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漢書(かんじょ)地理志 班固 後漢書(ごかんじょ)東夷伝 范曄でん)・魏志倭人伝(わじん陳寿(好太王碑 長寿王・宋書(そうじょ)倭国伝 沈約
[ポイント]
1.漢書の著者は班固、後漢書の著者は范曄、魏志の著者は陳寿、宋書の撰者は沈約である。
[解説]
1.『漢書』地理志は、
(1) 前漢(前202~後8)の正史。1世紀に(前漢ではなく)後漢の班固によって著された。
(2) 『漢書』の記述により、弥生時代中期には、
1)倭とよばれていた地域(現日本)が小国に分立しており、
2)その一部の国が朝鮮半島の楽浪郡と定期的に通交していたことの2点がわかる。日本に関する記述は120巻中たった1行「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国と為る。歳事を以って来り献見すと云ふ」とあるのみ。
(3) しかし前1世紀前後の日本を記す文献は世界中でこれだけなので、きわめて貴重な史料。中国がたった1行分でも日本列島に関心を持ってくれたことに感謝しよう。足りない部分は考古学的出土史料と科学的?想像力で補完するしかない。
2.『後漢書』は
(1) 後漢(25~220)の正史。5世紀に南朝((東晋→)宋→斉→梁→陳)の宋の范曄が著した。東夷伝はこの『後漢書』の一部で、1~2世紀の日本列島について記している。
(2)
1) 57年に奴国(なこく)王が後漢の光武帝から印綬(印鑑と組みひものセット)を授かったこと、
2) 107年に倭の国王帥升(すいしょう)が生口(奴隷か?)160人を献上したこと、
3) この後の2世紀後半の倭国に大乱が起こったことの3つの記事が重要。
(3) なお1784年に福岡県志賀島(しかのしま)で、この印とほぼ断定できる金印が発見された。その印面には「漢委奴国王」の5字が刻まれており、その「委」の字に「人偏(にんべん)」がないことに注意。
3.『魏志』は
(1) 三国時代の魏(220~265)に関する歴史書『魏書』の通称。3世紀末、西晋の陳寿(ちんじゅ)の撰。『蜀書』『呉書』とセットで『三国志』と称される。倭人伝はその『魏志』の一部である「東夷伝」倭人の条のこと。現存する最古の『三国志』は12世紀のものであるため、写本の過程で地名や年代に誤写の可能性があると指摘されている。
(2) 邪馬台国についての記述が詳細を究めている。
(3) その位置の記述はあいまいで、畿内説(大和説)、北九州説の論争を生んだ。
1)畿内説をとれば、邪馬台国=大和王権となり、すでに3世紀半ばには西日本を領域とする統一政権が成立していたことになる。
2)北九州説をとると、邪馬台国は九州北部を支配する一地方政権ということに限られる。すなわち、日本の統一が約半世紀ずれることになるので重大だ。
(4) 「大いに冡(つか)をつくる」とある卑弥呼の墓が、前期古墳のなかで最大規模の前方後円墳である箸墓(はしはか)古墳(奈良県)ではないかと有力視されている。考古学的新発見による解決が望まれる。
4.『高句麗好太王碑文』は
(1) 中国の史書に日本関係の記述が、266年(邪馬台国宗女壹与(いよ)(壱与)が西晋へ遣使)~413年(倭の五王遣使)までの約150年間ない。このいわゆる「謎の4世紀」を埋める史料。
(2) 王の子長寿王が父の勲功を記念して鴨緑江中流北岸の丸都城(がんとじょう)(現在の中華人民共和国吉林省)に建てた石碑の銘文。高さ約6.4mの石柱の四面に約1800の文字が刻まれている。
(3) 碑文には391年から404年まで、倭が断続的に高句麗と戦ったことが記されている。400年前後の東アジアの国際関係を知る上で、不可欠の史料。
5.『宋書』は
(1) 魏晋南北朝の南朝・宋の正史。南朝の梁の沈約(しんやく)の撰。その一部が「倭国伝(夷蛮伝倭国条)」である。この中に478年の「倭王武の上表文」がある。そこには大和王権による国土統一の過程が記述され、倭の五王が南朝に朝貢していたことが書かれている。
(2) 当時朝鮮半島では百済が高句麗の圧迫に苦しみ、その同盟国倭も有効な反撃が出来ないでいた。そのため上表文には軍事的劣勢を対宋外交により挽回するねらいが託されている。しかし宋は倭より高句麗の方を重視しており、高句麗と対等の地位に立つことも容認せず、百済地域についての倭の軍事支配権も認めず、成果は空しかった。
〈2014明大・情報コミュ(情報コミュ(A))
晋の( ア )が編纂した『三国志』に含まれる通称「魏志倭人伝」には女性首長(イ)卑弥呼の叙述がある。問1 空欄( ア )に入る人名として、もっとも正しいものを、次の1~4のうちから1つ選び、マーク解答欄に記入しなさい。
1班固 2陳寿 3范曄 4沈約」(答:2)
〈2013早大・国際教養
問1.下線部a『魏志』について、この史書の編纂者は誰か。1つ選んで、マーク解答用紙の該当記号をマークせよ。
ア沈約 イ陳寿 ウ班固 エ司馬遷 オ范曄」(答:イ陳寿)〉
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