旅から戻ってみると、現実が待っていた。彫刻展の運営では、議論は煮詰まり、意欲は生煮えで、委員会(同級生たち)の気持ちがバラバラになっている。ジムショときたら、まるで安宿のまかない部屋だ。コーナーには、ノリ弁のカラ容器と空き缶が山と積み上がっている。議論となれば、当然「酒でも飲みつつ」となるところだが、あきれたことに、この神聖なる場所には酒の持ち込みが禁止となったらしい。いつなんどき、重要人物からの電話が(殊に教授陣からの「激励」が)あるかわからないからだ。テレビもねえ、ラジオもねえ、車もほとんど走ってねえこのあばら屋で、選ばれし勇者たち(オレを含む)は、毎夜ダベり、ゴロゴロと寝転がり、尻の汗疹をポリポリかきかき、電話があれば応対をし、出展希望者からの返信ハガキが届けばちょこちょこと事務作業をし、それ以外の時間は、交わす言葉数も少ないまま、夜がふけるまですね毛を突き合わせて、ボロボロの画集などを開いたり閉じたりして過ごすしかない。たまにメンバーの女子がきては、「タイヘンね」と捨てゼリフを吐いて帰っていく。テメーにとっても他人事ってわけじゃなかろーが。とは言え、はたから見たら、われらの有り様は「かわいそうな囚われびと」そのものだ。この場所は牢獄だ。いや、迷子の子犬たちが集められた檻だ。なにもすることがなく、どこへ向かうべきかもわからない。オトナになった今、顧みれば、もう少し時間を充実させるべき工夫もあったろうが、教授陣の画策に足を突っ込み、抜け出せなくなってしまったこのメンバーの誰もが、とにかくマジメ・・・というか、マヌケなのだった。
さて、昼間の塑像部屋では、相変わらず裸婦像を制作している。コンクリート造りのわがアトリエは、大部屋の中央でふたつのスペースに仕切られ、オレたち3年以下組と、最上級の4年生組が、それぞれに別の女性をモデルにして立像をつくっている。オレたちの側のモデル台には、世にも美しくしなやかな肢体を持った、そして性格もよろしい「ならさん」という30歳くらいの美女が立っている。彼女はすらりとスレンダーで、手足が長い上に姿勢が素晴らしく、さらにたわわなおちちが「張りつめた」と「こぼれんばかり」のちょうど均衡を保った状態で乳首をかかげていて、まったくほれぼれとさせられる。ならさんは、学生たちが渇望するモデルさんなのだ。学生自身がモデルさんを選ぶことはできないが、まったくこのひとを引き当てるなんて、なんてラッキーなことだろう。
ところがその一方で、4年生の先輩たちの側には・・・あれは一体なんなんだろう?なぜか、すごいデブのおばはんが立っているのだ。例えて言えば、女相撲の関取・・・だろうか、アンコ型の。その肉感には後ずさりさせられ、年齢を感じさせる肌質には目を覆いたくなる。しかし、まさか、と二度見してみても、先輩たちのモデル台の上には現実に、女のおすもうさんが立っているのだった。彼女は苦心をしていろんなポーズを取っているのだが、どう見ても雲龍型の土俵入りだ。なんと恐るべきハズレくじだろう。その素っ裸を、先輩たちは見て、自分の中に取り込み、作品表現に反映させねばならんのだ。地獄だ。訳を聞くと、公立美大のモデルさんは公務員に準ずる扱いなので、太ろうが、歳を取ろうが、クビにはできないのだという。それにしても、ひとに見られる仕事なんだから、自分の体型くらい管理できないものなのか。確かに、太った人物をつくるというのも彫刻の勉強、と言えなくもないが。しかし、オレは断固として主張したい。
「美しくないものは、つくりたくない!」
いや、その・・・ちがうのだ、オレは、太ったひとをおとしめているわけではない。つまり、「その体型で堂々とモデルをしようという太い根性は美しいとは言えない」、あるいは「モデルをする以上はその体型であってはならない」と言いたいのだ。しかしその主張は、現実を前に退けられる。なぜなら、前述した通りに、学生はモデルさんの選り好みができないのだ。オレは恐れた。あのモデルさんがこちらに配されることを。そうならないように、毎日神仏に手を合わせた。あんな生き地獄はごめんだ。なむなむ・・・
幸いにして、その願いは成就した。彼女は、先輩たちの前での仕事を終えると、油絵科の部屋に移っていったのだ。その後の足取りはようとして知れないが、オータや成田たちは、彼女をどう描いたのだろうか?むき身となったあのモデルさんを直視するのは御免だが、ラグビー部の仲間があのモデルさんをどう調理したかについては、ちょっと興味がある。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
さて、昼間の塑像部屋では、相変わらず裸婦像を制作している。コンクリート造りのわがアトリエは、大部屋の中央でふたつのスペースに仕切られ、オレたち3年以下組と、最上級の4年生組が、それぞれに別の女性をモデルにして立像をつくっている。オレたちの側のモデル台には、世にも美しくしなやかな肢体を持った、そして性格もよろしい「ならさん」という30歳くらいの美女が立っている。彼女はすらりとスレンダーで、手足が長い上に姿勢が素晴らしく、さらにたわわなおちちが「張りつめた」と「こぼれんばかり」のちょうど均衡を保った状態で乳首をかかげていて、まったくほれぼれとさせられる。ならさんは、学生たちが渇望するモデルさんなのだ。学生自身がモデルさんを選ぶことはできないが、まったくこのひとを引き当てるなんて、なんてラッキーなことだろう。
ところがその一方で、4年生の先輩たちの側には・・・あれは一体なんなんだろう?なぜか、すごいデブのおばはんが立っているのだ。例えて言えば、女相撲の関取・・・だろうか、アンコ型の。その肉感には後ずさりさせられ、年齢を感じさせる肌質には目を覆いたくなる。しかし、まさか、と二度見してみても、先輩たちのモデル台の上には現実に、女のおすもうさんが立っているのだった。彼女は苦心をしていろんなポーズを取っているのだが、どう見ても雲龍型の土俵入りだ。なんと恐るべきハズレくじだろう。その素っ裸を、先輩たちは見て、自分の中に取り込み、作品表現に反映させねばならんのだ。地獄だ。訳を聞くと、公立美大のモデルさんは公務員に準ずる扱いなので、太ろうが、歳を取ろうが、クビにはできないのだという。それにしても、ひとに見られる仕事なんだから、自分の体型くらい管理できないものなのか。確かに、太った人物をつくるというのも彫刻の勉強、と言えなくもないが。しかし、オレは断固として主張したい。
「美しくないものは、つくりたくない!」
いや、その・・・ちがうのだ、オレは、太ったひとをおとしめているわけではない。つまり、「その体型で堂々とモデルをしようという太い根性は美しいとは言えない」、あるいは「モデルをする以上はその体型であってはならない」と言いたいのだ。しかしその主張は、現実を前に退けられる。なぜなら、前述した通りに、学生はモデルさんの選り好みができないのだ。オレは恐れた。あのモデルさんがこちらに配されることを。そうならないように、毎日神仏に手を合わせた。あんな生き地獄はごめんだ。なむなむ・・・
幸いにして、その願いは成就した。彼女は、先輩たちの前での仕事を終えると、油絵科の部屋に移っていったのだ。その後の足取りはようとして知れないが、オータや成田たちは、彼女をどう描いたのだろうか?むき身となったあのモデルさんを直視するのは御免だが、ラグビー部の仲間があのモデルさんをどう調理したかについては、ちょっと興味がある。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園