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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「背中」

2019年02月17日 | 人との関わり(愛とか)
(前の投稿「スキンシップ」からの派生版)

年が明けてから一ヶ月以上、
私は心身の調子が非常に悪い日々が続いて(今は元気。Yogaのおかげか!?)、
どんなに寝ても疲労感が取れず、気持ちも上がらず、
毎日がとても辛かった。。

そんなある日のこと、幼稚園のお迎えの時、
あるママ友が、(私がよほどひどい顔をしていたのだろう)
「あゆ姉、最近調子よくないの?大丈夫?」と言って、
私の背中をさすってくれた。
それがあまりにも温かく気持ちが良かったので、
それを彼女に伝えたら、
「えー!あゆ姉はいつもやってくれるよー!」と。

なんと、無意識に私は人の背中をさすっていたのか!
こんな気持ちがいいものだったとは!
背中をさする、さすってもらうって、
まさに即行で短時間(数秒)でできるヒーリングではないか!

確かに、背中というのは、
背、何かを「背負う」ところだ。
それは、目に見えない何かだって背負ってしまう場所だ。
だから肩こり、背中のこりっていうのは、
そのような「気」がたまって起こるのかもしれないなあ。

だからそんな時に、
誰かが「大丈夫?」と優しい気持ちで背中をさすってくれた時、
背中に埃のようにこびり付いていた、
背負ってしまっていた「気」が、
フワ〜〜っと溶けて分解されるのかもしれない。

そして、自分の心身がどれだけ緊張していたかに気づく。

hugにしても、背中をさする、にしても、
心身共に誰かの愛情を受け取ったり、与えたりする行為は、
人間ができるとっても幸せな行為だなあと思う。



<エキサイティングなお知らせ>
3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

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「スキンシップ」

2019年02月16日 | 人との関わり(愛とか)
って大事だなあと思う。男女問わず、老若男女問わず。

なぜならとてもホッとするし、心が温かくなる。
フーッと身体の緊張が解けて、心も柔らかくなる。

なぜ急にこんなことを思ったかというと、
(facebookで)学生時代のアメリカ人の友人の投稿を見て。
彼はいつも奥さんとか家族との温かい写真をアップするのだけど、
そこから「アメリカ文化」→「スキンシップ」という順でここに来た。

思えば・・・私は高2で一年間アメリカに留学したのだが、
その前にちょっとアメリカ文化や習慣を学ばされた気がするのだが、
当時、日本ではまだ「hug」というのが出回って(!)いなくて、

「アメリカではhugという挨拶の習慣があって、
お互いにギュッ、とかギューーとかって抱き合うらしい」

というのを知って、ザワザワした覚えがある(笑)。

「そうか、hugっていうのをするんだ」と心に刻み、いざアメリカに行くと、
いきなりホストファミリーはhugをしてくるし、友達同士でもやるし・・・
「うわあ!これかあ!本当にやるんだあ!」と
(心の準備はしていたつもりだが)衝撃を受けた。

私の留学時代の高校生活というのはカルチャーショックも含め、
かなり辛いもので(周りが意地悪だったとか、そういうんじゃない)、
ほぼ毎日家に帰って来たら、Momの前で大泣きしていた。
その度に彼女は抱きしめてくれた。
彼女に限らず、その一年間、
私はどれだけたくさんの人にたくさんhugをしてもらっただろう。

世界には色々な文化があって、
個人的に受け入れられないものもあるかもしれないけれど、
アメリカで教えてもらったhug文化は
私にとっては、「これはいい!」というものだった。

トントンッ、とか、ギュッ、とか、ギューーーとか、
それをやる方もやられる方も、ふっと心が軽くなり、あったかくなる。
不思議だなあ!

先に述べたように、私も最初は「衝撃」を受けたわけで、
日本のオリジナル文化では、そうそう軽々しく人に触れたり、
ましてや抱きしめるなんていうのは、
お母さんと子供の間でくらいしかなかったのだろうと思う。

けれど、私が留学した時代から30年近く経った今では、
日本でもhugが、またhugという言葉自体も、浸透してきたように見える。

もちろん抵抗のある人(嫌だ、というより恥ずかしい?)もいると思うけれど、
純粋な愛情のあるhugを(多分、人間の本能的に)
「不快だ」と思うひとはいないんじゃないかなあと思う。

友達同士ても、親子でも、恋人同士や夫婦でも、
関わりの違いこそあれ、「温かいスキンシップ」というのは、
心を通わせるのと同じくらいに、大事なものだろうなあと、
改めて感じた今日である。




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その人のTrue Colorが見たくて

2019年01月03日 | 人との関わり(愛とか)
私はきっと、
周りからしたら鬱陶しいほど真面目で、
なんでも深く考えてめんどくさい人かもしれないなぁ…
とたまに思う。
(同時に極端にいい加減なところもあるけど)

これはもう、小さい時からそうで、しょうがないのだ。
私にとって、人間の感情と思考というのがとても興味深く、
「自分を深く探る」ことは私の一番の趣味(ライフワーク)だし、
なんと言っても、私は人が好きなのだ。

表面的な部分より、
その人のTrue colorを見たくて、
そして、それはどんな色でも美しいと信じている。

その人のその色が見てみたくて、だからこそ、
私は自分の本当の色がどんなものかを探りながら、
ではどうすれば、みんなのTrue Colorを発見できるのかしら、
と探っているのかもしれない。

みんなのハートから、
それぞれのTrue Colorがファ〜〜〜〜っと
光線みたいに出たら、
地球は虹色に輝くなあと想像する。

私は、この地球に人間という肉体を持って生まれてこられたことには
本当に感謝していて、
これまたなかなか一筋縄ではいかないけれど、そ
れもまた「人間として生きる妙味」と思えば、
そんなに深刻にならなくても済むような気がしている。

きっと帰る場所(ORIGIN)は別にあるのかもしれないけれど、
そんなことは今の時点ではよくわからないので、
今、自分が居る場所を愛することにする。



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愛の種

2018年11月04日 | 人との関わり(愛とか)
一つ前の投稿では
恋愛における「自分をそれでも、大切にし、愛し続ける」
ということについて試される
「恋の修行・苦行」なんかについて勝手なことを書きましたが。


誰かを好きになる時は、
男性なり女性なり、
その何十億分の一と出会う訳だから、
私自身はそこに何かしらの運命のようなものを感じる。
「たまたまだけど、たまたまじゃない」何かがあるようが気がする。


でも、二人の「行く末」も運命として決まっているか、
となると、私はそうは思っていない。
「現時点」から見た「可能性」
というのはあるかもしれないけれど、
「現時点」というのはどんどん変わっていくものだ。
そういう意味では、恋愛に限らず、
どんな人との関わりも、その先は正直「わからないのだ」。

「現時点」の連なりが
未来へ繋がってゆくのだと思う。
だから、人との関わりというのは、
「相手と共に」道を創る・選択していくという、クリエイティブ活動である。

誰かと出会って、
そこで惹かれ合うというのは魔法のようなもので、
そこに「小さな愛の種が一つ」ポッと現れる、
そんな想像を私はする。
でも、この種が土から芽を出し、成長し、
花を咲かせるかどうか、
またどんな花を咲かせるかは、まだ未知の世界であり、
限りない可能性だけが待っている。

それこそが誰かと愛を育むことの妙味であり、
なかなか芽が出なくとも、
なかなか花を咲かせてくれなくても、
その小さな愛の種がまだ「在る」のであれば、
それがどんなプロセスであろうとも、
どんなに時が経とうとも、物語は続くのだ。

愛の種が姿を消す時、
それは種が腐って死んでしまったからではない。
愛の種が使命を全うした時だ。

関係がどんなものであったとしても、
お別れがどんな形であったとしても、
二人の間に小さくても確かにあった愛の種は、
いつの日か、
それぞれの心の中で感謝という愛の花を咲かせる
・・・そんな風に私は思っている。





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恋の苦行・修行

2018年11月03日 | 人との関わり(愛とか)
先に、お友達がお付き合いしていた人とお別れをした、
というお話から「愛情表現」などについて書かせていただいた。


「誰かを好きになる」というのは、なんとも不思議だなあと思う。
(男性は)35億もいるというのに「なぜ、その人なのか」。
動物的本能だとか、ケミカル的な検証をするとなると
切りがないないのだけれど、
それでも、私は「不思議だなあ」と思う。

「なぜ、その人なのか」。
「そうなんだから、しょうがない」。

後付けで「こうだから、ああだから」と言えるけれど、
「こうだから、ああだから」という同じ要素を持っている人はいくらでもいる。


恋愛で起きる「スパーク」とか「喜び」というのは、
どう頑張っても他に「代替」が見つからない。
だからこそ、いつも恋は「大事件」である。


恋愛はさっさと成就すれば「喜びの絶頂」を体験できるが、
成就が難儀な(に見える」ものは「苦しみの絶頂」となる。
楽しみにしていた焼肉屋さんが「まさかのお休み」でも、
そこまでの苦しみの絶頂にはなるまい。


成就したカップルは、
さっさと二人で宇宙の果てまで飛んでけって感じだが、
そうでない恋愛は、まさに
「それでも、どれだけ、『自分』を愛せるか。」という、
修行・苦行のオンパレードが待ち受けている。

「どうすんの?やめるの?やめないの?」というのを常に突きつけられ、
イメージとしては、

砂漠を彷徨いながら、
あるかもわからないオアシスを、
「あるんだ!」と自分に言い聞かせながら、
でも「現在」においては明らかに砂しか見えず、
夜になったら星々を見つめながら涙を流し、
翌朝になれば、
変わらず自分は砂漠の中にいるという現実を突きつけられ、
でも、なんとかオアシスを見つけるがために歩き続け、
時折ささやかな植物なんか見つけちゃうもんだから
「こ、これは、オアシスが近くにあるというサインだ!」
とかって急に希望に満ちちゃったりする・・・

これが「恋の苦行」である。


しかし、その砂漠には面白い仕掛けがあって、
なんと、いつでもやめてもいいように
「どこでもドア」があるのである!
がしかし、逆にその「とこでもドア」があるために、
「悩む」のである。
つまり、「やめるも、やめないもあなた次第」という、
神様からの冷徹極まる「自由意志」というギフト、
その行使権100%を授かっているということだ。


「う〜〜〜、どこでもドアを開けるか、開けないか・・・
でも、植物があった、あったけど、あったからあ〜〜〜」と、
女性の場合は、「神さまが何にも教えてくれないなら、占いだ!」となるわけである。
それは、どこでもドアを
「まだ開けなくてもいい理由」探しである。


とまあ、恋の苦行もこうやって書けば、
なんとも滑稽で面白いものだが、
当の本人にとっては
「To be or not to be」にもなりかねないのが恋愛である。


「それでも、どれだけ、『自分』を愛せるか。」と書いたのは、
難儀な恋愛というのは、得てして自信をなくすものだからだ。
そうすると相手に愛してもらうために、
「私らしい私」「本来の私」を手放して、
「彼に愛される私」を創り、演じるようになるからだ。
「本来の私」を手放すわけだから「本来の私の道」からも外れてくる。

気づけば「マイワールド」が「○○くんの植民地」と化している。
ここが最も苦しいところだ。
それは、「マイワールドを受け渡してしまった故の苦しみ」と
「○○くんから独立して、自立国に戻ることへの恐怖」だ。


でも考えてほしい。
○○くんはそもそも、あなたを植民地にしていない。
自ら植民地になったのだ。
更に、「私らしい私ではダメだ」と判断したのは誰だ?
自国の統治権を別の誰かに譲った、

その動機は果たして「愛」か?


昨日の話から言えば、
その動機は「自分への愛の欠如」となる。
厳しく言えば、その人にどんなに「恋」をしていても、
自分への愛の欠如を
「彼でもって、なんとか埋めよう。いや、彼しかいない!」という状態なのだ。


その恋が長期戦になればなるほど、
そのようなことが起きてくる。
そして、いつしか
「しかし、一体、アタシは何のために、誰のために、こんなに頑張ってんだ」と
「そもそも恋から始まった」ことすらも忘れてしまうような事態となり、
もはや「好き」なのか「執着」なのかもわからないというカオスである。


ここで「魂」の話にすれば、
「魂」は相当不満である。

不満マックス。

最初のスパークまでは良かったものの、
その後、何にも楽しくないし、何にも嬉しくない。
おまけに統治権まで譲りやがって、愚か者!!!


そこで、もはや無視ができないくらいの
「魂の救出作戦」が決行されるのである
(これは多分、神様が行使権をもっていると思われる)。

その彼が「悪役」を担ってくれるかもしれないし、
別の「救出役」男子、女子が出てくるかもしれないし、
ありとあらゆる手段でもって「気づけ、ボケ!」体験を浴びせられるのだ。

あなたはついに降参し、「統治権奪回」を決意する。
そこからの「マイ・ワールド(自分の人生)」の展開や変化というのは、
それこそ「砂漠に雨が降ってきた」ような
「生命の息吹」が感じられる。
自分が「砂漠」と思っていた場所は実はたくさんの生命があった。

「気づかなかったのは、オイラだけ」。

そして、自分がカラカラになって探した「オアシス」は
「本当はいつもあったのではないか」
・・・つづく(みなさんで創作してください)


これは「長期戦の恋は成就しない」とかいう話ではない。
上の「つづく」の先の展開は未知なのである。
「自分を大切にする。愛し続ける。」という部分が、
多分最も顕著に試されるのが恋愛であろうと思い、ピックアップしてみた。

恋というのは「ただの、でも相当インパクトの強い」きっかけに過ぎなくて、
「そこからの道」を、自分の中で、そして相手と共に
どうやって見つけ、創っていくかという
「人間としての愛」のレッスンがいっぱいあって、
喜びの絶頂もあれば、悲しみの絶頂もある。
けれど「それだけの価値はある」・・・ものが恋だと思う。

つづく(マジか!)・・・





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