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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

落ちたら落ちたで、その静けさの中に

2020年11月28日 | スピリチャル&ヒーリング
「宇宙の法則」というのがありましてね、
全てはエネルギーで成っているという前提の元、

「(エネルギーの)リズムの法則」というのがあるのです。
(だ、そうです)

つまり、エネルギーは上がったら下がり、
下がったら、また上がる、
を波のように繰り返すという、
もうこれは「絶対!」という法則だそうで。

歴史の「盛衰』のような大きな流れから、
個人個人の日々の感情まで
この宇宙のリズムの法則が働いている・・・と。

私たちの感情の話をすると
歓喜の状態がずっと続くことはないし、
悲嘆の状態がずっと続くことはない。
波の幅(時間)や高低はそれぞれ違いがあるけれど、
皆さんもなんとなく分かりませんか?

簡単な例で言うと、
お友達と集まって大盛り上がりで
最高に楽しくて幸せな時間を過ごすんだけれど、
終わって帰ってきた時の、
なんとも寂しいような、急に空虚な気持ちになるような。


あんだけ楽しかったのに!!!
あれは嘘だったの!?

いえ、あれは本当だったのだけれど、
上がったらどうしても下がるのが、このリズムの法則なのです。
(だ、そうです。)

(因みにその法則は物資的な世界で働くのですが、
つまりそれは「重いエネルギー」とされているもので、
じゃあ、感情は物質じゃないじゃん、と言いたくなりますが、
感情のエネルギーは重いエネルギーにあたり、
一方、思考というのは感情よりも軽いエネルギーとされていて、
影響を受けにくい、とのこと。
その「思考」をどう使うか、というのが肝になってくるんですって。
それはまたいつか。)


以上の話を私は3年近く前にとある方から教えていただきまして。
私はもともと感情の起伏が大きく、(よく言えば豊か、笑)
特に「落ちた」時に完全にその波に呑まれてしまう。
(感情を感じる、と、感情に呑まれる、は違う)
「あなた、自分の感情を観る!コントロールする!」練習をしないとあかん、
と言われたのでした。


さて、
気持ちが上がっていく時は心地いいですが、
これ下がっていく時というのがねえ・・・
上がりが大きければ大きいほど、
波がてっぺんまで行って、
「落ちてゆく」時というのはきつい。
オーバーだけれど、天国と地獄へと落ちてゆくようなものです。


なぜ、今日はこのお話をしようかと思ったというと、
実は別のトピックで書くつもりだったのですが、


アタシ、今日、なんか、落ちてて書けない。。。ああ・・・


という状態で、どうしよう、どうしようと思っていたのです。
しかし、「いかん!どうしよう、どうしようとジタバタすれば呑まれる!!!
そう、昨日まで大分上がってたから、今日は下がるんだ。」と自分に言い聞かせ、


静か〜〜〜に今いる場所にただ、いてみよう。

と。
その「静か〜〜〜な場所から何かを書いてもいいではないか。」と。
そこで「宇宙のリズムの法則」について書いてみようと思い、
もしかしたら今日、「落ち気味」の方々もいらっしゃるかもしれないし、
何かの役に立てたら、これ幸い。


かつての私でしたら、
いや、今でもたまにやらかしますけれど、(マスター・ヨーダレベルはほど遠い。)
ブルーを更にブルーで彩って、「別にそこまでわざわざ落とさなくても」という事態を招いていましたが、
ようやく「まずは感情をそのまま感じて、とりあえず、観る」ということは
少しできるようになってきました。

今日はその練習として、
「落ちたところで静かにいる」をやってみたところ、
このブログを書いていくうちに、
少しずつ浮上してきている感じ。

力を抜けば、体は自然と水に浮く!!!!というアレですな。

この記事をたまたま覧になってくださった方々が、
「今日はルンルンだから〜!」なら、そんな嬉しいことはありません。
もしも、「私・・・今日はちょっと落ちてる感じ」の方がいらっしゃったら


静か〜に、静か〜に・・・

ただ、そこにいてみてください。
ただそこに。

また、上がっていきますから・・・


peace, peace, peace...













「光と闇について〜富・名声・使命と〜」

2020年01月28日 | スピリチャル&ヒーリング
今日は午前中からイトーヨーカドー(!)にて
一人の時間を満喫し、
午後帰ってきたから少し昼寝をした。

昼寝から目が覚めてからも
しばらくベッドでぬくぬくしていたのだが、
何やら色々な考えが廻り出し
そして何やら色々と「降りてきた」(と感じだ)。

ます、使命について、たくさんの疑問点が浮き上がった。
もちろん全て分かったわけではない。
才能や能力についても。
富と名声についても。
そして、そこから光と闇について。

そして、
リンクしたのは、私の歌手としての使命というか
在り方に関することなのだが、
かつてある人と話した時に言われたことだった。
それはプリズム効果を例えにしたものだった。

私が届けようとしているスケールの大きい愛、例えば宇宙の愛
それを一点に集中させ、
そこから外へと出される、というお話についてのクリアな理解だった。

私のハートの背中側の一点へ
宇宙の愛がグーーーっと集める。
そして、ハート(表側・胸)から、
ぐわーーーっとその宇宙愛が外へと放出される。



↑まさにこれなのだと思う。

私が生まれてくる時にどれだけの才能を与えられ、
(才能というのは選べるのか。その程度も選べるのか。
その仕組みがよく分からない)
どのような使命を持っているのか、
魂が何を体験しにここに生まれてきたのかは分からないけれど、
私が音楽、歌、言葉を通して、
ハートからどれだけの宇宙の愛を放出できるか、
(イメージでは、放出される角度。大きければ大きいほど、
多くの人に届く)
というのは、私の覚悟や決意、
そして才能をフルに使うために、
どれだけ自分の創造性を働かせ、
そしてどれだけ天とのco-creationに身を投じるか、
にかかっているように思う。
その可能性は無限なのか、有限なのかは分からない。
なぜなら私の才能の程度がどこまでそれを許してくれるか分からないからだ。
私がこれまで培ってきた技術や経験が
本来無限である「光」をどこまで自分を使って放出できるか、
というのは、やってみないと分からない。

けれど、
可能性が有限であるのならば、
私はその限界までやりたい。
それこそが使命なのではないだろうか。
そして、使命というのは、ある種の衝動であり、
自分を駆り立てるものだ。
それに抗わず、挑戦し続けること、が使命なのかもしれない。
最大限の可能性を具現化するのである。

そして、
その個々の最大限というのは
他と比べてもしょうがない。
それこそ、人々が陥る罠だ。
才能の大小、影響を及ぼす人数の大小、
富や名声の有無や大小。。。

だが、
魂の衝動に従うならば、
そこに挑戦もあるだろうが、
そこには大いなる喜び、至高体験が待っている。
もし、宇宙というのが、そもそも
魂の衝動を応援するものならば、
自分が抵抗しない限り、
必要な富、豊かさは与えられる、
つまり支給されるようになっているのではないだろうか。
そのように、なっているのではないだろうか。

豊かさとは、
私たち一人残らず、本当は与えられるようになっている。
魂の道を歩み、腕を広げて受け取るのであれば。。。

光と闇について。

多くの人たちに影響を与えるということは、
ものすごい光を放つということ。
ということは、そのものすごい光の対極にある
ものすごい闇ももれなく引き寄せることになる。

人々は、その「ものすごい光」ばかりを見て、
これはもう魂の本能なのか、
光に引き寄せられる、魅了されるのは当然で、
その極にある闇を見ようとはしない。

いわゆる、この世での多くの「成功者」と言われる人たちは、
日々、凄まじい闇とも戦うことになる。
それを覚悟して上に行った者もいれば、
ひたすら「光」に魅せられて行ったはいいが、
辿り着いたら、とんでもないことも背負うことになった、
という者たちもいるだろう。

光だけではない・・・というのが真実なのだ。

そして全ての「成功者」が
闇と戦う、もしくは闇を交わす能力を持っているとは限らない。
それは私たちはよく見たり、聞いたりしている。

だからこそ、
ただただ成功したい、富と名声が欲しい、だけでは済まないのだ。

それがいわゆる「成功者」が対峙させられる
最大の試練であると思う。
闇に決して呑まれないこと。
一番最初に踏み出した時に見た光から目をそらさないこと。

その光とは魂が見た光だ。
ハートいっぱいに感じた光だ。

ビッグになる!絶対に成功してみせる!
絶対に大金持ちになってみせる!

というのが、一番の目的になって、
成功した人はいないと思う。

そんな風に言っているようで、
彼らを動かしていたのは、
「素晴らしい音楽を作る」だったり、
「みんなが喜ぶ商品を開発する」だったり、
必ず人々を照らすような何かを創造することへの衝動だ。
それが大きな力となり、
あとは使命だとか、持ってきた才能だとか、
決意とか覚悟とか、そういうものが合わさって、
この世でいう「成功」というものが達成されるのではないだろうか。

しかしながら、
富や名声と言った成功というのは、
あくまでも我々が住むこの世界での成功であって、
それは、魂にとってはどうでも良いことである、

ということを知っておくことはとても大切だ。

そこを勘違いすると、
いわゆる「この世の苦しみ」に呑まれる。
人と自分を比較し、物質的なことで比較し、
才能の大小で比較し、あることに対する能力の有無で比較し・・・
どれだけ多くの人がこのトラップにハマることか。

でも、魂の成功というのは
そんな事柄とは無縁である。

魂の成功とは、
一つ一つの生をフルに生きることだ。
悔いなくフルに生きることだ。
そしてできるだけの愛を体験することだ。

それ以外はただの幻想にしかすぎない。

だからこそ、
私たちは真実を見る目を養っていかなければならない。
トラップに気づき、トラップをかわしてゆく。

そして
「楽しむ」ことがとてもとても大事だ。
それは深刻にならないためだ。
深刻は重い。
深い洞察力と、明晰さを保つために必要なのは、
深刻にならずに、軽やかでいることだ。
「楽しむ」という気持ちが、重くならないよう助けてくれる。
「楽しむ」という気持ちが、
光の極に潜む闇に呑まれないように助けてくれる。

いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい。
全てのことについて感謝しなさい。

というのはイエス・キリストの言葉だが、
「喜んでいる」ことが闇から遠ざけてくれ、
「祈ること」によって自分の真の想いとそうでないものがわかり、
「感謝すること」によって、宇宙との調和が生まれる、
と私は思っている。

この物質界での成功よりも、
魂の成功こそが目的であるのは、
そもそも私たちの本質が魂だからだ。
今は、肉体という服をまとって、
三次元で修行中の身である。
いずれ、この肉体は卒業して、
元の魂だけに戻るのだから。

物質界に呑まれるのではなく、
この物質界を楽しむ!
というのが、私たち全ての人間の基本的使命であると思う。
どれだけ楽しみ、どれだけ喜びを体験するか。

闇に呑まれないように軽やかに!
「だって、本当は魂なんだもーん!」と思えば、
本当の意味でこの世界を楽しめるのではないのだろうか。
それは自分の使命も含めて。


追記:インスピレーションでそのまま書きました。
なので、私が書いていますが、私でないところもあり、
自分もまだまだ修行の身であり、
「そうは言ってもさあ」と、自分が書いたことに突っ込みたくなる感じです。




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「祈り」

2019年03月25日 | スピリチャル&ヒーリング
いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
全てのことについて感謝しなさい

上は聖書の言葉で、母が好きな聖句だ。
私たち母娘は同じキリスト教系の(小)中高を卒業しているのだが、
クリスチャンではないし、教会に通っているわけでもない。
それどころか、私は(想像するに母も)
学校での毎朝の礼拝は遅刻するか、寝てるかで、
今もそうだが、完全なる「迷える子羊」であった。

それでも日々右から左へとスルーしていたつもりだったいくつもの聖句というのが、
今になって思い出されたり、
今になって「ああ、こういう意味だったのかしら」なんて思ったりすることがある。

歴史の長い世界の宗教というのは、
信者であっても、信者でなくても、
それぞれ解釈は違うかもしれないが、
人がこの宇宙の中で生きる上で普遍的なことを言っているような・・・気がする。

さて、上の聖句、
私は「絶えず祈りなさい」というところに引っかかる。
いつも喜んでいること、全てのことについて感謝しなさい、
というのは難易度は高いが、なんとなくわかる。

だが、絶えず祈れ・・・って。

私はこれまで何度も祈ったことがあるが、結果、
祈りが叶えられたときと叶えられないときがあった。
祈り方が悪かったのか、
そもそも祈りの内容が神様的に「あんた、そりゃないだろ」って言う
自己中心的なものだったからだろうか。

とにも、かくにも、絶えず祈ったところで、
それが届いてんだか、届いてないんだか、
受け取った人(神様?)はどう思ったのか、とか、
しまいには、結局祈ったところで何の効果と意味があるんだ、
とかって、なってしまうのだ。

祈りが聞き届けられるか否か、が、
もう最初から決まっているのであれば、
絶えず祈ることに何の意味があるのだろう、と。

病気が治ることを祈っても、治らずにこの世を去ってしまうことだってある。
祈りが聞き届けられる、られない、が、
もはや宝くじに当たる、当たらないとかって感じになってしまう。

それでも、絶えず祈れ・・・とは一体、真の意味は何なのだろう。

祈りの結果に関して、「あ〜〜〜、そういうことか。なんかずるいような」、
でも納得するような解釈を読んだことがある。

You might not get what you WANT
but you will surely get what you NEED....

はっはぁ〜〜〜、って感じしない?
つまり、祈りや願いは求めたいた形では返ってこないかもしれないが、
神様?宇宙は、確実にあなたにとって「必要なもの」「必要なこと」返してくれる、と。

確かに願い事が全部祈りで叶っちゃったら世界はえらいことになる。
それでも祈るのなら、あなたはあなたにとって必要な道を必ず示される、
ということなのだろうか。

結論などないけれど、今の段階での私の考えはこうだ。

人は宗教云々に関わらず、祈らずにはいられない時がある。
その祈りが純粋であればあるほど、
それは自分のコアである魂と直結している。
その魂から出た祈りは宇宙と共鳴する。
そして何かが・・・動く。
祈ったそのままが返ってくるとは限らない、けれど、
魂から出た祈りは、必ずその魂が納得する、必要な、何かを受け取れるのではないか。

そして、最もパワフルな祈りは、人のための祈りだと思う。
誰かを心から想う祈りは愛そのものだからだ。

もしかしたら、絶えず祈る、というのは
常に自分が愛の中に、愛そのものでいなさい・・・・
ということなのだろうか。


AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

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「私は地球人」

2019年03月09日 | スピリチャル&ヒーリング
というのは、
昨年のLIVEでポカホンタスの主題歌「Colors of the Wind」を
歌う前のMC(←これまた長いんだ)のために思いついた言葉だ。

思いついたっていうか、まさにその通りのことを言っただけなのだが、
多分ほとんどの人がそういう意識はなくて(私だってそうだった)、
何人(なにじん)かと聞かれれば、普通は出身国を言うものだ。

明日のイベント(おたがいさまフェスタ@世田谷ボランティアセンター)でも
この曲を歌わせていただくのだが、改めて色々思うところがある。

「私は地球人」なんて言うと、上っ面の平和運動家みたいに聞こえるが
、私が本気で平和とかを掲げたり、唱えるには、もっともっと勉強しなければいけない。

本気の平和運動は何百歩も先という感じだが、
「私は地球人」と言葉にすると、地球とどーーんと繋がって、
意識がドーンと宇宙まで広がるような気がするのだ。

言葉の力、言霊というべきか、その威力はすごいものだなあと思う。

世界にはまだまだ多くの差別や偏見がある。
生きていく中で、我々の無意識の中に擦り込まれたものがたくさんある。
それをどうやってほどいてゆくのか。

Colors of The Windの中にこんな歌詞がある。


You think the only people who are people
are the people who look and think like you
But if you walk the footsteps of the stranger
You'll learn things you never knew, you never knew

<訳>

あなたが「人」と認める人たちは
あなたと同じような見た目で
あなたと同じような考えを持った人たちだけだと
思っている
でも、知らない人たちが歩んできた道を
あなた自身も歩いてみたら
決して決して知ることがなかったことを
学ぶでしょう

取っ掛かりとして、
私は「私は地球人」「みんな地球人だぜ」(まあ宇宙人も紛れていそうな気もするが)
という意識を持って、自分や周りを見渡してみるようにしている。
そうすると、細々した差別や偏見がちっぽけで馬鹿らしく思えてくる。
(いいぞ、その調子)

それと同時に、上の歌詞にもあるように、
自分にとって未知の人たちのことをちゃんと知ることだ。
差別や偏見が恐れから来るものだとしたら、
その対象をちゃんと知ることだ。
Ignoranceこそ、偏見や差別の原因でもある。

「色んな地球人がいるけど、だから?それがフツーじゃね?」という、
あっけらかんとした世界になればいい。
差別とか偏見とかもはや意識してどーこーしようとする必要もなく、
違いからくる怒りや哀れみなんかも必要もなく、
ただフツーに一個一個の人間同士がガチで関わり合う
・・・みたいなね。

言うは易し、と言うなかれ。
まずはやってみる。
あらゆる○○運動というのは、地道な活動である。
千里の道も一歩から!


<エキサイティングなお知らせ2つ!>

いよいよ明日!
3月10日(日)LIVE@世田谷ボランティアセンター
非常に興味深いイベントでLIVEをさせていただくことになりました!
我が音楽パートナーである、ピアニスト/ 作曲家 / アレンジャーの二本柳一明とやります。
「こんなバラエティに富んだお客さんは初めて」となりそうです。
共通点は「地球人」。Good enough, people!
LIVEは14時ごろから!No music charge!




3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





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