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岐阜県土岐市 国史跡・元屋敷窯跡 織部の里公園

2024年04月02日 11時15分00秒 | 岐阜県

国史跡・元屋敷窯跡。織部の里公園。岐阜県土岐市泉町久尻。

2024年3月29日(金)。

土岐市美濃焼陶磁歴史館を見学したあと、歴史館の北西数百ⅿにある国史跡・元屋敷窯跡を野外展示している「織部の里公園」まで、受付で貰った地図を手にして徒歩で向かうと5分ほどで着いた。

元屋敷窯跡は広い谷間の北側の丘に南面して築造されている。

400年前の桃山時代、美濃地域は日本最大のやきもの産地であった。「大窯」・「連房式登窯」と呼ばれる地上式の窯は当時の技術の粋を極めたもので、ここで生産された陶器は全国へと出荷された。

織部の里公園は、この元屋敷窯を中心にした公園で、公園内には、松坂屋の創業家である伊藤家の別荘「揚輝荘」から移築された茶室「暮雪庵」、美濃桃山陶が体験できる作陶施設「創陶園」、元屋敷窯跡から出土した遺物の展示室などがある。

国史跡・元屋敷陶器窯跡。入口正面にある連房式登窯の覆屋。

元屋敷陶器窯跡は、大窯3 基元屋敷東1~3 号窯)、連房式登窯1 基(元屋敷窯)からなる古窯跡群で、昭和42年(1967)に国史跡に指定、平成25年(2013)に出土品が重要文化財に指定されている。

安土桃山時代、畿内を中心とした「茶の湯」の流行の影響を受け、美濃窯において茶陶(美濃桃山陶)の生産が始まる。元屋敷陶器窯跡は、その前段階の天目茶碗・小皿・すり鉢を主要器種とする時期から、黄瀬戸、瀬戸黒といった茶陶生産が始まり、志野、織部で茶陶や懐石用食器の生産が最盛期を迎えるまでの変遷をとどめている。

元屋敷窯(連房式登窯)。全長約24m、幅約2.2m 。燃焼室 焼成室14房。

昭和33年(1958)に発掘され、その重要性が広く知れ渡るきっかけとなった。焼成室が地上に露出し、階段状に連なるこの窯の構造は「連房式登窯」とよばれ、九州の唐津から導入されたと考えられている。各房にはそれぞれ出入り口がある。

青織部・赤織部・黒織部・鳴海織部・志野織部・総織部・美濃伊賀等の意匠を凝らした、茶碗・向付・鉢・皿・水指・花入・徳利・香炉・香合などの高級施釉陶器が生産された。

連房式登窯下部から、東側の大窯3 基(元屋敷東1~3 号窯)を見上げる。

連房式登窯上部東側から、作業場所2、元屋敷東2号窯、元屋敷東1号窯方向。

元屋敷東2号窯(大窯)。全長7.5m、幅3.9m。

東1号窯の次に築かれたこの窯では、新しい意匠の瀬戸黒、黄瀬戸、灰志野が登場した。東2号窯は廃棄後取り壊され、床面は元屋敷東3号窯の作業場として使われた。この窯は内部の構造がわかるように復元している。

元屋敷東3号窯(大窯)。残存長5.8m、幅2.9m。

東3号窯では志野の量産を行った。沓茶碗と呼ばれる歪みなどの変化がつけられた茶碗が誕生した。志野は、多器種にわたり焼成された。生産された志野の中には、後の織部に共通する意匠が見られる。

この窯は発掘調査された姿を型取りして露出展示している。

東3号窯跡から連房式登窯方向。

元屋敷東1号窯(大窯)。全長(不明)、最大幅3.9m。

16世紀後半に元屋敷では、この窯が最初に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などが生産された。

この窯は築窯当初は焼成室の最大幅が3.9mであったが、改築で3.4mに縮小され、最終的に3.0mとさらに小型の窯になったことが、発掘調査から分かった。

現在は、発掘された跡から当時の姿へと完全復元している。

元屋敷東1号窯(大窯)上部。

 

このあと、国史跡・乙塚古墳・段尻塚古墳が歴史館北東近くにあると案内図に掲載されていたので見学に向かった。

岐阜県 土岐市美濃陶磁歴史館②重文2000点 4月1日から一時休館



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