中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

14回目の「1・17」

2009-01-17 07:49:40 | Weblog
 人が「生きる意味」を考えながら、手を合わせ、目を閉じた。約1分間、身じろぎせず、そうしている姿を他人が見たら、不気味がって逃げ去ったに違いない。目の前に流れるのは「神崎川」。その向こうに、神戸がある。ラジオで時刻を確認して、午前5時46分の時報と同時に黙とうした。

 いつものウォーキングコースを、この日だけは変えて「神戸方面に行く」と決めていた。時刻もあの午前5時46分の1時間前に出発、自宅のある吹田から歩けるところまで歩く決意をした。というほど大袈裟なことでもないが、せめて、神戸方面に歩いていき、その最中にその時刻を迎えたい、そう思っていた。

 「尼崎」から「摂津」にかけて流れる神崎川沿いに、自転車道がある。そこをいつも歩く。あの阪神・淡路大震災から14年。去年は昼に普通の道路を歩いたことを書いたが、今年は自動車が通らない自転車道を早足で歩いてきた。黒のグラウンドコートを着込み、黙々と歩いた。もし、神戸の会社で大地震に遭い、帰宅困難者になったらどうする。歩いて大阪まで戻ることができるのか…。普段の備えはどうなのか…。もし自分の家族が自分のいない間に被災したら…。いろんなことを考えながら、脇目もふらずに歩いた。

 あの日は転勤先の東京にいた。遠く離れた神戸が燃えているのを、テレビで見た。阪神高速がひっくり返っていた。三宮が壊れていた。三宮駅前にあった我が社のビルが、放心状態で突っ立っていた。「失業した…」と即座に思った。その後、約6000人にも及ぶ命が失われたことを知り、呆然とし、戦慄した。
 
 ある小説にこんなフレーズが書かれている。「人は、忘れる。悲しいほど、忘れる」。時間が経てば、どんなに楽しいことでも、苦しいことでも、辛いことでも、忘れてしまう。それが人間だ、という。完全に忘れないまでも、意識は薄れていく、と。

 震災の「風化」が叫ばれている。「14年も経って今さら震災でも…」という人もいるが、これから大きな地震が起きないのなら、辛いことは忘れてしまってもいいかもしれない。しかし、近い将来、必ずまた来る。それが再び神戸なのか、大阪なのか、東京なのか、それはわからない。「地震列島」に住む限り、地震のない安全な場所などない。だから、忘れてはならない。自分を守るために、大切な家族を守るためにも、あの記憶を忘れ去ってはいけない。

 普段は適当なことを言い、書いている私だが、この日ばかりは真剣になる。犠牲になった方々の冥福を祈り、人が生きる意味を考えながら、きょう1日をすごす。来年も、再来年もおそらく同じことをするだろう。このブログを来年も続けていたら、また書く。
 

 

1 コメント

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阪神大震災 (ヨータ)
2009-01-17 10:17:45
恥ずかしながらこのブログを読んで思い出しました。
情けない限りです。

TVをつけてもあまり大震災については触れていないようです。

確かに人は大事なことほど忘れがちかもしれません。しょうもないことでうじうじ悩む割に(笑)

大震災は14年前、第二次大戦は64年前。
これを「ずっと前」と思うか、「つい最近」と思うかで色々なことが違って見えてくるような気がします。
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