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1392(明徳3)年 〈南北朝の合一〉★★

2016-09-06 | 『新日本史頻出年代暗記』

●室町時代(後小松天皇 足利義満)
1392(明徳3)年 〈南北朝の合一〉★★

Northern and Southern Courts reconciled with the acceptance of Emperor Go-Komatsu as sole sovereign.
いざ国一つ 合一す。

         1392年      南北朝の合一 後小松天皇   

1390年の土岐氏の乱、翌年の明徳の乱を経て将軍の権力を著しく強化させた足利義満は、1392年南朝の後亀山天皇に働きかけ、北朝の後小松天皇に譲位する形で南北朝の合一を実現。

ここに1336年の後醍醐天皇による吉野遷幸以来約60年にわたる分立に終止符が打たれた。

〈2016上智大・神外(英)総人(教・心)

問7 鹿苑寺金閣について、次の問いに答えなさい。
(1) 次のうち。鹿苑寺と金閣について説明した文章として不適切な(あきらかな誤りを含む)文章はどれか。1つ選びなさい。

 1 足利義満は1394年、義持に将軍職を譲って太政大臣となり、翌年出家。その後。北山殿に移住した。
 2 金閣は、北山殿に建立された楼閣建築で、池に臨む三層の舎利殿に切妻造の釣殿が付属する。
 3 金閣は、初層を寝殿造風、第二層を観音堂。第三層は方三間の禅宗様の仏殿としている。
 4 金閣は。初層から第三層までの木部の全てに金箔がはられていたので、建立当初から「金閣」と称されていた。
 5 北山殿は、足利義満の死後、義満の院号「鹿苑院」にちなんで、鹿苑寺とされた。

(答:4 ※写真を見れば歴然だが一層に金はなく黒々としている ※2〇初層の西側には、池に張り出して、「漱清」という1間四方の切妻造、吹き放しの小亭が付属している)

〈2016早大・社会科学:「 

 室町時代の文化は後世に大きな足跡を残した。(中略)また、禅の精神を反映した(6)この時代の建築や庭園には、後世、日本文化の精髄と称される要素が数多く組み込まれている。

問8 下線部(6)に閔する記述として、不適切なものはどれか、2つ選べ。

 イ 鹿苑寺金閣……現在の金閣は太平洋戦争後再建されたものである。
 ロ 慈照寺銀閣……銀閣は三層の楼閣である。
 ハ 慈照寺東求堂同仁斎……典型的な書院造として知られる。
 ニ 天龍寺庭園……苔寺の異称をもつ回遊式庭園である。
 ホ 大徳寺大仙院庭園……枯山水の代表的な庭園といわれる。

(答:問8ロ・ニ ※イ〇1950年(昭和25年)に放火により焼失、ニ苔寺は西芳寺の異称)〉

〈2013明治大学・商:「
 室町幕府の体制が確立されるにともなって、将軍家を中心とする武家文化が形成された。その前提には、足利尊氏による京都での開幕以来、多数の地方武土が上洛して集住し、公家の伝統文化にかかわったことがあげられる。3代将軍の足利義満はA[1)1391 2)1392 3)1397 4)1399 5)1401]年に京都の北山に壮麗な山荘を完成させた。そこに建てられた金閣の建築様式は伝統的な寝殿造風と禅宗寺院の禅宗様をあわせたものであり、この時代の文化は北山文化と称されている。

(答:3)〉


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