皆さん、こんにちは。
皆さんにとって「世界は優しい」、でしょうか?
ニュースで流れる世界情勢から、
日本の国の在り方であったり、
今はコロナの問題もあったり、
そして日々に起きる個人的なこと・・・
んなワケない!!!
という声が聞こえてきそうです。
私だって打ちのめされ、
優しいもへったくれもないダークワールドへ真っ逆さまの時もあります。
そんなのしょっちゅう、アッハハ〜〜!
でも。
それでも。
それでも。
世界は優しい。
そもそも「世界は優しい」という言葉を私が初めて放ったのは、
今思い出すと、30代前半に重度のパニック障害になった時のことです。
この病気がどんなものかは、なった人にしか分からないようなもので、
言葉で説明するのは非常に難しいのですが、
パニックという言葉どおり、
「出所のわからない、理性では抑えられない恐怖」に襲われる、
それがひどければ1日に何十回も起こる、という、
かな〜りキツいものです。(今は治ってるからサラッと言えるけど)
当時、母がいつもそばで「大丈夫、大丈夫」と私に言いながら、
一緒に戦ってくれていました。
母娘、藁をも掴む思い、と言いますか、
なぜか、クリスチャンではありませんが、ある教会の牧師先生のところに行ったのです。
母も私もクリスチャン系の同じ(小)中・高を卒業していて、
その牧師先生は母の当時の同級生のお兄さん、
私にとっては高校の時に通っていた教会の牧師先生だったのです。
当時まだ症状もひどかったのですが、
頓服(とんぷく)薬を飲んでなんとか先生のところへ。
先生は私たちのことを覚えていてくださって、
快く迎えてくださいました。
先生に何を話したのかはもう覚えていません。
「出口」を見つける、「答え」を見つけるのに必死だったことは覚えています。
(もちろん、そんなのでは治らないのだけれど)
でも、最後の方だったか、私は先生に、
「世界は・・・優しい、ですよね?」
と問うたことだけは覚えているのです。
それに対して先生がなんて仰ったかは覚えていません。
そしてなぜ、私がそんなことを言ったのかも。
あれから、16年経ったでしょうか。
結婚、出産を経験し、5年の休業を経て、
3年前に歌手復帰をしました。
そして2年前にある曲を書いたのです。
復帰してから一緒に活動してきているピアニストの二本柳くんと。
彼がメロディーを先に書いてくれて、私がそれに日本語の歌詞を書きました。
その中で、私は「世界は優しく・・・」という言葉を使っていて、
このご時世でLIVEができず、しばらく歌っていないのですが
その「世界は優しい」という言葉を数日前にふと思い出したのです。
いまだにあの時、私が牧師先生に「世界は優しい、ですよね?」と聞いた理由が
分かりませんが、今の私はこう思います。
(それでも、どんなことがあっても)
「世界は優しい」って、信じたい。
ということなんだと。
そして、「信じたい」と思うということは、
実は心の深いところで「そうなのだ」と知っているからではないか、と。
でも、それがあまりに色々なことで揺るがされる、
だからこそ、「そう信じたい」と強く願うのではないか、と。
でも、とてもじゃないけどそう思えないことはたくさん起きるのです、生きていると。
日々のちょっとしたイラっから、大きな怒りや悲しみまで。
でね、皆さんにやってみてほしいことがあるのです。
一日だけでもいいから。
私もやってみます。
とにかくどんなことがあっても、
心の中で「それでも世界は優しい」って言ってみる。
そう思えなくても、とりあえず言ってみる。
外ですごく嫌なことに遭った。
「それでも世界は優しい」とアホみたいに心の中で唱える。
怒りや悲しみが消えるまで何度でも。
どうなるんだろう、どうなってしまうんだろう、
どうしようもなく不安なことがある。
「それでも世界は優しい」と何度も唱える。
そのうちに、その言葉の響きが、
自分の心を少し柔らかくしてくれる。
そうすると、心の目が開いてくる。
何が見えてくるかというと、
その人や人々が背負っている悲しみや苦しみ、
社会や世界の人々が背負っている悲しみや苦しみ、
自分が背負っている悲しみや苦しみ・・・
そうすると、許す、という優しい気持ちが出てくる
世界は、
本当は本当は
優しいはずなんだ
そして、その世界は
「あなた」も「あの人」もいる。
それでも、どんなことがあっても、
世界は優しい、と信じて「みる」。
見えてくる何かがあるはずなのです。
一度だけいいですから、
騙されてみてください。
今日一日が、皆さんにとって、
優しい一日となりますように。。。
追記:僭越ながら、
先ほどお話した歌、「幸せの星」と言います。
2017年のLIVEレコーディングから。
皆さんにとって「世界は優しい」、でしょうか?
ニュースで流れる世界情勢から、
日本の国の在り方であったり、
今はコロナの問題もあったり、
そして日々に起きる個人的なこと・・・
んなワケない!!!
という声が聞こえてきそうです。
私だって打ちのめされ、
優しいもへったくれもないダークワールドへ真っ逆さまの時もあります。
そんなのしょっちゅう、アッハハ〜〜!
でも。
それでも。
それでも。
世界は優しい。
そもそも「世界は優しい」という言葉を私が初めて放ったのは、
今思い出すと、30代前半に重度のパニック障害になった時のことです。
この病気がどんなものかは、なった人にしか分からないようなもので、
言葉で説明するのは非常に難しいのですが、
パニックという言葉どおり、
「出所のわからない、理性では抑えられない恐怖」に襲われる、
それがひどければ1日に何十回も起こる、という、
かな〜りキツいものです。(今は治ってるからサラッと言えるけど)
当時、母がいつもそばで「大丈夫、大丈夫」と私に言いながら、
一緒に戦ってくれていました。
母娘、藁をも掴む思い、と言いますか、
なぜか、クリスチャンではありませんが、ある教会の牧師先生のところに行ったのです。
母も私もクリスチャン系の同じ(小)中・高を卒業していて、
その牧師先生は母の当時の同級生のお兄さん、
私にとっては高校の時に通っていた教会の牧師先生だったのです。
当時まだ症状もひどかったのですが、
頓服(とんぷく)薬を飲んでなんとか先生のところへ。
先生は私たちのことを覚えていてくださって、
快く迎えてくださいました。
先生に何を話したのかはもう覚えていません。
「出口」を見つける、「答え」を見つけるのに必死だったことは覚えています。
(もちろん、そんなのでは治らないのだけれど)
でも、最後の方だったか、私は先生に、
「世界は・・・優しい、ですよね?」
と問うたことだけは覚えているのです。
それに対して先生がなんて仰ったかは覚えていません。
そしてなぜ、私がそんなことを言ったのかも。
あれから、16年経ったでしょうか。
結婚、出産を経験し、5年の休業を経て、
3年前に歌手復帰をしました。
そして2年前にある曲を書いたのです。
復帰してから一緒に活動してきているピアニストの二本柳くんと。
彼がメロディーを先に書いてくれて、私がそれに日本語の歌詞を書きました。
その中で、私は「世界は優しく・・・」という言葉を使っていて、
このご時世でLIVEができず、しばらく歌っていないのですが
その「世界は優しい」という言葉を数日前にふと思い出したのです。
いまだにあの時、私が牧師先生に「世界は優しい、ですよね?」と聞いた理由が
分かりませんが、今の私はこう思います。
(それでも、どんなことがあっても)
「世界は優しい」って、信じたい。
ということなんだと。
そして、「信じたい」と思うということは、
実は心の深いところで「そうなのだ」と知っているからではないか、と。
でも、それがあまりに色々なことで揺るがされる、
だからこそ、「そう信じたい」と強く願うのではないか、と。
でも、とてもじゃないけどそう思えないことはたくさん起きるのです、生きていると。
日々のちょっとしたイラっから、大きな怒りや悲しみまで。
でね、皆さんにやってみてほしいことがあるのです。
一日だけでもいいから。
私もやってみます。
とにかくどんなことがあっても、
心の中で「それでも世界は優しい」って言ってみる。
そう思えなくても、とりあえず言ってみる。
外ですごく嫌なことに遭った。
「それでも世界は優しい」とアホみたいに心の中で唱える。
怒りや悲しみが消えるまで何度でも。
どうなるんだろう、どうなってしまうんだろう、
どうしようもなく不安なことがある。
「それでも世界は優しい」と何度も唱える。
そのうちに、その言葉の響きが、
自分の心を少し柔らかくしてくれる。
そうすると、心の目が開いてくる。
何が見えてくるかというと、
その人や人々が背負っている悲しみや苦しみ、
社会や世界の人々が背負っている悲しみや苦しみ、
自分が背負っている悲しみや苦しみ・・・
そうすると、許す、という優しい気持ちが出てくる
世界は、
本当は本当は
優しいはずなんだ
そして、その世界は
「あなた」も「あの人」もいる。
それでも、どんなことがあっても、
世界は優しい、と信じて「みる」。
見えてくる何かがあるはずなのです。
一度だけいいですから、
騙されてみてください。
今日一日が、皆さんにとって、
優しい一日となりますように。。。
追記:僭越ながら、
先ほどお話した歌、「幸せの星」と言います。
2017年のLIVEレコーディングから。