deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

59・クランクイン

2012-12-14 00:09:31 | Weblog
 キシが監督と脚本と撮影全般を仕切り、主演はオレ、なんてことになった。言い出しっぺが責任を取れ、といったところか。とにかく、「自主制作映画」のプロジェクトは動きだしたのだった。
 勉強もデッサンもできない、存在感を存分に発揮できるのは昼休みのバスケだけ、というキシだが、映画のこととなると、恐ろしくマメに立ち働いている。サラサラ髪を風にそよがせ、小柄なからだで精力的に動きまわり、まるで水を得た魚だ。休日になるといそいそとロケハン(ロケーション現場をさがす旅)に出かけていき、いい場所が見つかると、地図上に書きとめていく。空き時間には、撮影技術をいちから学ぶのだ、と言って、エイゼンシュタインのモンタージュ理論やら、二重露出やシャッタースピードを用いる最新の特撮技術やらの本を、片っ端から読んで勉強している。脳みそを煮え立たせ、目の下のクマが目立つようになり、徐々に年老いていき、日に日に、目に見えないなにかをむさぼる亡者のように変貌していく。それでも飽くことなく、小むつかしい映画論とにらめっこをする姿は、まるで受験生だ(それくらい受験勉強をしたらいいのに)。
 しかし、その学習効果はたちまち現れた。
「試し撮りをやるぞ」
 同級生の苅谷を撮影して、スクリーンの中で煙のように消してみせる技にはドギモを抜かれた。また、8mmカメラを上空に向けて、何秒かおきにシャッターを切り、気の遠くなるような時間を費やして、かっこいい「雲がすっ飛んでく」映像をものにしたりしている。そのデモを観せられたクラスメイトたちは、当初のしらけた雰囲気とは打って変わり、胸を高鳴らせはじめた。なんとなくキシのテンションに引っぱられ、クラス全体のモチベーションが上がっている。情熱とは、伝染性の熱病なのだと知った。
 アホのキシだが、ついに脚本にも手をつけはじめた。あまり多くの漢字を知らず、文章を書くことに苦痛に感じる監督が現場に持ち込むホンは、「絵コンテ」だ。つまり、シーンをコマ割りにして、マンガのような画づらを時系列順に並べたものだ。手法的にはクロサワエピゴーネンと言えるが、これなら文章を読む必要もないので、同じくアホの演者にも、監督の意図が直感的に理解できる。そのホンの内容が、また奇妙なものだ。ストーリー展開の説明となる文字がないどころか、登場人物のセリフまでもが皆無なのだ。スジもあるんだかないんだかよくわからない、茫洋としたものだ。のちに完成形を見ると「ああ、ダダイズムか」と理解できる・・・いや、理解できない感じのものをやりたかったのだとだけは理解できる。要するに、コンセプチュアルでアバンギャルドという、われわれの生きるこの現代(平成)に使うと気恥ずかしくなるような雰囲気のやつなのだった。しかしこの高校生たちが動きまわっている昭和の最後期は、洋楽のプロモーションビデオが真っ盛りで、プログレッシブ・ロックの連中はみんなこのスタイルを採用しているし、要するに、流行っているのだ。キシはそれをやりたいわけだ。そいつにチャレンジしようという気概はたいしたものだが、スベったときが怖いなあ・・・と、誰もが懸念を抱きはじめる。
 しかし、そんなこんなのさまざまな憂慮にかかわらず、映画撮影はスタートした。そのタイトルを、「コンプレックス/虚像の周辺」という。うわははー・・・

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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