主に写真を…

ダビデの素人写真

郵便局

2007年09月30日 | Weblog
近くの特定郵便局の看板です。

しばらく前に郵便局に行ったら看板の一部にカバーが掛かっていました。
ははぁ…この下には新しい民営会社の看板があるわけだな!

いよいよ明日から民営になるので、民営化前の郵便局の最後の姿を撮影してやろうとわざわざ行ってみたら、すでにカバーは取り払われていて新しい看板になっていました。

明日10月1日の午前9時前に、局員一同そろってカバーを外すなどのセレモニーがあるんだろうなどと勝手に思っていましたが、ぜんぜん違いましたね。(笑)




万景峰号の入港拒否など北朝鮮に対する経済制裁を延長することにしたそうです。

総理大臣が福田さんに代って外交政策がずいぶん違ったものになるのだろうと思っていましたが、そんなに急に舵を切ることはできないようです。

半年ごとに制裁期間の延長をしているようです。

してみると最初は昨年の10月だったわけですね。
たしか昨年7月はじめ(米独立記念日)に北朝鮮がミサイルを何発も海に撃ち込んだ時には制裁項目を決めただけで、その後10月の地下核実験の実施で制裁発動したんでしたっけ。

ちょっと前のことはすぐ忘れてしまいます。

インターネットに接続するようになってからは調べたいことがアッという間に検索できるので、ずいぶん情報が豊富になったような気がしていましたが、蓄積しない情報はあまり役に立たないことに気がつきました。

何か事件が起こるたびにネット等の(詳しい)情報に一喜一憂しますが、喉もとすぎれば熱さを忘れ、また次の事件に一喜一憂…。そのときばかりの知ったかぶり。
薄っぺらな生活ですね~。(笑)


ネット環境のなかったときの方がよっぽどしっかり情報を把握していたようです。


2年前の8月に参議院で郵政民営化法案を否決された小泉首相がブチ切れて衆議院を解散。選挙となれば民主党が勝って政権交代する可能性が強いので、いくら強気の首相でも解散はできないだろう、なぜだか知らないけれどそんな雰囲気でした。

衆議院が解散されたとき与党議員は「えーっ」と呆気にとられ、民主党の面々は「してやったり」の表情であったのを覚えています。

ところがフタを開けてみれば与党の圧倒的勝利、野党の惨敗。自民党にいたっては候補者が一人足らずにせっかくの議席を社民党に進呈する始末。それもご愛嬌といった余裕しゃくしゃくの大勝利でしたが、このときばかりは誰でも郵政民営化推進は有権者の意思と考えざるを得ません。

そしてたった2年後の参議院選では民主党の大勝利と与党の惨敗。参議院での議席の与野党逆転。衆議院の圧倒的有利にもかかわらず首相の退陣。


実際に次々と経験しているとそれほど感じないのですが、あとから振り返ると相当振幅が大きいようです。
後世今を歴史として勉強する人はどのように評価するのでしょうねぇ。(笑)

今思い出してみるだけでもなんでこうなったのか判らないし、これからどうなるのかはもっと判りません。
マスコミは何らかの評価をしなければならないので、あとづけの理由をつけて解説していますが、本当はよく判っていないのではないでしょうか?
地方の切捨て都会との格差。政治と金。抽象的な「美しい国」への反感。
…本当なのかなぁ。

個人的には「バンソウコウ」の「出処進退」が一番大きいような気がします。(笑)

今後、何が起こっても不思議でないように思います。…今回も変な調子になってしまいました。(笑)

近所のノラ4

2007年09月30日 | Weblog
1ヶ月ぶりに近所のノラ猫に会えました。

例によってなかなか出会えなかったのですが、今日はひょっこり顔を出しました。
私の心配をよそによく太っていました。



今日の朝刊の1面に、沖縄戦での集団自決が軍命令であったとする記述を削除した教科書検定に抗議する沖縄の県民大会が、11万の多数を集めて行われたとの報道がありました。

この件は興味があって多少知っていました。

悲惨な集団自決は実際にあったことのようですが軍命令で行われたのではなく、戦後になって自発的な自決では遺族年金がもらえなくなるので、軍の関与の下の戦死扱いにしてもらって年金を受けとり、苦しい生活をしのいだ。
隊長は沖縄の方々の困難を見捨てておけず、あえて自ら甘んじて汚名を着て軍命令を出したと認めた。
隊長の善意に基づく偽証で、一種の美談と呼ぶべきものであるという理解です。

作家の曽野綾子さんの調査で、「巷間伝えられていた軍命令による集団自決」はご存命の当事者(隊長と村人の双方)が否定しその信憑性が大きく疑われました。

この「事件」を国軍と隊長の残虐行為の事実として著した作家と出版社が「そりゃ全然話が違いまっせ、良かれと思ってついた嘘でお父ちゃんがめちゃめちゃ悪者になってるがな。本にするならちゃんと調べて本当のことを書いてもらわんとかなわんがな」と隊長の遺族によって訴えられていて、 事実関係について法廷で争っていることなどは新聞紙面にはいっさい載っていませんでした。


これは地方紙なので全国紙にはどのように書いてあるのだろうと思って図書館に行ってみたら(暇ですね~)あれまぁ今日は休館日でした。

もう一度紙面を見直して「新聞社の意見」を探してみましたが、用心深く一言も書いてありません。「沖縄でこれこれこういう集会に県知事をはじめ11万人も集まりました。参加した人は口々にこう言っていました。」というかたちの報道でした。


ひどい報道ですねぇ。
経緯をなんにも知らない人が見たら一定の方向に誘導されるような報道です。自社の意見も書いていないところは客観報道を装って逃げ道を用意しているように思えます。

沖縄の集会に参加した人はもちろん曽野綾子さんの調査や裁判のことは百も承知でしょうから、「曽野綾子さんの調査他ではその隊長による自決命令は確認できないが、だからと言って軍命令がなかったことの証明にはならない。これをもって教科書検定で当該記述を削除するのは、あたかも軍命令による集団自決が一件もなかったと理解され甚だしく不当である。」という理屈だと想像していますが、そのあたりの経緯を何も書かないで報道するのはやはりひどい。


この動きは韓国との間で問題になった「従軍慰安婦」の一件を思い出させます。

声の大きな「当事者」が不確実な「事実」をもとに政治問題にして圧力をかけ、譲歩した政府が事実関係をあいまいにして謝罪してしまう。
それで解決すると思ったらとんでもない間違いで、韓国はいつまでも政治的カードにするし、十何年経ってから(あっと驚く)アメリカで非難決議が行われる。

政権が不安定な弱みはあろうけれど、将来に禍根を残さないためにも政府には事実関係をよく調査して、曖昧なところで「落としどころ」などを探さず毅然として対処してもらいたい。


ちょっと文体が変わってしまいましたね。(笑)

でも、国軍が「お前ら敵の捕虜になるぐらいなら全員死んでしまえぇっ。」などと実際に命令して実行させたのなら大問題だと思います。

満月

2007年09月27日 | Weblog
今夜8時半頃の月です。

一昨日の中秋の名月が満月でなかったので、ちょっと意地になって撮影してみました。

夜の撮影なので長時間シャッターになるのかなと思っていましたが、月は案外明るいもので、ぜんぜん心配要りませんでした。
昔の人が月明かりで夜道を歩いていたのも当然ですね。

旧暦の15日は必ずしも満月ではなかったのですが、1日は必ず新月で闇夜だったそうです。
ということは旧の元日の夜は毎年毎年真っ暗闇だったんですねぇ。



昨日の拉致事件の講演会で荒木和博さんが言った言葉

「6カ国協議をたとえて言うと、校舎の裏でタバコを吸っている生徒を注意するのに、近くまで行って大声で『タバコを吸っているやつは退学にするぞー』と叫んだ後30分待ってから現場に踏み込む教師のようなものです」

形式だけ整えて実質は無い協議だとのことです。

印象に残っている言葉でしたが、書き忘れたもので…。


拉致事件

2007年09月26日 | Weblog
近所の公民館で北朝鮮の拉致事件の講演会がありました。

講演者は拉致被害者家族会の飯塚繁雄さん(田口八重子さんの実兄)と特定失踪者問題調査会の荒木和博さんでした。

最初に飯塚さんによる田口八重子さんの拉致に関する話。ロビーには田口さんの若いころの写真が展示されていました。
69歳の飯塚さんは埼玉県から日帰りで来ているそうです。

次に荒木さんによる拉致事件及び北朝鮮の人権に関する包括的な話でした。

北朝鮮では「人権」という言葉が「生命」に直結している現実。
子供の脱北者が描いた、野菜を盗んだ罪で公開処刑される人の絵はショッキングでした。
アメリカの2倍にも及ぶ距離の日本の海岸線。それをカバーしきれないマンパワー。日本海側にある数十箇所の密入国ポイント。瀬戸内海・太平洋側の人々の警戒心のなさ。拉致は海岸で起こるとの間違った思い込み。政府の拉致事件への取り組みの鈍さと、それを批判しつつも頼らざるを得ない現実。

もはや国家とはいえない「盗賊」に対して、「話し合い」だけでは拉致事件は解決しないということについては、飯塚さんも荒木さんも同じ考えでした。

雑誌や書籍を読んで拉致事件に関して多少詳しいつもりでしたが、ナマでお話を聞くと切実な迫力が伝わってきました。
拉致被害者(家族会等)の方々がわれわれに望んでいるのはなまじの知識ではなく、この事件に対する怒りと完全解決への強い意志であるのだと理解しました。


中秋の名月

2007年09月25日 | Weblog
本日21時ごろの月です。

あんまり秋らしくないのですが、中秋の名月です。
雲に隠れたり顔を出したりでした。


名月というからには満月だと思っていましたが、違うようです。
単に旧暦の8月15日の月を「中秋の名月」と呼んでいるそうです。

しかし太陰暦は月の満ち欠けで日付を読んでいたのではなかったかなぁ。
一日が新月で真っ暗闇、15日が満月の15夜お月さん…。


ちょっとだけ調べてみると、月の軌道は円ではないので新月から満月までの時間が一定しないなどの理由で旧暦でも15日が満月とは限らないそうです。2日後27日が満月です。



福田康夫さんが総理大臣に就任されました。親子で総理大臣になるのは初めてと聞いてちょっと意外な感じがしました。

明治維新までは世襲の統治者を戴いていたのに、政治体制が変わったとたんに一気に世襲がなくなってしまうというのは面白いものですね。
明治になってからも世襲に関してしばらくは旧体制の残滓が残っていても不思議ではないのに、それはなかったんですねぇ。これが民主主義の厳しさというものでしょうか。

ところで、民主主義という言葉を国名に持ちながらぜんぜん民主的でない人民共和国の政権はどうなるのでしょうね。
週刊誌によると首領さまは認知症になっているとか…。
核実験も成功したのか失敗したのかよくわからないし、その他の持ち駒は圧倒的にわが国の方が多いのだから、援助などしないで締め上げたまま放っておけばいいように思います。


夕焼け2

2007年09月22日 | Weblog
今日の夕焼けです。

図書館からの帰り道に撮影しました。

帰宅してテレビをつけっぱなしにしていたら、7時のHNKのテレビニュースで-「愛子さま」が相撲見物-と紹介されたニュースが聞こえました。

「へーっ」と思って見ると、皇太子殿下と雅子さまに連れられて愛子さまが国技館に来ていました。


これは「皇太子殿下(一家)が相撲を見に来られた」と報道すべきものではないでしょうか。


皇族でなくても、小さい子供が両親に連れられて相撲に行ったとしたら、やっぱり「親が行った」「親に連れて行ってもらった」というような表現になると思います。


NHKともあろうものが、このように主客を転倒させたリードで皇室のことを報道するのはいかがなものかと思います。

「天皇裕仁を強姦の罪で有罪とする」などと「判決」を下した「女性国際戦犯法廷」をわざわざ取り上げて報道したり皇太子殿下を軽んじるような報道をしたり、一貫して皇室に対する敵意のようなものが感じられます。


夕焼けとはまったく関係ありませんが(笑)、つい筆が滑りました。


夕焼け

2007年09月20日 | Weblog
夕焼けです。

まだまだ残暑は厳しいのですが、なんとなく秋めいてきました。

半分近くまで下がってきていた早明浦ダムの貯水率も100%になったし、これから徐々に涼しくなって過ごしよい季節になって行くものと期待します。



15日に松山へ行くために朝早く出発したところ、道路が渋滞していました。
「あれ、朝早いのに変だなぁ」と思っていたら、事故渋滞でした。

渋滞を抜けるとき事故状況を見ると、なんとパトカーが工事車両に突っ込んでいました。

警察車両が事故を起こすのは珍しいし、さて警察はどのように言い訳をするのか或いは新聞には出ないのかなどと思っていました。

次の朝、新聞を見てビックリ!

早朝、物損事故を起こしたドライバー本人が現場検証に来ていた警察官の乗っていたパトカーを奪って逃走、そこでまた追突事故を起こしたとのことでした。

警察の物をドロボーするとは…しかも自分の事故の処理中に…現場検証の警察官もまさかそのようなことが起こるとは考えていなかったでしょうねぇ。
警察官が軽率であったというような記事でしたが、これは警察官が気の毒です。

夕焼けとは関係ありませんが、インパクトのある事件だったので…。

横田滋さん

2007年09月19日 | Weblog
図書館に本を返しに行ったら、拉致被害者の写真展をしていました。

横田めぐみさんの写真がほとんどでした。

ほかの拉致被害者の方の写真も用意されているのでしょうが、スペースや知名度の関係でめぐみさんに焦点を当てた展示になったものと思われます。

今年の2月に拉致事件のドキュメンタリー映画を見ましたが、被害者家族の気持ちは(動かない)パネル写真の方によく顕れているように思います。

横田さんが赤ん坊のめぐみさんを抱いてにっこり微笑んでいる写真には、その写真が幸せなものであるからこそ(あればあるほど)突然娘を失った不幸が伝わってきて、なんともいえない気持ちになりました。


自由民主党の総裁選びが行われますが、福田康夫さんが優勢のようです。
福田さんは小泉総理の電撃訪朝時の官房長官で、北朝鮮政府からの情報を確認された事実のごとく被害者家族に伝えて家族会があとでたいへん怒っていました。

家族会としては安倍晋三さんが総理大臣でいた方が心強かったのだろうと思いますが、残念ながら任期中に拉致事件を進展させることができませんでした。

福田さんは拉致事件に対して安倍さんとは少々違う立場らしいので、このまま福田さんが総裁→総理になれば北朝鮮は大喜びするのかもしれません。

わが国の都合ではありますが、ちょっとシャクです。

53番円明寺

2007年09月15日 | Weblog
53番円明寺(えんみょうじ)です。

54番のお寺は今治市にあるので、今日はこのお寺で最後です。

52番太山寺より引き返すこと2キロあまり。細い道の側にありました。
大きなお寺でなく、ここにも階段がありませんでした。

本尊は阿弥陀如来。やはり如来様の御本尊が多いですね。

境内にはなぜだか万国旗が張られていました。

第1次世界大戦中の徳島の板東捕虜収容所を舞台にした映画「バルトの楽園」の中で、ドイツ兵の捕虜が「第九」を演奏する場面で万国旗が飾られていましたが、ナマの万国旗を見るのは小学校の運動会以来ではないでしょうか。
何か行事があった直後なのかもしれません。

現地では気がつきませんでしたが写真を見るとここにも仏様の足跡がありました。
もはや定番と心得るべきでしょうね。


午前10時過ぎに47番八坂寺に着いてから53番円明寺を出たのが2時半。昼食もとらずにざっと4時間の駆け足遍路でした。
88と数を限られるとどうしても「効率」を考えてしまい、巡礼の本来の目的から遠ざかっていくようです。

寺の数をはじめから意識しすぎるのは良くないことだという考えに至りました。

とても疲れた一日でした。

52番太山寺

2007年09月15日 | Weblog
52番太山寺(たいさんじ)です。

51番石手寺より(53番円明寺を通り越して)10キロあまり、大きな山寺でした。

細い道を車で登っていくと右手に駐車場がありました。
駐車場から歩いて坂道を登ること300m、本堂に登る階段までやってきたらそこにもまた駐車場がありました。
暑い日だったのでちょっと損をしたような気がしました。(笑)

階段を上って本堂、大師堂の敷地は左手階段をさらに上ったところで本堂より一段上にありました。

本尊は十一面観音菩薩。重文です。(風呂屋と同じです。)

ここにも仏足石がありました。仏様のものは足跡でも尊いとの考えでしょうが、だんだん希少価値を感じなくなりました。

水屋の近くに番犬が2匹飼われていましたが、例にたがわず警戒心はなさそうでした。石手寺の猫の方がよっぽど番犬に向いているようです。(笑)

道後温泉

2007年09月15日 | Weblog
51番石手寺から52番太山寺へ向かう途中に道後温泉があります。

有名な「坊ちゃん湯」は道後温泉本館というそうです。

今回は入浴しませんでしたが、一番安いのが400円、2階に上るお茶とお煎餅附きが800円だったと思います。一番高いのには入ったことがありません。

この建物は明治27年に建てられて、なんと重文に指定されているそうです。

八十八ヶ所札所の建物で重文指定というのは珍しくもないのですが「…風呂屋が重文とは!」

オオクニヌシノミコトに農業を教えたスクナビコナノミコトが病気治療に訪れ、完治した嬉しさに思わずその上で踊った石が残っていたり、聖徳太子がやはり治療に来たりと数々のエピソードを持つ温泉です。

近くから外観だけ撮影しました。


51番石手寺

2007年09月15日 | Weblog
51番石手寺(いしでじ)です。

50番繁多寺より3キロあまり。

街中にある大きなお寺でした。(駐車料金平日土曜日210円)
ほかのお寺と少し趣が違い、境内の参道の両側にみやげ物屋さんが並んでいました。飼い猫ともノラ猫ともつかない猫が何匹か歩いていました。

本尊は薬師如来。

石手寺はもともとは安養寺と呼ばれていたそうですが、後に石手寺に変更したそうです。(石を握って生まれてきた子供にちなむとのことです。)

広いお寺で観光地のごとく石碑や宝物館などいろいろなものがありましたが、全部は見ることができませんでした。

写真は弘法大師のお手形です。竹生島に伝わったものと説明がありましたが、竹生島といえば琵琶湖の竹生島のことでしょうか。

もう何でもありの感じでした。

アイスクリン

2007年09月15日 | Weblog
50番繁多寺の駐車場にあった「アイスクリン屋さん」です。

昭和30年代か40年代の食べ物ではないかと思います。
「寅さん」の映画の一場面で出てきたのを思い出します。

そういえば他のお寺にもアイスクリン屋さんが出ていたように思います。
アイスクリン販売商組合が八十八ヶ所のお寺に交渉して営業許可をもらっている…というようなことでは…ないでしょうね。

アイスクリームといわずアイスクリンというところが懐古趣味をくすぐる…という趣向なのでしょう。

秋晴れの気持ちの良い天気でしたが気温も高く一本買ってもいいかなぁと思いましたが、食べるのだったらやっぱりミニストップのプリンパフェの方が好ましいので(笑)横目で見ながら通り過ぎました。

…今年、高知の桂浜に行ったときにもアイスクリン屋さんが出ていたのを思い出しました。
観光地限定の商売なのでしょうね。

50番繁多寺

2007年09月15日 | Weblog
50番繁多寺(はんたじ)です。

49番浄土寺から2キロあまりのところでした。

広いお寺でした。駐車場から山門をくぐり、しばらく歩いて階段を上がると正面に本堂、右手に大師堂、左手に歓喜天が祀ってあります。
歓喜天とはインドの神様が仏教に帰依したもので、帝釈天とか韋駄天などおなじみのものもたくさんあります。

本尊は薬師如来。

手前には新しくできた鐘楼がありました。
午前7時から午後7時までの間は一人一回に限り鐘を突いても良いとのことだったので、遠慮なく突かせてもらいました。
鐘楼の天井板(鐘の下から見上げる部分)には支那風の絵が描いてありました。

支那の二十四孝子の絵でした。(天井板が6×4の24枚ありました。)

古典落語に「二十四孝」というのがあります。
親不孝の息子が説教されついでに唐土の二十四孝の話を聞いて、形だけそのまねをしようとするお笑いです。

二十四孝は儒教の教えですが、わが国では神様も仏様も孔子様も何でも共存してしまうのですね。

イスラム教とキリスト教の間で、戦争になるほど極端な軋轢があるよりはだいぶんマシだと思います。

ここの駐車場で次のお寺の位置を確認したところ、52番53番のお寺も比較的近くにあることが判ったのでついでにまわることにしました。

49番浄土寺

2007年09月15日 | Weblog
49番浄土寺です。

48番西林寺より3キロ。
街中に近づいたからでしょう、ここで今日はじめて駐車料金が要りました。(150円)
支払うのは階段を上って境内の右手の奥にある納経所なので、知らん顔をしていればタダで駐車できそうなのですが、お寺にお参りする行為と著しく矛盾するので(笑)正直に申し出て支払いました。


本尊は釈迦如来。
正面に本堂右手に大師堂、左手には重文の空也上人像を祀ったお堂がありました。

空也上人像といえばむかし歴史の教科書に写真が載っていました。
南無阿弥陀仏と唱えた口元から仏像が連なって出てくるような木像だったと覚えています。

「あれがこの寺にあるのか」と感慨しきり、お堂の扉の格子からのぞいて見ましたが、木像が保管されているケースは閉じられていて見ることはできませんでした。

まぁ当たり前ですね。

このお寺にも仏足石(仏様の足跡)がありましたが、人間の足よりだいぶ大きく、また触られないように囲いがしてありました。

写真は大師堂に貼ってあった千社札です。