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(京都守護職・松平容保(かたもり))(政事総裁職・松平慶永(よしなが))(一橋慶喜(よしのぶ)・将軍後見職)
[ポイント]
1.文久の改革で任命された、新三役は京都守護職(松平容保)、政事総裁職(松平慶永)、将軍後見職(一橋慶喜)。
[解説]
1.薩摩藩主の実父島津久光は勅使大原重徳(おおはらしげとみ)(1801~79)を奉じて幕政改革(文久の改革)を要求。
2.文久の改革により、従来の京都所司代の上に京都守護職(松平容保)を設け、大老格として政事総裁職(松平慶永)、そして将軍後見職(一橋慶喜)の三役をおいた。
3.参勤交代を三年一勤・在府100日に緩和し、妻子の帰国も許可した。
4.蕃書調所を拡充改組し洋書調所とし、洋学教育を導入。
5.西洋式軍制の採用、艦船を米蘭に発注し、蘭に留学生を派遣した。
〈2014明治大学・文(文、史学地理、心理社会):「
問4 松平慶永がこののち実際に就任した幕府内の職名を漢字で記せ。
問5 松平慶永が主導した幕政改革により、緩和された大名統制策を漢字で配せ。
(答:問4政事総裁職、問5参勤交代制)〉
〈2014文教大・全学部
下線部(i)幕末の政情不安について述べたA~Cの文について、古いものから年代順に配列せよ。
A 薩摩の島津久光が江戸城に入り、幕政を改革し、松平慶永が政事総裁職に就任した。
B 大老井伊直弼が江戸城桜田門外で、尊王攘夷派の浪士たちに襲われ殺害された。
C 江戸幕府が諸大名に征討を命じると、長州藩は尊王攘夷論を放棄し、幕府に服従した。」
(答:BAC ※B1860年、A1862年、C1864年)」〉
〈2012立大・文学部
山本覚馬は会津藩の砲術指南の家に生まれ、江戸で砲術・兵学・蘭学を学び、藩校〈 つ 〉に開設された蘭学所の教授となったこ京都守護職に任じられた藩主( ヌ )に関連して上洛し、皇居が戦場となった1864年の〈 て 〉では砲兵隊を指揮して勲功を立てた。その後失明し、鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩邸に幽閉されたが、その学識と先見性の故に厚遇された。維新後は京都府庁に出仕し、府政の顧問として開明的な政策を推進した。その後新島と知り合い、その学校創設計画に共鳴して、ともに( リ )英学校の創業・運営にあたった。」
(答:つ日新館、ヌ松平容保、て禁門の変、リ同志社)〉
〈2010センター試験
問6 下線部dの坂下門外の変のあと、幕府は政治改革を進めるに関連して、この時期の幕府の政治改革に関して述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1.薩摩藩の島津久光が勅使を奉じて江戸に下り、幕政の改革を要求した。
2.水戸藩の徳川斉昭が、将軍後見職に任命された。
3.上知令により、財政の安定化とともに対外防備の強化をはかった。
4.参勤交代制が強化され、大名に対する統制が強まった。
(答:1)
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