思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

信仰心

2017-05-27 17:00:47 | 日常
最近、何故僕は名誉に興味がないのか考えた。それはというよりも、文学賞が本来の賞とは異なるものと思えてならないから興味が湧かないのだろうが、それは置いておいて、僕は書くことが、祈るとか願うとか、そんな無償の行為と同じものとしか思えない。修道女の祈りが美しいから褒めて金を渡すのだろうか?   そんな感覚なんだ。
  文学はどんな時でも僕に書かせる。それは僕の手から生まれていくものなのは確かだけど、しかし、書かせる何かがあるような、そんな気がしてならなくなることがある。僕がどれほど辛かろうが、苦しかろうが、それが全ての要素となって何か美しいものを創出しようとする意志となる。僕はそれが、キリスト教徒の考えと似ているような気がしてきた。キリストを否定して、代わりに美を信奉したような、そんな感覚だ。多分、そうなんだろう。僕は書ければいい。それで金がもらえなかろうと、それが残らなかろうと、書けさえすればいいんだ。修道女の名前なんて誰も覚えやしない。それでいい。覚えられる必要はない。自費出版して、国立国会図書館に入れてもらえば良いじゃないか? ほら、それだけでも残る。それぐらいはしておいてもいいな。