
▲ヴァレンヌからパリへ連れ戻される国王一家
●フランス(ブルボン朝)
The Royal Flight to Varennes; Louis ⅩⅥ’s flight fails at Varennes.
人泣く昼に 逃げてバレ。
1791年 ピルニッツ宣言
ルイ16世 ヴァレンヌ逃亡事件
1791年、ルイ16世は王妃マリー=アントワネットに動かされ、逃亡をはかったが、フランス東部のヴァレンヌで捕えられてパリに連れ戻された(ヴァレンヌ逃亡事件)。
フランスにおける国王の権威は失墜し、共和派が台頭して立憲王政成立の見込みがなくなっただけでなく、反革命側にルイ16世がいるという認識が広まったことは国王処刑の原因にもなった。
この事件後、マリー=アントワネットの兄でオーストリア皇帝のレオポルト2世とプロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム2世はフランス王権の回復を求めるピルニッツ宣言を発表。外交辞令に過ぎなかったが、フランスの革命派と亡命貴族には最後通牒であると誤解されて逆効果となり、革命戦争への第一歩となった。
フランスでは1791年憲法制定により、10月に立法議会が召集され、翌年ジロンド派内閣はオーストリアに宣戦布告をした。
▼脱出時の王妃(1791年) 逃亡の慌ただしさの中で描かれ、顔以外は彩色されず未完成である
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