獲得された絶望感(盲人ウエカジ公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と・・・~

全盲視覚障害者ひとりで青森駅前を観光する。連絡船広場、八甲田丸、ワラッセ、くじらもち。

2024-04-07 23:59:44 | 網膜色素変性症と私
ワラッセ

青森遠征2日目。大阪から昨日、青森にきて、お昼の青森クオーターでの宮本佳林、竹内朱莉、小片リサ、夏焼雅出演のエムラインスペシャルライブを見て。その後、青森で1泊。そして、開けて、今日、18時40分発のJALで大阪絵もどる私。せっかく青森に来たのだから、2日目の今日は、観光をしようと決意。

そこで、問題なのが、目が見えない私、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。ひとり遠征なので、盲人ひとり観光というのが難しい。現地のガイドヘルパーさんや、ボランティアさんをあらかじめおねがいしておく手もあったのだけど、それも面倒くさい。やっぱり、ひとり旅のだいごみは、行きたいところに、気の向くままに、思いのままに行くこと。

東横イン青森駅前を10時にチェックアウトし、その後ロビーですこし時間をつぶして、いざ出発。ねぶた交流センターワラッセ、青函連絡船公園に行こう、そして、なにか青森名物を買おう、食べよう。そんな目的を設定し、いざ、白杖委一本青森駅前へ飛び出す私。
大阪にいるときに、ヘルパーさんに、ワラッセの場所や、連絡船公園の場所を、グーグルマップでおしえてもらっていたので、それをたよりに、ひとりで、歩く。ワラッセの手前までは、歩道に点字ブロックがつながっているものの、直前でいったんとぎれてしまう。横断歩道には音響式信号機もなく、この道路wをわたっていいものか。あたふたしていると、若い男性が声をかけてくれて、一緒にわたってくれた。観光客みたい。

今日は日曜日で、観光日和のせいか、声をかけてもらった人の半分ぐらいが、観光客の人だった。

ワラッセはとおりすぎて、まずは、連絡船公園に行く私。ここからはまったく点字ブロックがない。歩道と車道の段差に白杖をそわせて、あるくも、ところどころ、植え込みがあって、なかなか前にすすめない。すると、みかねた、現地の人が声をかけてくれて、一緒に、連絡船公園までいってくれた。夫と一緒に車で移動していて、私をみかねて、車から降りて、声をかけてくれた女性。やさしいね。

盲人ウエカジ的青森駅前観光のポイント

1、津軽海峡冬景色の歌碑

親切な女性に手引きしてもらって、連絡船公園へ。海がすぐそこの公園。青森駅というのは、むつ湾から出る連絡船ののりばまで、昔は、国鉄の青森駅はつながっていたとのこと。青森駅って、海のすぐちかくにあるのね。連絡船は1988年まで運航していて、そのころまでは青森駅はにぎわっていたけど、青函トンネルができて、青森駅はさびれていったみたい。でも、青森駅から徒歩10分ぐらいのところに、青森県庁はあるのよね。

青森駅からもすぐちかくの、連絡船公園。事前に、この公園に、歌碑があるとことをおしえてもらう私。ヘルパーさんにグーグルマップをみてもらうと、歌碑があることを発見。

そして、実際にいってみる。おもったよりも大きな歌碑で、しかも、歌碑のまんなかに押し釦、直径15センチぐらいの大きなボタンがあって、そのボタンを押すと、なんと、石川さゆりの津軽海峡冬景色が大音量でながれだす。フルコーラス、3番ぐらいまで全部ながれる。
これにはびっくり。目の見えない私、歌碑のの表面をさわって、たのしもうとおもっていたら、歌が流れ出す。うれしいね。

その歌をきいていると、地元のおじいさんが、いろいろ説明してくれた。石川さゆりが実際にきたこと、ステージの上でうたったこと、波がたかかったとか、たくさんしゃべってくれたけど、私は9割も聞きとれず。津軽弁のなまり、石川さゆりの名前だけききとれた私。手引きしてくれたおばさんが、それとなく、通訳してくれたおかげで、なんとか内容把握。なまりでイントネーションがちがうというだけでなく、言葉も、。

2、連絡船ミュージアム 八甲田マル

歌がおわって、さて、次はどこにいこう。すぐとなりに、連絡船が一層海にういている。公演から階段をのぼって、連絡船の2階に直接はいれる。ハッコウダマルという連絡船。昔つかわれていた連絡船を、いまは、博物館みたいにしている。

その連絡船にちかづくと、ギーギーギーギーとコワイおとがする。船が風にうゆれて、桟橋ときしみあっているよう。ここも視覚障害者ひとりでは、入り口までたどりつけない。さきほどの新設案おばさんが、観光客に声をかけてくれて、この人つれていってあげてくださいとお願い。観光客の女性に、私はバトンタッチされて、無事、連絡船ユージアムの受付。

さて、ここからが問題。510円の入館料は、障碍者手帳をみせると無料だけど。だれも、船内を案内してくれない。そういう案内はしていないとのこと。船の中は、テスリにそっていけばいけるだろうと私。たくさんのフェリーにのったことがある私、階段にもテスリがあることはしっていたので、その手すりにそっていけばいけるだろうと、盲人ひとりで、連絡船の中をみてまわる。すると、親切な女性がまたしても、手引きをかってでてくれた。連絡船の中を一緒にまわってくれた。ありがたいね。

この船は4階建てで、2階が受付入り口で、3階にあがると実物大の人形や、昭和初期の、ものうりの人形、キヨスクのジオラマなどがあった。野菜売りの前には、大こにゃ、リンゴ、ネギの模型、魚売りの前には、いかやスルメの模型がおいてあって、時差氏にさわれてうれしいね。このジオラマは以前東京お台場で点字されていたものをゆずりうけたとのこと。4階には、操舵室や、船長室、応接室、客室の椅子の点字などがしてあった。連絡船は青森と北海道を3時間40分かけて移動していたので、2段ベッドのある部屋とか、リクライニング椅子のある客席とかあった。多くの人は、畳部屋で雑魚寝みたいにしてくつろいでいたよう。船長室は個室で、椅子と机もあった。そのとなりは、応接室というか会議室みたいなものもあった。操舵室には、カジもあって、くるくるまわすこともできてうれしいね。目の見えない私、こうやって実際にさわれるのはうれしいね。

4階から1階にエレベーターでおりて、そこは、船の底。汽車の車両コンテナがそのまま、フネノ中にいれられるように、線路がフネノ中にもあった。実際にコンテナ市車両もあった。郵便とか、荷物とかも連絡船ではこんでいたのね。もちろん車とかもはこんでいたよう。1988年までは、こんな連絡船が毎日運航していたとはびっくり。結構大きな船だった。

連絡船の年表とか、当時の新聞とかもあて、もっと時間をかければ、もっとたのしめただろうね。

3、ねぶた交流うセンター、ワラッセ

連絡船をみて、次は、青森駅のほうにもどる。ワラッセという施設。ねぶた祭りの展示館。1階段はおみやげやとかレストランとか会議室があって、2階が、ねぶたのだしが陳列されてあったり、見ごたえたっぷり。点字ブロックが、歩道から、入り口、そして、案内板まで敷設されてあった。こkのことから、この施設は公共施設だとわかった。ここの入館料も、障害者なら無料。うれしいね。客は、3割ぐらいな外国人。

運よく、施設のスタッフの手があいていたので、一緒に、館内をまわって、いろいろおしえてくれた。弘前ではねぷたまつり、青森ではネブタとにごる。なぜかときいたら、もともとは同じで、青森弁のなまりのため、にごった、ブになったとのこと。弘前ネプタは城下町の弘前なので、オオギガタのだし、青森のネブタは1970年代の高度成長期に、民間が主導でまつりをつくりあげてきたので、大日にょれにゃ、、昔の伝説の人物の模型のだしではなうやか。

びっくりしたのが、毎年8月にねぶた祭があって、毎年、ダシはつくれいかえるとのこと。横9メートル、奥行き7メートル、たかさ5メートルのおおきなダシ。それを毎年つくりかえるのね。ダシ自体は、針金で形をつくて、その表面を強い和紙ではって、色をぬり、中から電球などであかりをつける。いたってシンプルで軽いダシなのね。

祭りのときは、そのダシをひく、ひきこ、そのまわりで、ぴょんぽよん飛び跳ねながらもりあげる、ハネコ、おあとは、音楽をかなでる音楽隊がいて、ワンセット。ダシは23体もあるよう。それが、街をねりあるく。見ている客も、衣装さえきれば、はねこにまじじることができて、レンタルの服やもたくさんあるとのこと。一度は、私も青森ねぶた祭に参加してみたくなったね。

おどるときのかけごえは、らっせらー、ラッセラー、ラセ、ラッセ、ラッセーラー。どういう意味かきいたら、戦争のときのカチドキの声であったり、祭りのときん家をまわって、いろいろなものをもらっていたときの、しゃべりせりふ、くださいな、くださいながなまったという説があるよう。ちなみに、このねぶた交流センターの愛称、わらっせは、ラッセーラーのラッセと、笑ってのかけあわせとのこと。

館内の説明をうけたあと、13時10分から、ねぶたのおはやしの音楽演奏と、楽器体験時間。私を案内してくれていた人が、演奏者になって、フエをふいていた。私もそのかなでる音色をきき、遺書に、とびはねて、そして実際にドラの小さいような鉄のがっきと、大きなはり太鼓をたたかせてもらった。よい経験。黄色の盲人上着をきて、大きな太鼓をうちならす。なんか想像するだけでかっこいいし、こっけいだよね。その様子は、盲人ウエカジYOUTUBEチャンネルにアップしているのでひ。

4、おみやげ

ねぶたの体験をして、そのご1階にある、レストランで海鮮丼を食べうる。1500円のところ、入場券をもっていたら1400円。海鮮丼の上には、いか、たこ、えびっこ、など回線がのっていて、おいしいね。みそしると、ほたてのにもの、それとりんごの缶ジュースもついていて、大満足。もっと、魚介がたくさんのっていたらもっとうれしいけども、それはぜいたく。えびっこという魚卵も小さくてつぶつぶしていておいしかった。

そのご、おみやげやさんで、カネショーのリンゴ酢ジュースのもとを買う。瓶入りと、1本ずつの捨て一句になっているやつを買う。青森空港のカードラウンジでりんご酢ジュースをのんで、とてもおいしく、体によさそうで、便秘解消にもなったので、購入。あと、連絡船ミュージアムのジオラマ模型のキオスクでうっていたくじらもちを買おうとするも、ここには売ってないとのこと、青森駅の建物のナビタにうってるとのこと。

ワラッセをでて、青森駅に向かう、点字部六にそってあるく、途中とぎれる。あたふたしていると、女性声をかけてもらって、点字ブロックをおしえてもらう。そして、その女性が、私にむかって、私も昨日カリンちゃんのライブに行ってましたとこそっと、ささやいてくれた。うれしいね。佳林ちゃんファンの人が、私をみかけて、声をかけてくれる。ありがたい。

無事、青森駅のビルの1にある、おみやげやで、くじらもちを買う。でっかい洋館の大きさ背1個500円。あんがなかにはいって、そとは、もち。食べ応えありそう。ただ賞味期限は短くて1週間しかもたないとのこと。ヨウカンだともっともつのにね。

自分でたてたミッションはすべてクリア。青森駅前バスターミナル11番のりばから15時発の青森空港行きのバスにのって、15時30分には、青森空港へ。2階のカードラウンジで時間をつぶして、ここでもまたりんご酢ジュースをのみながら、ブログを書いたりして時間をつぶす。あっというまに17時50分。1階のJALかううんたーnにいって、チェックイン。保安検査場も無事通貨。スタミナ源たれというびんと、リンゴ酢ジュースの便をリュックにいれて、とてもおもたいリュックだったけど、保安検査場は無事通貨。18時40分出発のところ、15分離陸待機。伊丹空港に到着したのは、20時40分。大阪空港は、騒音被害防止のため20時10分が離陸の最後で、20時30分が着陸の最後の便。なので、20時には、ターミナルの飲食店とかお土産屋とか全部しまるのね。

スタッフに大阪ものれれーるの改札まで手引きしてもらって。家に着いたのが21時40分。青森から3時間で大阪の私の自宅にもどってくれたのね。ほんと、飛行機って便利。今回の大阪、青森の飛行機は、セールでなおかつ、障害者割引で、片道11292円。安いね。JALもANAも、たまに、こういったセールをするよう。情報のアンテナはっておくって大事だね。

家に帰って、カップ麺と、おにぎりと、キムチと納豆と、あるふぉーとを食べる。昼過ぎの海鮮丼から何もたべていなかった私。だけど家に帰って体重をはかったら74.7キロ。ぜんぜん体重落ちてないね。なぜだろう。あんなにたくさんあるいたのにな。筋肉つけないといけないね。

盲人ひとりでも、なんとか、事前調査と、現地での新設案人の声掛けで、ひとり旅たのしめた。2日間の青森遠征で、20人以上の通行人に声をかけてもらったね。ありがたい。でも、やっぱり、ガイドヘルパーさんと遺書にいくのが、一番だね。ただ、ガイドヘルパーさんと一緒にいくと、達成感は感じられないのよね。ひとり遠征だと、自分を自分でほめてあげたいほどの達成感をあじわえる。
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