deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

77・村さ来  

2018-12-15 08:49:06 | Weblog
 「イッキ飲み」などという奇妙な現象が、とんねるずの喧伝(あるいは、秋元康の差し金)によって巷に蔓延しはじめている。この掛け声に、世間は見事なまでに踊らされている。ノリこそ最重要。拒否など無粋の極み。こいつがはじまると、おいしく飲むことよりも、周囲をしらけさせないように飲み、振る舞うことが求められる。まったく軽薄な文化だ。が、これがなかなか愉快なのだ。これに乗っからない手はないとばかりに、学生は(社会人もだが)街に繰り出し、居酒屋になだれ込む。
 居酒屋チェーンもまた、競うように全国に大展開し、各地の繁華街に浸透していく。どの店も毎夜、お祭りのような賑わいだ。金沢の中心街・片町でも、「村さ来(むらさき)」「つぼ八」「養老乃瀧」「いろはにほへと」などがシノギを削り、どの店舗でも、学生バイトが両手いっぱいにジョッキを抱え、満席のテーブルの間を縫ってダッシュしている。なんという活況だろう。世間全体が、いや、時代そのものが大騒ぎをはじめたかのようだ。のちに振り返ると、バブル景気が開始されていたわけだ。
 オレがバイトをはじめた「村さ来・片町店」は、100人ほどの客が入れる中規模の店だ。居酒屋ブームの到来で、席は連日、すき間なく埋まり、店先にはたちまち行列ができる。開店の5時から日が変わるまで、ひっきりなしに客が押し寄せるのだ。バイト経験がなく、「いらっしゃいませ」と声を張り上げることさえ照れくさいオレは、ホールでの接客仕事を回避して、皿洗いからさせてもらうことにした。厨房のすみから、まずは店内を観察して様子をうかがおうと考えたのだ。
 洗い場は、オレひとり。早くも一国一城の主というわけだ。テーブル席から次々に空の器が下げられてくるので、それを待ちかまえ、洗剤を満たした二つのシンクに放り込んでは、ガシガシと洗いまくる。汚れた器がピカピカになり、清潔に乾いて、食器棚に秩序立っておさまっていく。こいつはなかなか気持ちがいい。皿洗いは、なにを考える必要もなく、性に合っている。
 週に半分程度、シフトに入ることになった。バイトの日は、大学の講義が終わると、チャリで石引町のまっすぐな道路を突っ走り、兼六園の坂を下って、香林坊を左に折れ、片町に直行する。午後5時前にガチャンコ(タイムカード)を押し、エプロンと長靴を装着。厨房の仕込みですでにたまりはじめている洗い物との格闘に入る。だいたい平日なら深夜の12時、週末だと明朝の3時から5時くらいまで、ひたすら皿を洗う。慣れてくると仕事も早くなり、手が空いたときには調理の手伝いをしたりもはじめた。「爆弾おにぎり」という、サッカーボールほどのバカバカしい巨大おにぎりをつくるのも、オレの仕事になった。二杯の丼にすり切りにご飯を詰め込み、そこに数々の具材をねじ込む。そして二つの丼を合わせて、シェイク。巨大な球に合体したご飯のかたまりを、二枚の海苔で包んで、ハイ、出来上がり。まん丸に仕上げるのが難しい。海苔をすき間なく、そしてツヤツヤ黒々と張り付けるのも至難のワザだ。こうした仕事っぷりにも、美意識の差が出ようというものだ。造形意識も刺激される。錬磨に励む。なかなか愉快な作業ではある。
 店の営業が終わると、自分の持ち帰り用に握った爆弾おにぎりをかかえて、小立野の下宿に帰宅する。あるいは、マッタニん家に上がり込む。マッタニはバイト先から餃子をせしめてきているので、さて交換会、そして酒盛り、となるのが常だ。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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