼びかける場合、相手をどう認識し、どういう距離間なのかということを表すからだ。
例えばいやな相手を蔭で馬鹿にした言い方で呼んでいたり、アジアに行けば金もっている日本人を小ばかにして「社長」と呼びかける。
政治家を「先生」と呼ぶのに似ているかな。誰も心から「師」と仰いでいまい。だから「先生」じゃない。ま、大学に行くと互いに「先生」と呼び合っているが、あれは「名前で呼ぶ」ほどの関係じゃあありませんという意志表示でもあり、根本的に名前を覚えていないから・・・ということもある。先生ってバカなんだね。
で、本題に戻れば、この自分からみて親でない相手にお父さんという呼び方をする場合、家族の中心が子供であり、親なんて威厳も権威もなく、ただただあなた達子供の下僕ですと言っているようなもの。
その証拠に、こういう家族は自分の子供に「○○ちゃん」などと敬語の一種を多様する。呼び捨てに出来ないのだ。
だから、こういう家族では、しつけが出来ない。過保護と過干渉。愛情とは別であるということが理解できていない。
どうか、どうか、お願いだから、
日本の「家族」よ、きちんとしようよ。
子供にきちんと愛情をもって「呼び捨て」、
夫婦間を愛し合うあかしとして名前で呼び合おうよ。
「お前」なんて論外だけどさ・・・・。
それじゃ、「物」じゃん。
これって、日本語として間違っているだけでなく、家族制度にまで及ぶ見過ごせない危険な状態だと思う。
つまり、人に呼びかける場合、相手をどう認識し、どういう距離間なのかということを表すからだ。
例えばいやな相手を蔭で馬鹿にした言い方で呼んでいたり、アジアに行けば金もっている日本人を小ばかにして「社長」と呼びかける。
政治家を「先生」と呼ぶのに似ているかな。誰も心から「師」と仰いでいまい。だから「先生」じゃない。ま、大学に行くと互いに「先生」と呼び合っているが、あれは「名前で呼ぶ」ほどの関係じゃあありませんという意志表示でもあり、根本的に名前を覚えていないから・・・ということもある。先生ってバカなんだね。
で、本題に戻れば、この自分からみて親でない相手にお父さんという呼び方をする場合、家族の中心が子供であり、親なんて威厳も権威もなく、ただただあなた達子供の下僕ですと言っているようなもの。
その証拠に、こういう家族は自分の子供に「○○ちゃん」などと敬語の一種を多様する。呼び捨てに出来ないのだ。
だから、こういう家族では、しつけが出来ない。過保護と過干渉。愛情とは別であるということが理解できていない。
どうか、どうか、お願いだから、
日本の「家族」よ、きちんとしようよ。
子供にきちんと愛情をもって「呼び捨て」、
夫婦間を愛し合うあかしとして名前で呼び合おうよ。
「お前」なんて論外だけどさ・・・・。
それじゃ、「物」じゃん。