goo blog サービス終了のお知らせ 

Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

キャパ

2007-12-08 00:13:10 | Weblog
すごく共感するたとえ話を聞いた。




あなたは電車の座席に座ってます。

目的地の学校まで2駅。

さあ、ここで目の前にお年寄りがやってきました。

あなたは席を譲りますか?


いや、ぜひ譲ってください。

席を譲ったあなたはいい気分。



それじゃあ場面を変えます。

あなたは電車の座席に座ってます。

満員電車です。

目的地の学校まであと2時間です。

あなたは今朝まで徹夜でレポートを書いていたため、フラフラです。

さあ、ここで目の前にお年寄りがやってきました。

あなたは席を譲りますか?




自分の余裕があるときに出来て、余裕が無いときに出来ないことっていうのは本物とは言えない、と。

まあ、ちょくちょく限界にチャレンジして、長い目でキャパ押し上げてきましょ。


鳥居みゆき/妄想結婚式

ミーム

2007-12-02 21:40:17 | Weblog



ミーム(meme)とは、いわゆる文化的遺伝子で、文化内の「変異」が「遺伝(伝達)」的に承継され、「自然選択(淘汰)」される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体である。例として災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語など、すべてミームという仮想の主体を用いて説明できるとする。例えば「ジーパンを履く」という風習が広がった過程をミームの視点から捉え直せば、『1840年代後半のアメリカで「ジーパンを履く」というミームが突然変異により発生し、以後このミームは口コミ、商店でのディスプレイ、メディアなどを通して世界中の人々の脳あるいは心に数多くの自己の複製を送り込むことに成功した。』となる。訳語としては 摸倣子、摸伝子、意伝子 がある。

(『ウィキペディア(Wikipedia)』)



世の中には出来あいの結論が100位あって、ほとんどの文章やメディアの情報の大半はそれをもとに分類できてしまう。

ミームというのは思考や考えの塊だ。

遺伝子が自分を複製しようとするのと同じように、ミームも自分を複製する。

そんであっちこっちに広まる。

あらゆるメディアは何らかのミームを伝えるための道具である。



あああああああああああああああ、頭がこんがらがった。

というかうまく表現できない。

やり直し。



要は、なんか既存の結論があって、そこに話をこじつけて持っていくことばかりみんな考えてる。

んなことばっかりやってるんで、自分のやってるこじつけがこじつけになっているかどうかを検討する能力すらみんな失ってる。

決まった結論に落とせただけでほっとして安心しちゃってる。

その結果、みんな結論さえ聞き慣れたものなら、そこに至るプロセスの整合性はほとんど考えない。

その証拠に、大半の文やメディアといった情報は無くても全然構わないゴミと化してる。

「情報化、ああアレですか」「サブプライム、ああアレですか」「初音ミク、ああアレですか」

全部「アレ化」して面白さもトキメキも失われて、みんな単語にしか反応しなくなる。

単語出せば満足の世界になっちゃてる気がしなくも無い。

「アレ」になった瞬間、その話題からはすべてのフックが失われて、その文は頭を素通りする。





・・・っていう今日の文章は、前回の木下優樹菜の記事と通底する部分があります。

トゥデイ

2007-11-23 01:36:01 | Weblog
the smashing pumpkins / Today

スマパンのPVは大体が文学的で、深読みするとちょっと怖くなる。

そんなとこが魅力です。

この曲聴くといろんな思い出が脈絡無くごった煮でフラッシュバックするんだけど、なんでだろ。

別にその時々で聴いてたわけじゃないのに。

とてつもなく好きな曲だから脳が思い出に脚色しちゃうのかな。

ジャンプスタイル

2007-11-16 22:15:03 | Weblog
前の記事にも動画を貼ったんだけど、「JumpStyle」っていう種類のダンスに俺は大注目。

検索かけてみても日本語で説明してるサイトが無いので詳しいことは全然分からない。

ベルギー発祥で、オランダとかフランスでも去年くらいから流行ってるらしい。

ゲリラ的に街中で踊る人たちもいるんだって。

僕はそういうのめっちゃ惹かれる。

僕もこういうバカをやりたいもんです。

ラジカセ持って例えばキャンパス内で踊ったら結構注目されるんじゃない。


シンプルで簡単そうだけど、結構コツがいるみたい。

それにしても足の動きだけでこんなに見てて気持ちいい動きができるのはすごい発見だ。

誰か一緒にやらない?



これがジャンプスタイルの基本。


上手くなるとこんな感じなのかな。

てかおもしろいよね。日本の踊りは阿波踊りとかパラパラとかハルヒダンスとか上半身を使うものが多いのに対して、欧米ではタップダンスとかジャンプスタイルとか下半身を中心に踊るものが多い。

T中時代

2007-10-24 01:54:40 | Weblog



最近学校はめちゃ楽しいです。
でもなぜか不安定。
大したことじゃないのにテンションあがったり、大したことじゃないのに傷つきます。
気分の浮き沈みが激しくて、自分でも戸惑います。
ちなみに今はダウナーです。
こんなん僕が逆の立場だとしたら絶対かかわりたくないって思う気がする。
ほんと何やってんだって感じで情けない。



話は変わって。


今日、僕の自分史観を揺るがす出来事があった。

わりかし美談です。

自慢交じりを自覚した上で書きます。


キャンパス歩いてたら知らない声に名前を呼ばれたんだ。

振り向いたら、やっぱり知らない顔。

<やばい、同姓の人が近くにいるのか!超かっこ悪い・・・>

って一瞬思ったけど、その人の目は紛れもなく僕を見てる。

<しまった、どこかで会った人かな>

と思い直して、大学入学から現在までに出会った知り合いの記憶を焦って照合し始めた。

そんな中、相手の次の一言がさらに僕を混乱に陥れる。

「T中の●●さん(僕)ですよね」

ちゅ、中学校の知り合い?

もうダメだ。

ありえない事だけど、僕は相手のことを完全に忘れている。

ここは素直に謝ろう。

「ごめん、T中だったっけ?」

「はい、■■(僕の友人。でもそんなに仲は良くない)の弟です」

・・・よかった~、そんなん記憶にないの当然だ。

初対面だもの。

でも何で僕のこと知ってるんだろう。

僕は君の事見たことないぞ。

「だって●●さんの代、っていうか●●さん有名だったじゃないですか」

へ?

僕が有名だったなんて初耳。

っていうかすごく嬉しいんですけど、その言葉。




僕はそのT中には2年生から転入した。

T中というのはなかなか荒れた学校。

僕らの学年は特に。

なんかタバコと香水の混じったようなにおいがしてた。

そんなせいもあって、僕以外の転入生はぜんぜん馴染めてなかった。

でも僕は転校・転入には慣れてた(これはかなり幸運)からすぐ馴染めた。



僕は3年になってから、僕が一番内心で(たまに言葉で)反抗してたI教諭に生徒会の役員に推された。

過程は省くけど、僕は立候補した。

正直、今までの生徒会役員に対しては不満、というか反抗期特有の憎しみみたいのも抱いていた。

何でかって言うと、役員になる人ってみんな「良い子」で、いかにも先生の恩寵うけてますって感じだったからだ。

僕も表面上は良い子だったし、だからこそ推されたんだろうけど、自分が役員になるなら媚びずにいきたいなあって思った。





で、僕は無事「フェアに」当選した。
(うちの生徒会役員選挙は変なシステムで、選挙に落選した生徒は「書記」として役員になれるのだ。だから僕らの代は書記が5、6人いた。だからといって極めて詳細な議事録をつくるってわけでは当然なく、実質仕事は何もない。内申点稼ぎのためのシステムと思われる)

その後は、全校朝会とかでスピーチしたりする機会が増えた。

僕は今に至るまで人前で話すのが苦手なのだけれど、だからこそスピーチは気合を入れた。

今までの役員みたいに形だけで中身の無いスピーチだけはしたくなかったので、しっかり話す内容を練った。

朝の4時くらいまで原稿を推敲してたこともあった。

お陰で一度貧血で倒れた。



スピーチをやるようになった結果、一番嬉しかったことは、普段は朝会なんて聞いているはずもない不良のリーダー格が僕の話に感動してくれたことだ。

何話したのか忘れたけど、とにかく共感してもらえた。

話し方が硬い、ってちょっと馬鹿にもされたけど。

こういうことがあったから、このころは本気で作家になりたいと思ってた。

言葉って素敵だなって実感したから。

今ブログやってるのも、あの頃原稿書いてた気分に近いかもしれない。

おまけに、不良っていう自分とは遠い位置にいる人たちと話してると、いろんな価値観に触れられたから頭も柔らかめになった。




で、もうひとつ最高だったのは他の役員たち。

一部は相変わらず「恩寵受けてます」系の良い子ちゃんたちだったけど、ほとんどはそういう「良い子」たちに対する反抗の態度を匂わせている人たちだった。

だから居心地はよかった。

そのうちの一人とは甘い日々を過ごしたわけだけど。

役員の顧問だったT先生も僕の人生でもっとも好きな先生の一人。

T中にはうちの親でさえ眉をひそめる教諭だらけだったのだけれど、その中でもT先生はすごく生徒に理解のあった人。

他の生徒からは「セクハラ」とか言われたり、怒り声をからかわれたりと人気はなかったけれど、僕は大好きだった。




今日の■■の弟に声をかけられる事件はこんな中学時代を久しぶりに思い出させる引き金になった。

T中時代は比較的暗い時代なんだけど、要所要所を書き出すととても華やかな時代だったような感じがするし、実際楽しいことはたくさんあったのだ。

とにかく、僕の知らない人の記憶に残っているというのは、感動した。

あの頃の僕の言動とかスピーチとかが、当時中一の少年たちに届いていたのかなって思うと興奮してくる。

T中時代の俺、なかなかやるな、って思った。






てかこれ書いてたら元気出てきた。

ありがとう、■■の弟よ。

まわりの透明人間

2007-10-19 00:03:20 | Weblog
さまざまな場面で、生まれたのがこの時代でよかったと思うことがある。

特に、「この人すげー」って思う人を見つけたとき、僕はその人と同時代の人間であることにめちゃくちゃ喜びを感じる。


僕が同じ時代に生きてて喜びを感じるのはこういう人々。


①椎名林檎(東京事変)

②ピート・ドハーティ(ザ・リバティーンズ、ベイビーシャンブルズ)

③峯田和伸(銀杏BOYZ)

④村上春樹(作家)

⑤ポール・オースター(作家)



この人たちは、絶対に何十年後かになっても語り継がれる人だと思う。

その語り継がれるはずの彼・彼女らのストーリーにリアルタイムで触れている。

この人たちが見ているのと同じ時代に生きて、この人たちと同じ空気を吸っていると考えると、とても不思議な感覚に襲われる。

今この瞬間も彼らは何かを生み出している最中なんだぜ?



まあこういうのに限らず、身近な人でもこの人と同じ時代に生きててよかったって思うこともあるよね。

こうやって考えてくと、一日一日が愛おしく思えてくるはず。




透明人間 / 東京事変


群青日和 / 東京事変



KP Nuts / Pete Doherty


Beg, Steal or Borrow / Pete Doherty



東京 / 銀杏BOYZ



Moon Palace / Paul Auster

cute

2007-10-15 01:32:47 | Weblog


写真を撮るとき、人間は笑顔を作るために「ハイ、チーズ」という。(ほんとはcheeseであって、日本語でチーズって言っても口角あがらないんだけどね)

ねずみの世界では、心からニッコリするために大好物のチーズを思い浮かべる。(かわいい)

どっちがいい笑顔だろう。

形を整えるのも大事だけれど、もっと大事なのはにじみ出ること。


===


話を変える。


たとえばテニスラケット。

ガットのほうを握る人はいないはず。

たとえば鍋ぶた。

持ち手のほうを下にしてかぶせる人はいないはず。


いい道具というのは、向こうから「こう使ってください」という働きかけをする。

これを「アフォーダンス」という。

afford:与える。

向こうからデザインを通して意味を与えてくれるのだ。

これは人とモノとのコミュニケーションにおいて、今の時代のキーワード。


===


缶コーヒー「ルーツ」の広告が気になって、よそ見しちゃうことが多い。

あの発想力はなかなかのものだと思う。

さすがプロだなー。

そのなかでも特に笑ったり、共感したり妙に納得したりしたのを抜粋。


「結論が見えたところでそもそも論」

「正直に言えば本当に怒らないのかな」

「完全に遅刻なのになぜか奇跡を信じている」

「気分のいい朝はたいてい何かを忘れている」

「なぜ北西じゃなく西北なのだろう」(ver高田馬場)

「新宿の夜景は残業する僕らのおかげである」(ver新宿)

「上司が間違えてタカナワーゼと言っている」(ver白金高輪)

「秋葉原まで来て延長コードだけ買って帰った」(ver秋葉原)


===


今日の一曲はcan't take my eyes off you。


Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off You

火曜日

2007-10-09 12:02:42 | Weblog
Babyshambles / French Dog Blues


昨日は久しぶりに昔のバイト仲間と飲みました。

で、起きたら何か変。

東洋医学で言うところの未病でしょうか(笑)

ちょいダル。


今日はやるべきことを一気に片付けてしまいます。


ていうかFrench Dog BluesのPV、かわいい!

ピート、日本来てよ!



===


今、14:16です。

やるべきことが一個終わりました。

次はゼミの発表の準備です。

かなりキてます。

ギンギンに覚醒状態。

このハクチュームをなんとか

2007-10-07 00:38:10 | Weblog


「ガンジス河でバタフライ」観了(完了)!

やっぱ長澤まさみは演技下手ですね。

まあこのドラマにはその下手さが馴染んでいたけど。



今日は記事書く気分ではないので、昔の記事で勘弁!

僕がインドから帰ってきて書いた最初の記事です。

当時の興奮覚めやまぬ様子が伝わってきます。



=====
このハクチュームをなんとか@自宅(2006年09月23日)

ただいま。

いろいろ心配をお掛けしました。

返事は書けなかったけれど、コメントありがとうございます。

夢から醒めて、今自室です。

旅行の思い出はいつだって甘美な白昼夢のようです。




インドという国は命の値段がとても安い国だという印象だった。

インドにいる間、なんだか僕は死を身近に感じていた。

というのは、インドに存在するおびただしい数の感染症を恐れていたとかいうことではない。

それは地球、いや宇宙の摂理の中に身を置いているという感覚を感じる事が多かったという事だ。

人間「様」ではない自分の存在、宇宙の中のちっぽけな存在でしかないのだということを知っている国。

ああ、インドとはなんと悠々たる世界観が浸透した大陸であろうか、、、なんてことはあまりにも陳腐なので書かない。

けれど、確かにそういう印象を抱く瞬間はこの1ヶ月という短い間だけでも何度か訪れた。




僕は多くの時間をラージャスタンという半砂漠の州で過ごした。

ここには数多くの美しい街が点在していて、観光地として近年開発が進んでいるという。

観光地では実際観光に関する産業の競争が熾烈だから、
リクシャーワーラーや宿のコミッションを目当てのインド人がしつこく迫ってくる。

こんなのは慣れてしまえばどうってことはないのだけれど、
そんな一部のインド人の行いがインドの印象を悪くしてしまっているのも事実だ。

でも一歩そういう観光地を離れてみたり、
観光業に携わっていないインドの人々とかかわってみると、彼らが本当に親切だということが分かる。

特に外国人である僕に対してかなり歓迎をしてくれるのだ。

ひとりで歩いていると、みんながじぃぃぃっと見つめてくる。

僕はこういう視線を無視するのは嫌なのでいちいち会釈する(これは時にすごく疲れる)。

すると、たまに同じくらいの年の奴らが恥ずかしがりながら、けれど人懐っこく話しかけてくる。

「どこから来たんだ」

「ここ、いい町だろ?」

「なんで髪の毛がそんなにまっすぐなんだ?」

「結婚してるのか?」

「一緒に写真撮ってよ」

こんな感じで、同じ年代の奴らとはすぐに打ち解ける。

他の年代の人たちもかなり友好的。

子ども達はほとんどがニコニコ眺めてくる。

たまにチョコちょ~だ~いと叫びながら飛びついてくるのが恐ろしい。

みんな元気が有り余っている感じで、一緒に遊んでいると自分が猛獣使いになった気分。

みんなかなりかわいい。

女の人は目をそらすか、クスクス笑ってたまに話しかけてくる。

敬虔そうなイスラムの女の人に微笑まれると不覚にもドキッとする。

お婆さんは僕の頭を両手で優しく撫でてくれる。

男の人はだいたいがものすごくおっかない目つきで眺めてくるけれど、
こっちがニコッとすると向こうもホッとしたように顔が緩んでうなずいたりしてくれる(これが究極のツンデレかもしれないな)。


どの世代の人にも共通しているのは、目がほんとにいきいきしているということ。

ラージャスタン州というのはインドの中でも識字率と所得の低い地域なのだけれど、
ああ、そういう数字って何も意味しない場合もあるのだなと思った。

字が読めたりお金を稼いだりするのって、
僕らの暮らしている生活システムの中では豊かさの指標かもしれないけれど、
ここに暮らしている人には無意味だよ。

先進国が途上国にどんどんお金を投資して、その結果その国は豊かになっていくように見える。

けれど実際は今まで自分達の生活システムの中で満ち足りた生活を送っていた人々に識字率だとか所得だとか、
そういう違う世界のシステムの数字を強要して、
結局は「システム不適応者」を増やして格差を作り出しているだけではないか。

僕は反グローバリズムとかそういった立場ではないけれど、
やはり地域の多様性の維持とグローバル化の両立というのは難しすぎるぞという認識は必要だと思う。

グローカルなんていう造語もあるように、
その両立が実現可能なものとして捉えられがちで、
理想ばかりが一人歩きしがちだけれど、
それはあまりにも楽観的にすぎる。

そのような楽観主義者は結局のところ、
自らの世界観あるいはそれに類似した世界観が地球を覆う事を空想しているに過ぎないのだと思う。

僕らはこの世界のほんの一握りの価値観にしか触れていない。
そしてそのほんの一握りの価値観だけをとりあげて、
「異文化だ」と言って嬉々としてはいないか。

でも実は地球上には自分には理不尽としか思えないような思想だったり、
理解不能な文化が無数に広がっている。

そして、それらは文化圏として世界をモザイク状に埋め尽くしている。

果たしてそんなモザイクで単一のフィールドを形成する事は可能なのだろうか。

僕にはなんだかとても気の遠くなるようなことに思える。




とある村で仲良くなったムスリムのアリ君は神の存在を心から信じている。

しかし無宗教の僕にとってまやかしでしかない。

彼への侮辱にならないように最大限注意を払いながらそう彼に伝えると、
彼は本当に残念そうな表情をして、
「それでも君は神を信じるべきだよ」とため息交じりに言った。

この会話をしている時、僕は随分遠くまで来てしまったのだなと感じた。

結局僕は彼の思想を理解できなかったし、
彼も僕の思想(なんて大それたものではない。言葉の綾だ)を理解できなかった。



ただ、すこしだけ希望もある。

このアリ君の村ではムスリムとヒンドゥー教徒がお互いを理解しあいながら仲良く暮らしているのである。

夕方、ムスリムがメッカの方向に祈りをささげているのを無宗教の僕が眺めている時に、
ヒンドゥー寺院からは経の音が響いてくる。

安易だけれど、僕はこれだよ、と思った。




村人のほとんどがアメリカ「人」と韓国「人」を憎んでいたのが気になったけれど、
それはメディアの影響という気もする。

実際アメリカ人が全員傲慢なはずはないし、
韓国人が全員短気だというのも嘘だ。

確かに割合の問題ではあるけれど、それには複雑な要素が絡み合っている。
一人一人の人間を見たときそのような不穏な憎悪は生まれ得ない。

不穏な憎悪が生まれるのは決まって人間を集合として見た時ではないだろうか。

そしてメディアというのはその時間的空間的制限が故に
「その他大勢」を一個の集合として描かざるを得ない。

そう考えると憎悪という感情は、
あらゆる直接的経験が間接的な経験に取って代わられている現代という時代の、
それこそグローバルな病かもしれない。

ローカルとローカルが共有するものはほとんどメディアしかないという現代の重い重い病だ。



とまあ、最初書こうと思っていたことからかなり話がそれた。

別に僕は難しい事を考えて旅行していたわけではない。

ただ馬鹿みたいに景色に感動し、
馬鹿みたいに自己演出をし、
馬鹿みたいに強がっていただけだ。

かなり楽しんだ。

思い返してみても、旅行中僕の洞察力が人並みにでも働いていたとは言えないと思う。

ただ、いろいろ感じはした。

たぶんここに来なきゃ経験することはなかったかもしれないような
未経験の不可解としか言い様のない感情も味わった。



僕は旅行の時はいつも、ものを考えよう考えようという気張った姿勢でいる。

そのはずが、今回はいろんな理由でそういう姿勢を維持できなくなってしまった。

けれどそういう姿勢を放り投げた時から、
いろんな感情のせめぎ合いが僕の中で起こった。

まあこれは僕が弱いだけかな。

僕はインドに精神修行をしに行ったわけではないからいっか。




これ以上書くと物事をどんどん難しい方向に考えてしまうので筆を置きます。

まだ冷静になっていない証拠かもしれません。

これに関することは思い出した時に、また。

=====


今日の一曲は「カノン」!

『SHOTTER'S NATION』待望論

2007-09-27 00:19:03 | Weblog
事変の3rdアルバム『娯楽』が今日発売(フラゲはしなかった)で、ベイビーシャンブルズの2ndアルバム『ショッターズ・ネイション』が10月3日に発売。

そわそわして仕方のないこの2週間。

前者についてはじっくり聴いてから感想を書こうと思います。






『ショッターズ・ネイション』は僕がEUに住んでればもう手に入ってるのに…。

待ち遠しくてウズウズしてます。



それと、ベイビーシャンブルズの日本語オフィシャルサイトが遂にオープン。

正直ダサいし微妙な心境だけど、英語の文章をいちいち解読する苦労が軽減されそうなのはありがたいことです。





興味あれば見てみてください。



Delivery(新曲)


Delivery @ Glastonbury 2007




babyshambles / Albion (@LATER with Jools Holland)
「LATER with Jools Holland」っていうのは、元スクイーズのジュールズ・ホランドがホストをつとめる高品質スタジオ・ライブ番組。
品の良いスタジオにピートの醸し出す雰囲気が映えて、実にイイ。






Babyshambles / Fuck Forever (@Later with Jools Holland)
これも同じく「LATER with Jools Holland」から。
一番切れ味のあるライブ映像な気がする。
僕はリバティーンズよりベイビーシャンブルズの方が好きです。






pete doherty / what katie did

弾き語りがピートの醍醐味だと思う。
フィーリングに任せっきりこの歌い方は、詩人だ。
イギリスの出版社がこぞって彼の詩集を出そうとしているのは当然のことに思える。
語るように歌うピートはボブ・ディランの再来って言っても言い過ぎではない。
ディランほど認められるに至らないのは、たぶん彼のドラッグ依存のせいだと思う。
惜しい。


お知らせ(携帯について)

2007-09-23 13:03:05 | Weblog
ただ今携帯電話使用不能です。
アドレス変えたとか無視してるとかではないので、しばしお待ちください。
ご迷惑おかけして申し訳ないです。



携帯電話復帰しました。
重要なメールは再送していただけるとありがたいです。
ご迷惑おかけしました。

劇団ひとり

2007-09-13 21:53:29 | Weblog
とある理由から、何日かにわたって劇団ひとりの動画をコツコツと収集してました。

もう必要なくなったけど、その成果です。

M男、銀行強盗、春樹先輩、北八先生が僕のお気に入りです。

M男


銀行強盗


春樹先輩


マイホームが火事に


ミラクル葉山


ジャニーズオーディション


彼女が部屋にやってくる


つっぱり亭津田沼


葬式にペペ


北八先生

コンセプト

2007-09-06 01:00:00 | Weblog


日記、というかその日の出来事みたいのも書いていきたいんですが、なかなか追いつきません。


先週ですが多摩センターに行きました。

駅の真ん前にアウトレットモール持ってきちゃったよ的な、即席感溢れる街です。

と同時にキティちゃんにも会えるお茶目な街でもあります。

その日何の因果か出会ってしまった10人で飲みました。



実は僕はその日初めて魚民に入ったのだけれど、意外と高級感のある内装でびっくりした。

まあそれはいいとして、酔いのせいか分からないけれど僕らは事あるごとに「日本を変えてやる!」って言ってたような気がする。

その中でも特に僕を含めた4人の会話はかなりヒートアップしていった。

帰りの電車で一緒になった子は教育を変えたいってずっと言ってて、でもできるか不安だって言ってたのは印象的で、ちょっとかわいそうになった。



でも人生の大目標は持ち続けてないとね。

そうしないと、何となく生きていくことになってしまう。

だから今の若い時期に語っている僕やわたしのコンセプトっていうのは失わずにいたいなってその時思いました。

HIGH‐LOW

2007-08-31 02:24:45 | Weblog
さっきの記事に書いたけれど、自分は何に自信を持てばいいんだっけ?っていう問題に立ち向かうべく、連想ゲームを展開したいと思います。

更新頻度高すぎじゃない?

暇なのか?

大丈夫か?



今回の記事はうざくなりそうなので、先回りして謝っておきます。

過剰な自意識の切り売りです。





まずこの思考は、出発点としてのあるエピソードから始めた方がやりやすい。

========

僕は物事に夢中になれる方だと思う。

ただ、夢中になってある程度の地点に到達した後はすぐに冷める。

一番分かりやすい例が、高校時代の終盤にやってたベース。

下手な奴だけでバンドを組んで、やる曲も決めた。

まずハイスタで感覚をつかんでから、ナンバーガールのコピーをしようと。

で、僕はそれとは別に、ベースの上達のためにスコアブックを2冊買った。

これだけ弾けるようになれば人並みの腕にはなるだろうと考えたから、その2冊を僕はノルマにした。

馬鹿みたいに練習しまくった。

今考えりゃ暇だったなあと思うんだけど、一日どんなに短くても5時間はみっちり練習した。

時間が無い日は深夜まで。

納得がいくまで、一日の練習をやめる気は起きなかった。

かくして僕は2冊のスコアブックを暗譜し、一通り弾けるようになった。

で、その後だが、バンドを解散した事もあって、僕はそれ以降ベースを弾いていない。

この熱の冷め方は自分でも呆れてしまった。

だから今は数曲をたどたどしく弾けるだけで、ほとんど忘れてしまっている。

=========

僕は何事においてもこんな事ばっかり。

とてももったいないと思う。



熱しやすく冷めやすいわけではない。

熱したらとことん熱して、冷めるときはとことん冷める。

それだけの話だ。



こういう傾向からして、僕は絶対に職人気質ではない。

自分でゼロから作り上げて、完成にまで持っていくっていう事は苦手だからだ。

どちらかというと、既存のものに改良を加えて完成にまで導くという事のほうが得意だ。



創造についての発想よりも、工夫についての発想のほうが難なく思い浮かぶ。

そして、ものをつくるよりも、仕組みをつくる事のほうに楽しさを感じる。



一つの事に没頭するのは嫌いではない。

でも僕はずっとそこに籠もっているのではなく、広い世界を見てみたい。

いろいろな事柄とつながっていたい。



一つのものを完成させるのを目指すよりも、一つの事柄からいろいろな事を巻き込んでいきたい。

自分が動く事によって、さまざまな仕組みや流れが出来ていく、その方が僕にとっては魅力的だ。



どちらかと言えば浅く広くの人間。

どちらかと言えば深く狭くは苦手。

頭のどこかでストッパーがかかる。

だから中途半端。

だから傍観者の立場になる事がしばしば。

これは転校が多かったせいもあるかもしれないが、良いとも悪いとも言えない僕の特徴。

とても感謝する時もあれば、憎む時もある僕の特徴。



アツい自分のそばにはいつも醒めた自分がいる。

良く言えば客観的、悪く言えば本気になりきれない。

どんなに夢中になってる時でも、結構自覚的。

演じてるっていうニュアンスもちょっとはあるかもしれない。

「夢中」への憧れ。



たぶん僕の長所は物事を冷静に見れるという事だ。

常に全体を意識する事は出来ている。

心の輪転機、整備中

2007-08-31 01:04:15 | Weblog


今日サークルで夜通し編集する人たちのために、「ワセキチ(*)もうすぐ12歳」おめでとうバースデイ・ケーキを持っていったけど、正直滑りました。

みんなピザ食べた後だったんだってさ。

でもそんなの関係ねー!

はい、おっぱっぴー。

(*)ワセキチってのはサークルで出してるフリーペーパーのことです。




この一週間、忙しいのに充実していない。

いや、忙しいわけじゃないんだな、きっと。

自分で時間に追われてるっていう妄想をしてるだけなような気がする。

時間に乗りこなされてちゃダメだ。

乗りこなさなくちゃ。

って思ってゼミ会議の開催を促してみたり、サークルの事やってみたり、本読んだり、いろいろやってみてはいるんだけど、どうもリズムが好転しない。

まあ誰だって調子悪い時期はあるから焦らずにいようって思う。

調子悪いときって自分をうまく客観視できない。

何やってても必死だから視野が狭くなってる。

悪循環。



冷静でいるように心がけて。

自信を取り戻せるように。

ねえ、俺が自信持つべき部分ってなんだっけ?

そんな問いをしながら自己嫌悪に陥らないように。