東海南北。
(東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん))(鶴屋南北(つるやなんぼく))
[ポイント]
1.四世鶴屋南北の代表作は、『東海道四谷怪談』。
[解説]
1.四世鶴屋南北(1755~1829)は、江戸日本橋で紺屋(こんや)の家に生まれ、自身も生業(なりわい)としていたが、芝居好きが高じて、20代中ごろ狂言作者を志す。49歳の時一本立ちし、『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』(天竺徳兵衛)(1804年)で大当たりとった以後、名声を確立した。
2.南北は、奇抜な仕掛けや早替りなどのケレンを多く作品に取り込み、化け物や妖怪が多く登場するなど、血なまぐさい作風。南北において、不合理でおどろおどろしくて美しい、日本的なものが見事に爛熟しているといえる。明治になり歌舞伎は、これらの日本的な美を嫌い、抜き去り、その結果「目黒のサンマ」のような味気ないものに堕し、今日でも南北の時代の美を取り戻せないで苦しんでいる。
3.代表作は『東海道四谷怪談(よつやかいだん)』。出雲の『仮名手本忠臣蔵』から派生させた怪談作品。そのため、『仮名手本忠臣蔵』と一日交替で2日にわたって上演された。顔が半分崩れたお岩とだまし討ちされた小平がそれぞれ表と裏に縛り付けられた戸板が、観客の前まで漂流してきて、突然ガバッとひっくり返る、またひっくり返る、など観客を驚かせる仕掛けや趣向が随所に込められている。
4.南北が生世話物(きぜわもの)を確立した。「生世話物」とは、「世話物」の当時の町人の生活に根ざす現代劇という面をさらに極めたもの。衣装、小道具、背景などはなるべく本物に近くかつ流行(はやり)のものを使い、言葉遣いや音楽も流行のものを取り入れるなどリアルさを追求した。
〈2016明大・文:「
A 19世紀初頭には、三都を中心とする多くの都市で常設の芝居小屋がにぎわい、都市の民衆を主体とする芸能が盛んになった。歌舞伎芝居では、江戸を拠点に、七代目市川団十郎といった人気役者とともに、『東海道四谷怪談』で知られる[ a ]ら優れた作者が出て好評を博し、これらの動きは地方興行などをつうじて各地にも伝播していった。」
(答:鶴屋南北)〉
〈2016慶大・商AB方式:「
また、歌舞伎では[ 39 ]の『東海道四谷怪談』や河竹黙阿弥の作品など、(カ)町人の日常生活を写実的にとらえた作品が人気をあつめた。
問6 下線部(カ)で述べられている歌舞伎の脚本を何というか。漢字4文字で書きなさい。」
(答:[空欄39]→鶴屋南北(原問には65選択肢あり)、問6生世話物 ※文化文政期以降、とくに写実性のつよい生粋(きっすい)の世話物を生世話物(きぜわもの)(真世話物)と称した)〉
〈2014明大・情報コミュ:「
問12 下線部(シ)鶴屋南北が創作した作品として、もっとも正しいものを、次の1~4のうちから1つ選べ。
1.心中天網島
2.南総里見八犬伝
3.仮名手本忠臣蔵
4.天竺徳兵衛韓噺」
(答:4 ※1・2・3がそれぞれ近松、馬琴、出雲の代表作なので4を知らずともできるだろう)〉
〈2012立大・全学部2/6:「
問4.これに(歌舞伎)関する説明として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.河竹黙阿弥による白浪物は、元禄時代の歌舞伎の代表作である
b.坂田藤十郎は、江戸の歌舞伎役者として活躍し、荒事を確立した
c.竹本座は、幕府から興行が公認された歌舞伎劇場である江戸三座の1つであった
d.『東海道四谷怪談』は、鶴屋南北(四世)によって書かれた生世話物である」
(答:d〇 ※a×幕末に盛行。「白浪」とは盗賊のこと、b×江戸・荒事→上方・和事、c×大坂の人形浄瑠璃の劇場)〉
〈2012京大・前期:「
19世紀に入ると、江戸歌舞伎はめざましい発展を見せた。「東海道四谷怪談」で知られる[ サ ]の脚本を七代目市川団十郎らが演じ、好評を博した。[ サ ]を師とする河竹黙阿弥は、江戸町人を生き生きと描いた写実性の高い[ シ ]を得意とし、幕末には四代目市川小団次と組み数々の狂言を書いた。
(答:サ(四世)鶴屋南北、シ生世話物)〉