plummet様へ

電突隊ブログへの返答・2へのご返答です。




> 注目すべき点がズレています。当方が「差別だ」と指摘して
> いるのは、最後に小見出しを設けて語っているように、「集
> 団の中のごくわずかな数にあてはまる要素を、無思索に集団
> 全体に広げること」です。前回エントリーで言えばこの部分
> を見てください。

> 一部の在日朝鮮人が金正日に忠誠を尽くし、日本人に害をな
> そうとしている(いた)と判断すること自体は当方としても
> 異論はありません。が、それを理由に「あらゆる在日朝鮮人」
> を非難し日本人拉致の責任を押しつけるのはいかがなものでし
> ょう。怒りは正当であっても、その表現が正当でなければ、怒
> りの感情そのものまで価値を減じてしまいます。

> 『こうした私の発言や考え』が差別なのではなく、その考えを
> 「すべての在日朝鮮人」に、一足飛びに当てはめることが差別
> なのです。

(コメント)色々ないいかたがあると思いますが、北朝鮮と日本は現在は敵対関係にあるのですから、敵対国に忠誠を尽くす敵対国人がなんらかの差別を受けるのはやむを得ないのではないでしょうか。



> 『人種等*1を理由にした不特定多数に対する言動』というのが、
> 意味合いの理解に困難を伴う文章で、真意が不明です。

(コメント)表現の自由という人権を阻害するという意味です。



> 限定がないのは、そもそも「刺青(彫り物)」が、いわゆるヤ
> クザ者以外はするものではない、という認識がある(あった)
> からです。「刺青お断り」は、より以前から継続的に作られて
> きた社会常識というものです。

(コメント)彫物はヤクザ専用のものではありません。ヤクザが利用するものなら、ヤクザ以外の人も差別の対象になるという理屈は、人権擁護派の理屈としてはおかしいと思います。



> 世間がいつまでたってもダメなままなら、最後の手段として法
> 規制も考えられて然るべきではないでしょうか。

(コメント)世間が駄目だとは私は思いませんが、もし駄目だとしても、それを解決する手段としていきなり法規制というのはおかしいと思います。まずは、世論の喚起ではありませんか。



> 他人がかけた迷惑を、どこまで負わねばならないのか?

(コメント)在日のように、民族にアイデンティティを感じるなら、民族の責任というのも有りだと思います。ただ、一番最初のエントリーでのべたように、一概にそうだとは言い切れない難しさがあります。




> そこまで世間を信頼することは、当方には不可能です。むしろ
> 「危険」と思います。ヒトラーを生んだのは当時のドイツの「
> 世間」であること(選挙によって選ばれた)は良い教訓です。
> 民主国家において、独裁者や悪しき為政者はいつの世も「世間
> 」が生むのです。

(コメント)大衆は無知で愚劣という理由で多くの弾圧が行われてきたのではありませんか?大切なのはバランス感覚だと思います。




> 世間的に親になんらかの責を求められるという点は同意しま
> すが、これも程度問題ながら、悪習だと考えております。
> 例えば犯罪者の家族が、本人達は善良であるにも関わらず
> 「肩身を狭く」して生きなければならない道理はないはずで
> すが、そうせねばならない話はたまに耳にします。

(コメント)程度問題という点に賛成します。行き過ぎれば悪習になるでしょう。ただし、そうした責任をすべて否定するのもやりすぎだと思います。



> 上に書いた「世間を優先」しない立場から、首肯できません。
> 例えば世間がもっとも納得する結論が「米軍基地完全撤去」
> だったとしたら、絶対にそれは認めることが出来ないからで
> す(政治的に)。

(コメント)認めることができないということと、世間を説得しなくてよいという考えは違います。世間が認められない政策を行う場合でも、誠心誠意、政府が世論に説明し、説得を行うことが大切だということです。行うべき政策が同じなら説得する必要など無いというのは、最悪だといっているのです。もし政府が行うべき政策について、誠意を持って世論を説得した結果、世論が納得できないのであれば、政府は断固として政策を推進するべきだと思います。先ほどの繰り返しになりますが、要するにバランス感覚だと思います。



> とりあえず、在日朝鮮人のことが幾度か登場してきまし
> たので朝鮮総連に限って言いますと、法人格は持っていません。

(コメント)間違えたことを書いてすいませんでした。しかし、今の総連は在日朝鮮人の多くにも支持されていないようです。理由は互助会的組織ではなく、金正日のためだけの組織に成り下がったからのようです。そんな団体は潰すべきという考えはかわりません。



> 政治も理屈の産物です*4。政治が理屈など関係のない存在で
> あるなどとする「理屈」には首肯できません。また、その論
> 法では世間もまた、理屈とは離れた存在であることになって
> しまいます。

(コメント)政治に理屈があるのは当然ですが、それだけでは駄目だと思います。この世の中で、理屈どおりにいく世界というのは稀でしょう。


> 政治も法律も、世間を守るためだけに存在するのではありま
> せん。世間はそんなに甘やかされるべきシロモノではないの
> です。

(コメント)甘やかすかどうか、という問題ではありません。それに、少し他人さまを見下した発言のように思えます。



> 差別はなくならない、という意見にはそれなりの納得を感じ
> ますが、そこで思考停止して「差別をなくそう」という方向
> 性は持っていないのかな、と感じました。

(コメント)世論を喚起することもせずに、いきなり法律で解決しようとするのは良くないと言ってるだけです。今日の在日に対する差別は、これまでの在日の行動にも大いに責任があるのではないか、それなのに、一方的に日本人の人権を法律で規制することですべてを解決しようというのは、おかしいと思います。まずは、在日がこれまで日本人に行ってきた事柄に対して、在日が総括する必要があると思います。



> 「男性(女性)だから」「年齢が××歳だから」「独身(既婚
> )だから」「子供がいない(いる)から」「社会人(学生)だ
> から」その他いろいろ、その人が持っていた属性が振り落とさ
> れ、最後に原因として残ったのが「外国人だから」だと、合理
> 的に説明できるのか?

(コメント)こうした事柄は、在日に対する差別とは違います。一緒に論じられても混乱するだけだと思います。少なくとも在日については、終戦後から今日まで、多くの在日が日本人に対してひどいことをしてきたのですから、在日がそれまでの行為に対して無視を決め込まず、「自分達は日本人に対してひどいことをしてきたんだな。」と思わない限り、在日の差別はなくならないでしょう。
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入れ墨、転入届け不受理など

an_accused様からいただいた入れ墨等のコメントについて



入れ墨禁止という風呂屋の掲示が、人権擁護法でいう差別にかかるかどうかという、7月20日のエントリー『人権擁護法案について』に、an_accused様からコメントをいただきました。まず、『「対案」に期待できるのか』というan_accused様のエントリーをご覧ください。それから、an_accused様からいただいた、次のコメントをご覧ください。


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公衆浴場等における「入れ墨お断り」について (an_accused)
2005-07-21 06:18:12

 初めまして。an_accusedと申します。
 拙ブログ内の2005年6月2日付エントリー「対案に期待できるのか」における、入れ墨に関する記述について、

「彫物は暴力団組織に加入している(た)ことを示すものではないと思いますが、そのへんはどうでしょうか?」

と疑問をお示しになっておられるようですので、説明を試みさせていただきます。
 まず第159回 参議院内閣委員会(平成16年4月20日)における近石康宏政府参考人(警察庁刑事局組織犯罪対策部長)の答弁で

 「警察庁といたしましては、そもそも入れ墨や指詰めの強要等につきましては、事件検挙や暴対法に基づく中止命令の発出などによりましてその未然防止を図っているところでありますが、これをした人、その人が暴力団を離脱するという機会には、この入れ墨や指詰めが委員御指摘のように社会復帰を阻害する要因というふうになっていると思われます。」

 と述べられておりますように、入れ墨が暴力団組織加入者に積極的に施されていること、また暴力団組織からの離脱を阻害する要因として入れ墨が機能していることは公式に認められた社会的事実です。だからこそ現在、「指定暴力団員が少年に対して入れ墨を受けることを強要、勧誘する行為等」が規制の対象となっているわけです(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律第24条)。

 次に、第126回 参議院行政委員会(平成5年4月6日)における廣瀬權政府委員(警察庁刑事局暴力団対策部長)の答弁で

「例えばある暴力団の幹部だけでございますけれども、指詰め率を見ますと四一・八%、入れ墨率を見ますと六二・五%というように、大変高率な指詰め、入れ墨が行われている。」

と述べられておりますように、暴力団組織加入者のうちかなりの割合が入れ墨を施していることは明らかです。

 従って現在の日本においては、「入れ墨は暴力団組織に加入している(た)ことを示すもの」であると考えることには一定の合理性があるといって差し支えないかと思われます。

 また、入れ墨は単なる趣味嗜好ではなく、「入れ墨を見せる行為それ自体」が自らの背後に暴力団組織が存在することを相手方に強く推認させ、相手方を畏怖困惑させるための一手段として用いられていることは、複数の裁判例において認定されているところです(最三小判昭和46年11月16日、神戸地判平成15年3月12日、神戸地判平成14年7月22日など)。

 以上のような理由から、「現在、公衆浴場等における『入れ墨お断り』と表示することは一概に不当な差別であるとは言えない」と結論付けた次第です。

 なお、卑見において「一概に~いうことはできない」と留保をつけているのは、ファッションとしてのごく小さな入れ墨(いわゆるタトゥーの類)などまで一律に排除することが許容されるかという点については議論の余地があるだろうと考えているためです。

 以上、拙エントリーの補足説明をさせていただきました。

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an_accused様のご指摘をまとめると、以下のようになると思います。1と2が理由で、3が結論という形です。

1 『警察の調査により、暴力団組織加入者のうちかなりの割合が入れ墨を施し
   ていることは明らか』

2 『入れ墨を見せる行為それ自体」が自らの背後に暴力団組織が存在することを
   相手方に強く推認させ、相手方を畏怖困惑させるための一手段として用いら
   れていることは、複数の裁判例において認定されている』

3 『現在、公衆浴場等における『入れ墨お断り』と表示することは一概に不当な
   差別であるとは言えない』

この件については、もう少し考えてからエントリーで書きたいと思います。



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7月21日に書いたチラシの裏日記にも、an_accused様からコメントをいただきました。そのコメントは次の通りです。

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転入届不受理について (an_accused)
2005-07-21 06:52:13

 宗教団体アレフ(宗教法人オウム真理教の解散後、同教の信者によって構成されていた宗教団体オウム真理教が改称したもの)の信者に対する転入届不受理処分については、人権擁護法が成立していない現在においても違法とされています(名古屋高判平成14年10月23日、大阪地判平成14年11月7日、さいたま地判平成15年1月22日など多数)。

 ですから、「オウム真理教信者の住民票を受理しない公務員が、本法案で違法者となる」というご見解は誤りです。

 テロ対策法やスパイ防止法の必要性について異論を唱えるつもりはありませんが(その中身にもよりますし)、人権擁護法案と絡めてご議論なさるのであればもう少し論証が必要ではないかと思われます。

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この件についても、もう少し考えてみます。
詳しくご指摘いただきましたan_accused様にお礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。




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チラシの裏日記

訂正・お詫び、ご返事、人権擁護法案の不備など。





昨日のエントリーの、『人権擁護法案について』で、私は、『この家主は裁判で負けたそうですが、これからは大変でしょう。入居希望の在日が殺到したりして・・・・。』と書いたのですが、shuu様から『裁判は審議中』とのコメントをいただきました。お詫びして訂正いたします。該当する本文には取消線を付けました。今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。

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7月18日のエントリーplummet様へにトラックバックをいただきました。松坊堂日乗の逆襲というブログ主様の、『 差別と火病と日本人
』というエントリーです。

まったくその意図はなかったのですが、そのエントリーで私が少し意固地になっているのではないか、とのご指摘をいただきました。私の拙い文章が、読者に対してそのように感じさせていたようです。ご指摘いただかなければ、まったく気づきませんでした。貴重なご意見をいただき感謝いたします。これからも誤解の受けないような文章を心がけますので、ご指導のほどよろしくお願い致します。

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それにしてもピンク色の記事は大変な反響がありました。これまでの訪問者数は、平日が約40名で休日がその半分だったのに対して、18日の訪問者数が約200名、19日の訪問者数が約250名でした。

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さて、人権擁護法は、公務員や事業者(雇用者)の信条における差別も禁止するわけですが、オウム真理教信者の住民票を受理しない公務員や、彼等にたいする不売運動をする商店主も、本法案で違法者となるのでしょうか?

私は、条文を読む限り、違法になると思います。しかし、これはおかしいと思います。数十人を殺し、数千人を負傷させた麻原というテロリストを教祖と崇める信者達を、恐れない人がいるでしょうか?

私は、もし、人権擁護法案が必要というならば、テロリスト集団や工作活動を行う機関を取り締まるような法律も、一緒に成立させるべきだと思います。化学兵器でテロ活動を行い、日本人を拉致して返さない連中の人権を、なぜ日本人が一方的に守ってあげなければならないのでしょうか。あまりにも馬鹿げた話しだと思います。

オウム真理教に対しては、破壊活動防止法を適用し、北朝鮮工作員の活動を援助した某団体についてはスパイ防止法を作って対抗する。人権擁護法案の成立は、それからでも遅くないと思います。

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そういえば、昨日、約20通のへんなメールが届きました。おそらく、私のエントリー内容に反対する人の仕業でしょう。その人に申し上げます。これまで何度か申し上げていますが、ここgooブログは、閲覧者のIPアドレスがブログ主にも分からない仕様になっています。また、ブログ主ですら、コメントやトラックバックを削除できない仕様になっています。私の意見に反対なら、安心して堂々とコメントやトラックバックで対抗してください。
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人権擁護法案について

先日、私が書いたplummet様へで、若隠居の徒然日記というブログのブログ主様が「賃貸住宅をピンクに塗った韓国人がいたのでうちは韓国人お断り」という主張は差別です を書かれました。興味のある方は、ぜひお読みください。

この家主は裁判で負けたそうですが、これからは大変でしょう。入居希望の在日が殺到したりして・・・・。

plummet様が、私との議論がかみ合わないとおっしゃっていますが、その理由は、plummet様が法律を語り、私が政治を語っているからだと思います。『思います』を使うと「感情的だ」と感じる方もいますが、そのへんはご容赦いただきたいと思います。

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あと、「対案」に期待できるのかというブログで、次のようなことが書かれていました。

    「入れ墨」は、自らを一般の社会成員と隔てることを意図して行わ
    れるものであり、自ら選択して暴力団組織等に加入している(た)
    ことを示すものです。従って、公衆浴場等において入れ墨を施した
    裸体をさらす行為は、暴力集団の力を背景にして無理を通そうとす
    る人物であることを自ら積極的に周囲に表明する行為ですから、
    一概に「不当な差別である」ということはできません。』

本来、入れ墨は、江戸時代などに捕まえた犯罪者に対して幕府が行うもので、「彫物」とは異なると聞いたことがあります。そういう細かいことは脇において本題に入りますと、「彫物」は暴力団組織などに加入している(た)ことを示すものではないと思いますが、そのへんはどうでしょうか?個人的には、伝統文化に属する彫物を、ヤクザが好んで用いるため、彫物を好む一般人が不当に差別されている、と思います。
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plummet様へ-2

plummet様のブログエントリーで私のエントリーである『plummet様へ』に対してご意見をいただきました。このエントリーでは、そのご意見に対する私見を述べます。




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plummet様へ
>>「横田めぐみさんを返さない金正日に忠誠をつくす北朝鮮人に売る物はない。
>>帰ってくれ。」と、商売をしている人が言えなくなるではありませんか。

正気でコレ言ってますか? これを差別と言うんですよ?
 それでは左派的な思想を持っている商店主が、『ブッシュのイラク侵攻を支持した小泉政権与党、自民党に投票した人に売る物はない。帰ってくれ』と言うのをあなたは認めるのですか?
 韓国で『未だに謝罪も賠償もまともにしていない日本人観光客に売る物はない、帰れ』と日本人が言われたらどう思います?
 また、その朝鮮国籍*1の人が『横田めぐみさんを返さない金正日に忠誠をつく』しているという証明はどこで得ればいいのでしょう? 朝鮮国籍=熱心な朝鮮総連という等式が成り立つ根拠はどこにあるのでしょう? もしそれが成り立つとしても、金正日に忠誠を尽くしている日本人はお目こぼししてもいいのですか?
 もう一度言いますが、『あなたの思考は差別的です』。

(コメント)あるたとえに、別のたとえを出すのは比較困難になると感じました。この場合にふさわしいたとえは、イラクや韓国ではなく、『同じ事を他国にされたら、あなたはどう思いますか?』と、他国の人々に対して質問することではないでしょうか?

同国の女の子が他国に誘拐され、それをでっち上げと言われ、しかし結局誘拐をみとめ、しかし、他人の遺骨を出してきて既に死亡していると言われたら、いかなる国の人々であろうとも怒り爆発のはずです。また、そんなうそつきで非人道的な指導者に忠誠を尽くす連中を、決して認めることはないでしょう。また、金正日に忠誠を尽くしているかどうかの証明が難しいことと、そうした言動を規制することは別問題と思います。

もし、こうした私の発言や考えが『差別的』なら、世界中のほとんどの人が『差別的』であると私は信じます。また、北朝鮮で貧困にあえぐ人々にとって、ある人物が早死にすることは、非常に喜ばしいことだと信じます。


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>そうした非難を禁止する人権擁護法案

 短絡的に決めつけてはいけません。正当な批判的言論が禁止される、とあなたが判断する根拠はまだ示されていません。第三条一項が規定するのは前述の通り、公務員等、業務や役務を提供する立場の人が、『人種等*2』を理由にその提供を拒む場合のことを主として指しています。あなたが言う「そうした非難を禁止する」根拠となる条文もしくは資料を改めて示してください。

(コメント)私は、人権擁護法案が、公務員や事業者以外の方の、不特定多数に対する批判的言動を禁止する法案だとは申しておりません。事業者の、人種等を理由にした不特定多数に対する言動を禁止するおそれがある法案に反対だと申し上げているのです。

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> 法案関係のエントリーでよく話題になるのが北海道の「外国人禁止」だったので、ちょっとそちらに偏っていました。その点お詫びします。

(コメント)いえいえ。こちらも最初に風呂屋についてお願いしますといったので。

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> 刺青お断りの場合、その「刺青」がいわゆるヤクザ者の彫物であると限定するなら、社会通念上それらが「反社会的」な意味合いを持っていることがほぼ確立しており、それを「お断り」とすることには一定の社会的理解が得られると予想されます。そうした事例については社会通念を用いて判断するのが通常であり、「刺青禁止」の告示そのものが、ただちに是正されるべきと判断されるいわれはないと考えられます。
 もとより、「刺青」そのものが、法案の定める『人種等』の定義にかかるものかどうかは議論の余地があると思われますが(信条に入るかどうかというところ)。

(コメント)『刺青お断りの場合、その「刺青」がいわゆるヤクザ者の彫物であると限定するなら』とありますが、私の記憶では、サウナや風呂屋の掲示には、そうした限定はありません。

『「刺青」が法案の定める『人種等』の定義にかかるものかどうか、議論の余地がある』という点に賛成です。私も、その辺が気になったので、古賀先生の東京事務所に電突しましたが、『ご意見は承るが、個々の質問についての回答は難しい。』と秘書の方から言われました。法務省にも電突しましたが、『法案がまだできていないので回答できない。』とのことでした。公明党の政策調査会にも電突しましたが、『担当者が会議中』とのことで、お話しを聞くことができませんでした。これら電突については『人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-2』で報告しました。

    (余談)6月17日のエントリー『古賀誠事務所に電突しました。』で、人権擁護法案について
    古賀先生のお考えをHPに掲載して欲しいと電突したところ、6月30日に、古賀先生のHPで、
    要望にお応えいただきました。(もっとも検討中だったそうなので、私が
    電突しなくても掲載されていたわけですが。)


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 『不合理なただの思い込み』で構成されるのが世間であるとしたら、その不合理を是正するのが法というものです。世俗世間の感覚で法律を語ることは、それ故に間違いです。よって、仮にあなたのその言い分に理があると仮定しても、それをもって法案を批判するのは、ただの筋違いです。

(コメント)世間の不合理を是正するためには、法律だけではなく、世間の知恵が必要だと思います。法律と世間の知恵がセットでないなら、法案に反対する人がでてもやむを得ないと思います。

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 では、部屋を借りようとした在日コリアン夫婦に、彼らの資質は問わずに問答無用で「貸せない」と言うのが「誠意」でしょうか? 以前の経緯を伝え、彼らの言い分も聞き、貸せるだけの信頼感を得られるかどうか確かめることを放棄した不動産業者・家主の態度も、その意味で誠意があったとは思えません。

 そうした対話を経てから、最終的な判断を下そうとする姿勢こそが誠意ある態度と言えるでしょう。誠意は片方から差し出されるだけでは実りません。

(コメント)この件では、最初に不誠実な対応をしたのは在日です。ですから、家主から誠意を示すのは順序が逆だと思います。誠意が片方から差し出されるものでないなら、まず在日から誠意を示すべきケースだと思います。

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 世俗的には不動産業者側に同情的でしょうし、個人的にも気の毒と思いますが、だからといって「次から無条件に在日コリアンには貸さない」を許容することは出来ません。「公」から見れば、それ自体は単なる差別だからです。そして「公」は時として「私」と対立し、多くの場合「公」が優先されるべきだからです。

(コメント)法律と世間とのギャップがあった場合、法律を無条件で優先させるのは、差別に対する問題解決にはならないと思います。あと、「公」とは法律のことではなく、『世間の常識』を指すのではないでしょうか。

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>本人が謝らなかったら、親兄弟や夫婦の他方が代わりに謝る

 世俗的、社会的にはそうかもしれません。それは、イラクで起きた数件の日本人拉致被害の様子を見ても明らかでしょう。

 しかしながら、それは法律的には正しくありません。ここで当方は法律的な感覚で人権擁護法案を見ているので、すでに成人した子の責任が親に及ぶことを是とはしません。法的責任は、あくまでも当人一人にのみ帰せられるものです。

(コメント)法律は世間(世論)の支持が必要だと思います。また、法律上、親に責任がないとしても、世間上では親にも一定の責任があると思います。

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>在日団体の責任者について

 その論法自体は納得できないわけではありませんが、では在米日本人が犯罪をしたら、駐米大使が被害者に頭を下げるべきなのでしょうか? 

(コメント)在米日本人に対する排斥運動が米国で起きるとは思えませんが、もし、そういう兆候があるならば、日本人会のしかるべき立場の方や、場合によっては駐米大使が遺憾の意を表すべきだと思います。ただ、国によって世間の常識は変わりますから、こうした日本の常識が、米国で通用するかはわかりませんので、米国の常識に沿って行動すればいいと思います。

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>米軍関係者の犯罪に対して、彼らが日米地位協定という理屈を持ち出してくるからです。

 理屈ではなく法的にそういう取り決めがあるのですから、彼らがそれを持ち出すのは当然のことで、文句を言う筋合いではありません。協定の内容が悪いのなら日本国政府に批判を浴びせるべきです。犯罪行為そのものへの非難は当人達に直接浴びせるべきですが。

 なお在留米軍人・軍属の場合、彼らは(犯罪行為をした時がプライベートタイムであったとしても)一種の公人ですので、単に私人でしかない在日コリアンたちの行為と並立で語ることは出来ません。

(コメント)法律の適用について文句を言っているのではありません。世間を説得することが大切だと申し上げているだけです。

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>御巣鷹山に日航機が墜落

 私企業の行動と、任意団体程度の意味合いしかない在日団体を同列に語ることも、米軍の場合と同様に無理があります。この場に相応しい例ではありません。

(コメント)法人であることは同じです。私団体も公共団体も区別なく、世間の一員として、世間の常識に沿って、他の人達とうまくやっていく必要があると思います。

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>理屈の問題ではない

 法律の問題は徹頭徹尾理屈の問題ですので、その違いは理解しておいてください。

(コメント)法律は政治の産物です。政治と世間(世論)とは切り離せないと思います。世間から切り離して、法律論を論じるのはよくないと思います。

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 当方が言っている「説得力」とは「議論をする中での説得力」「反論する上での論理的展開としての説得力」ですので、世俗的世間的な「人の心を動かす」ということとは関係がありません。

 議論的に説得力がある上で、人の心が動かせるならそれが理想でしょうが、おおむね「人の心に訴える」ことが迎合主義になりやすいことは、かつての「社会党マドンナブーム」のような流れが証明しているかと思われます。

(コメント)それもまた、一つの見識だと感じました。

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 差別とは、こうした「森」と「木」の片方だけを見て、両方を見ないことが遠因だろうかと思う。一本の木が悪い木だから、他の木もすべて悪いに違いない。森全体がどうも雰囲気が悪いから、一本一本の木もすべて悪いに違いない。

 差別を生む根っこというのは、つまりは「一知半解」だったり「短絡思考」だったりするわけだ。情報の不足、判断の放棄。そういうことだ。

 やっかいなことに、こうした「根っこ」の部分は、差別意識とはまるで関係ない、「物事を考える方法」の中に存在する。だから、こうした「方法」を身につけている人間からは、いくらでも差別的な思考が生まれてくる余地がある。逆差別もまた然り。

 法案絡みの下らん議論・解釈論などよりも、本当はそちらの方こそ語られるべきなんだろうとは思う。差別や人権侵害を生むのは、差別的意識などではなく、ものの考え方そのものにある。だから、人は誰でも、いつでも、差別をしてしまう可能性があるのだ。

 足りない知識で結論を導くのはやめよう。人の話を鵜呑みにするのはやめよう。自分の頭で考えよう。一本ずつの多様な木が集まって、大きな森になっていることを知ろう。たったそれだけのことじゃないか。なぜそれが出来ないんだ。

(コメント)おそらく、差別の根っこは「人間が人間だから」だと思います。人間が人間であることが差別の原因なので、どんな法律ができても差別はなくならないと思います。

『法案絡みの下らん議論・解釈論などよりも、本当はそちらの方こそ語られるべきなんだろうとは思う。』というご意見に賛成です。本当は政治家が率先して語るべきことだし、マスコミもそうした発言を積極的に取り上げるべきだと思います。ただ、マスコミの偏向が著しいので、政党や政治家などへ、インターネットを使って直接的に有権者に語りかけて欲しいと、電突している次第です。

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plummet様へ

plummet様から色々なご指摘をいただきましたので、まとめようと思います。コメント欄で議論を続けるのはかなり大変だし、plummet様がエントリーで続けるというので、私もエントリーで続けたいと思います(エントリーとは記事のことですよね?)




経 緯

1 私が、7月9日に『人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-2』を書く。

2 私が、7月13日に『これも人権侵害なのか?』を書く。

3 plummet様がご自身のブログの『女装趣味の社会通念上の認知の度合いについて 』という記事で、私の記事にコメントされる。

4 私が、7月16日に『人権擁護法案の妥協点など』という記事で、plummet様の記事にコメントする。

5 『人権擁護法案の妥協点など』のコメント欄でplummet様と私でやり取りした。


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コメント欄でのやり取りを再掲します。


plummet様 2005-07-16 11:55:03

>人権擁護法案の問題点は、『不特定多数』に対する言動を規制するところ

それを明示している条文を見たことがないので、具体的に第何条のどの文面から解釈したのか提示願いたいです。見たことがありませんので。


 その他内容へのレスポンスを。

>難しすぎて……

 いろいろ検索するだけで勉強できますので理解してみてください。差別を語るのに必要な知識です。

>「キモイ」と思われたから追い出された

 もしもこの店舗が他の「普通の」男性を追い出さない場合、女装男性は「男性」という共通項以外の理由で追い出されたことになるので、その辺りから考えてください。

>男子禁制

 (目的はどうあれ)男性への販売のみを禁止とする場合、女装男性が店内に立ち入り品物を見ることまでは禁止できないので、前提となる店側の「閉め出したい動機(女性客が不快がる)」を満たせないので、店側の措置として有効ではありません。よって「男子禁制」と判断しております。その辺りご理解を。
 「特定の目的」での販売のみ止めたい場合、「性別」がかからないので法案にひっかかりません。(「特定の目的」と「男性」が一緒にならない限り該当しない条件ではダメ)
 ちなみに男性に女装趣味があること自体を「なにを考えてるんだか・・・」と論評する行為は、法案にはかかりませんが、差別的ではあるでしょう。「そういう趣味はひっそりやりなさい」の意味では、その限りではありませんが。

>銭湯

 単に「外国人お断り」は言い訳できない差別です。「入浴マナーを守れない外国人お断り」なら、まだしも議論の余地があるでしょう。
 女装男性の場合もこれと同様なのですが、「特定の条件」+「人種等」の合わせ技なら、直ちに「法案が禁ずる差別である」とは断定できません。

>ピンク色&在日お断り

 上記の理由とおなじく、単に「在日コリアンの入居お断り」は差別です。壁をピンクに塗ったのは「その人だから」と考えるのが自然であり「在日コリアンだから」ではないからです。

>帰納的類推

 帰納的類推というのは、たった一件の事象から(壁をピンクに塗られた)ことから導けるような単純な論理ではないと思いますけれども。「在日コリアン」という大きな母数に比例したサンプル数が必要でしょう。
 差別が発生するメカニズムは、そのような「ぶっ壊れた論理」で性急な結論を導くことにあるのではないでしょうか。


ブログ主 2005-07-17 01:34:48

コメントをいただきまして、どうもありがとうございました。

>『不特定多数』に対する言動を規制するところ

第三条2項にある『不特定多数の者に対して』です。


> いろいろ検索するだけで勉強できますので

そうみたいですね。ボチボチと調べていこうと思います。


>>「キモイ」と思われたから追い出された
> もしもこの店舗が他の「普通の」男性を追い出さない場合、女装男性は「男性」という共通項以外の理由で追い出されたことになるので、その辺りから考えてください。

性別については、確かにその通りでした。


>男子禁制

前段については納得しました。
ただ、「なに考えてるんだか」は、女性下着の試着を試みる行為に対してであって、女装趣味に対してではありませんので、そのへんをご理解いただければと思います。

>銭湯

私が取り上げた事例は「彫物(刺青)の人お断り」ですが、「外国人お断り」はご指摘の通り「不当な差別」だと私も思います。


>ピンク色&在日お断り

これは「不当な差別」とは一概に言い切れないと思います。差別にあたる理由として、『「その人だから」と考えるのが自然であり』とありますが、これは個人主義のいきすぎではないかと思います。個人の行為に対する類推が、その個人が属するカテゴリに及ぶのは、自然なことだと思います。それも行き過ぎれば『不当な差別』になるでしょうが・・・。

>帰納的類推

「サンプルが必要」というのは、確かに一つの見識ではありますが、世間とは理屈どおりに動くものでしょうか。

例えば、ピンク色の件では、東京都の人がやったから、これからは東京都出身者に部屋を貸さないという理屈は筋が通りません。しかし、国籍というカテゴリに関しては微妙なところだと思います。在日については、親なり在日団体の責任者なりが、大家に対して『身内のものが不始末をしでかしまして、申し訳ありませんでした。』と謝罪し賠償するのが常識でしょう。信頼というのは、そうやって築き上げていくものであって、理屈でどうこうするものではないと思います。


plummet様 2005-07-17 02:53:56

>人権擁護法案の問題点は、『不特定多数』に対する言動を規制するところ

 つまり三条二項の一号と二号ということですね?
 これらは「不特定多数の者を、人種等を理由にして差別させよう/しようとする」行為の禁止であり、不特定多数を対象にした「言論・言動」を無制限に規制する条文ではありません。たとえば「××国人はみんな馬鹿」「××地区の出身者は屑」といった言動は規制対象外です(侮辱罪にはなるでしょうが)。そうした言動はこの法案の場合、せいぜい一般救済で処理されるものです。
 対象こそ不特定多数ですが、その適用範囲は相当に限られており、安易に「不特定多数への言動を規制」と書くのは、無用な不安と萎縮を導く結果(自分の何気ない一言が禁止対象に入るのではないか)になりますので、自重して頂きたいところです。


>ピンク色

 風呂の「(マナーが悪く日本人客が不快だから)外国人お断り」を差別だと認識しながら、「(壁をピンクに塗られたことがあるから)在日コリアンお断り」が差別だと一概に言えない、と保留がつくのは理解できません。サンプル数としてはむしろ北海道の銭湯の事例の方が多く、帰納的論理的には前者こそ「一概に差別とは言い切れない」度合いが高い事例と言えます。帰納的思考については下を見てください。

>個人の行為に対する類推が、その個人が属するカテゴリに及ぶのは、自然なこと
>帰納的類推

 その場合の類推は、不合理です。帰納的思考・類推はたった一つのサンプルで導けるほど単純ではありません。これは前回も書きましたが。それについてはリンクを参照してください。特に二段落目です。たった一つの事例から結論を導くのは、帰納的思考ではなく、ただの思い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D


>在日については、親なり在日団体の責任者なり

 個人の行為に対して「在日団体の責任者」という人を引きずり出す理屈がありません。未成年でなければ親の出る幕でもありません。「その人」を固有の一人格として認めておらず、常に保証人が必要だとでもお思いなのでしょうか。
 迷惑をかけた行為に謝罪が必要なのは当然のことで、論を待ちませんが、当人の責任に帰するべきものを当人が属する母集団に負わせる道理はありません。日本人の誰かが殺人者だからといって、日本人が殺人民族であると言えますか? 海外で日本人が犯罪を犯したら、総理大臣が謝罪に出向くべきなのでしょうか? そうではないでしょう。

 あなたの論法は、中韓朝が現代の我々を過去の罪によって責め続ける論法と、根本が同じであることを認識してください。その上で考え直してみてください。なにかに反対することは、言論の自由がある日本ではおおいにやって良いことですが、その理由が不合理だった場合、反対論自体の説得力は消失します。
 長くなりましたのでコメント欄ではこれまで。これ以後も続ける場合にはエントリーで書き起こしていくことにしようと思います。


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> つまり三条二項の一号と二号ということですね?
 これらは「不特定多数の者を、人種等を理由にして差別させよう/しようとする」行為の禁止であり、不特定多数を対象にした「言論・言動」を無制限に規制する条文ではありません。たとえば「××国人はみんな馬鹿」「××地区の出身者は屑」といった言動は規制対象外です(侮辱罪にはなるでしょうが)。そうした言動はこの法案の場合、せいぜい一般救済で処理されるものです。
 対象こそ不特定多数ですが、その適用範囲は相当に限られており、安易に「不特定多数への言動を規制」と書くのは、無用な不安と萎縮を導く結果(自分の何気ない一言が禁止対象に入るのではないか)になりますので、自重して頂きたいところです。

(コメント)条項の対象は、公務員や事業主の不当な差別に限られていますが、不特定多数であることに変わりはありません。例えば、この法案が通ったら、「横田めぐみさんを返さない金正日に忠誠をつくす北朝鮮人に売る物はない。帰ってくれ。」と、商売をしている人が言えなくなるではありませんか。はっきりいって、金正日を信奉する人たちは異常だと思いますし、そういう連中は日本からさっさと出て行って欲しいと思う私としては、金正日に忠誠を誓う連中の人権を守るよりも、そういう人達を非難する人達の人権を尊重するべきだと思うので、そうした非難を禁止する人権擁護法案には反対です。

(追加)あと、侮辱罪は個人的法益侵害が対象なので、ご指摘の事例では侮辱罪にはならないと思います。


> 風呂の「(マナーが悪く日本人客が不快だから)外国人お断り」を差別だと認識しながら、「(壁をピンクに塗られたことがあるから)在日コリアンお断り」が差別だと一概に言えない、と保留がつくのは理解できません。サンプル数としてはむしろ北海道の銭湯の事例の方が多く、帰納的論理的には前者こそ「一概に差別とは言い切れない」度合いが高い事例と言えます。帰納的思考については下を見てください。

(コメント)国籍に対して一定の意見があるのは、ある程度はやむを得ないのではないかと思います。外国人お断りについては、日本人以外のすべての人達を対象にしているので、それは少し行き過ぎではないかと思います。

(あと、私の風呂屋のエントリー内容は北海道の一件ではなく、「彫物(刺青)の人お断り」の掲示についてです。)


> その場合の類推は、不合理です。帰納的思考・類推はたった一つのサンプルで導けるほど単純ではありません。これは前回も書きましたが。それについてはリンクを参照してください。特に二段落目です。たった一つの事例から結論を導くのは、帰納的思考ではなく、ただの思い込みです。

(コメント)たしかに不合理です。しかし、世間とはそういうものだと思います。だから、家主がピンクの一件で在日に対して偏見を持ったとしても、不合理の一言で家主を非難するのはよくないと思います。また、そういう不合理を解消する方法が誠意であり、その誠意の表し方が日本にはあるのだから、在日もそれに従うべきだと思います。

> 個人の行為に対して「在日団体の責任者」という人を引きずり出す理屈がありません。未成年でなければ親の出る幕でもありません。「その人」を固有の一人格として認めておらず、常に保証人が必要だとでもお思いなのでしょうか。
 迷惑をかけた行為に謝罪が必要なのは当然のことで、論を待ちませんが、当人の責任に帰するべきものを当人が属する母集団に負わせる道理はありません。

(コメント)これはケースによると思いますが、未成年であろうと無かろうと、家族が悪いことをしたら、そして本人が謝らなかったら、親兄弟や夫婦の他方が代わりに謝るのは当然ではないでしょうか。「世間をお騒がせして申し訳ありません。」というのは、本人専用のことばではないと思います。

在日団体の責任者については、他国の中で外国人がトラブルを起こしたら、それなりの立場の人が、何らかのアクションを起こす方が、その後に生じるであろう余計な偏見などを減らせるのではないか、ということです。

沖縄で米軍関係者が疎んじられているのも、米軍関係者の犯罪に対して、彼らが日米地位協定という理屈を持ち出してくるからです。確かに、法律通りすすめるのは当然としても、それとは別に、しかるべき立場の人が一言「申し訳なかった。」というべきなのです。御巣鷹山に日航機が墜落したとき、ボーイング社はすぐに遺憾の意を表明し、遺族の気持ちもだいぶ救われたとききます。これは誰に責任があるとかないとかの問題ではない、理屈の問題ではないと思います。


> あなたの論法は、中韓朝が現代の我々を過去の罪によって責め続ける論法と、根本が同じであることを認識してください。その上で考え直してみてください。なにかに反対することは、言論の自由がある日本ではおおいにやって良いことですが、その理由が不合理だった場合、反対論自体の説得力は消失します。

(コメント)plummet様がおっしゃる説得力が人の心を動かすということならば、説得力の有無は、合理的か否かだけで決まるものではないと、私は思います。


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戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案

(コメント)民主党の岡崎トミ子、他八名が、こんな法案を国会に提出してます。衆議院HPから次の順序で選択します。

立法情報→議案→参法の一覧→提出回次162→番号1→戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案  

自民党が本法案を潰すことは間違いないでしょうが、こんな法案を提出する議員の見識を疑います。ちなみに岡崎トミ子HPを読むと、この人は現在、民主党の副代表です。民主党に投票する気がゼロになりました。岡崎トミ子は比例代表で議員になっているようなので、本法案に反対の人は、これからの選挙で、民主党以外に投票してください。

こんな法案を出す国会議員が副代表???  もう民主党はイラナイ!!!



第一六二回

参第一号

   戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案



第一条【目的】 

この法律は、今次の大戦及びそれに至る一連の事変等に係る時期において、旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ、これによりそれらの女性の尊厳と名誉が著しく害された事実を踏まえ、そのような事実について謝罪の意を表し及びそれらの女性の名誉等の回復に資するための措置を我が国の責任において講ずることが緊要な課題となっていることにかんがみ、これに対処するために必要な基本的事項を定めることにより、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図り、もって関係諸国民と我が国民との信頼関係の醸成及び我が国の国際社会における名誉ある地位の保持に資することを目的とする。


第二条【定義】 

1 この法律において「戦時における性的強制」とは、今次の大戦及びそれに至る一連の事変等に係る時期において、旧陸海軍の直接又は間接の関与の下に、その意に反して集められた女性に対して行われた組織的かつ継続的な性的な行為の強制をいう。

2 この法律において「戦時性的強制被害者」とは、戦時における性的強制により被害を受けた女性であって、旧戸籍法(大正三年法律第二十六号)の規定による本籍を有していた者以外の者であったものをいう。

 

第三条【名誉回復等のための措置】 

1 政府は、できるだけ速やかに、かつ、確実に、戦時における性的強制により戦時性的強制被害者の尊厳と名誉が害された事実について謝罪の意を表し及びその名誉等の回復に資するために必要な措置を講ずるものとする。

2 前項の措置には、戦時性的強制被害者に対する金銭の支給を含むものとする。

 

第四条【基本方針】 

1 政府は、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図るための施策に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。

2 基本方針は、次に掲げる事項について定めるものとする。

 一 前条に規定する措置の内容及びその実施の方法等に関する事項

 二 前条に規定する措置を講ずるに当たって必要となる関係国の政
   府等との協議等に関する事項

 三 いまだ判明していない戦時における性的強制及びそれによる被
   害の実態の調査に関する事項

 四 前三号に掲げるもののほか、戦時性的強制被害者に係る問題の
   解決の促進に関し必要な事項

3 政府は、基本方針を定め、又は変更したときは、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。

 

第五条【関係国の政府等との関係に関する配慮】 

政府は、第三条に規定する措置を講ずるに当たっては、我が国が締結した条約その他の国際約束との関係に留意しつつ、関係国の政府等と協議等を行い、その理解と協力の下に、これを行うよう特に配慮するものとする。

 

第六条【戦時性的強制被害者の人権等への配慮】 

1 政府は、第三条に規定する措置を実施するに当たっては、戦時性的強制被害者の意向に留意するとともに、その人権に十分に配慮しなければならない。

2 政府は、第四条第二項第三号の調査を実施するに当たっては、戦時性的強制被害者その他関係人の名誉を害しないよう配慮しなければならない。

 

第七条【国民の理解】 
政府は、第三条に規定する措置を講ずるに当たっては、国民の理解を得るよう努めるものとする。

 

第八条【財政上の措置等】 
政府は、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図るため必要な財政上又は法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。

 

第九条【国会に対する報告等】 
政府は、毎年、国会に、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進に関して講じた施策及び第四条第二項第三号の調査により判明した事実について報告するとともに、その概要を公表しなければならない。

 

第十条【戦時性的強制被害者問題解決促進会議】 
1 内閣府に、戦時性的強制被害者問題解決促進会議(以下「会議」という。)を置く。

2 会議は、次に掲げる事務をつかさどる。

 一 基本方針の案を作成すること。

 二 戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図るための施策について
   必要な関係行政機関相互の調整をすること。

 三 第四条第二項第三号の調査を推進すること。

 四 前三号に掲げるもののほか、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進に
   関する重要事項について審議し、及びそれに関する施策の実施を推進すること。

3 会議は、その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長及び関係地方公共団体の長に対して、資料の提出、説明その他の必要な協力を求めることができる。

4 会議は、その所掌事務を遂行するため特に必要があると認めるときは、前項に規定する者以外の者に対しても、必要な協力を依頼することができる。

 

第十一条【会議の組織】 
1 会議は、会長及び委員をもって組織する。

2 会長は、内閣総理大臣をもって充てる。

3 委員は、内閣官房長官、関係行政機関の長及び内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第九条第一項に規定する特命担当大臣のうちから、内閣総理大臣が任命する。

 

第十二条【調査推進委員会】 
1 会議に、第十条第二項第三号に掲げる事務を行わせるため、調査推進委員会を置く。

2 調査推進委員会は、定期的に、又は必要に応じて、第四条第二項第三号の調査の状況及びその結果を取りまとめ、これを会長に報告するものとする。

3 調査推進委員会の委員は、学識経験のある者及び関係行政機関の職員のうちから、内閣総理大臣が任命する。

 

第十三条【政令への委任】 
前三条に規定するもののほか、会議の組織及び運営その他会議に関し必要な事項は、政令で定める。



附 則

(施行期日)

1 この法律は、公布の日から起算して一月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。

(内閣府設置法の一部改正)

2 内閣府設置法の一部を次のように改正する。

  附則第二条第五項を同条第六項とし、同条第四項の次に次の一項を加える。

  5 内閣府は、第三条第二項の任務を達成するため、第四条第三項各号及
  び前各項に掲げる事務のほか、戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関
  する法律(平成十七年法律第   号)がその効力を有する間、同法の規
  定による戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図るための施策に
  関する事務をつかさどる。

  附則第四条の二に次の一項を加える。

  2 戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律がその効力を有する
  間、同法の定めるところにより内閣府に置かれる戦時性的強制被害者問題解
  決促進会議は、本府に置く。

(日本道路公団等民営化関係法施行法の一部改正)

3 日本道路公団等民営化関係法施行法(平成十六年法律第百二号)の一部を次のように改正する。

  第六十二条中「とする」を「とし、同条第六項を同条第五項とする」に改める。

 (この法律の失効)

4 この法律は、附則第一項の政令で定める日から起算して十年を経過した日にその効力を失う。



理 由

 今次の大戦及びそれに至る一連の事変等に係る時期において、旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ、これによりそれらの女性の尊厳と名誉が著しく害された事実を踏まえ、そのような事実について謝罪の意を表し及びそれらの女性の名誉等の回復に資するための措置を我が国の責任において講ずることが緊要な課題となっていることにかんがみ、これに対処するために必要な基本的事項を定めることにより、戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図る必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。


この法律の施行に伴い必要となる経費

 この法律の施行に伴い、戦時性的強制被害者問題解決促進会議における調査推進委員会の設置等に関し必要となる経費は、平年度約六百十万円の見込みである。
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人権擁護法案の妥協点など

世界の中心で左右をヲチするノケモノというブログの女装趣味の社会通念上の認知の度合いについて で、これも人権侵害なのか?について批評をいただきました。かなり内容が詳しいです。トランスセクシュアルとトランスジェンダーという言葉も、その批評で始めて知りました。コメントを寄せる人たちも、かなり詳しそうです。みなさんもお読みになることをお勧めします。


   > さらに言うと、その女装男性は「キモイ」と思われたからそれを理由に
   > 追い出されてるんであって、「性別」を理由に追い出されてるわけでは
   > ない。よって根本的に第三条で判断すべき事案ではない。


まず、「キモイ」と思われたから追い出された≠「性別」を理由に追い出された、ゆえに、第三条で判断すべきではないという主張です。私が思うに、「キモイ」と思われた発端が男性の女装にあり、女性の女装は「キモイ」と思われないわけですから、ここに「性別」が関係していることは間違いないので、「キモイ」→追い出す→性別による差別→第三条違犯 という理屈は成立すると思います。

問題なのは、第三条の要件にある『不当』とは何か?です。不当でない差別は人権擁護法案も認めています(不当でない差別という言葉もへんですが)。


   > 法案の「人種等」に含まれる「性的指向」は、同性愛・異性愛・無性愛・
   > 両性愛といった、性愛が向かうセクシュアリティーの指向性を指している
   > ので、トランスセクシュアルというだけでは法案の保護対象にならないの
   > が条文面の状況だ(こういうところもハンパなんだよな)。


なるほど。というか、難しすぎてよく理解できませんでした・・・・・


   >  カップル(家族連れも含む)での来店が皆無なわけでもなし、店がそん
   > なことするかね、百貨店程度で。専門店ならまだしも。だいたい百貨店じ
   > ゃ店ごとの壁・間仕切りだってないところあるだろうに。そこで男子禁制
   > とか言われても説得力なさすぎるっつーか無意味。
   > 想定自体にそういう問題はあると思うのだが、とりあえず考える。


『男子禁制』と『男性客お断り』の混同のように感じました。私のイメージとしては、恋人や妻のために女性下着を購入する男性客ではなく、自分が着用するための男性客です。

  余談:親しい女性に下着をプレゼントするというのは、アメリカではけっこう
     あるようです。テレビでみました。一人で来店して、キャミソール(?)
     などを数分で購入して立ち去るようです。男性客は、来店から購入までが
     滅茶苦茶早いと店員が証言してました。男性から下着をもらって女性がう
     れしいと思うか?という街頭インタビューもしていましたが、どんな反応
     があったのかは忘れました。

男子禁制なら『ありえない』でしょうが、男性客お断りならば、『まったくありえない』ことではないのです。なぜなら、次のような客がいたとマスメディアで放送していたからです。

『妻のパンティーを買いたいのだが、私と妻のサイズは同じなので試着させてもらっても良いでしょうか?』と店員に聞いてきたそうです(なにを考えてるんだか・・・)。こういう客もいるのを知っていたので、女装男性について書いてみました。


    > まぁ最初に言ったように、店側でそんな張り紙することに意味はないと
    > 思うんだけどな( ゜Д゜)y─┛~~
    > そんなわけで、1、2の想定とも「ねぇよ」で終わりそうな気配である。


女装男性と異なり、お風呂屋の掲示は現在進行形の事柄なので、人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-2で書いたお風呂屋の件も批評していただけるとうれしいです。

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結局のところ、女装男性の例に限らず、『不当な差別』とは一体全体なんなのか?ということが、大きな問題として横たわっていると思います。在日朝鮮人が、自分が借りているアパートの室内をピンク色に塗り、それに懲りた家主が『在日お断り』としたら差別と言われたらしい、との話しが2ちゃんねるの電突スレッドにありましたが、これも人権擁護法案における『不当な差別』に当たるのでしょうか。

差別が発生する心理的メカニズムは、帰納的類推にあります。どのような経験から、どのような帰納的類推を行うのかを、法律によって不当と妥当に分類できるという前提が、この法案にはあります。『他の法律にもそういう前提はある。』と推進派は言うのでしょうが・・・・

私が思う人権擁護法案の問題点は、『不特定多数』に対する言動を規制するところです。これまでの法律で、不特定多数に対する言動を規制する法律があったでしょうか?私が知る範囲では、不特定多数に対する誹謗中傷を法律で規制すると、表現の自由を著しく圧することになるから、絶対に認められない、ということになっていたと思うのですが。詳しい方がいましたら、解説お願いします。

私の妥協点は、人権擁護法案のように、あらゆる差別を網羅的に規制する法律は、ショックが大きすぎるので、(門地)差別のような個別的差別を規制する法律を一度作ってみて、様子を見るというものです。
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船橋市立図書館のつくる会関係者書籍大量廃棄事件、逆転勝訴

(コメント)憲法で保障される思想の自由(憲19条)と表現の自由(憲21条)を公務員が犯したという判決のようです。つまり、一度購入した書籍を不当に処分すると、上記人権を犯すということのようですね。問題は『だったら、オマイラの書籍は絶対に購入してやらね~よ。』というサヨク司書の反撃を、どうやって封じるかということでしょう。市立図書館の購入書籍は、市議会の承認が必要なのでしょうか。もしそうなら、市議会がサヨク活動を封じ込めることも可能なんですが・・・・・・




判    例

平成17年07月14日 第一小法廷判決 平成16年(受)第930号 損害賠償請求事件

要    旨

公立図書館の職員が閲覧に供されている図書の廃棄について不公正な取扱いをした行為が当該図書の著作者の人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるとされた事例

内    容

件名 損害賠償請求事件 (最高裁判所 平成16年(受)第930号 平成17年07月14日 第一小法廷判決 破棄差戻し)
原審 東京高等裁判所 (平成15年(ネ)第5110号)

主    文

       原判決のうち被上告人に関する部分を破棄する。
       前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         

理    由

 上告代理人内田智ほかの上告受理申立て理由について

 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) 上告人A会(以下「上告人A会」という。)は,平成9年1月30日開催の設立総会を経て設立された権利能力なき社団であり,「新しい歴史・公民教科書およびその他の教科書の作成を企画・提案し,それらを児童・生徒の手に渡すことを目的とする」団体である。その余の上告人らは,上告人A会の役員又は賛同者である(ただし,上告人Bは,上告人A会の理事であった第1審原告Cの訴訟承継人である。以下,「上告人ら」というときは,上告人Bを除き,第1審原告Cを含むことがある。)。

(2) 被上告人は,船橋市図書館条例(昭和56年船橋市条例第22号)に基づき,船橋市中央図書館,船橋市東図書館,船橋市西図書館及び船橋市北図書館を設置し,その図書館資料の除籍基準として,船橋市図書館資料除籍基準(以下「本件除籍基準」という。)を定めていた。
 本件除籍基準には,「除籍対象資料」として,「(1) 蔵書点検の結果,所在が不明となったもので,3年経過してもなお不明のもの。(2) 貸出資料のうち督促等の努力にもかかわらず,3年以上回収不能のもの。(3) 利用者が汚損・破損・紛失した資料で弁償の対象となったもの。(4) 不可抗力の災害・事故により失われたもの。(5) 汚損・破損が著しく,補修が不可能なもの。(6) 内容が古くなり,資料的価値のなくなったもの。(7) 利用が低下し,今後も利用される見込みがなく,資料的価値のなくなったもの。(8) 新版・改訂版の出版により,代替が必要なもの。(9) 雑誌は,図書館の定めた保存年限を経過したものも除籍の対象とする。」と定められていた。

(3) 平成13年8月10日から同月26日にかけて,当時船橋市西図書館に司書として勤務していた職員(以下「本件司書」という。)が,上告人A会やこれに賛同する者等及びその著書に対する否定的評価と反感から,その独断で,同図書館の蔵書のうち上告人らの執筆又は編集に係る書籍を含む合計107冊(この中には上告人A会の賛同者以外の著書も含まれている。)を,他の職員に指示して手元に集めた上,本件除籍基準に定められた「除籍対象資料」に該当しないにもかかわらず,コンピューターの蔵書リストから除籍する処理をして廃棄した(以下,これを「本件廃棄」という。)。
 本件廃棄に係る図書の編著者別の冊数は,第1審判決別紙2「関連図書蔵書・除籍数一覧表」のとおりであり,このうち上告人らの執筆又は編集に係る書籍の内訳は,第1審判決別紙1「除籍図書目録」(ただし,番号20,21,24,26を除く。)のとおりである。

(4) 本件廃棄から約8か月後の平成14年4月12日付け産経新聞(全国版)において,平成13年8月ころ,船橋市西図書館に収蔵されていたDの著書44冊のうち43冊,Eの著書58冊のうち25冊が廃棄処分されていたなどと報道され,これをきっかけとして本件廃棄が発覚した。

(5) 本件司書は,平成14年5月10日,船橋市教育委員会委員長にあてて,本件廃棄は自分がした旨の上申書を提出し,同委員会は,同月29日,本件司書に対し6か月間減給10分の1とする懲戒処分を行った。

(6) 本件廃棄の対象となった図書のうち103冊は,同年7月4日までに本件司書を含む船橋市教育委員会生涯学習部の職員5名からの寄付という形で再び船橋市西図書館に収蔵された。残り4冊については,入手困難であったため,上記5名が,同一著者の執筆した書籍を代替図書として寄付し,同図書館に収蔵された。
 


 本件は,上告人らが,本件廃棄によって著作者としての人格的利益等を侵害されて精神的苦痛を受けた旨主張し,被上告人に対し,国家賠償法1条1項又は民法715条に基づき,慰謝料の支払を求めるものである。



 原審は,上記事実関係の下で,次のとおり判断し,上告人らの請求を棄却すべきものとした。
 著作者は,自らの著作物を図書館が購入することを法的に請求することができる地位にあるとは解されないし,その著作物が図書館に購入された場合でも,当該図書館に対し,これを閲覧に供する方法について,著作権又は著作者人格権等の侵害を伴う場合は格別,それ以外には,法律上何らかの具体的な請求ができる地位に立つまでの関係には至らないと解される。したがって,被上告人の図書館に収蔵され閲覧に供されている書籍の著作者は,被上告人に対し,その著作物が図書館に収蔵され閲覧に供されることにつき,何ら法的な権利利益を有するものではない。そうすると,本件廃棄によって上告人らの権利利益が侵害されたことを前提とする上告人らの主張は,採用することができない。



 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」であり(図書館法2条1項),「社会教育のための機関」であって(社会教育法9条1項),国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るような環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基本法7条2項参照)。公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サービス)のため,①図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,②図書館資料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないものとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。同基準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,①住民の学習活動等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること,②広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサービスを行うことができる体制を整えるよう努めること,③住民の要求に応えるため,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。
 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。

(2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

(3) 前記事実関係によれば,本件廃棄は,公立図書館である船橋市西図書館の本件司書が,上告人A会やその賛同者等及びその著書に対する否定的評価と反感から行ったものというのであるから,上告人らは,本件廃棄により,上記人格的利益を違法に侵害されたものというべきである。



 したがって,これと異なる見解に立って,上告人らの被上告人に対する請求を棄却すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち被上告人に関する部分は破棄を免れない。そして,本件については,更に審理を尽くさせる必要があるから,上記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。



よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉 治 裁判官 島田仁郎 裁判官 才口千晴)
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これも人権侵害なのか?

むかし、有楽町で観た光景です。



暇つぶしのために、ある百貨店の中をフラフラしてると、ピンクのワンピースを着た人が向こうから来るのがみえました。しかし、その人は何かがおかしい。ジロジロみるのは失礼なので、それとなく様子をうかがうと、その人は男でした(笑)

胸も膨らんでいるし、すね毛の処理もしてあるし、セミロングのかつらを付けているし、何しろスカートをはいていたので、遠目から見ると女性なのですが、近寄ってみるとやっぱり男なんです。どうみても50歳過ぎの色黒で、がっしりとした体型の、髭剃り後が青々とした男・・・・。私のほかにも異変に気づいた人が何人もいました。みなさん足を止めて唖然としながら、女装趣味の男を見ていました。




さて、ここからが本題です。こうした女装趣味の男性が、自分のコレクションとしてブラジャーを買い求めに、女性下着売り場に出入りすることを、百貨店側が禁止すると、人権擁護法(案)違犯になるかどうかです。ここで、人権擁護法案を確認してみましょう。


   第三条【人権侵害等の禁止】
   1 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
     一 次に掲げる不当な差別的取扱い
       ロ  業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者と
          しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い



『人種等』には性別も含まれることに注意してください(第二条5項)。女装趣味の男性が、ブラジャーを買い求めに女性下着売場を徘徊すると、当然のことながら、女性客は嫌がります。店員に苦情を言う女性客もいるでしょう。女性客の意を受けた店員が女装男性に対して、『商売の邪魔だから出て行ってください。』と発言し、追い出しにかかる行為は、上記に示す、人権擁護法案の第三条第1項一号ロにある不当な差別的取扱いにあたるのかが問題になります。



次に、百貨店側が女性下着売場に『男性客お断り』の掲示を公然と掲げた場合、以下に示す人権擁護法案に抵触するでしょうか。

   第三条【人権侵害等の禁止】
   2  何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
     二  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由
       として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、
       掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為


まさか・・・・・と思うでしょうが、見方によっては、百貨店側の掲示は、上に示す条文に抵触します。なぜなら、人権擁護法案第二条第5項で、『人種等』に性別が含まれているからです。つまり、上に示す条文は、性別を理由として、不当な差別的取扱いをする意思を、公然と表示することを禁じているからです。つまりここでも、女性下着売場から男性客を締め出すことは、不当な差別的取扱いにあたるかが問題になるわけです。



『不当な差別的取扱いに当たらない』と絶対に言い切れますか?私は、言い切れないと思います。なぜなら、小学生に対して、『勃起したペニスをヴァギナに挿入して・・・・』などという教育を、人形等を使って行うことは当たり前とする人達が厳然として存在するからです。非常識極まりないことを他人に押し付けようとする人達がいるからです。

人権というのは非常に繊細なものだと、私は思います。繊細だからこそ、人権擁護法案のように、と網をかけるように、すべての人権を擁護しようとする法案は、大雑把すぎて駄目なのだと思います。もし、本気で人権擁護に関する法案を作るならば、非常に細かい、個々の人権侵害に対して、一つづつ規制する慎重さが、要求されるのではないでしょうか。

中国ビザ地域拡大で小泉総理が、『やってみて駄目なら(そこで)考えればいい。』と言ったそうですが、そうした超大雑把な考えで人権を扱ったら、将来に禍根を残すこと間違いなしです(と個人的に思います)。
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人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-3

(コメント)これは、人権擁護法(案)違犯の典型例です。中国が人権後進国であることを示すニュースとして取上げたので、日本の法律は中国国内で適用できないなどの屁理屈はご遠慮ください。)

1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @あらいぐまさん大好き!φ ★[] 投稿日:2005/07/11(月) 23:09:24 ID:???0 BE:258233287-##
★日本人の入店時に謝罪要求 中国吉林省の料理店

・中国吉林省長春市の「城市晩報」は11日までに、同省吉林市の西洋料理店が
 「日本人は謝罪した後に入店すること」と記した札を掲げ、日本人客が歴史問題で
 謝罪しない場合は入店を拒否している
と伝えた。

 札は3月からドアの横に掛けてあり、店主は「侵略戦争で中国人民に重大な災難を
 もたらした歴史を認め、頭を下げてわびた場合」に限り、日本人の入店を認める
 としている。札を掛けて以降、日本人客は1人も来ていないという。 

 店主の行為について、中国各紙は「日本人に歴史を認識させることは中国人の
 責任だ」として肯定する声を載せる一方、「理性に欠ける」といさめる意見も
 紹介している。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050711-00000191-kyodo-int

※前スレ: http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1121080191/

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人権擁護法案


第三条【人権侵害等の禁止】
1 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。

  一 次に掲げる不当な差別的取扱い
    ロ  業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者と
      しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い


2  何人も、次に掲げる行為をしてはならない。

  二  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由とし
    て前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その
    他これらに類する方法で公然と表示する行為


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人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-2

(コメント)(旧)人権擁護法案を読んでいてふと思いついたことがあります。銭湯で『背中などに彫物(ようするに刺青)をした人お断り』という注意書きが書いてあるのを見たことがあるのですが、こうした表示行為が人権擁護法案における『不当な差別、人権侵害』に該当するのか、ということです。まず、関連する条文をピックアップしたので、赤文字部分を中心に読んでみてください。



第二条【定義】
この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。

2この法律において「社会的身分」とは、出生により決定される社会的な地位をいう。

3この法律において「障害」とは、長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける程度の身体障害、知的障害又は精神障害をいう。

4この法律において「疾病」とは、その発症により長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける状態となる感染症その他の疾患をいう。

5この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。


第三条【人権侵害等の禁止】

1 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
  一 次に掲げる不当な差別的取扱い
    イ  国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者と
      しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い

    ロ  業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者と
      しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い


    ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働
      関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取
      扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関
      する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する
     定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に
     基づく解雇を含む。)

  二  次に掲げる不当な差別的言動等
    イ  特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする
       侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動


    ロ  特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してす
       る性的な言動

  三  特定の者に対して有する優越的な立場においてその者に対してする虐待

2  何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
  一  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由と
     して前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又
     は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易
     に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類
     する方法で公然と摘示する行為

  二  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由とし
    て前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その
    他これらに類する方法で公然と表示する行為





(コメント)

条文を見てください。第三条第1項第一号のロに、『業として対価を得て(中略)権利又は役務を提供する者』とありますが、風呂屋もこれに該当すると思われます。つまり同条文は、『風呂屋は人種等を理由として不当な差別的取扱いをするな』といっているわけです。また、第二条第5項に『人種等とは(中略)信条をいう』とありますし、彫物は信条表現そのものですから、結局のところ同条文は、『風呂屋は彫物を理由として不当な差別的取扱いをするな』ということになります。他の客が嫌がるから、売上が減るからという理由で『彫物お断り』というのは、不当な差別・人権侵害です。

また、風呂に入ろうとした彫物をした個人に対して、『あんたはダメ!』などと発言をし、入浴を阻止する風呂屋の行為は、第三条1項二号イにある『特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動 』に該当します。

さらに、『お断り』の看板表示は、第三条2項二号にある、『人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為 』にも抵触します。

結論は、身体に彫物をしているという理由だけで、風呂屋が入浴を断わるなど差別的取り扱いをしたり、公然と表示するのは不当差別であり人権侵害なので、人権擁護法(案)違犯です。




・・・・・・・・・・・・・という理屈が成り立ってしまうの?と心配しました。

確かに、身体に彫物をしている人≠ヤクザなわけだし、彫物をしているだけで入浴お断りというのは不当差別だという理屈も成立しないわけではないけど、これってお風呂屋さんが可哀想ですよね。人権保護のためならお風呂屋さんが倒産の危機にあっても構わないっていうのもなんだか・・・・

小泉総理の中国人観光ビザ拡大のように『やって駄目だったら考えればいい』という考え方には反対なんです。・・・・私は。



そこで、電突してみました(昨日)。相手は法務省・公明党政策調査会・古賀誠事務所の三ヶ所です。法務省の人によると、法務省が作ったのはあくまでもたたき台であって、それを国会議員(自民党の部会など)が修正した結果はじめて法案になるのだから、現段階では法案もできていないわけで、法案の説明を求められても、法案そのものが存在しないのだから説明のしようがないそうです。
公明党政務調査会に電話したところ、担当者が会議中でした。古賀誠事務所に電話したら、意見を伺うことはできるが、質問に答えられる者がいないとのことでした。

・・・・結局全滅。(誰か銭湯業界団体からコメント取ってきて・・・)



あと、お風呂屋の掲示に限らず、人権擁護法案に抵触しそうな事柄がありましたら、お知らせください。一緒に考えましょう。
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人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について

第三条【人権侵害等の禁止】

1 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
  一 次に掲げる不当な差別的取扱い
    イ  国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者と
      しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い

    ロ  業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者と
      しての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い

    ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働
      関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取
      扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関
      する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する
     定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に
     基づく解雇を含む。)

(コメント)第三条第一項は、『取り扱い禁止』条項ともいえると思います。つまり、言論についての規制ではなく、物理的・社会的な取り扱いについて差別することを禁止していると思います。(イ)は公務員が差別的取り扱いをすることを禁止しています。(ロ)と(ハ)は雇用者が被雇用者や顧客について差別的取り扱いをすることを禁じています(例えば、民に物を売らないとか、民だから給料を安くするとか解雇するなど)。表現の自由を制限する条項ではありますが、言葉ではなく行動についての規制という点が、法務省のギリギリの見解なのだと思います。

  二  次に掲げる不当な差別的言動等
    イ  特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする
       侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動

    ロ  特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してす
       る性的な言動

(コメント)これは一号と異なり、言論に対しても規制を加えています。ただ、『特定の者に対し』という文言が非常に重要で、この号による表現の自由(という人権)の制限は、不特定多数に対する差別的言論を規制していない点が、法務省のギリギリの選択だったと思います。なぜなら、不特定多数に対する差別的発言は対抗言論により解消するというのが原則だからです。もし、不特定多数に対する差別的発言までが法により規制されるとなると、民主主義の根幹が脅かされるからです。

  三  特定の者に対して有する優越的な立場においてその者に対してする虐待

(コメント)これは家庭における幼児虐待や、職場におけるパワーハラスメントの規制を狙ったものと思います。


2  何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
  一  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由と
     して前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又
     は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易
     に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類
     する方法で公然と摘示する行為

  二  人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由とし
    て前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その
    他これらに類する方法で公然と表示する行為

(コメント)この項は、不特定多数に対する言論を規制するように見えます。おそらく、情報をまとめた書籍が企業の人事担当者に出回り、その結果、出身者が就職において差別されたことを念頭において作成された条項だと思われます。第一号については、『不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的』と、『当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報』の二点が争点になると思います。最初の争点では、本人の目的を人権委員会が調べることになります(大岡越前や長谷川平蔵のような人物が人権委員なら問題ないのでしょうが。)。二点目の、『容易に識別することを可能とする情報を適示』についてですが、これは一体全体どうやって判断するんでしょうか。先に示したように企業の人事採用者に情報の書籍を販売するというのであれば、これは大いに問題だとおもいますし、この条項を適用しても構わないと思いますが。

そういえばつい最近、韓国のゴルフ場で日本人お断りの看板を掲げてましたよね。あれこそまさしく人権擁護法案第三条第二項第二号違犯です。なぜなら、あの行為は条文にある、『不当な差別的取扱いをする意思を公然と表示する行為』にぴったりと該当するからです。この法案を読むと、韓国がいかに人権侵害国家であるかがわかります(笑)。


(コメント)法案作成を行った法務省担当者もギリギリの選択をしたと思いますが、図々しい連中に辟易している人たち(含自分)が、ネットで行った発言に対してまで、こうした条項で摘発される恐れはあるのでしょうか。オウム真理教も人権を盾にしてごり押ししてきましたからね。個人の人権侵害に対してのみ適用すべき実質的公平の原則を、集団に対して適用されたらたまりません。

少なくとも、拉致に関与した総連の構成員に対してまでも、人権委員になれる余地を残している時点で、私はこの法案に絶対に反対です。
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私法と憲法の関係

私人の間の私法上の関係に、憲法が保障する人権は効力を発揮するかという問題があります。色々な学説がありますが、判例・通説となっているのが『間接適用説』です。これは、私人の間の利害対立は私法の争いとするが、私法規定の一般条項を通じて、憲法上の人権は、私法の基準となるというものです。
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人権


人権とは

人権の定義が非常に流動的である理由は、人権そのものが時代によって変化しており、今後いろいろな種類の人権ができることが予想できるため、現在の人権はもちろん、将来に生じる可能性があるすべての人権を包括的に定義することが難しいためだと思います。人権の定義とは時代によって変化するという捉え方が一番正しいと感じます。調べた範囲でのいくつかの人権の定義を載せます。

日本国憲法
『侵すことのできない永久の権利』(11条)

世界人権宣言
『人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利』(前文)

国際人権規約 
『人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利』 (前文)

憲法学の従来の通説
『人間の権利』
『人間がただ人間であることのみに基づいて当然に持っている権利』

宮沢説
『「人間性」からいわば論理必然的に生ずる権利』

佐藤説
『人が人格的自立の存在として自己を主張し、そのような存在としてあり続ける上で不可欠な権利』



人権の分類

人権の分類にはいろいろありますが、ここではもっとも一般的と思われる人権の分類(の主だったところ)を紹介します。また、いくつかの人権について簡単に説明します。

人権
  自由権
    精神的自由
      思想及び良心の自由(第19条)
      信教の自由(第20条)
      表現の自由(第21条)
    経済的自由
      職業選択の自由(第22条)
      財産権(第29条)
    人身的自由
      適正手続原則(第31条)
  社会権
    生存権(第25条)
    教育を受ける権利(第26条)
    勤労の権利(第27条)
    労働基本権(第28条)
  参政権
    選挙権(第15条)
  包括的人権
    幸福追求権(第13条)
    法の下の平等(第14条)
  受益権(国務請求権)
    請願権(第16条)
    裁判を受ける権利(32条)


自由権
自由権とは人権思想の黎明期からある一番最初の人権であり、その根本は自然権にあります。自由権は自然権の特徴をかなり受け継いでいるので、自然権の特徴を捉えておくと、自由権の意味が分かってくると思います。

自然権の特徴は四つあります。一つ目は、国家より以前に存在する権利であるということです。つまり、自然権は国家から与えられるものではなく、国家は国家成立以前より存在する自然権を承認するに過ぎません。それゆえ、自然権は「前国家的権利」と言われることがあります。特徴の二つ目は、自然権とは国家を超越する権利であり、国家は自然権を制限することができないということです。三つ目の特徴は、国家から個人を解放する意味合いを持つことです。ここから自然権は「国家からの自由」と言われることがあります。つまり、自然権は、公権力による制限を排除することによって保護される性質があるということです。四つ目の特徴は、自由権が個人の権利であることです。生まれながらに持つ権利ですから、何らかの組織に所属することによって与えられる権利ではないということです。注意すべき点は自由権≠自然権という点です。たとえば自然権は不可侵ですが、日本国憲法における自由権は国家による制限が認められています。ここでは自由権≒自然権と考えてください。

精神的自由とは、人間の精神活動の自由を示す人権です。精神的自由の保障とは、公権力が個人に対して特定の思想を抱くことを強要することを禁じたり、特定の思想を持っているという理由で差別的扱いを禁じたりすることです。また、人に対して思想・良心について沈黙する自由(嘘をつく自由も含む)を与えることなどです。表現の自由は、反対行動を政府が鎮圧することへの反発から発していますので、そうした行動を制約する立法を政府が作ることを、憲法で厳しく禁止しています。経済的自由とは、私的財産を個人が自由に処分する権利(29条)であったり、職業選択についての自由(22条)を指します。精神的自由は、思想・良心・信教などの内面的な自由と、表現の自由などの外面的な自由に分けることもあります。

社会権
自由権に続いて誕生した人権が社会権です。社会権は、自由権とは逆に、公権力による介入を前提にします。つまり、公権力が社会的な弊害を是正することで保障される人権です。したがって社会権は『国家による自由』とも言います。社会権を保障する制度として、生活保護、病気・失業・老齢等の社会保険、身体障害・母子家庭などに与える社会福祉などが挙げられます。

包括的人権
包括的人権は、将来に生じる可能性がある未知の人権に備えた人権といえます。たとえば、自己決定権やプライバシー権などの新しい人権はここに含まれるものと理解できます。



人権の制限の基準

日本国内の人権は日本国憲法で保障されています。同時に、日本国憲法では、国家が人権を制限することも認めています。自由権(国家からの自由)の保障は、国家からの制限が少ないほど達成されていると考えられ、社会権(国家による自由)の保障は、国家からの保護が多いほど充実していると考えられます。ここで、国家による自由権に対する制限はどこまでが合憲なのか、国家による社会権に対する保護はどの程度施行すれば合憲といえるか、という問題が生じます。つまり、憲法の具体的実現は立法により行うので、立法が合憲・違憲のどちらであるかの判断基準が必要になるわけです。そうした基準として『公共の福祉』、『実質的公平原則』、『比較衡量の法理』、『二重基準論』、『明白にして現在の危険法理』などがあります。

公共の福祉
公共の福祉とは、人権を制限するための正当性を示す根拠です。判例で公共の福祉を人権制約の直接根拠とする例もあるようですが、基本的には、以下に示す法理などを表す包括的な言葉として理解した方がよさそうです。

実質的公平原則
1793年のフランス憲法人権宣言第6条『自由とは他人の権利を害しないあらゆることをする人間の力である。』にも表される、個人の人権が他人の人権と矛盾・衝突した場合に、前者の人権が制約されるという原則です。他者加害禁止原則とも言います。この理論の核心は、厳格な個人主義的観点から捉えた「他人の人権」に固執する点にあるため、きわめて限定された範囲内で用いられます。さもないと、人権を制約する諸立法の多くが、「他人の人権の保障」の名の元に合憲化される恐れがあるからです。この原則が適用されている立法として、名誉毀損罪(刑法230条)、侮辱罪(刑法231条)、脅迫罪(刑法232条)などの個人的法益侵害罪があります。

比較衡量の法理
ある人権を規制するデメリットと、規制によるメリットを比較して規制の合憲性を判断するという理論です。

二重基準
表現の自由を制約する立法は、他の人権を制約する立法よりも、合憲性が厳しく問われます。表現の自由に関する制限立法は、他の人権よりも違憲性が強く推定されるともいいます。このように表現の自由に対して、他の人権と異なる合憲性基準を適用することを二重基準といいます。二重基準を設ける理由は、表現の自由が、『自己実現の価値』と『自己統治の価値』を有するからと言われています。自己実現の価値とは、社会の色々な情報に触れ、議論を行うことで個人の発達を促す価値です。自己統治の価値とは、情報に触れたり議論を行うことで、主権者としての義務を果たす環境を提供する価値といえます。こうした意味で、表現の自由は民主主義実現のために不可欠な権利です。

明白にして現在の危険
『明白にして現在の危険』法理は、公共の福祉の具体的基準として用いられます。たとえば、表現の自由に対して政府が制約立法を設けることは、非常に強い違憲性がありますが、だからといってテロ活動を表現の自由として見逃すことは妥当な判断とはいえません。そこで、重大な加害行為が近い将来明らかに引き起すような言動を制限する根拠として、この法理が使われます。


人権の制限

精神的自由
精神的自由(国家からの自由)に対する立法による制限は強い違憲性があります。精神的自由が、民主主義の基盤となる人権であるとともに、政府による介入が働きやすい人権であることが理由であると思われます。ただ、精神的自由といえども、無制限に許される人権ではなく、公権力による介入が許されると解されています。

精神的自由は、表現の自由とその他の人権に分けて考えた方がよさそうです。表現の自由以外の精神的自由は、精神の内面性に関する人権ですから、これを公権力が規制してはいけないとうのは当然のことだと思います。一方表現の自由は内面的な精神活動を表現する人権ですから、表現する以上は他の人権とぶつかる可能性があるわけで、なんらかの規制が必要であることは仕方がないと思います。

表現の自由以外の精神的自由について、公権力が私人の精神的内面に直接踏み込む、いわゆる洗脳やマインドコントロールといったことを公権力に対して禁止する、と憲法を解釈する以外に、精神的内面に反する表現を強制することも、表現の自由以外の精神的自由を侵す事柄として、憲法は国家に対して禁止していると解釈することもあるそうです。

表現の自由は、二重基準の採用により、他の人権と比較して、国家からの介入がより厳しく制限されています。個人に対する誹謗中傷などの表現の自由は、実質的公平の原則を適用して、名誉毀損罪や侮辱罪として国家が制限されることが認められていますが、それ以外の、例えば、関西人は巻頭人よりもケチという表現などは、国家による制限が認められていません。

経済的自由
社会的自由は、公共の福祉などの理由により、国家による制限が認められています。たとえば、高速道路や飛行場を建設するために国家や自治体が私人の土地を買収・収用することなどが認められています。
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