世界戦略の話を、いい加減まとまりつけないといけない。今回で終わる予定で、だいたい書くことは決めてあるのだけど、うまくまとまるかはしらない。そもそもいつも、まとまってはいないけどね。
コンテンツ産業の世界戦略、その大団円としては、日本のクリエイターよ世界をめざそう、ということになるわけだけどね。でも最後の最後に言いたいのは、どうせ世界をめざすなら、もうその、"日本の"とかやめちゃおうか、ということ。これから世界をめざすってことは、日本のクリエイターとして、ではなく、世界のクリエイターの一員として、って感じでとらえた方がよくね?と言いたいわけ。
そこんとこ、ちょっと大上段に構えて言うとね、そもそも"日本の"の"日本"ってなんだっけ、と。国家って何なの?と。
うひゃあ、すごく大上段すぎるかなあ。
でもね、メディアがあってコンテンツがあって、という枠の中で考えた時、メディアってものは国家とかなり結びついてここまで来たものだったわけ。とくにいま何やらコペルニクス的転換を迎えようとしている"マス"メディアっていうのは、近代であり、その産物としての国家の成り立ちと密接に結びついているんだ。(だから、いつもどこか政治の匂いがつきまとうわけだ)
「くに」という言葉には、いろんな意味があるでしょ?いや、基本的には「自分が生まれたとこ」みたいな意味なはず。だから、「ふるさと」のことだったりする。飲み屋で上司に「おまえ、くにはどこだ?」と聞かれたら「へえ、山形だす」とか答える。「へえ日本だす」なんて答えたら「馬鹿にしとるんか!」と怒鳴られちゃうよね。
「くに」が「日本」とイコールになったのなんて、この百数十年の話なんだろうよ。
江戸時代の人にとっての"世界"とは、じぶんちがあって、村があって、お殿様がいて、でもって江戸には将軍様がいて都には帝がおられる、それでおしまいだっただろう。「日本」なんて生活の中でほとんど意識してなかったんじゃないか。そこには「国家」なんて存在しなかった。
「国家」というのは実は西欧近代がもたらした厄介な概念なのかもしれないんだ。19世紀までは世界地図描いてもあちこちで国境は曖昧だったし、国家があるところと、国家?それなに?って地域とあっただろう。少なくともアジアとアフリカのほとんどの庶民は、国家なんて意識せずに一生を送ったんじゃないか。
西欧近代が世界中に銃と資本主義を突きつけて、みんな戸惑ったり知恵をつけたり何かに目覚めたりして、民族をはっきりさせて民族と民族の境目にくっきり線を引いて、憲法作って国家元首を決めて、って作業を19世紀後半から20世紀にかけてやってきた。
日本はラッキーだった。わりと早くそれに手をつけたし、民族の境目も比較的(あくまで比較的には)はっきりさせやすかった。だって島国だからね。それでも、琉球と蝦夷は強引に自分たちのものってことにしちゃった。
明治政府ができると慌てて"国家"の体裁を整えていった。その時、全国津々浦々に興った新聞という"メディア"が日本を国家にするのに大いに役立った。調べたわけではないんだけど、きっと言語もその過程で急速に整えられたんじゃないか。よく言われることだけど、日本語を確立したのは朝日新聞に連載された夏目漱石の小説だったそうだ。
だって言語はバラバラだったはずだ。江戸城で各藩から来た侍同士がしゃべる言葉は確立していただろうし、商売に使う言葉もある程度共通のものはあったのかもしれない。でも、"日本語"はもやもやしたものだったはずだ。
つまり、マスメディアは、そしてそれにのっかるコンテンツは、近代化の中で新しくできた"国家"の文化に中心を授ける役割を果たしてきたんじゃないだろうか。
第二次大戦後、マスメディアの"国家"における役割はもっとくっきりしてくる。そこではテレビが大きなポジションを担うことになる。テレビはどんどん、"東京中心文化”を広めていった。方言は急速に失われたし、住んでいる町のたたずまいから、各家々の間取や構造まで似たものになっていった。そうやって日本という国はひとつになっていった。1億人がほぼ共通の価値観を持つことになった。そのことをぼくは否定的にも肯定的にも書いているつもりはない。ただ、そうだったと言いたい。それは地域文化を破壊してしまったとも言えるけど、"民族"をまとまりのあるものにしたとも言えるだろう。
マスメディアを全国津々浦々、共通の社会資本として整えたのは、田中角栄だ。県単位でキー局とネットワークされたテレビ局を、各地の新聞社を軸に整備した。このことも、戦後における"日本"の成り立ちとマスメディアが深く関係している証しだと思う。そしてこのこともぼくは、否定も肯定もするつもりはない。何かを失わせたかもしれないし、何かに貢献した点もあると思う。
ただぼくたちがここで見つめるべきなのは、いま崩壊しようとしているのは、そういう成り立ちの、そういう存在だったということだ。西欧近代がもたらしたシステムが、西欧近代がもたらした"国家"という概念と密接に結びついたシステムが、いま崩壊しはじめているのだ。
"国家"の概念と結びつき、"国家"の概念を形成し支えてきたのがマスメディアだとしたら、次のステップとして、"国家"の概念の次へ進むべきじゃないか、というのがぼくの言いたいことだ。
ほうらね、どうもうまくまとまる気がしない。それにここまですごく長くなっちゃったよ。明晰なことを言っているようで、何を言っているのかわからないね、どうも。
というわけで、この話はもう一回。言いたいことの概要はもう終わってる気がするけど、メッセージとしてはもっと書くべきことがある。でもいつ書くのかは知らないけどね・・・
コンテンツ産業の世界戦略、その大団円としては、日本のクリエイターよ世界をめざそう、ということになるわけだけどね。でも最後の最後に言いたいのは、どうせ世界をめざすなら、もうその、"日本の"とかやめちゃおうか、ということ。これから世界をめざすってことは、日本のクリエイターとして、ではなく、世界のクリエイターの一員として、って感じでとらえた方がよくね?と言いたいわけ。
そこんとこ、ちょっと大上段に構えて言うとね、そもそも"日本の"の"日本"ってなんだっけ、と。国家って何なの?と。
うひゃあ、すごく大上段すぎるかなあ。
でもね、メディアがあってコンテンツがあって、という枠の中で考えた時、メディアってものは国家とかなり結びついてここまで来たものだったわけ。とくにいま何やらコペルニクス的転換を迎えようとしている"マス"メディアっていうのは、近代であり、その産物としての国家の成り立ちと密接に結びついているんだ。(だから、いつもどこか政治の匂いがつきまとうわけだ)
「くに」という言葉には、いろんな意味があるでしょ?いや、基本的には「自分が生まれたとこ」みたいな意味なはず。だから、「ふるさと」のことだったりする。飲み屋で上司に「おまえ、くにはどこだ?」と聞かれたら「へえ、山形だす」とか答える。「へえ日本だす」なんて答えたら「馬鹿にしとるんか!」と怒鳴られちゃうよね。
「くに」が「日本」とイコールになったのなんて、この百数十年の話なんだろうよ。
江戸時代の人にとっての"世界"とは、じぶんちがあって、村があって、お殿様がいて、でもって江戸には将軍様がいて都には帝がおられる、それでおしまいだっただろう。「日本」なんて生活の中でほとんど意識してなかったんじゃないか。そこには「国家」なんて存在しなかった。
「国家」というのは実は西欧近代がもたらした厄介な概念なのかもしれないんだ。19世紀までは世界地図描いてもあちこちで国境は曖昧だったし、国家があるところと、国家?それなに?って地域とあっただろう。少なくともアジアとアフリカのほとんどの庶民は、国家なんて意識せずに一生を送ったんじゃないか。
西欧近代が世界中に銃と資本主義を突きつけて、みんな戸惑ったり知恵をつけたり何かに目覚めたりして、民族をはっきりさせて民族と民族の境目にくっきり線を引いて、憲法作って国家元首を決めて、って作業を19世紀後半から20世紀にかけてやってきた。
日本はラッキーだった。わりと早くそれに手をつけたし、民族の境目も比較的(あくまで比較的には)はっきりさせやすかった。だって島国だからね。それでも、琉球と蝦夷は強引に自分たちのものってことにしちゃった。
明治政府ができると慌てて"国家"の体裁を整えていった。その時、全国津々浦々に興った新聞という"メディア"が日本を国家にするのに大いに役立った。調べたわけではないんだけど、きっと言語もその過程で急速に整えられたんじゃないか。よく言われることだけど、日本語を確立したのは朝日新聞に連載された夏目漱石の小説だったそうだ。
だって言語はバラバラだったはずだ。江戸城で各藩から来た侍同士がしゃべる言葉は確立していただろうし、商売に使う言葉もある程度共通のものはあったのかもしれない。でも、"日本語"はもやもやしたものだったはずだ。
つまり、マスメディアは、そしてそれにのっかるコンテンツは、近代化の中で新しくできた"国家"の文化に中心を授ける役割を果たしてきたんじゃないだろうか。
第二次大戦後、マスメディアの"国家"における役割はもっとくっきりしてくる。そこではテレビが大きなポジションを担うことになる。テレビはどんどん、"東京中心文化”を広めていった。方言は急速に失われたし、住んでいる町のたたずまいから、各家々の間取や構造まで似たものになっていった。そうやって日本という国はひとつになっていった。1億人がほぼ共通の価値観を持つことになった。そのことをぼくは否定的にも肯定的にも書いているつもりはない。ただ、そうだったと言いたい。それは地域文化を破壊してしまったとも言えるけど、"民族"をまとまりのあるものにしたとも言えるだろう。
マスメディアを全国津々浦々、共通の社会資本として整えたのは、田中角栄だ。県単位でキー局とネットワークされたテレビ局を、各地の新聞社を軸に整備した。このことも、戦後における"日本"の成り立ちとマスメディアが深く関係している証しだと思う。そしてこのこともぼくは、否定も肯定もするつもりはない。何かを失わせたかもしれないし、何かに貢献した点もあると思う。
ただぼくたちがここで見つめるべきなのは、いま崩壊しようとしているのは、そういう成り立ちの、そういう存在だったということだ。西欧近代がもたらしたシステムが、西欧近代がもたらした"国家"という概念と密接に結びついたシステムが、いま崩壊しはじめているのだ。
"国家"の概念と結びつき、"国家"の概念を形成し支えてきたのがマスメディアだとしたら、次のステップとして、"国家"の概念の次へ進むべきじゃないか、というのがぼくの言いたいことだ。
ほうらね、どうもうまくまとまる気がしない。それにここまですごく長くなっちゃったよ。明晰なことを言っているようで、何を言っているのかわからないね、どうも。
というわけで、この話はもう一回。言いたいことの概要はもう終わってる気がするけど、メッセージとしてはもっと書くべきことがある。でもいつ書くのかは知らないけどね・・・
↓
http://d.hatena.ne.jp/BUNZO/20090929/p1
VHF局を各県の有力地方新聞社を母体に“子会社”として開設したのは、角栄よりずっと前。・・・これがいわゆる“民放”発足であった。フィクサーは正力松太郎と吉田秀雄。
その後、一県一局では少ないとして、UHF局の開設になったのだが、その時には角栄の剛腕がうなったんでしょう。
『欲望のメディア』(猪瀬直樹)が詳しいと思ったが・・・。
産業革命以降の、外的/内的両義的に世界を分ける単位になった、"国"という単位。
漱石など例にあがりましたが、小説(文学)が"共通語"を確立してnation、って単位を作ったのはどの近代国家、つまり今ある世界中の国、皆同じだと思いますね(たぶん)。
そうして「自分は日本という国の一員・国民だ」って感覚は、マスメディアの発達と共にもたらされたんかな、って思う。一国家の成立に深く喜与してきたマスメディアはまさしく中心だった、ということになると思います。
でも、そのメディアもいろいろあってその中でも"マス"向けだったもの、そうでもないもの、完全にマイナー向けだったもの、いろいろあると思うんですよね。
そんな中"世界"にどう日本のメディアは向いて来たのか?
このnationの壁を、テレビというメディアは絶対越えない超えられない。テレビ、って言うか日本国内"マス向け"は超えられない、と感じる。
一方けっこうな長いこと軽々この壁を越えてきたメディアがありますね。
映画。日本映画の一部、って但し書きした方がいいのかな。
ハリウッド映画が世界中で公開されるようにではなく、一部映画マニア層にヨーロッパ中心に評価受けてきた。アメリカでもあるだろうし、アジアでも。
で、最近は。
アニメなんかから始まり、今はヴィジュアル系の音楽なんかが外国でウケて、むしろ作り手の日本人が吃驚しているようなところあると思うのですけど。最近は映画よりもマンガ、アニメ、もっとコアにゴスロリ的なのとか、まあ日本のファッション誌は外国の女の子に人気あるらしいですしね。
で(私もエラくまとまらない文章書いてますが)、こういったものはスモールなビジネス、でも戦略だったかはともかく世界にリーチした日本のクリエイティヴかな、って思います。
そしてまたリーチした先も、その国内ではスモールな受容、ビジネス。
あとは。
言葉が重要な気はあまり…。
(大事なんですけど、日本のものは日本語でいいし、英語だとしても"日本人の話す英語"、で良いって感じ)
良い通訳、翻訳のシステム(映画やアニメなら字幕・吹き替え、本とか文章の類なら翻訳者)がいれば成り立つ、と。
大事なのはアニメが良い例(映画でも良いのですけど)なんでしょうが、"ない"ところから出てきた技術力の高さや多彩なアイデア・工夫じゃ?
日本映画はハリウッドみたいに湯水のようにフィルム使えなかったし、使えないからこそ、長いカット割りや中抜きのような撮影方法を発達させた。
アニメも金のかかって限界ある人力を、省略や誇張表現によって例えばディズニーでは作れないアニメ作ってきた。
(両方すごくざっくり)
だから評価されても来たのだろう、と。
但しそれらは今まで日本国内では"マス"からはちょっと(ヤ、かなり)違う位置にいつもいた感じで。
日本国内の"マス向け"はもうムリと仮定して(まだあんまりばっさり"マスメディアが終焉"って言う気にはなれないんですよね…)、こういった日本ではマスの端っこながら国境を越えて行ったモノたちは、イロイロ示してくれる先人になるのかも知れない。
そんな作り手って、所謂オタクっぽく(日本オタク文化の話も出たんで)、自分で面白いもの良質と思うものを追求してただけで、特別世界とか意識してなかったかも、です。
そこ、国内で大規模に受け、ビジネスとして回らない時代になるなら、"世界戦略"として意識的にとっかかってもいいのかなァ、なんて漠然と感じます。
スモールだけれども、世界の他のnationにあるスモールな世界に於いてビジネスとして通用するコンテンツ作る力、ってか知恵は今の日本もあるんじゃないかなあ。
まとまらない、っておっしゃるブログに更にまとまらないコメントですね、しつれい。
それらのことが“日本の悲しみ”と言えば言えるのだが、同時に“日本のスタイル”でもある。
ここで使っている「文化」「文明」「価値観」「国家」などという言葉、「社会」とか「会社」「福祉」に至るまで帰化語もしくは翻訳語であることに深々と考慮していいと思う。
日本語からはわずかに手内職の「アニメ」「モエ」「オタク」などが新たに英語に帰化したって喜んではいられない。
「ガラケー」が本当に勿体ないことをしたなぁと。この携帯の進化に“文明”とかグローバルというコンセプトが装備されていたら、iphoneなんぞの風下に位置することもないし、孫正義にあれほどエラそうに振る舞われることもなかった。
ハリウッドが潤沢な制作費を集められるのも、日本の映画が“貧乏”と同義語であるのも、根っこはこれらのことに帰する。
「文明」を持った事のない国の悲しみ・・・。
プロデュースする人の、きっちりとした分業ってのが、必要なのかもしれませんね。
ある程度、できる人って、器用貧乏だったりするから、自分でやろうとするんだけど。
外資系で学んだのは、
「自分で、できるけど、信頼のおける奴にやってもらう」ということ。
日本で、その辺りを、しっかりやってるのは、吉本興業とジャニーズくらいじゃないかな。(その分、相当、ピンはねされてるけど)
今は、どうかしらないけど、吉本興業のマネージャーって、元漫才師で、メジャーになれなかった人みたいですね。
タレントの心意気とか心情をわかる人を、つけるほうがうまくいくことを、芸者的に、継承してるみたいです。
タレント事務所とかだと、女子タレントには、おばさんマネージャをつけてる事務所もあるみたいですね。
生理を理解できないやつが、マネージャーや、やばいでしょ。みたいな。
なので、ちゃんとしたチーム体制を、形成したもん勝ちですよ。
県とかの区切りじゃないのは、山下達郎のスタッフが全員、関西人。ってのが証明してます。
ようは、一つの目標にむかって、人生をともにするような心意気で、結ばれたチームであるかどうか。
今どきは、国籍も関係ないかも知れないですよ。笑