deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

66・自己修練

2012-12-30 12:36:10 | Weblog
 厳冬期の彫刻室は、しんしんと骨の髄にまでしみ通る寒さだ。コンクリートが打ちっぱなしの地上階。頼りないサッシ窓からは、すきま風が吹き込んでくる。モデル台の置かれた一角はともかく、大がかりな作品を制作するための作業場はガレージと大差のない造りで、断熱・防寒などという「居心地」に対する配慮が一切ない。大きなものを運び込むことだけを念頭に置いて設置された巨大なシャッターが、外気温をそのまま素通しにする。暖房がまったく効かないので、むしろ、暖房などしない。そこで毎日、石を彫りつづける。つららをへし折ったような冷たい手触りの鉄ノミを握りしめ、重いげんのうをノミ尻に打ち込む。刃先が石をミートし損なうと、ノミを持つ左手の指先がガサガサの石面に叩きつけられる。すごい勢いで、だ。じ~~~~~ん・・・
「うっ・・・ぐっ・・・」
 声も出ない。頭の天頂部にまで達する鈍痛。そのたびに悶絶する。不思議なものだ。こうした痛みは、なぜ暑い日よりも、寒い日の方が強く感じられるのだろう?とにかく、シベリアでの強制労働のような環境を、オレは耐え忍んでいるのだった。
 作品の形は、徐々に体をなしつつある。ただの石くれだった塊が、具体的な説明を与えられて、フォルムに命が宿っていく。でっぱりは尖塔となり、くぼみはくっきりとした穴となり、稜線は鋭いエッヂとなり、筋目はシャープなクレバスとなる。一打一打が、デコボコをメリハリに変えていく。張り詰めさせたい部位は、砥石で徹底的に磨き上げて、ツルツルにする。素材感を強調したいところは、ノミ目やハツリ跡をそのままに残し、粗いテクスチャーとする。だんだん石の扱いがわかってきて、だんだん最終形がイメージできてきて、寒さに震えながらも、それが気にならないくらいに面白くなってくる。
 さて、この頃は、なぜかチャリ通学をしている。以前のように、家の最寄り駅から市街地まで電車で行き、そこからのバス区間をチャリ移動、というものではなく、ド田舎のわが家から学校までの長距離を、一気通貫のチャリ走で通いはじめたのだ。電車とバスを乗り継いで45分ほどもかかる距離だが、汗を流してたどり着けないほどのものでもない。
 田んぼのあぜ道や国道をひた走りひた走り、ひたすらにひた走り、学校まではまる1時間かかる。が、ただの1時間ではない。わが故郷には「伊吹下ろし」という、驚くべきカラっ風が吹くのだ。冬になると吹きすさぶこの強風は、毎日、家々を揺らすがごとくに、遠く伊吹山からなだれ下りてくる。こいつに向かって進むと「鼻水が耳に入る」と言われるほどの、重くふとぶとしい北風だ。それは早朝の登校時には背中を押してくれて、順風に漕ぎ出す帆船のようにらくちんだ。「こりゃいいや」とよろこぶのも束の間、逆風となる下校時は悲惨だ。ペダルを漕げども漕げども、前に進んでくれない。少しでも踏み込みの力をゆるめると、風に押し戻されてしまう。延々と急坂をのぼりつづけるようなものだ。耳はちぎれそうに痛み、マフラーやコートは引っぱがされそうだ。しかもハンドリングをひとつ間違えれば、車がびゅんびゅんと行き交う国道に投げ出され、一巻の終わりとなる。それはそれは危険でしんどい通学だ。が、それをつづけるのは、電車賃をケチっているわけでも、時間短縮などの合理的な理由でもない。それはただただ、「艱難オレを玉にす」という、せいしゅん時代特有の、わけのわからない自己修練の思いなのだった。オレもまた、せいしゅん時代の誰もがそうであるように、「オノレに課す」という行為が大好きなのだ。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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