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第3章 内陸アジア世界・東アジア世界の形成 2節 北方民族の活動と中国の分裂

2017-07-09 | 生物暗記法

 

用語リストへア.北方民族の動向
■ポイント 4~5世紀が地球的な規模での民族移動の時期であったことを理解する。
 匈奴  の分裂 1世紀の半ば頃 東匈奴が南北に分裂。
  漢民族は遊牧生活を送っていたa 北方民族  をb 胡 と呼んだ。
 五胡  の活動活発化 2~3世紀ごろ、北方民族が華北に移住し、後漢などの傭兵として活動。
・a 匈奴 :南匈奴の劉淵が八王の乱の際に挙兵し、304年に漢を建国。
・b 羯 :匈奴の別種。後に十六国の一つ後趙を建国。 
・c 鮮卑 :モンル高原東部の遊牧民。ツングース系・トルコ系などの説がある。後に拓跋氏が北魏を建国。
・d 氐 :陝西・甘粛地方のチベット系半農半遊牧民。十六国の前秦、後涼を建国。
・e 羌 :青海地方のチベット系遊牧民。十六国の一つ後秦を建国。後には西夏を建国。
 4世紀 中国内部の政治的混乱に乗じ、北方民族が華北で自立し、a 五胡十六国  が興亡。
・4~5世紀 ユーラシア東部では後漢滅亡後のb 三国時代から五胡十六国、南北朝の分裂・動乱と民族移動   
 西部ではローマ帝国滅亡後のc フン人の西進とゲルマン民族の大移動  がはじまる。=d 民族大移動の時代  
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用語リストへイ.分裂の時代
■ポイント 約360年に及ぶ中国の分裂の時代である魏晋南北朝時代の概要を知る。
(1)三国時代から晋の統一と南北朝分裂へ
A 後漢末の動乱 a 黄巾の乱  で後漢が衰え,各地の豪族が割拠。
・華北のb 曹操 、江南のc 孫権 、四川のd 劉備 が有力になる。
  208年 ▲e 赤壁の戦い  曹操が、孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる。
 三国時代  220年 曹操の子a 曹丕  が帝位につき(文帝) 、b 魏 を建国。都c 洛陽 

Text p.82

・孫権は長江下流(江南)にd 呉 を建国。都はe 建業 (現南京)。
・劉備は四川にf 蜀 を建国。都g 成都 関羽張飛諸葛孔明らが活躍したが魏に滅ぼされる。

解説

小説や映画、漫画やゲームでおなじみの『三国志』はこの時代の英雄・豪傑を主人公とした物語であるが、本来の『三国志』は晋の陳寿が著した正史の一つで、通俗的な読み物ではない。私たちが普通に『三国志』と言っているのは、三国時代の史実を元にして面白い話が元代に生まれ、明代に羅貫中によって現在のような形にまとめられた『三国志通俗演義』のこと。残念ながら世界史の授業では、関羽も張飛も諸葛孔明も出てこない。

三国時代  ○が三国、□が五胡

三国時代 a 魏    b 呉  
 c 蜀  

 d 鮮卑   e 匈奴 
 f 羯    g 羌  
 h 氐  

 i 洛陽   j 建業 
 k 成都   l 楽浪 
 m 帯方   n 高句麗 
 o 倭    p 赤壁 
 q 五丈原  
 晋 の統一
 265年 魏の武将a 司馬炎 禅譲を受け建国(武帝)。都は洛陽。
 280年 b 呉 をほろぼし中国統一(西晋)。
 八王の乱  290~306年
・司馬氏一族の諸王が互いに抗争する。
 それぞれが北方民族=e 五胡 を傭兵とする。
 → 北方民族が中国内地に入り、各地で自立する。
 五胡十六国  304~439年
304年 a 南匈奴 劉淵、山西で挙兵。漢を建国(後の前趙)。
311年 ▲b 永嘉の乱  匈奴が洛陽を攻略、ついで316年、長安も陥落し、西晋滅亡。
以後、華北に16の王朝が交代。 → c 華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)  が広がる。
 東晋 の成立
317年 晋の一族a 司馬睿 が江南に逃れ建国。都b 建康 (現南京)。
 → 漢人が長江下流のc 江南 に移住し、開発進む。漢文化も華北から江南にひろがる。
 ▲351年 の前秦が有力になる。中国統一を目指して南下。383年 淝水の戦いで東晋に敗れ、衰える。
 北魏 の台頭 鮮卑の中の一部族、a 拓跋氏 が有力になる。
386年 拓跋珪が道武帝として即位、建国。
398年 b 平城 (現大同)を都とし、部族制を廃止し、漢人の統治機構を導入。
 ▲同じ頃、モンゴル高原ではモンゴル系の柔然、青海地方ではチベット系の吐谷渾がそれぞれ有力であった。
(2) 南北朝時代  439~589年 150年間、中国が南北に分裂した時代
・北朝 北方民族の王朝が興亡
 北魏   の華北統一 439年 a 太武帝  が華北を統一。
・道教を国教としb 仏教弾圧  (後出)。
 次の文成帝は仏教保護に転じ、雲崗に石窟寺院をつくる。(後出)
494年 c 孝文帝  都をd 洛陽 に移す。竜門に石窟寺院をつくる(後出)。
 ・e 均田制  土地の公有制度(次項参照)。農耕民社会の安定をめざすもので、後の隋唐に継承される。)
  f 三長制  5家を隣・5隣を里・5里を党とし、それぞれに長をおく村落制度。
 ・g 漢化政策 を推進。制度、服装、言語などを遊牧民風から漢民族風に改める。
 → 反発する軍人が反乱を起こす。

解説

六鎮の乱 華北を統一した北魏は、鮮卑族と土着の漢人たち融合させて、万里の長城の北に六つの基地を設け、北方の守りを固めた。それを六鎮(りくちん)という。孝文帝が漢化政策を進め、都を洛陽に移すと、都に従った鮮卑族は漢化が進み、次第に軟弱な貴族文化に染まっていった。それに対して胡人の気風を残す北方六鎮の武人たちは不満を持つようになった。孝文帝の死後、帝位をめぐって都の貴族たちが争ううちに、523年、六鎮の武人がついに反乱を起こした。これが「六鎮の乱(りくちんのらん)」と言われる戦乱で550年まで続き、北魏を分裂させる要因となった。
B 北魏の分裂 538年 内紛からa 東魏 とb 西魏 に分裂。
 ▲西魏で軍事制度のc 府兵制 が始まる(隋唐が継承)。東魏はd 北斉 に、西魏はe 北周 に替わる。

解説

北魏の分裂 六鎮の乱の中で台頭したのが、漢人の武将高歓と鮮卑の武将宇文泰だった。二人はそれぞれ北魏王室の皇子を建てて皇帝としたため、538年に北魏は東西に分裂した。高歓が孝静帝を立て鄴(ぎょう)を都としたのが東魏、宇文泰が文帝を擁して長安を都としたのが西魏である。いずれも皇帝は名ばかりで実権は武将にあったので、東魏では高歓の子の高洋が即位して北斉となり、西魏では宇文泰の子の宇文覚が即位して北周となった。北斉と北周は華北の主導権をめぐって激しく争ったが、西魏の府兵制を継承した北周が、次第に軍事的な優位を占めるようになった。
・577年 e 北周 が北斉を併合し、華北を統一。→ 581年 北周の武将楊堅が隋を建国。(次節へ)
南朝  漢民族の王朝が続く。

Text p.83

 宋   420年 東晋の武将a 劉裕  が実権を握り建国。※後の宋と区別すること。
以後、b 斉 →c 梁 →d 陳  と漢民族の王朝が続く。都はいずれもe 建康 (現南京)。
ポイント ・貴族の勢力が強く皇帝権力は弱かった。f 長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増えた。  
・南北朝の統一 589年 北朝の北周に代わったg 隋  が南朝の陳を滅ぼし、中国の統一を復活させた。
・3世紀の三国時代からの約400年間を、h 魏晋南北朝 と総称する。
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用語リストへウ.社会経済の変化
■ポイント 分裂と動乱の時代だった魏晋南北朝時代に中国の社会はどのように変質したか、考える。
A 貴族階級の形成  後漢末からa 豪族 の力強まる。
 ・官吏登用制度の変化 漢のb 郷挙里選 から、三国時代の魏のc 九品中正 に変わる。
  = 地方の州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦する。
  →▲d 「上品に寒門無く下品に勢族なし」   といわれ、豪族が上級官僚を独占する結果となる。 
  → 地方豪族が中央政府に進出し、政治権力を握りe 門閥貴族 を形成する。

解説

3世紀の中ごろ、九品中正制が行われていた晋で、九品の上の品等にされた人々には寒門=貧しい家の出身者は無く、下の品等とされた人々には勢族=有力者がいない、という意味。つまり、上品は有力者=豪族に占められている、ということである。魏から始まる九品中正が本来の人材登用の目的からはずれ、西晋のころには豪族が中央の官僚になることが多くなり、門閥貴族となっていったことを示している。
B 土地制度の変化  各王朝は、豪族の大土地所有拡大と農民の没落・奴隷化の防止のための政策をとった。
・三国時代・魏のa 屯田制 :曹操が実施。富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度。
・西晋の▲b 占田法  課田法 :武帝が制定。土地所有の制限と租税の確保をはかったものか。
  → 税制 戸調式:一戸ごとに税として絹・綿など現物を納められる。
・北魏のc 均田制 :孝文帝が定めた土地制度。隋唐の土地制度として継承される。
  d 土地公有 の原則をたて、15歳以上の男に40畝、女に20畝の露田を給し、老年になれば返還させた。
  = 大土地所有の制限は不十分で、豪族の貴族化は隋唐時代まで続く。

解説

均田制は隋と唐でも継承され、さらに古代日本の班田収授法のもとになった土地制度であるが、北魏の制度には大きな特色があった。それは、女性に男性の半分、に良民と同額、さらに耕牛にまで土地が支給されたことである。均田制はもともと土地公有の原則を導入して、豪族の大土地所有を制限し、農民からの租税収入を確保することが狙いであったが、奴隷や耕牛にも土地が支給されたことは、奴隷所有者である豪族にとって有利であり、豪族優遇であったといえる。
C 江南の開発   a 江南 地方=長江の中・下流。華北からの人口流入により人口増加し、開発進む。
  → ▲東晋および南朝ではb 土断法 を施行。= 華北からの移住民をその地で戸籍に登録する。
・南朝の貴族は、b 荘園 を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。
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