僕は普通に道歩いてて、人から道を聞かれることが多い。
他の人がどれくらい道を尋ねられてるのかは想像でしかないから、きちんとデータの裏付けがあって言ってる事ではない。
でも、2週間に一回尋ねられれば結構多い方なんじゃないかなっていう気がする。
しかも外国人が多いね。
大体は日本語で、たまに分かりやすい英語で。
この前は池袋駅のJR線切符売り場にいる中国人の夫婦風が英語で、築地市場に行くにはどうすりゃいいのか聞いてきた。
結構参ってる感じだった。
俺はしっかり教えたつもりだった。
役に立てたことで気分も良かった。
でも後で失敗に気付く。
勝どき駅の行き方を案内しちゃった。
築地市場っていう駅があるのを普通に忘れてた。
まあ一駅しか違わないから彼らも結局気付いたろうけどさ。
でも俺の情けなさったらないね。
英語で教えたことで得意げになっちゃってさ、俺。
しかもてめーの使ってる英語は中一レベルだっつーの。
J「あなたはベティ・スミスですか」
B「はい。私はベティ・スミスです」
「あなたはジャック・ジョーンズですか」
J「はい。私はジャック・ジョーンズです」
B「オー、何という懐かしい出会いでしょう」
J「私はいくらかの昔の思い出を思い出します」
B「あなたは一人ですか」
J「はい。私は一人です」
B「一杯のコーヒーか、または一杯のお茶を飲みましょう」
J「はい。そうしましょう」
B「これはソファですか」
J「いいえ。これはソファではありません。椅子です」
ってな感じで英語のテキストを忠実に訳してろって言いたくなる。
別に言いたくならないですけど。
外国人に道を教えるのにはすごく大きな責任感を感じるね。
だってさ、もし俺が道聞かれた瞬間、「ウーピー!」って吠えたと思ったら次の瞬間ダッシュで駅中の非常灯のスイッチをOFFにしてまわりながら時折「ゴールドバーグ!ゴールドバーグ!」って叫ぶ行為に出たら、「何だよ、クソ日本人」ってその聞いた外国人は感じるよね。
「クソ」は言い過ぎかもしれないけど。
で、そういう「うんち日本人」っていう感想は俺一人に向けられることより、日本人全体に向けられることの方が多いんだ。
だから道を教える時は、日本代表としてものすごく紳士的に教えます。
きっとさ、自分の国に帰ったときに俺のことを思い出して、「日本人はすごく親切だ」って周囲に言うはずなんだ。
そういう効果も期待してる。
俺もシンガポールでビジネスマンにものすごく丁寧に電車の乗り方の案内をしてもらった経験がある。
途上国でなら結構世話好きのおじさんと仲良くなることはザラかもしれないけど、ああいう都会のエリートに親切にしてもらった経験は、僕のシンガポールへの評価をものすごく高くしてる。(観光地としては最悪だけど)
そんなこと考えずに純粋に親切にしろよって思うかもしれないけど、結構重要なことだと思うよ。
いや、それ以前に未知の国で迷える外国人を助けるんだから、自ずと丁寧にはなるよな。
たまにもどかしいのは、英語だってことだけでコミュニケーション断っちゃう人がいること。
俺らの年代だと無いかもしれないけど、中年以上の人にこのパターンが多いかもしれない。
そういう場面何度か見たから。
英語わかんなくても、例えば「ツキジ」って言ってるんだからあの築地への行き先を聞いてるんでしょう。
まさか吉幾三のゲリラライブの詳細について尋ねているはずは無いでしょ。
「俺が教えなくても他の人が教えるだろう」って思うかもしれないけど、そういう「俺」がそっけない対応をした記憶っていうのは結構相手の印象に残るもんです。
逆の立場になったら分かるはず。
と、実は実際にそういう場面に出会ったので書いてみた。
朝にブログ書くのって新鮮。