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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

A Truth Seeker 真実を探す者

2021年05月17日 | スピリチャル&ヒーリング
みなさん、おはようございます。

新しい一週間が始まりましたね。
毎週月曜日は私はオフにしています。
週末が終わって
一人ゆっくりできることは
大変ありがたいことです。


さて。


前回は「スピリチュアルな視点とサイキック能力」というお題目で、
私としてはブログを始めてから、
多分、


ガチなスピ話でしたが。


どうもね、
日本で「スピリチュアル」とかっていう言葉を使うと
「怪しい」(いや、実際怪しい人たちはいる)と思う人がまだまだいそうだから、
正直、あのブログを投稿するのは、恐る恐るという感じもありましtが、


ま、いっか!


で、スピリチュアルな人というのは
スピリチュアルな「視点」を持って生きている人、
なんてことを書きました。
そして、それとサイキック能力は別物だよ、なんてことも。


今日はね。
私自身の話をさせてくださいませ。


私は透視能力があるとか、
人のオーラが見えるとか、
天使と話ができるとか、
そういうのはないのですが、

最近、この言葉を知って、
そうか、私は・・・


エンパスなのだ。


エンパス(empath)というのは
英語のempathy、つまり「共感する」から来ているのですが、
言葉通り、


空間や物、人、動物のエネルギーを感じ取れる


というやつで。

私の場合は特に「人」。
人の奥の感情やエネルギーが分かってしまうのです。
「テレパシー」とは違います。
考えてることが分かるのではなくて、
あくまでも感情を主体とするエネルギーです。

集中すると、
その人がその時に感じていることを
そのまま私も感じます。

そういうのが当たり前でやって来たがために、
「エンパス」という言葉に最近出会うまでは、
気づきませんでした。


ただ、振り返ってみると、
私は小学生の高学年くらいから、
やたら人の心理に興味がありました。
(音楽の道に行かなければ、
私は心理学を学ぶつもりでした)


「表面的」なことではなく、
人の深い心理を知りたかったのです。
そして、思うに、エンパス視点で見ると、
もしかして、その頃から、
その人の表面に出てきているものと、
自分が直接感じ取ってるものが食い違っていると、
「ん?」と違和感を感じていたのかもしれません。

そこから、
「人の心ってどうなってるのだろう?
人の奥深くにある、ホントウのところって何なのだろう?」
と思うようになったのかもしれません。


(私自身も含む)人の奥深くにある、
ホントウのところ、つまり、真実・Truth・・・



エンパスという言葉を知ったのはもっと前ですが、
私の「真実を知りたい!」という情熱がどこから来たか分かったのは、
実はほんの数日前。


それへの興味・情熱というのは
今日までずっと続いていますし、
私にとって


真実を観る。知る。というのは生きているテーマかもしれません。

要するに今日のタイトルA Truth Seekerです。

真実を探す者。




このエンパス能力が一番発動されるのは
レッスンの時かもしれません。

歌の技術を身につけることを阻むものが、
外側に見えている「やり方」とは限らないのです。

彼ら(生徒たち)の奥深くにあるものが
本人の意思とは裏腹に「やらせなくしている」ことがあるのです。


最近あったことですが、
彼女はいわゆる発声練習はすごくリラックスしていて、
とても良い状態で、声の響きも申し分ない。

ところが、
いざ「歌」を歌うとなると、
「喉が詰まったような歌い方」になるのです。


これはなぜだ。


私の場合は「ん?あれ?」と感じることが、
「奥を観ろ」というサインです。

単純な技術的な問題や、
身体の状態が問題の時は感じません。


大抵、奥にある何かが大事なものを阻んでいる時。


そういう時に、私は一旦止めて、
グーッと生徒の中に入っていくというか。
そこで生徒が奥深くに持っているもの
(大抵、長きに渡って持っている)にアクセスすることを試みます。

その深い、想い、感情を直接感じ取るようにします。

そこで感じ取ったものを探るために(!)
生徒に質問をします。

でもね、大抵、大まかだけど「恐れ」なのね。
過去のどこかで形成された恐れ。
絶対「今」じゃないの。

例えば、「何か怖い?」と聞いたりして探ります。

と言っても、私はカウンセラーではないし、
その過去の恐れをどうこうするセラピーを展開する立場でもありません。


でも、その質問がきっかけで、
生徒は「気づく」のです。
自分が気づいていないか、もしくは気づかないようにしている何かを。

その本人が気づくということが最も大事なことなのです。


まさに、A Truth Seekerというのはそういうことなのです。


そうやって、
レッスンは少しずつ「本人の意識が広がって行く」方法で、
自分の心にも身体にも寄り添うことが大事であるということを
生徒は学んでいきます。
(もちろんみんながみんな、深い何かが阻んでるわけじゃないよ、笑。
あなた、もっと練習しなさい、という単純な場合もあります。)




ただエンパスの問題というのは、
放っておいても他人のエネルギーを取り込んでしまうのですね。
人の多い場所に出かけて長時間いたりすると、
帰宅してから、もう立てません、ってくらい疲れるのです。
(だからか!というのも最近知った)

ですから、
一人でゆっくりする時間は非常に大事なのです。


そして最後につくずく思うのは


自分の真実こそ、見えにくい。笑。


修行でございます。

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スピリチュアルな視点とサイキック能力

2021年05月15日 | スピリチャル&ヒーリング
今日はね・・・ズバリ。


スピるよ。
(タイトル見ればわかるよ、笑)


ちょっと簡単に
私が思うスピリチュアルについて。


スピリチュアルというのは、
一つの視点だと思っています。
対→物質的視点という意味で。

じゃあ、スピリチュアルな視点って何よ?ってなると、
これまた説明が長くなりそうなので、
今回は割愛しますが、

表面的(物質的)なことではなく、
もっと高い視点、もしくは、もっと深い視点を持つ、
スピリチュアルな視点を持って生きるということは、
自分の外側で起きていること、内側で起きていることを、
そのような視点で観る、感じる、
そのように思っています。(私はね)


でね。
今日は

サイキック能力についてのお話。


スピリチュアルな視点を持って生きる、と、
サイキック能力を持ってる、って


違うから。


サイキック能力を持っている方々がいらっしゃいますが、
それは例えば、

透視能力(未来が見えるとかね)
テレパシー
目に見えない存在、亡くなった方とコミュニケーションが取れる、
というようなところから、
物に触れずに動かせる
テレポーテーション(瞬間移動。ってできる人に会ったことないけど!)

など、
「普通、そんなのできないよね?」というようなことですが。

でも

直感・直観ってあるでしょう?

これは、気づいてなくも、みんなが持ってる能力。


サイキック能力というのは、
そもそも全ての人間が持っているものなんだけど、
ようはブロックされてるか、されてないか、ということだ思います。
でね、ブロックされてるからいけないって話でもないのよ。
「今生には必要ないから」という場合もある。

それに長けてる人というのは、
まあ、そういう能力を敢えて持って生まれてきた人
(人生の計画で必要だから)が多分ほとんどだと思うし、
途中で開花する人というのは、
多分、その開花までのプロセスがその人に必要だから。


私は小さい頃からそういうのに興味がすごくあって、
いわゆる「超能力者」にどんだけ憧れたか!
一時は「どうせ私なんか何の能力も持ってない」とかって。


でもね、先に書いたように、
そういう能力を持つことが別に特別でもなんてもなくて、
かっこいいわけでもなくて、


私は、一輪車乗れます。得意です!


ぐらいのものなのです。人生的に言えば。

そのような能力を持つことがえらい事でも、目的でもないのです。
その人の人生に「それが必要であれば」、
つまり「魂の成長に必要であれば」、
その人はその「一輪車を乗りこなす」という修行が待っているかもしれません。
そして、一輪車を乗りこなすことによって「何をするか」が大事なのです。


私にとっての「歌」のようなものです。


そしてね。
スピリチュアルにご興味のある方、
スピリチュアルリーディングやタロットや占いにご興味のある方。


サイキック能力を持っている人が
高いスピリチュアル性を持っているとは限らない。



そう、スピリチュアルな視点を持っていることと、
サイキック能力とは別物、
ということを覚えておいてください。


どんなに能力が高くても、
その人の精神性や魂が成熟していなければ、
どんなツールを使っても、
受け取ったメッセージやサインを
優秀に翻訳ができないのです。


逆に、
サイキック能力はなくても、
非常に高いスピリチュアルな視点を持ち、
高い精神性と成熟した魂を持っている人はたくさんいるのです。
(もちろん両方を持っている人たちもいます。
それはもうね、彼らの使命ですね。
生まれる前から、やる、と決めてきたこと。)


私たちの人生の意味、目的は後者ですから。
高い精神性、魂を育む。
「何を通して」かは、それぞれ違うのです。



そういうことにやっと気づいたのは、
私も大人になって随分経ってからのこと。


何しにココに来てんのか。


を、忘れないことよ。


今日は本当は、
エンパスというサイキック能力について
ちょっとお話をしようと思っていました。

私はね、エンパス系なのですね。
(これまたしんどいのよ。役にも立つけど。)


でも、長くなっちゃったから、
また今度ね!


お楽しみに〜〜〜!


皆様にとって
素敵な穏やかな週末となりますように。






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生きてる理由?

2020年12月04日 | スピリチャル&ヒーリング
皆さん、ごきげんよう!

さて、昨日のブログでは、ブログ名を改名したそのいきさつのお話をして、
で、Soul=魂はわかるけれど、
魂って結局なんなのかしらあ、わかんな〜い!
それがSoul Quest(魂の探求)なんてシメまして。

強引に出発進行!!!いたしました。

わかんな〜い、んだけれど、
私がどう捉えているか
お話してみます。(できんのかな)

皆さん、「私」ってなんでしょう?

これを哲学的に「私とは」とやり始めると、
頭がショートするので、
ここは単純に、

自己紹介する時やプロフィールや履歴書などの内容が
いわゆる「私」のように、思います。

「私」は」いついつどこぞで生まれ
身長はこれで、(体重は内緒で)
家族構成はこうで、
どこぞの学校行って、
今はどこぞで仕事していて、
性格はぁ・

もちろん、
そこに趣味とか、特技とか、
色々入っていきます。
これまで生きてきた中でのエピソードなんかも。

自分の肉体から始まって、
通ってきた道の中で身につけたもの。

それが「私」。


もし魂というのがあるのだとしたら、
「私のコア」の部分をさしているような気がする・・・
なんか、心の奥の奥の方の・・・?
というのは、多分、多くの方が
な〜んとなく思うところではないか、と。

そして、私もそのように「感じます」。
なんせ見えないし、肉体のような物質でもなさそうなので、
「感じる」しかないようなモノです。
皆さんもきっと同じように魂の在り処を「感じる」のだと思います。


いわゆる「私」が肉体から始まって、
外の世界の経験、そこで身につけてきたものだとしたら、
「私」は「魂」の上に着込んでいる「服」だと思うのです。


じゃあ、Soul Questって何よ?



服を着込みすぎて
「元の姿」がわかんなくなっちゃったから、
服を一枚一枚脱いでいって、
「元の姿」を見つけましょう!!!という冒険。
だって、それこそが「真の私」だから。


「真の私」ってどんなんだろう?

嘘のない私。なぜ嘘つく必要あるの?
最もパワフルな私、だって重い服着てないから。
最も自由な私、そこには固定概念がないから。


しかし、だったら魂のまま浮遊してればいいし、
何を好んでわざわざこの世(重い物質の世界)に生きて、
着てきた服をも一回脱ぐ、っていう
面倒なことをしなきゃならないんだ!


分かりません。。。う。

いや、スピ本読めばいっぱい書いてあります。

「読んで分かる」というのと「本当に分かる」は違うのです。
だから、私にも分かりません。

だけど、
現に私が「ここ」にいるのは確かなのです。
そして、どうもコアな私がいると感じるのも確かなのです。
私が苦しい時、迷っている時、不安な時、
どうも、コアな私と「ズレてる」感じがするのです。
自分が満たされている時、納得している時、幸せと感じる時、
喜んでる時、愛している時、
どうも、コアな私と「繋がっている」感じがするのです。
そして、それは「うむ。これで良し。」という確信があるのです。

コアな私と「ズレてる」と感じるのか、
コアな私と「繋がっている」と感じるのか、

それが、Soul Questのナビゲーションとなります。


生きてる理由?
それは「魂=コアな私」にしか分かりません。
そして、「私」がそれを知りたいなら、
「魂」と「繋がる」しかない。

繋がる、には、これまで着込んできて、
「もういらない服」を脱いでいくしかないのです。
繋がることを邪魔してしまう服を。

蝶々がサナギを脱ぎ捨て、
新しい自由な姿に変身するように。。。



さあ、どうする?


それは「私」しだいです。







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ご興味のある方は、ここから!も↓
歌手AYUKO SAITOのプロフィール






爆発!!!(本当の静けさはその後に)

2020年11月29日 | スピリチャル&ヒーリング
何が爆発したかというと・・・
私のネガティブ感情でございます。

それは昨日のことです。

昨日のブログのお話になりますが、
昨日私はドーンと気持ちが落ちまして、
「じゃあ、落ちた場所から書こう」と、
「宇宙の(エネルギーの)リズム」の法則、
つまり、上がったら下がる、下がったら上がる、
それはもう「絶対」のリズムとなっており、
落ちた時は、そこに静かに、静かにいましょう、
そうすれば自然に上がってくるから・・・
とかなんとか尤もらしきことを

宣(のたも)うた。


「このブログを書きながら少し上がってきました」

とかなんとか言っちゃって。

ところが、その後そうは行かなかった

という、

今回はその補足というか
一番大事なところかも


ということでして、
なぜなら、昨日のブログを読んでくださった方で、
とても素直に、落ちたところに静かにしてようと試みたけれど、

上がりませんけど・・・全然上がりませんけど〜〜!!!

と(私のように)大惨事が起きていたらこりゃ大変と思いまして、
その後、私に何が起きて、ようやく「本当の静けさ」にいたり、
「浮上してきた」という現在に至ったかを責任を持って
お話させていただきたいと思います。

昨日のブログに

「かつての私でしたら、
いや、今でもたまにやらかしますけれど、(マスター・ヨーダレベルはほど遠い。)
ブルーを更にブルーで彩って、「別にそこまでわざわざ落とさなくても」という事態を招いていましたが、
ようやく「まずは感情をそのまま感じて、とりあえず、観る」ということは
少しできるようになってきました。」

と、書きましたが、

ブルーを更にブルーで彩って、「別にそこまでわざわざ落とさなくても」という事態

を、まんまと招きました。

落ちたところで静か〜〜にして浮上することに成功した方、素晴らしい。
しかし、私のように「ブルーにブルー」つまり、
ネガティブな感情がもう溢れ出て止まりません!ということが起きた方、


それを止めないでいい!!!
ほとばしれ、ネガティブ感情!!!


ここで「いや、静かにしてなきゃいけない」と、
出てきたがっている感情をギューギューと抑えてしまうと、
その場はなんとか成功しても、必ず、今度は、もっと大きい形でやってきます。


さあ、私は「あかん。ブログで書いた通りになってないじゃんか!
どうしよう、ヤバい、止まらない!あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
誰か〜〜〜〜〜!!!」


落ちている時というのは、ネガティブ感情の「待ってました」の機会でして、
トピックはなんでもいいのですが、だいたい自分の日々、人生の中で、
大事な部分、気になる部分、悩んでいる部分、不安に思っている部分、自信のない部分を
攻撃してきます。

ネガティブな感情というのは色々ありますが、
行きつくところは対自分か、対誰か、となると思います。

「どうせ、私なんか・・・どうぜ私なんか・・・」

もしくは

「アイツが、アイツが、アイツが〜〜〜!!!!」

という感じになるかと思います。
自分を責めるか、人を責めるか。

さて、もう止められないネガティブ感情、
止められないのだから、もうしょうがない。
心の中では、溢れ出るネガティブ・ワード。
怒りやら悲しみやら(因みに怒りの源は、悲しみ、なのですよ、実は)
日頃押さえつけていたのか、我慢していたのか、
出口を見つけられないままでやってきた
気持ちが、まさに、爆発していたのでした。


ここで大きなミスを犯すところだったのです。


私はそのネガティブ感情の大爆発のまま、
結論を出し、行動に出てしまうところでした。
「もう、無理、もう、私には無理なんだ」と。
それは、爆発が一瞬静まったときに訪れました。
一見自分は少し冷静になったつもりで。

そして、その「結論&行動」にそのまま乗せられる前に、
私は止まった、というか、危機一髪、止まることができました。


「そういえば、この前、○○さんが、
ネガティブ感情に襲われた時は、それを思いっきり言葉にして書いてみるといいって
言ってたなあ」
と思い出したのです。

「よし、執行する前に、試しにそれやってみようじゃないか」と。

そして、私は「1日3ページジャーナル」というのを毎日書いているのですが、
昨日は、3ページまるまるその時のネガティブな感情を言葉にして埋めました。

不思議なもので、心の中でそれらを溢れさせても、結局「形」にはなっていないので、
「出口」を見つけたことにはならないのですね。
言葉にする、ノートに手書きする、というプロセスで、それが「リアルな出口」を見つけるのです。
そしてね、とんでもない言葉が出てきても、そのまま書くのです。だって、誰も読まないのだから。
書き出すと「ヤバくない、こんなこと書いちゃうの?」と一瞬「頭」の方がたじろぐのですが、
書くんです。頭ではなくて「感情のまま」、恨みツラミ、怒り、悲しみ、
なんでもいいから、出てくるがままに書くのです。
行き場のない感情を言葉という形に「してあげる」のです。


書き終わった後。


まず私の感情は「気が済みました」。
出口を見つけたからです。
解決した、とか、答えが出た、というわけではありません。
けれど、爆発→結論→行動、はやめました。
その「結論」を明日まで保留にしようと思えたのです。

ここでようやく、「静けさ」がやってきました。
その静けさは時間が経つにつれ、より穏やかになってゆく、
自分が「自分の中心」に戻ってゆく・・・そのような感じでした。

もう夜でしたので、
私はそのまま眠りにつきました。


そして今朝目覚めた時、

ああ〜〜〜あの時、あのまま結論出して、行動しないで、本っ当に良かった

と、心から思ったのです。
私はようやくたどり着いた「本当の静けさ」の中で、心からそう思ったのです。
「私が心から願うことは、あの感情の中にあるんじゃないんだ」と。
でも、あの感情を気が済むまで感じて、ちゃんと出口に連れていかなかったら、
きっと分からなかったな。。。と。


感情というのは、
あらゆる経験から、ある意味「リアクション」のような形として起こるものです。
特にネガティブな感情は、まるでパブロフの犬のように、
いつものあの時、いつものこんな時に・・・何度も何度も。

そして、感情は、「宇宙のリズムの法則」の中で、
上がったり、下がったりする流動的なもので「真実」ではないのです。
でも、私たちの人生をナビゲートしてくれる大事なものでもあります。

昨日私に起こったことは、「ああ、また感情に呑まれた」という
情けないものでしたけれど、
「本当の静けさ」に行き着くためには、
ネガティブだろうと、その感情が一旦現れたら
せき止めないで流してあげることが大切なこと、
それはすぐさま、その勢いで「結論を出し」「行動に移す」のではなく、
まずはそれらに「リアルな出口」を作ってあげる、
つまり「書いて、その言葉を形にする」ということが
一つの手段になるのだ、ということを発見することができました。


自分の「本当のところ」から出る結論、選択、行動のみが、
「本当に辿り着きたい場所」を知っています。

そして、「本当のところ」というのは、感情ではありません。
「本当のところ」というのは
自分の中心にある「本当の静けさ」の中でしか分からないのです。

でね、この静けさがずっと続くわけではないのが、

人生、修行なり。

「ああ、また私はやるんだな、これを」と思うのだけれど、
螺旋階段を上ってるんだと思えばいいさ。
そう、「げ、また同じ場所で同じことをやってる」と思っても、
実は、前回よりちょ〜〜っと上にいる。


さてさて・・・

まさかの「その後」となりましたが、
この私の個人的なすったもんだ劇場が
どなたかのお役に立ちますように。。。


(お騒がせすったもんだ劇場、つづく。)










落ちたら落ちたで、その静けさの中に

2020年11月28日 | スピリチャル&ヒーリング
「宇宙の法則」というのがありましてね、
全てはエネルギーで成っているという前提の元、

「(エネルギーの)リズムの法則」というのがあるのです。
(だ、そうです)

つまり、エネルギーは上がったら下がり、
下がったら、また上がる、
を波のように繰り返すという、
もうこれは「絶対!」という法則だそうで。

歴史の「盛衰』のような大きな流れから、
個人個人の日々の感情まで
この宇宙のリズムの法則が働いている・・・と。

私たちの感情の話をすると
歓喜の状態がずっと続くことはないし、
悲嘆の状態がずっと続くことはない。
波の幅(時間)や高低はそれぞれ違いがあるけれど、
皆さんもなんとなく分かりませんか?

簡単な例で言うと、
お友達と集まって大盛り上がりで
最高に楽しくて幸せな時間を過ごすんだけれど、
終わって帰ってきた時の、
なんとも寂しいような、急に空虚な気持ちになるような。


あんだけ楽しかったのに!!!
あれは嘘だったの!?

いえ、あれは本当だったのだけれど、
上がったらどうしても下がるのが、このリズムの法則なのです。
(だ、そうです。)

(因みにその法則は物資的な世界で働くのですが、
つまりそれは「重いエネルギー」とされているもので、
じゃあ、感情は物質じゃないじゃん、と言いたくなりますが、
感情のエネルギーは重いエネルギーにあたり、
一方、思考というのは感情よりも軽いエネルギーとされていて、
影響を受けにくい、とのこと。
その「思考」をどう使うか、というのが肝になってくるんですって。
それはまたいつか。)


以上の話を私は3年近く前にとある方から教えていただきまして。
私はもともと感情の起伏が大きく、(よく言えば豊か、笑)
特に「落ちた」時に完全にその波に呑まれてしまう。
(感情を感じる、と、感情に呑まれる、は違う)
「あなた、自分の感情を観る!コントロールする!」練習をしないとあかん、
と言われたのでした。


さて、
気持ちが上がっていく時は心地いいですが、
これ下がっていく時というのがねえ・・・
上がりが大きければ大きいほど、
波がてっぺんまで行って、
「落ちてゆく」時というのはきつい。
オーバーだけれど、天国と地獄へと落ちてゆくようなものです。


なぜ、今日はこのお話をしようかと思ったというと、
実は別のトピックで書くつもりだったのですが、


アタシ、今日、なんか、落ちてて書けない。。。ああ・・・


という状態で、どうしよう、どうしようと思っていたのです。
しかし、「いかん!どうしよう、どうしようとジタバタすれば呑まれる!!!
そう、昨日まで大分上がってたから、今日は下がるんだ。」と自分に言い聞かせ、


静か〜〜〜に今いる場所にただ、いてみよう。

と。
その「静か〜〜〜な場所から何かを書いてもいいではないか。」と。
そこで「宇宙のリズムの法則」について書いてみようと思い、
もしかしたら今日、「落ち気味」の方々もいらっしゃるかもしれないし、
何かの役に立てたら、これ幸い。


かつての私でしたら、
いや、今でもたまにやらかしますけれど、(マスター・ヨーダレベルはほど遠い。)
ブルーを更にブルーで彩って、「別にそこまでわざわざ落とさなくても」という事態を招いていましたが、
ようやく「まずは感情をそのまま感じて、とりあえず、観る」ということは
少しできるようになってきました。

今日はその練習として、
「落ちたところで静かにいる」をやってみたところ、
このブログを書いていくうちに、
少しずつ浮上してきている感じ。

力を抜けば、体は自然と水に浮く!!!!というアレですな。

この記事をたまたま覧になってくださった方々が、
「今日はルンルンだから〜!」なら、そんな嬉しいことはありません。
もしも、「私・・・今日はちょっと落ちてる感じ」の方がいらっしゃったら


静か〜に、静か〜に・・・

ただ、そこにいてみてください。
ただそこに。

また、上がっていきますから・・・


peace, peace, peace...