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山形県米沢市 重文・旧米沢高等工業学校本館

2024年09月24日 10時16分58秒 | 山形県

重文・旧米沢高等工業学校本館。山形県米沢市城南。山形大学工学部構内。

2024年9月6日(金)。

林泉寺の見学を終え、東近くの旧米沢高等工業学校本館の見学に向かった。道路から構内に入り、守衛所の女性職員に、見学することを告げて、すぐ横の駐車スペースに車を置いた。旧米沢高等工業学校本館は目の前にある。

旧米沢高等工業学校本館は、資料館として公開されている。展示室は、高等工業学校、工業専門学校時代の学科構成に合わせて、「紡織科」「色染科」「応用化学科」「機械科」「電気・通信科」「秦逸三教授記念展示室」など、各学科ごとの展示室が設けられている。

建物内の見学も可能なので、検討したが、時間が不定で、内部の展示も消化できないと思い、外観の見学だけにした。

米沢高等工業学校は、染織産業の長い歴史を持つ町・米沢市が「染織学科を主科目」とする官立の高等工業高校の創設を誘致したもので、設立当初の学科は、「染織科」「応用化学科」の2科が置かれた。

東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、1910年(明治43)3月に開設された全国7番目の高等工業学校である。本館の建設は、明治41年7月に文部省建築課米沢出張所が設けられ、同42年1月起工、翌43年7月に竣工した。設計者は中島泉次郎である。以来、同校は、昭和19年4月米沢工業専門学校と改称され、更に同24年5月の学制改革によって、山形大学工学部に改組され、現在に至っている。

旧米沢高等工業学校本館の建物は、ルネッサンス様式を基調とする木造2階建で、建築面積は1305.8平方メートル、北面の正面玄関から両翼94メートルに及ぶ大規模なもので、中央屋から左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼屋を付けた形になっている。

屋根は寄棟造りで、中央正面の両翼に小塔形の角屋(階段室)が突き出し、中央玄関に車寄せのある、華麗な建物である。

平面は中央屋の1階が事務室、応接室、2階は校長室、応接室、会議室などがあり、胴屋は1.2階とも主に教室で前側に廊下を配し、翼屋も階段をはさんで前後に教室が配されている。西側後は階段教室(理化教室)となっている。

裏側。

外壁は下見板張り、屋根の中央部分はスレート葺き、胴屋と翼屋は桟瓦葺きである。内装は漆喰塗りが主で、特に内部の階段廻りや会議室の天井などの飾りに特色がある。窓は側回り内部間仕切とも上げ下げ窓、出入口は全て開戸である。

この建物は、明治後半に建設された一連の高等工業高校の遺構として、学校建築史上でも貴重なものである。また、現在の米沢駅舎のモデルともなっている。

 

このあと、米沢駅方面へ向かい、宮坂考古館を見学した。

宮坂考古館。米沢市東。

朱漆塗紫絲素掛威五枚胴具足(しゅうるしぬり むらさきいとすがけおどし ごまいどうぐそく)伝・前田慶次郎所用などを鑑賞した。

農家庭先の道路側に建物があり、道路反対側から駐車場に入るときに苦労した。

 

見学を終えたのが、15時30分頃だったので、北東方向に隣接する高畠町の山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館へ急いだ。

山形県米沢市 林泉寺 直江兼続夫妻の墓所



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