plummet様へ

plummet様から色々なご指摘をいただきましたので、まとめようと思います。コメント欄で議論を続けるのはかなり大変だし、plummet様がエントリーで続けるというので、私もエントリーで続けたいと思います(エントリーとは記事のことですよね?)




経 緯

1 私が、7月9日に『人権擁護法案第三条【人権侵害等の禁止】について-2』を書く。

2 私が、7月13日に『これも人権侵害なのか?』を書く。

3 plummet様がご自身のブログの『女装趣味の社会通念上の認知の度合いについて 』という記事で、私の記事にコメントされる。

4 私が、7月16日に『人権擁護法案の妥協点など』という記事で、plummet様の記事にコメントする。

5 『人権擁護法案の妥協点など』のコメント欄でplummet様と私でやり取りした。


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コメント欄でのやり取りを再掲します。


plummet様 2005-07-16 11:55:03

>人権擁護法案の問題点は、『不特定多数』に対する言動を規制するところ

それを明示している条文を見たことがないので、具体的に第何条のどの文面から解釈したのか提示願いたいです。見たことがありませんので。


 その他内容へのレスポンスを。

>難しすぎて……

 いろいろ検索するだけで勉強できますので理解してみてください。差別を語るのに必要な知識です。

>「キモイ」と思われたから追い出された

 もしもこの店舗が他の「普通の」男性を追い出さない場合、女装男性は「男性」という共通項以外の理由で追い出されたことになるので、その辺りから考えてください。

>男子禁制

 (目的はどうあれ)男性への販売のみを禁止とする場合、女装男性が店内に立ち入り品物を見ることまでは禁止できないので、前提となる店側の「閉め出したい動機(女性客が不快がる)」を満たせないので、店側の措置として有効ではありません。よって「男子禁制」と判断しております。その辺りご理解を。
 「特定の目的」での販売のみ止めたい場合、「性別」がかからないので法案にひっかかりません。(「特定の目的」と「男性」が一緒にならない限り該当しない条件ではダメ)
 ちなみに男性に女装趣味があること自体を「なにを考えてるんだか・・・」と論評する行為は、法案にはかかりませんが、差別的ではあるでしょう。「そういう趣味はひっそりやりなさい」の意味では、その限りではありませんが。

>銭湯

 単に「外国人お断り」は言い訳できない差別です。「入浴マナーを守れない外国人お断り」なら、まだしも議論の余地があるでしょう。
 女装男性の場合もこれと同様なのですが、「特定の条件」+「人種等」の合わせ技なら、直ちに「法案が禁ずる差別である」とは断定できません。

>ピンク色&在日お断り

 上記の理由とおなじく、単に「在日コリアンの入居お断り」は差別です。壁をピンクに塗ったのは「その人だから」と考えるのが自然であり「在日コリアンだから」ではないからです。

>帰納的類推

 帰納的類推というのは、たった一件の事象から(壁をピンクに塗られた)ことから導けるような単純な論理ではないと思いますけれども。「在日コリアン」という大きな母数に比例したサンプル数が必要でしょう。
 差別が発生するメカニズムは、そのような「ぶっ壊れた論理」で性急な結論を導くことにあるのではないでしょうか。


ブログ主 2005-07-17 01:34:48

コメントをいただきまして、どうもありがとうございました。

>『不特定多数』に対する言動を規制するところ

第三条2項にある『不特定多数の者に対して』です。


> いろいろ検索するだけで勉強できますので

そうみたいですね。ボチボチと調べていこうと思います。


>>「キモイ」と思われたから追い出された
> もしもこの店舗が他の「普通の」男性を追い出さない場合、女装男性は「男性」という共通項以外の理由で追い出されたことになるので、その辺りから考えてください。

性別については、確かにその通りでした。


>男子禁制

前段については納得しました。
ただ、「なに考えてるんだか」は、女性下着の試着を試みる行為に対してであって、女装趣味に対してではありませんので、そのへんをご理解いただければと思います。

>銭湯

私が取り上げた事例は「彫物(刺青)の人お断り」ですが、「外国人お断り」はご指摘の通り「不当な差別」だと私も思います。


>ピンク色&在日お断り

これは「不当な差別」とは一概に言い切れないと思います。差別にあたる理由として、『「その人だから」と考えるのが自然であり』とありますが、これは個人主義のいきすぎではないかと思います。個人の行為に対する類推が、その個人が属するカテゴリに及ぶのは、自然なことだと思います。それも行き過ぎれば『不当な差別』になるでしょうが・・・。

>帰納的類推

「サンプルが必要」というのは、確かに一つの見識ではありますが、世間とは理屈どおりに動くものでしょうか。

例えば、ピンク色の件では、東京都の人がやったから、これからは東京都出身者に部屋を貸さないという理屈は筋が通りません。しかし、国籍というカテゴリに関しては微妙なところだと思います。在日については、親なり在日団体の責任者なりが、大家に対して『身内のものが不始末をしでかしまして、申し訳ありませんでした。』と謝罪し賠償するのが常識でしょう。信頼というのは、そうやって築き上げていくものであって、理屈でどうこうするものではないと思います。


plummet様 2005-07-17 02:53:56

>人権擁護法案の問題点は、『不特定多数』に対する言動を規制するところ

 つまり三条二項の一号と二号ということですね?
 これらは「不特定多数の者を、人種等を理由にして差別させよう/しようとする」行為の禁止であり、不特定多数を対象にした「言論・言動」を無制限に規制する条文ではありません。たとえば「××国人はみんな馬鹿」「××地区の出身者は屑」といった言動は規制対象外です(侮辱罪にはなるでしょうが)。そうした言動はこの法案の場合、せいぜい一般救済で処理されるものです。
 対象こそ不特定多数ですが、その適用範囲は相当に限られており、安易に「不特定多数への言動を規制」と書くのは、無用な不安と萎縮を導く結果(自分の何気ない一言が禁止対象に入るのではないか)になりますので、自重して頂きたいところです。


>ピンク色

 風呂の「(マナーが悪く日本人客が不快だから)外国人お断り」を差別だと認識しながら、「(壁をピンクに塗られたことがあるから)在日コリアンお断り」が差別だと一概に言えない、と保留がつくのは理解できません。サンプル数としてはむしろ北海道の銭湯の事例の方が多く、帰納的論理的には前者こそ「一概に差別とは言い切れない」度合いが高い事例と言えます。帰納的思考については下を見てください。

>個人の行為に対する類推が、その個人が属するカテゴリに及ぶのは、自然なこと
>帰納的類推

 その場合の類推は、不合理です。帰納的思考・類推はたった一つのサンプルで導けるほど単純ではありません。これは前回も書きましたが。それについてはリンクを参照してください。特に二段落目です。たった一つの事例から結論を導くのは、帰納的思考ではなく、ただの思い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D


>在日については、親なり在日団体の責任者なり

 個人の行為に対して「在日団体の責任者」という人を引きずり出す理屈がありません。未成年でなければ親の出る幕でもありません。「その人」を固有の一人格として認めておらず、常に保証人が必要だとでもお思いなのでしょうか。
 迷惑をかけた行為に謝罪が必要なのは当然のことで、論を待ちませんが、当人の責任に帰するべきものを当人が属する母集団に負わせる道理はありません。日本人の誰かが殺人者だからといって、日本人が殺人民族であると言えますか? 海外で日本人が犯罪を犯したら、総理大臣が謝罪に出向くべきなのでしょうか? そうではないでしょう。

 あなたの論法は、中韓朝が現代の我々を過去の罪によって責め続ける論法と、根本が同じであることを認識してください。その上で考え直してみてください。なにかに反対することは、言論の自由がある日本ではおおいにやって良いことですが、その理由が不合理だった場合、反対論自体の説得力は消失します。
 長くなりましたのでコメント欄ではこれまで。これ以後も続ける場合にはエントリーで書き起こしていくことにしようと思います。


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> つまり三条二項の一号と二号ということですね?
 これらは「不特定多数の者を、人種等を理由にして差別させよう/しようとする」行為の禁止であり、不特定多数を対象にした「言論・言動」を無制限に規制する条文ではありません。たとえば「××国人はみんな馬鹿」「××地区の出身者は屑」といった言動は規制対象外です(侮辱罪にはなるでしょうが)。そうした言動はこの法案の場合、せいぜい一般救済で処理されるものです。
 対象こそ不特定多数ですが、その適用範囲は相当に限られており、安易に「不特定多数への言動を規制」と書くのは、無用な不安と萎縮を導く結果(自分の何気ない一言が禁止対象に入るのではないか)になりますので、自重して頂きたいところです。

(コメント)条項の対象は、公務員や事業主の不当な差別に限られていますが、不特定多数であることに変わりはありません。例えば、この法案が通ったら、「横田めぐみさんを返さない金正日に忠誠をつくす北朝鮮人に売る物はない。帰ってくれ。」と、商売をしている人が言えなくなるではありませんか。はっきりいって、金正日を信奉する人たちは異常だと思いますし、そういう連中は日本からさっさと出て行って欲しいと思う私としては、金正日に忠誠を誓う連中の人権を守るよりも、そういう人達を非難する人達の人権を尊重するべきだと思うので、そうした非難を禁止する人権擁護法案には反対です。

(追加)あと、侮辱罪は個人的法益侵害が対象なので、ご指摘の事例では侮辱罪にはならないと思います。


> 風呂の「(マナーが悪く日本人客が不快だから)外国人お断り」を差別だと認識しながら、「(壁をピンクに塗られたことがあるから)在日コリアンお断り」が差別だと一概に言えない、と保留がつくのは理解できません。サンプル数としてはむしろ北海道の銭湯の事例の方が多く、帰納的論理的には前者こそ「一概に差別とは言い切れない」度合いが高い事例と言えます。帰納的思考については下を見てください。

(コメント)国籍に対して一定の意見があるのは、ある程度はやむを得ないのではないかと思います。外国人お断りについては、日本人以外のすべての人達を対象にしているので、それは少し行き過ぎではないかと思います。

(あと、私の風呂屋のエントリー内容は北海道の一件ではなく、「彫物(刺青)の人お断り」の掲示についてです。)


> その場合の類推は、不合理です。帰納的思考・類推はたった一つのサンプルで導けるほど単純ではありません。これは前回も書きましたが。それについてはリンクを参照してください。特に二段落目です。たった一つの事例から結論を導くのは、帰納的思考ではなく、ただの思い込みです。

(コメント)たしかに不合理です。しかし、世間とはそういうものだと思います。だから、家主がピンクの一件で在日に対して偏見を持ったとしても、不合理の一言で家主を非難するのはよくないと思います。また、そういう不合理を解消する方法が誠意であり、その誠意の表し方が日本にはあるのだから、在日もそれに従うべきだと思います。

> 個人の行為に対して「在日団体の責任者」という人を引きずり出す理屈がありません。未成年でなければ親の出る幕でもありません。「その人」を固有の一人格として認めておらず、常に保証人が必要だとでもお思いなのでしょうか。
 迷惑をかけた行為に謝罪が必要なのは当然のことで、論を待ちませんが、当人の責任に帰するべきものを当人が属する母集団に負わせる道理はありません。

(コメント)これはケースによると思いますが、未成年であろうと無かろうと、家族が悪いことをしたら、そして本人が謝らなかったら、親兄弟や夫婦の他方が代わりに謝るのは当然ではないでしょうか。「世間をお騒がせして申し訳ありません。」というのは、本人専用のことばではないと思います。

在日団体の責任者については、他国の中で外国人がトラブルを起こしたら、それなりの立場の人が、何らかのアクションを起こす方が、その後に生じるであろう余計な偏見などを減らせるのではないか、ということです。

沖縄で米軍関係者が疎んじられているのも、米軍関係者の犯罪に対して、彼らが日米地位協定という理屈を持ち出してくるからです。確かに、法律通りすすめるのは当然としても、それとは別に、しかるべき立場の人が一言「申し訳なかった。」というべきなのです。御巣鷹山に日航機が墜落したとき、ボーイング社はすぐに遺憾の意を表明し、遺族の気持ちもだいぶ救われたとききます。これは誰に責任があるとかないとかの問題ではない、理屈の問題ではないと思います。


> あなたの論法は、中韓朝が現代の我々を過去の罪によって責め続ける論法と、根本が同じであることを認識してください。その上で考え直してみてください。なにかに反対することは、言論の自由がある日本ではおおいにやって良いことですが、その理由が不合理だった場合、反対論自体の説得力は消失します。

(コメント)plummet様がおっしゃる説得力が人の心を動かすということならば、説得力の有無は、合理的か否かだけで決まるものではないと、私は思います。


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