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新潟県 三条市歴史民俗産業資料館①信濃川流域の火焔型土器

2024年02月04日 11時54分33秒 | 新潟県

三条市歴史民俗産業資料館。新潟県三条市本町。

2023年9月27日(水)。

燕市産業史料館の見学を終え、三条市歴史民俗産業資料館へ向かった。JR高架線近くの狭い道路を迷いながら14時45分頃に到着した。

 

三条市歴史民俗産業資料館(旧武徳殿)。登録有形文化財。

三条市の市街地に東面して建つ。装飾を抑えた厳粛な雰囲気をもち、戦前の武徳殿の典型的な形態を伝えている。1935年建設、1949年増築。建築面積674㎡。千鳥破風付の木造平屋建入母屋造桟瓦葺で、竣工当初は、正面に武甕槌命を主神とする鹿島神宮を祭っていた。剣道場、柔道場を中心にした旧武道場を中心に西北に旧弓道場、東南に旧貴賓室を付ける。周囲に下屋庇(げやびさし)をまわし、正面に唐破風造の玄関、北面に裏玄関を付設する。

1934年の三条市市制施行を契機に、当時の陸軍大将鈴木荘六(三条出身)を顧問、今井雄七(丸井商店社長)を発起人に、「武徳殿」建設が計画された。1935年2月20日に起工、7月19日に竣工した。設計は東京の木田組、施工は高野熊次郎(棟梁、下田村出身)。

戦後、GHQに接収されたのち、1947年から公会堂、1949年から三条市公民館、1981年から三条市立青少年育成センターとして使用された。1989年に青少年育成センターが移転し、三条市歴史民俗産業資料館として使用されることになった。

三条市では、旧石器時代から石器づくりが始まり、縄文時代には土器や土偶の製作が行われた。江戸時代には市内を流れる信濃川と五十嵐川を輸送路として商売が発展し、鍛冶で生み出された金物製品が重要な産業となり、現在も「ものづくりのまち」として知られている。

三条市歴史民俗産業資料館は、縄文時代では、吉野家遺跡、上野原遺跡の出土品を展示。古墳時代では、保内三王山古墳群の出土品を展示している。

『日本遺産 火焔型土器「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』の構成文化財展示施設である。

吉野屋遺跡(日本遺産構成文化財)。

東山丘陵西方の舌状台地の南端、標高30mにある縄文中期~後期の大集落遺跡。出土した土器の中心は火焔型土器や王冠型土器をはじめとする縄文中期の土器群である。

吉野屋遺跡では県内でも最多に近い100体以上の土偶が出土し、通常の遺跡で出土する量をはるかに超えていることから、「土偶送り」の儀式が行われたのではないかと考えられている。このような土偶送りの儀式が行われたと考えられる遺跡は、大規模な拠点集落が多く、周辺の集落から大勢の人々が集い、儀式が行なわれたことが想像される。吉野屋遺跡は、信濃川中流域から下流域にかけての「火焔土器のクニ」のようすを物語る貴重な遺跡の一つである。

新潟県 燕市産業史料館