総集編は数回続く、と書いた通り、おさらいの2つ目を書くよ。まだまだiPadについて考えるべき点はあるからね、いっぱいある。
iPadの2010年の登場というのは、よくできてるなあ、と思う。今年でなければならなかったと思うんだ。去年だと早すぎただろうし、来年だと遅かったんじゃないか。今年登場したことが、すごくよくできたストーリーになっている。そう思わないすか?
終始ネットにつないで使うタブレット端末。使い方はすべてアプリで行なう。しかもアプリを提供するのはAppleではなくあまたのサードパーティで、なんだったら個人でもいい。そんな端末は、2010年こそぜひとも必要だった。
まずiPhoneによって”Appleのハードとサードパーティのアプリ”によるエコシステムが成立していた。しかもiTuneStoreにクレジットカードを登録してある。そういう状態が必要だった。ここでよーく考えてみると、多様なアプリ、つまり音楽関係のアプリはごく一部にすぎないのに、それをMac上でダウンロードするのはiTunesという名前の音楽アプリケーションを使う。これって変じゃね?
もちろんぼくたちは、そのプロセスを知っているし体験してきてもいるから、変とも不思議とも思わないけど、よく考えると奇妙なことなんじゃないか。最初はCDアルバムから楽曲を自由に取りだすためのアプリケーションだったiTunesが、やがてアルバムをHDに入れて楽しむiPodとのセットになり、次には音楽を有料で配信するiTuneStoreも内包するようになり、そして"電話もできるiPod”であるiPhoneが登場するとアプリのプラットフォームとしても使われるようになった。
そういうプロセスがあってiPadは登場した。まずこの流れがよくできたストーリーだと思う。
でもそこだけだと、Appleのマーケティング戦略は少しずつ進化してきたね、ジョブズは天才だね、という話で終わるところ。
ところがそこに、マスメディアの凋落という現象が加わると、このタイミングで登場したiPadの偶然はいったいなんだ、と言いたくなってくる。マスメディアがまだまだ世界中で元気で、マス広告費の減少も起こってなかったとしたら、人びとが20世紀と同じようにマスメディアで満足しきっていたとしたら、iPadの登場はこれほど盛り上がってなかっただろう。
そしてもう一点、マスメディア凋落とも関係するのだけど、ソーシャルメディアがちょうどぐいぐい普及してきた2010年、というのもある。これがまた、去年だと早すぎだし来年だと遅すぎた最大のポイントだ。
ずいぶん前の「iPad=LIFE STATION」という記事で、ソーシャルの"互いに教えあう仕組み"とその先にあるメディアをiPadが呑み込んでしまうと書いた。これは日々痛感していることで、iPadを楽しむ起点がぼくにとってはすっかりTwitterになってしまっている。iPadでTwitterを読み、そこで教わったことをまたiPadで見るのだ。メディア視聴が8割方iPadで完結してしまう。だからiPadに大きな存在意義があるのだ。
マスメディアの凋落と、ソーシャルメディアの普及が明確になったのが2010年であり、iPad登場のインパクトはここしかありえなかったのだ。
なんたる偶然!もしくは必然!スティーブ・ジョブズが神でないとしたら(そしてもちろんそうではないのだけど)、いったいこの偶然のカタマリは何なのだろう?誰が仕組んだのだろう?Macintoshが登場し、その後すぐにジョブズがAppleを追い出され、しばらくすると復帰してiMacを皮切りにAppleをよみがえらせていった、そのひとつひとつが、iPadの伏線にすぎないんじゃないか、とさえ思えてくる。あ、ごめん、ちょっと大袈裟に言い過ぎた。
偶然か必然か、ジョブズが神かどうかも、これまでが伏線かどうかもぜんぶ置いといても、とにかくiPadは実に絶妙なタイミングで登場したことはまちがいない。そのことに登場の意義があり、"世の中変えちゃうかもしんない感”が漂ってしまうのだ。そこんとこ、iPadについて考える深味に入る前に、おさえとかないといかんのよ、というお話でした。
で、えーっと、おさらい編がまだ続くのかは、よくわかんない。たぶん続くんだと思うなー。
iPadの2010年の登場というのは、よくできてるなあ、と思う。今年でなければならなかったと思うんだ。去年だと早すぎただろうし、来年だと遅かったんじゃないか。今年登場したことが、すごくよくできたストーリーになっている。そう思わないすか?
終始ネットにつないで使うタブレット端末。使い方はすべてアプリで行なう。しかもアプリを提供するのはAppleではなくあまたのサードパーティで、なんだったら個人でもいい。そんな端末は、2010年こそぜひとも必要だった。
まずiPhoneによって”Appleのハードとサードパーティのアプリ”によるエコシステムが成立していた。しかもiTuneStoreにクレジットカードを登録してある。そういう状態が必要だった。ここでよーく考えてみると、多様なアプリ、つまり音楽関係のアプリはごく一部にすぎないのに、それをMac上でダウンロードするのはiTunesという名前の音楽アプリケーションを使う。これって変じゃね?
もちろんぼくたちは、そのプロセスを知っているし体験してきてもいるから、変とも不思議とも思わないけど、よく考えると奇妙なことなんじゃないか。最初はCDアルバムから楽曲を自由に取りだすためのアプリケーションだったiTunesが、やがてアルバムをHDに入れて楽しむiPodとのセットになり、次には音楽を有料で配信するiTuneStoreも内包するようになり、そして"電話もできるiPod”であるiPhoneが登場するとアプリのプラットフォームとしても使われるようになった。
そういうプロセスがあってiPadは登場した。まずこの流れがよくできたストーリーだと思う。
でもそこだけだと、Appleのマーケティング戦略は少しずつ進化してきたね、ジョブズは天才だね、という話で終わるところ。
ところがそこに、マスメディアの凋落という現象が加わると、このタイミングで登場したiPadの偶然はいったいなんだ、と言いたくなってくる。マスメディアがまだまだ世界中で元気で、マス広告費の減少も起こってなかったとしたら、人びとが20世紀と同じようにマスメディアで満足しきっていたとしたら、iPadの登場はこれほど盛り上がってなかっただろう。
そしてもう一点、マスメディア凋落とも関係するのだけど、ソーシャルメディアがちょうどぐいぐい普及してきた2010年、というのもある。これがまた、去年だと早すぎだし来年だと遅すぎた最大のポイントだ。
ずいぶん前の「iPad=LIFE STATION」という記事で、ソーシャルの"互いに教えあう仕組み"とその先にあるメディアをiPadが呑み込んでしまうと書いた。これは日々痛感していることで、iPadを楽しむ起点がぼくにとってはすっかりTwitterになってしまっている。iPadでTwitterを読み、そこで教わったことをまたiPadで見るのだ。メディア視聴が8割方iPadで完結してしまう。だからiPadに大きな存在意義があるのだ。
マスメディアの凋落と、ソーシャルメディアの普及が明確になったのが2010年であり、iPad登場のインパクトはここしかありえなかったのだ。
なんたる偶然!もしくは必然!スティーブ・ジョブズが神でないとしたら(そしてもちろんそうではないのだけど)、いったいこの偶然のカタマリは何なのだろう?誰が仕組んだのだろう?Macintoshが登場し、その後すぐにジョブズがAppleを追い出され、しばらくすると復帰してiMacを皮切りにAppleをよみがえらせていった、そのひとつひとつが、iPadの伏線にすぎないんじゃないか、とさえ思えてくる。あ、ごめん、ちょっと大袈裟に言い過ぎた。
偶然か必然か、ジョブズが神かどうかも、これまでが伏線かどうかもぜんぶ置いといても、とにかくiPadは実に絶妙なタイミングで登場したことはまちがいない。そのことに登場の意義があり、"世の中変えちゃうかもしんない感”が漂ってしまうのだ。そこんとこ、iPadについて考える深味に入る前に、おさえとかないといかんのよ、というお話でした。
で、えーっと、おさらい編がまだ続くのかは、よくわかんない。たぶん続くんだと思うなー。
twitterをトリガーデバイスとして、
テレビ、ラジオに流れ込んでるんですね。
じゃ、雑誌は、どうだ、映画はどうだ。
ってことです。
マッピング、頭の中では、結構クリアにできてますが、
歯医者行きます。
流れて行くのかというセッティングの
変化があります。
新聞TVラジオ全盛時代は、
新聞のテレビ、ラジオ欄がトリガーデバイスで、
新聞というトリガーから、テレビラジオに
人が、流しこまれるという構造があった。
なので、企業は、その導線上に、へばりつくような金の支払い方を考えた、広告代理店に金をはらった。
で、CDショップ、コーヒー屋、ショップ。
で、(新聞をふっとばして、とりあえず)TV。ラジオ。
でネット。
で、モバイル。
で、モバイルとネットの中間。
こういう流れで、どこがトリガーで、
どこへ流れて行くのかという図を
描いて整理していけばいいんじゃないかな。って思うわけで、
なんか一人で整理しようとすると
相当、重たい作業になりそうなので、
後回しにする。
笑