主に写真を…

ダビデの素人写真

夕暮れの空

2007年06月29日 | Weblog
雨上がりの空です。

夕方から降りだした雨が上がったあと、空を見上げると妙な雲が出ていました。

入梅してからもあんまりまとまった雨が降らず、じめじめ感だけが残るような変な気候です。

この空もこれから雨が降るのか晴れるのか、綺麗なのか不気味なのか…判断のつけにくい雲です。

西洋の宗教画のような、何か意味があるとすれば重たい意味のありそうな空でもあります。

適度の雨をチャッチャと降らせて、雷が鳴ったら「ハイ梅雨明けです!」という具合にはいかないものでしょうか。

瀬戸内海ふたたび

2007年06月26日 | Weblog
夕暮れの瀬戸内の写真です。

今回も宇高国道フェリーからの撮影です。

先日は夕暮れの時刻に撮影できなかったのですが、今日はなんとか…。

ところが今日もあいにくの曇り空で、遠くの島々や瀬戸大橋が見えなかったのが残念です。

本当はもっともっと綺麗なんですが…。

岡山城遠景

2007年06月26日 | Weblog
後楽園内から見た岡山城です。

後楽園に行ったついでに隣接している岡山城も見るつもりでしたが、時間が足りず行かれませんでした。

黒色の外見から「烏城(うじょう)」と呼ばれています。

慶長2年(1597年)、豊臣五大老のひとり宇喜多秀家が築城したとのことです。

宇喜田秀家は関が原の戦いに敗れ、東軍へ寝返った小早川秀秋が入城するも早世し、その後池田忠継が城主になり明治維新まで池田氏が統治したそうです。

堂々たる天守や美しい庭園を見ていると「天下泰平」の見本のような感じがしていましたが…戦国時代というのは厳しいものですね。

…今だっておなじかな。







後楽園

2007年06月26日 | Weblog
日本三大名園のひとつ後楽園へ行って来ました。

元禄13年(1700年)に岡山藩主池田綱政公の命によって造園されたそうです。
元禄といえば「時に元禄十五年十二月十四日江戸の夜風を震わせてえっ…」と三波春夫が歌った「俵星玄蕃」の元禄です。
赤穂浪士の討ち入りの時代に完成しています。

さすがに大きな公園で空き時間(2時間)では半分見るのがいいところですね。(入園料350円)

蒸し暑い日で、園内を歩くとじっとり汗をかいてしまいましたが、途中に「足湯」のように流れの中に足を浸けられるところがあり、ここで一休みしました。

園内は平日とはいえたくさんの人が観光に来ていましたが、広い公園なのでざわざわした感じもせずのんびりと見ることができました。

季節柄アジサイや蓮の花が綺麗に咲いていて、シオカラトンボやアゲハチョウ、池の鯉やカメ、林の中にはアオバズク(インドネシアからの渡り鳥…園内で知り合った人の話)までいました。

丹頂鶴も飼われていましたが(ナマで見るのは初めてです)大きなケージの中におとなしく囚われているのがちょっと気の毒でした。

うろこ雲

2007年06月24日 | Weblog
23日土曜日の空です。四国某所から撮影しました。

梅雨の合間…というのでしょうか、日差しが強く暑い日でした。

今年は春先より降雨量が少なく、四国では早明浦ダムからの取水制限も行われ渇水を心配する声が聞こえて来ています。

この雲は「うろこ雲」というのか…ひとひらひとひらに重量感があっていかにも雨を降らせてくれそうな面構えです。


今を去ること13年前の夏、四国地方は大規模な水不足に襲われました。
前年には米不足(ローソンのおにぎりの品質がガタッと落ちました。)翌年には阪神大震災と悪いことが続きました。

あのころからでしょうか、どうも気象の様子が変になってきているような気がします。
局所的な集中豪雨や積雪、台風の頻発、地震、竜巻(!)など、とても日本とは思えないような気象状況に見舞われます。

景気の低迷と足をそろえるかのような異常気象の出来には、穏やかでないものを感じます。


天の神様が何かに怒っているような気もします。(笑)




散歩…でしょうか?

2007年06月23日 | Weblog
家の前の花壇をカメが歩いていました。(笑)

ちょっとびっくりしましたね。

どこから来てどこに行くつもりなのでしょう。

おそらくは附近の川から出て来たのでしょうが、まるでどこかに目的地があるかのごときしっかりした歩みには何か強い意志のようなものが感じられました。

「…世界の内にお前ほど歩みのノロい者は無い…」と歌われていますがなかなかどうして足が速く、カメラを取りに戻っているわずかな間に数メートルも進んでいました。

近所の川で甲羅干しをしているカメをときどき見ることはあるのですが、彼らはわりあい臆病で近づくとすぐに水中に避難してしまいます。
やはり水の中が安心できるようです。

このカメは甲羅が高く、見慣れたカメとは種類が違うようでした。
人を怖がらないのと「我が道を行く」態度に好感が持てました。

邪魔をしないようにカメラを向けたつもりでしたが、ちょっと迷惑そうでした。

(少し目を放したスキに消えてしまいました。ちゃんと目的地に着いたかなぁ。)

恋人峠

2007年06月22日 | Weblog
徳島県穴吹町に「恋人峠」というところがあります。

もともとは平家の逃避行についていけない女性たちとの別れの場所だったそうですが、現在では恋人同士が愛を誓い合う場所になっています。

用意されている金網に二人の名前を刻んだ「鍵」を掛けます。


真鍮の南京錠が圧倒的に多かったです。

話に聞いて予想していたよりも「情念」のようなものは感じられず、たくさんの鍵が所定の場所に行儀よく掛けられていたのが印象的でした。

カミキリムシ

2007年06月21日 | Weblog
庭のアジサイに羽音をたててカミキリムシが止まりました。

さっそくカメラの餌食です。(笑)

今年は空梅雨(からつゆ)だそうですが、それでもチョコチョコ雨が降ります。

今日は曇りでしたが雨は降らなかったのでカミキリムシも積極的に活動できたようです。

雨の日はどこかの木の葉っぱの裏にしがみついているのでしょうね。


ゴマダラカミキリというそうです。

松山城のスズメ

2007年06月18日 | Weblog
松山城内のスズメの親子です。

松山城内は鳥獣保護区域になっていて、城内の鳥はあまり人を恐がりません。

どこの公園でも鳩は人懐こいものですが、スズメが近くに寄ってくることはあまりないように思います。

松山市内を南西に見下ろす「あずまや」のベンチに坐っていたところ、1メートルくらい先の手すりに止まりました。

長い間止まってはくれませんでしたが、10数羽のスズメが入れかわり立ちかわりそばで遊んでくれました。

ピーナッツを半分に割って与えるとスズメには大きすぎてその場では食べません。
仲間に取られない所までピューッと移動してなんとか処理しているようです。

米粒大に砕いてやるとそのまま子スズメのところに持って行って、口移しに食べさせていました。


松山城

2007年06月16日 | Weblog
愛媛県、松山城に行ってきました。

大規模な山城でした。さすが四国随一の都市の中心です。(人口51万人だそうです。)
県庁や市役所、裁判所、議会、美術館、図書館など皆このお城の周りにありました。


お城の本丸へはロープウェイとリフトが設置されていました。(往復500円)
徒歩でもじゅうぶん登られますが、あいにくの雨模様で大事をとってロープウェイにしました。(片道2分半)

今年は天守閣の大規模改修が行われて、美しい天守が完成していました。
この天守はたびたび火災に遭い損なわれていましたが、詳細が判る資料が残されていたため、400年前の築城時のままを再現して作られたそうです。

天守閣へは入場料が必要(500円)ですが、内部を直に味わうと往時に時間旅行しているような気さえして実にワクワクするものがありました。
また、昭和の再建時の映像を中心にしたビデオが上映されていましたが(40分ぐらいかな)、お城を中心とした松山の歴史が要領よくまとめられていて見る値打ちがありました。



このお城は「賤ケ岳の七本槍」のひとり加籐嘉明公が築城されたそうで(寛永4年1627年完成)、藤堂高虎公は関与していないようです。

瀬戸内海

2007年06月16日 | Weblog
瀬戸内海、宇野~高松を結ぶ宇高(うたか)国道フェリーに乗りました。

瀬戸大橋(1988年開通)ができるまでは、このフェリーに加えてJRの宇高(うこう)連絡船が列車と乗客を積んで走っていました。

瀬戸大橋の開通とともに宇野~高松の海路は無くなるかと思っていましたが、運賃を下げるなどの企業努力のおかげで現在も重要な交通手段として活躍しています。
宇野~高松を約1時間、24時間就航しています。
船内には風呂の設備もありました。(利用者は多くないようですが…)

瀬戸内海に浮かぶ小さな島々を赤く染める夕焼けの景色はそれはそれは見事なものなのですが、瀬戸大橋で一気に渡ってしまうとドライバーには観賞する暇がありません。

今回はあいにくの曇り空でしかも夕暮れには少し早い時間だったのですが、行き交う漁船と遠くに見える瀬戸大橋の景色はなかなか見ごたえありました。


藤堂高虎公の銅像です

2007年06月09日 | Weblog
お城のトピックスのたびに藤堂高虎公が出てくるので、気になってちょっとだけ調べてみました。

もともとは近江の方で浅井長政に仕えたのが最初ですが、主君を変えながら戦国の世を乗り切り、最後には徳川幕府の下で伊勢の津藩主(32万3000石)になったそうです。(三代家光の時代に没)

築城の名手で数え切れないほどの城の築城改修普請に携わった方だそうです。
慶長の役では李舜臣と水軍で戦い、朝鮮でも城を築いたとのことです。

こんなすごい武将がいたんですね。知らなかった。

写真は今治城内にあった藤堂高虎公の銅像です。


大洲城

2007年06月09日 | Weblog
大洲城(愛媛県)の写真です。
今年の2月のものですがお城つながりで…。

渥美清の「男はつらいよ」シリーズの「寅次郎と殿様」という映画の舞台になったところです。
マドンナに真野響子、嵐寛寿郎が大洲の殿様、執事に三木のり平という豪華キャストでした。

NHKの朝の連ドラ「おはなはん」の舞台でもありました。(これは古いですね。)

あとは古式泳法の「神伝流」発祥の地だそうです。(私はこれを子供の頃に習ったので馴染み深いのです。)


大洲はしずかな城下町で、ひなびたなかにもしっとりした感じがしてとても好感の持てる街でした。

街中を流れる肱川(ひじかわ)では毎年6月に鵜飼いが行われるそうです。
ちょうど今頃ですね。


大洲城は平成16年に再建され、写真のような堂々たる天守が街を見下ろしています。この天守閣は鉄筋コンクリート造のような近代工法を使わず、伝統工法で往時のままを再現して作られたものだそうです。地元の方々のお城に対する思いが感じられます。

調べてみるとこのお城も藤堂高虎公が改修しています。

この方はスーパーマンですね。

宇和島城

2007年06月09日 | Weblog
宇和島城(愛媛県)の写真を引っ張り出してきました。

天守閣は写真で見るとおり大きなものではありませんが、実戦を想定した山城で、細い石段を天守閣まで登るのに何度も休憩をとりました。

やっぱり藤堂高虎公が手がけて(改修して)いました。
今治城の築城より前の話です。


宇和島というと伊達氏のイメージが強かったのですが、伊達氏は藤堂氏が今治へ転封となった後、次の富田氏一代(改易)を経て1614年に入封し明治維新まで統治したのだそうです。

「伊達さん」が今でも宇和島にいらっしゃるのか地元に方に尋ねると、東京にお住まいでときどき帰ってこられるとのことでした。

さすが殿様の末裔です。まるで参勤交代のようですね。

今治城

2007年06月09日 | Weblog
愛媛県、今治城へ行ってきました。

城内は無料で見学できました。
天守閣内の展示(300円)は時間外で見ることができませんでした。

散歩をしていたご老人に尋ねると、藤堂高虎公が築城したとのことでした。
確かこの方は宇和島城も築城しているはずです。
美しくて立派なお城でした。

城内のお宮には「魚問屋」「魚仲買」が献納した狛犬がありました。
漁業で栄えた町らしいです。

ところが、現在の今治はなんと「焼き鳥の街」だそうです。
県内産の鶏肉を使った焼き鳥屋が市内に何十軒もあるそうです。

夜になってそのうちの1軒に入ってみましたが、確かに安くて美味しい焼き鳥でした。