異論困難題に見つ。
1657年 南朝正統説をとる 徳川光圀
[ポイント]
1.水戸の徳川光圀は朱舜水に学び、江戸藩邸に彰考館を建て『大日本史』編纂を開始した。
[解説]
1.徳川光圀は、1657年、江戸小石川の水戸藩邸に彰考館を設け『大日本史』の編纂を開始し、1906(明治39)年に完成した。
2.神武天皇から後小松天皇までの歴史を、朱子学の大義名分論を中心とする史観に基づき、紀伝体で記述。
3.神功皇后の立后、大友皇子を歴代天皇に加えたこと、南朝を正統としたことの3つが特徴である。この編纂事業を通じて、皇室尊崇を核とする水戸学が成立し、後に尊王攘夷論を展開した。
4.朱舜水(1600~82)は明末の儒学者。1659年長崎に来港して亡命。1665年徳川光圀(1628~1700)に招かれ、水戸藩に独自の古学による正式の礼儀を伝え、実学を重んじる講義をおこない、水戸藩の学者に大きな影響を与えた。
5.水戸黄門は徳川光圀の別称。天下の副将軍として諸国を漫遊し、各地の悪を懲らしめる世直しをした(このような事実はない)という、講談『水戸黄門漫遊記』が幕末に創作された。
〈2016関西学院大学・全学部
問7.下線部h『大日本史』に関連して、誤っているものを下記より選びなさい。なお、すべて正しい場合は「エ」をマークしなさい。
ア.水戸に彰考館が設けられ、そこで『大日本史』の編纂が開始された。
イ.『大日本史』の編纂は徳川光圀によって開始された。
ウ.『大日本史』は明治時代になって完成した。」
(答:ア×彰考館は水戸藩の江戸小石川藩邸内にあった)〉
〈2016早大・文化構想
問3 下線b水戸藩では歴史書の編簒事業から独自の学風がおこったにかかわる記述として、誤っているものはどれか。 1つ選び、マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 前期水戸学は徳川光圀の『大日本史』編纂からおこった。
イ 前期水戸学は朱子学の大義名分論にもとづく尊王論を展開した。
ウ 後期水戸学は徳川斉昭のもとで展開された。
エ 後期水戸学からは頼山陽・会沢安らの学者が輩出された。
オ 後期水戸学は幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。
(答:エ×『日本外史』を書いた頼山陽は水戸学出身ではない)
〈2015京都大・前期
一方、水戸藩では[ キ ]の指示により、1657年に(i)『大日本史』の編纂が始まった。最終的には1906年に完成した全402巻の大著であり、全国で大がかりな史料収集を展開したことに特色がある。長い編纂過程の中で生まれた水戸学では尊王論が唱えられ、幕末には攘夷思想と結びついて大きな影響を与えた。
問9.下線部(i)の『大日本史』編纂のため、当初江戸に、次いで氷戸にも設けられた役所を何というか。」
(答:キ水戸光圀、問9彰考館)〉
〈2012立命館大・法文済営など
問r 下線部11王室の系図を詮索するものに関連して、例えば徳川光圀が始めた『大日本史』はこれに該当するものと思われる。その「大日本史」について説明した文章として、もっとも適当なものを下から一つ選べ。
あ.皇統について、北朝正統説をとっている。
い.完成したのは、1906年であった。
う.後陽成天皇までの事績が漢文体で記述されている。
え.編纂は、史局である弘道館で行われた。」
(答:い あ×南朝正統説をとる、う×後小松天皇まで、え×彰考館で)〉
〈2010明大・政経
問5 徳川光圀の命で設立され、史料Aの筆者・安積澹泊も総裁を務めた、『大日本史』の編纂局の名称を、漢字で記しなさい。」
(答:彰考館)〉
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